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弓と剣  作者: 淳A
領主
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272/490

叱る

 師範からヨネ義姉上に赤ちゃんが出来たと知らされたのは俺が叙爵式を終え、北に帰ってからだった。

 その時初めて予定日は五月末か六月の頭と師範が教えてくれた。 おめでたい事だけど、叙爵式のための儀礼特訓に明け暮れる俺に余計な気を遣わせたくない、と黙っていてくれたようだ。

 何しろ儀礼も特訓が必要だったけど、意外に無視できないのが「御夫人の会話」ってやつ。 これはシューウィッチ先生といえども教えるのは無理。 誰が何と言って来るか予想がつけられないから。


 叙爵式の前後は母上やライ義姉上、ヨネ義姉上が周りを固めてくれているから心強い。 でも婚約式が終わった後で俺が上級貴族へ挨拶する時、リネも他の御夫人方と受け答えしなくちゃいけない。 それはリネ本人にしか出来ないからヨネ義姉上があり得る質問と、それに対する返事は何と言えば無難か、模範解答を作ってくれた。 悪阻もきつかっただろうに、そんな素振りは少しも見せず、丸二ヶ月もの間毎日指導に通ってくれたんだ。 それだけじゃない。 貴族に対してすごく劣等感を持っているリネに、大丈夫です、あなたならお出来になれます、と励まし、自信を持たせてくれた。

 年下なのに短期間で義妹を一人前の貴婦人に仕立て上げてくれたヨネ義姉上には感謝してもしきれない。 そのヨネ義姉上が六月八日に無事、女の子を産んだ。

 名前はリヨちゃん。 かわいいぜっ。 俺にとっては初めての姪だ。 サリにとっては従姉妹だし、仲良く一緒に遊んでもらいたい。


 大きな声では言えないが、男の子ならともかく、女の子ならヨネ義姉上に似た子が生まれますようにと密かに祈っていた。 だけど、ばちっとこちらを見た目はぎょっとするくらい師範を思い出させる。

 うーん、でもここで、残念ながら、と言ったら語弊があるよな。 そもそもこんな赤ちゃんの内から親に似てるかどうか分かるもんか。 気のせい気のせい、と自分を誤魔化そうとしたが、みんな目元がお父様に似ていますねと言っていた。 たぶん俺と同じ事を感じたんだろう。


 それはともかく、日頃何かとお世話になっている師範の慶び事だ。 伯爵になったからって見栄を張る気は全くないけど、やっぱり出すべき所では出さなきゃな、と御祝儀を弾む気でいたら、トビから説教を食らった。

「旦那様は大掛かりな土木工事に私財をつぎ込もうとなさっておられます。 お手持ちの貯金は一年持つか持たないか。 はっきり申し上げて財政に余裕は全くない状況です。 ここで御祝儀を弾まれましては後々続く方々もいらっしゃる事ですし、その度に喜ぶどころか困る事にもなりかねません」


 後々続く、と言われて今更ながら気付いたが、俺には今では沢山の親戚がいる。 俺とリネの兄弟は全員結婚したけど、その関係で義兄弟ができた。 レイ義兄上はまだ独身だし、ヨネ義姉上には次代のグゲン侯爵である弟のヨラがいる。 ユレイア義姉上に至っては実に沢山の兄弟がいるらしい。 

 らしい、と言うのは、庶子の兄弟が何人いるのか知るのが怖くてまだ聞いていないのだ。 両親が同じなのは兄のナジューラさんだけと聞いたが。

 ともかく義兄弟が結婚したらその配偶者にも兄弟姉妹がいるだろう。 その人達もいつか結婚すれば兄弟が出来る。


 姻戚関係だけじゃない。 俺の部下は何故かマッギニス補佐を唯一の例外としてみんな独身だ。 俺の隊に入隊するには独身でなければならないと言った訳でもないのに。 偶々そういう人が集まっただけとは言え、独身だらけだからこれから次々結婚式に招待されるだろう。 上官だから主賓にされちゃったりするかもしれない。 当然御祝儀も弾んであげないと、という事になる。


 まあ、中には結婚しそうもない奴が結構いるけど。 実年齢は知らないが、勤続年数を数えれば六十歳を過ぎているはずのアタマーク。 四十を過ぎているリッテル軍曹。 孫がいるカナ。 何年か前に離婚したネシェイム小隊長と、随分昔に奥さんと別れて以来、独身を通しているバートネイア小隊長。 この辺りは結婚しそうもない。

 それでもトビを始めとしてタマラ中隊長補佐、リスメイヤー、メイレ、フロロバはいずれも明日結婚してもおかしくない年だ。 そこにアラウジョが加わったし、エナもいる。

 結婚、出産だけじゃない。 新築祝い、葬式、病気見舞い、災害見舞い。 とまあ、全部はやらなくても金を出し始めたら切りがない。 それでしょぼいとは思ったが、リヨちゃんにはロックの羽を贈った。 俺がロックと飛び回っていた時、羽が何枚かくっついてさ。 それを捨てずに取っておいたんだ。 瑞鳥の羽だから何かの御利益があるかもしれないだろ。 師範は、金だったら受け取らなかったが、それだったら有り難く戴くと言ってくれた。


 六月中旬に父上と母上が北を訪れて下さった。 なんでも別邸を建てる御予定なんだって。 師範の所へ出産祝いを持って行くついでに候補の土地を見に来た、とおっしゃっていた。

 我が家では、サリがうんしょと頑張って記念すべき第一歩を踏み出し、父上と母上を大層喜ばせた。 我が娘ながら中々人を喜ばせるツボを掴んでいる。

 父上はお仕事絡みでもあったようで、他にも寄る所があるから、と二日泊まっただけで帰られたが、出発前に二人だけで話があると言われた。


「サダ様。 領主にとって一番大事なものは何だと思われますか?」

 領主にとって一番大事なもの?

 俺にとって一番大事なのはリネとサリだ。 でもそれって領主じゃなくても大事なものだよな?

「領民です」

 そう答えたら父上が深く頷かれる。

「お言葉の通りです。 北方伯領は領民が非常に少ないと言う特殊な事情はありますが、それでも数千の民がいると思われます。 それだけの数の民を治めるとなると直接一人一人に会う事など叶いません。 領主は常に誰かを介して領地を経営する事になります。

 領民に関する事だけでなく、サダ様には瑞兆の父として、また大隊長として数々の責務がおありになる。 その少なからぬ実務が部下や奉公人の手によって片付けられていると推察致します。 つまり結果のみを報告の形で受け取っていらっしゃる。 そうではございませんか?」

 父上はどうして突然こんな事を話し始めたんだろう? 分からなかったが、黙って聞いた。

「その報告が正しいか正しくないか。 裏の意味があるのではないか、あるとすればそれは何か、と一々疑わねばならないとしたら、大隊長としても領主としても本来の役目を果たす事は大変困難なものとなる。 であればこそ、傍らに仕える者に目を配る事は上に立つ者にとって要とも申せましょう」

「目を配る?」

「仕える者とて所詮は人の子。 時には間違いもする。 その間違いを正すのは領主の重要な役目なのです。 お分かり戴けますか?」

「誰か俺の部下で間違いをした者がいたんですか?」


 父上は俺の質問に答えず、更に質問なさる。

「サダ様はエナが一年の任期を終えた後、国外追放となる事を御存知でしょうか?」

 俺は頷いた。 それはエナが夜の家族の団欒の時に話してくれた。

「それに関して誰かに何かしろと御命令なさった事はございますか?」

 俺は首を横に振った。 俺が何とかしてくれと言った所で変えられるもんじゃないと思ったし。

「実は、サダ様のお名前を使い、エナを乳母として勤続させたいというお強請りの手紙を皇王陛下に差し上げた者がおります」

「え?」

「ウィルマー執事が書いたと見て間違いないでしょう。 皇王室の先例を変えるのは些細な事であっても時間がかかるもの。 今回のように数百年の歴史がある先例となりますと、諸般の手続きが必要です。 そのため実際のお許しが北に届くのは年末近くになると思われますが、陛下の御意を受け、中央祭祀庁が特例を上梓致しました。 実現する事はほぼ確実です」

「あの、でも、皇王陛下にお手紙を出すなんて、普通の人には許されてないんじゃ?」

「その通りです。 しかしサダ様には許されております。 但し、サダ様のお名前を余人が使う事は許されておりません。 これは執事を含みます。 サダ様のお手が不自由で、執事に代筆するよう命じたのでしたら別ですが。 準大公の名を騙った事が公になればウィルマー執事は死刑となるでしょう」

 

 死刑? 死刑って、死刑?

 だーーーっ。 俺ってば、何を言ってる!

 俺は目の前が真っ暗になった。


「忠義者が忠義の故に先走りした時程叱る事が難しいものはありません。 今回のように目論みが成功している場合は尚の事。

 さりながら陛下の御厚情が常にあるものと思うのは大きな間違い。 はっきり申し上げて、この度の成功は紙一重であったと申し上げてもよいかと存じます。 もし失敗していたらと考えると、これは看過出来る不始末ではありません。

 ウィルマー執事が有能である事は疑いない。 ですが己の有能を過信する事は主をも危うくする。 必要な時に信頼する者をきちんと叱る事が出来るか出来ないか。 それが領主としての真価の分かれ目となるでしょう」


 そうおっしゃっただけで、父上は俺にどうしろとは何もおっしゃらず、呆然と椅子に座っている俺を部屋に残してお帰りになられた。

 トビはどうしてこんな大それた事をしたんだろ? 理由を考えようとしたけど、ぐちゃぐちゃで何も思いつかない。 俺が命じた覚えはないが、トビは俺の気持ちをよく読む。 もしかしたらこのままエナがずっとここにいてくれないかな、という俺の気持ちを読んだとか?

 どんな理由があったにしろ、もうちょっとでトビが死刑になっていたかもしれないと考えただけで俺は恐怖のどん底に突き落とされた。 理由は後で聞くとしてもこんな危ない真似、二度とするなと言わなくちゃ。


 でも俺にトビを叱れる? トビに叱られた事なら何度もあるけど。 これって父上を叱るよりハードルが高かったりして。 マッギニス補佐を叱るのと同じくらい?

 いや、いや、いや、そんな問題じゃないだろっ。 もしトビが死んでいたら俺はどうなっていたと思う? トビがいなくちゃ俺は領主なんてやれない。 どんなにトビを叱る事が怖かろうと、トビを失う事はそれよりもっともっと怖い事なんだ。

 だけど叱った所で俺の言う事を聞いて貰えるんだろうか?

 そんな弱気でどうする。 俺が間違ったらトビが正してくれるように、トビが間違ったら俺が正さなきゃ。

 あ、アタマークに叱ってもらうとか?

 ばか、何を言ってる。 主は俺だろ。


 俺は唾を何度か飲み込んでからトビを執務室に呼んだ。


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