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弓と剣  作者: 淳A
領主
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266/490

痛い目  プラドナ公爵の話

「ターデネクが見破られた?」

 その信じ難い報告に私が聞き返すと執事のユラエンナが答える。

「確証はございませんが。 残念ながらターデネクが使い物にならなくなった事に変わりはないかと存じます」

 差し出された報告書には子爵家庶子リエル・ペトリーエと名乗って入隊したターデネクが第三駐屯地に転属になった事が記されていた。


 貴族の子弟が他の駐屯地や派出所の管理者として第一駐屯地から転属になるのはよくある事と聞いている。 しかしターデネクは今年入隊したばかりの新兵で、今の所は単なる一兵卒。 身上書では二十歳だが、実年齢は二十五歳だから十八の新兵に比べ賢く見えただろうが。 軍功を上げたとは聞いていないし、そもそもこれは単なる転地だ。

 北軍では最初の一年は誰でも第一駐屯地で訓練されるのが慣例なのだとか。 だが貴族なら一年が過ぎても本人の希望がない限りそのまま第一駐屯地勤務となる。 この転属が昇進のはずはない。 一年未満で転属になるとは何か失敗して蹴り出されたのだ。

 一体何があった? もしや偽名がばれたのか?


 偽名を名乗らせて入隊させたが、調べられた所でリエル・ペトリーエは実在の人物だ。 リエル本人を知っている者と会えば偽物と見破られるが、本物はペトリーエ子爵がアイデリエデンで遊んでいる時に現地の女に産ませた子供で皇国を訪れた事はない。 現在もアイデリエデンで暮らしている。

 身元が割れたとは考えられないが。 それ以外の可能性となると更にあり得ない。

 そもそもなぜ何があったか、ターデネク本人からの報告がないのか? 報告書はターデネクに従者として付けていたタハランからのものだ。 ターデネク自身、転属に驚いているとは書いてあるが。 本当に何も知らないのか知りながら無言なのか。 まさかターデネクが北方伯側に寝返った?

 だがそんな真似をすれば命はないという事が分からないような馬鹿ではないし、向こうから餌を投げて寄越されたとも思えない。 それにはまずペトリーエが偽名である事を見破る必要があるのだから。


 残る可能性は、ターデネクが何かを仕掛け、それが失敗して偽名が暴かれた、だ。 我が公爵家でも指折りの諜報員で、過去一度たりとも失敗した事はないターデネクだ。 初歩的な間違いを犯して捕まったとは信じ難いが。 それに失敗して目的が暴かれたのなら、とっくに処刑されているはず。 見抜かれた事さえ知らずに生きているのが腑に落ちない。


 マッギニス直系が補佐として付いている。 侮るつもりなど毛頭なかったが、いくら切れる補佐が付いていても本人があれだ。 北方伯と直接会って言葉を交わしたのは叙爵式での短い挨拶だけだが、どこからどう見ても賢さの欠片も感じられない若者であった。 あの挨拶からして彼の本質を物語っている。 アル・マクハージランサ・プラドナという私の名前を聞いて北方伯はこう言ったのだ。

「うわあ、舌を噛みそうな長い名前ですね」


 私の名を「アルマクハージランサ」と勘違いするとは。 マクハージランサはミドルネームだ。 これはプラドナ公爵家にマクハージランサ王家の血が流れている事を示している。 マクハージランサ王家はバトッチエ王国を統治しており、私の母がジューミ・マクハージランサ王女である事は、いくら輿入れしたのが五十年前の事であっても皇国で知らぬ者はいない。 大概の事に絶句した事などない私だが、さすがに言葉を失った。

 この分では北方伯はプラドナ公爵家直系にはバトッチエ王国王位継承権がある事も知らないのだろう。 そんな物知らずだから妻の浮気にも気付くまいと思った訳ではないが。 夫はとかく妻の心の動きには疎いもの。 しかもあれ程の人気者だ。 数多の女に言い寄られているだろうし、大隊長や領主としての責務もある。 妻に構っている暇などないはず。


 寂しさを囲う妻を誘惑する事に掛けてはターデネクの右に出る者はいない。 ターデネクは特別顔がよい訳ではないから北方伯と比べれば見劣りするが、女心をくすぐるのに長けている。 今まで狙って落ちなかった女は一人もいないという凄腕の女たらしだ。 

 どんなに近寄り難い高貴な女であろうと一ヶ月か二ヶ月、長くて三ヶ月もあればものにした。 奴にかかれば平民上がりの北方伯夫人を誘惑するなど半月もあれば充分と高を括っていたのだが。 いつまで経っても任務の進捗状況を送って寄越さない。 不安は感じていたものの、まさか本当にこのような事態になろうとは。


 二人がプラドナ公爵領に駆け落ちした所でターデネクは盗賊に襲われ殺される。 偶々行き会わせた私が彼女を庇護し、恋に落ちる、と言う筋書きだった。

 彼らがプラドナ公爵領に到着し次第、正妻であるタシヤエラとは離婚する。 間を置かずに北方伯夫人と結婚し、出来るだけ沢山の子を産んでもらう予定だった。

 北方伯夫人と私の間に子供が生まれれば計り知れない利益がある。 その子は瑞兆サリ様と母を同じくする異父弟妹。 私とタシヤエラの間の子供達は全員、その異父兄弟と異母兄弟となるのだから。

 この計画に関してはタシヤエラの同意は勿論の事、彼女の実家であるバトッチエ王国フィリジョト公爵家の了承も得ている。 どちらかと言えばあちらの方が強く後押しした程だ。


 認めるのは苦々しいが、北方伯家に近づく事に関してプラドナ家は完全に出遅れた。

 北方伯の長兄はヘルセスに、次兄はダンホフに攫われている。 北方伯に現夫人と離婚し、私の娘と結婚しないかと打診したが断られた。 庶子の娘を何人も愛人として差し向けたが悉く門前払い。

 マレーカのように庶子を乳母として差し出す手もあるが、一年間一緒に暮らしても妊娠するかどうかは賭け。 庶子とは言え、一年後は国外追放が決まっている乳母の職に娘を差し出すつもりはない。

 マレーカの気位の高さも所詮はその程度、と鼻先で笑っていたら、先週の閣議で祭祀庁が瑞兆の乳母の任期に関する特例を上梓したとの報告があった。 青天の霹靂とはこの事。 マレーカの娘には手が付いた様子さえない、と聞いて呑気に構えていたらこの様だ。

 ふんぞり返るしか能のないマレーカにさえ出し抜かれたとは、考えただけで腸が煮えくり返る。 さればと言ってこの特例に反対する事は出来ない。 閣僚の過半数は既にヴィジャヤン派閥。 残り全員がいくら反対した所で可決されるに決まっている。 ここで下手な動きを見せ、反ヴィジャヤン派のレッテルを押される訳にはいかないのだ。


 今更ヴィジャヤン派閥に入った所で姻戚関係がなければ強い発言力は望めない。 北方伯の兄の妻の座に空きはないし、正攻法では大した成果が望めないなら搦め手で行くしかないのだ。

 そう考えた末に編み出された苦肉の策。 とは言え、ターデネクならば成功確実と思われた。

 北軍には今、相当数の貴族の子弟が入隊している。 一々身元調査している余裕はないだろう。 ターデネクの本名はもちろん、任務を知る者は数人しかいない。 仮に誘惑に失敗したとしても北方伯夫人に焦がれるあまり、ターデネクが勝手にした事と誤魔化せる。 背後に誰がいるかなど分かるはずがない。 安全至極で、こちらの懐が痛む事はない計画だ。

 ただ北方伯の父の諜報網は中々のものと聞く。 また今ではヘルセス、ダンホフ、カイザー、マレーカ、マッギニス、グゲンも派閥に加わっているのだ。 慎重に事を運ぶに越した事はない。 もっとも出来て日が浅い派閥だから一枚岩とは思えない。 共同戦線を張ろうにも誰が指揮を執るかでまず揉めるだろう。


 夫人が男と駆け落ちしたと知れば北方伯はすぐ夫人を離縁するはず。 その点は問題ないが、すかさず私と結婚した事を不快に思われても困る。

 こちらとしても北方伯を怒らせるのが目的なのではない。 そこで私は正嫡子である娘のキャシロを北方伯に嫁がせる準備をしていた。 北方伯とて平民妻が巨額の持参金付き公爵令嬢に格上げされれば、夫人が駆け落ちしてくれてよかったと思うに違いない。

 その下地を整える為、皇太子殿下舞踏会ではキャシロが北方伯と、私が北方伯夫人と昵懇になる予定だったが。 実はそれさえ躓いている。 北方伯夫妻が皇太子殿下御夫妻と夫々一曲踊っただけで早々に帰ったから。


 キャシロには一度や二度断られたくらいで簡単に諦めるな、いざとなったら泣き落とししてでも一緒に踊れ、と命じていた。 ところが申し込みを断わられた後、中庭に行ったらしく、中々戻って来ない。 戻った時には夫妻はもう舞踏会から帰っていた。

 叱りつけたら、どうにも笑いが堪えきれなかったと言う。 何がそんなにおかしかったのだと聞いても要領を得ない。 私自身北方伯夫人と踊れなかっただけでなく、一言の話をする間もなかった。 過ぎた事をそれ以上怒った所で八つ当たりと思われるから放置したが。


 まだ結婚してもいない内から言っても詮なき事ながら、私は北方伯夫人が平民出身であっても蔑ろにするつもりはない。 子供さえ産んでくれるなら、どのような我が儘であろうと聞く用意がある。

 北方伯夫人にした所で、いずれは準大公夫人になるとは言え、北方伯家が持つ領地は貧しい荒野に過ぎない。 だからだろう。 北方伯夫人が贅沢をしている様子はなかった。 そのような甲斐性のない夫より、今すぐ思うままの贅沢をさせてあげられる私の方が、よほどましな事に遠からず気が付く。

 しかし結婚するには、まず北方伯夫人と会わなければ話が始まらない。 言ってしまえばこの計画は私が夫人に会う事を実現させようとしているだけだ。 複雑怪奇な陰謀でもないのに、なぜ失敗したのか?


 はっきりした事は分からないが、マッギニスが一枚噛んでいる事は確かだ。 なぜなら今年の武器の納品が極端に遅れている。 催促してもなしのつぶて。 痺れを切らし、閣議の後でマッギニス侯爵を捕まえて問い質した。 すると抜け抜けと言う。

「さあて。 搦め手には搦め手、と言う所ですか」

 人目もある。 何が言いたい、と叫んだりはしなかった。

「何の事でしょうな」

 静かに尋ねる私に白を切りおった。

「言葉通りでございます。 それ以上でも以下でもない」


 間もなくダンホフがプラドナ領城下町での両替業務から撤退すると言って寄越した。 それをされては外国との取引をするのに皇都の両替所を通さねばならなくなる。

 日を置かずにグゲンが年内に製粉所を閉鎖する事を通知してきた。 同様な知らせが次々と舞い込み始める。

 食品、衣料、日用品、輸送、製造。 ありとあらゆる業種から取引停止、事業所閉鎖の通知が届いた。

 なりふり構っている場合ではない。 私はヴィジャヤン準公爵に緊急面会を申し込み、何が欲しい、と単刀直入に聞いた。

「北方伯夫妻には手出し無用と御理解下さい。 正攻法、搦め手、いずれも御遠慮戴きたく」


 確かなのは一つだけ。 北方伯を侮る者は痛い目を見る。


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