準皇王族
誘拐未遂事件が起こったため、将軍は副将軍と第一駐屯地の全大隊長を招集なさり、緊急会議を開いた。
賊はまだ一人も捕まっていない。 だけど正直な所、北軍が総力を挙げて捜査したって捕まえられるような気がしなかった。 集めた賊の数が丁度いい数字っていうか。 これより少ない人数だったら誘拐が成功するかどうか不安だったろう。 でも大人数じゃないから目立たない。 あっちこっちから雇えば簡単に集まる人数で、解散するのも簡単だ。
失敗しても東西皇都、ばらばらの方角に数人とか一人づつで逃げられる。 北の境界線を越えられたら捜査を北軍だけで勝手にやる訳にはいかない。 夫々の軍にこれこれこういう事情がありまして、という連絡を入れないと。 それに賊が泊まっているのが民間の宿屋なら立ち入り調査だって出来るが、どこかの貴族の家に逃げ込まれたりしたら捜査許可証が要る。
運良く何人かを捕まえる事が出来たとしても雇い主が誰であるかを知っているとは思えない。 傭兵の世界では前金で三分の一を払えば残りは成功報酬だ。 金の受け渡しの場所以外何も知らなくても仕事を引き受ける事があるらしい。 人に言えない仕事の場合、当然だろう。
マッギニス補佐から会議が開かれると連絡された時、黒幕が分かっていないのに会議しても無駄なんじゃないの、と言った。 するとマッギニス補佐は例の氷顔を更に冷たくして言う。
「大隊長。 御婚約成立と同時にサリ様が準皇王族となられた事は御承知戴いているでしょうか?」
もちろん承知しています、と言ってしまっていいかどうか少し迷った。 そんな風に簡単に答えられる質問をマッギニス補佐がするはずはないから。
ほんとの事を言えば、「準皇王族」って何、とまずそれから聞きたかったが、ここにトビはいない。
まあ「準」が付いているという事で、それは俺でもなんとか想像はつく。 伯爵になった時、これで旦那様は将来準大公になる事が約束されました、と言われたし。 そのおかげで俺は現在の爵位より上の待遇で敬われている。
つまりサリはいずれ皇王族になる。 だから今から皇王族扱いして貰えるって事なんだと思う。 そういう意味では分かる。
でも問題は、だから何、て事。 会議が時間の無駄と言う事と、サリが準皇王族である事にどんな関係があるの? 皇王族扱いして貰える、て事の意味さえ掴めていない俺には全然分からなかった。
そこに、ながーい沈黙があった。 マッギニス補佐は、たとえ沈黙がどれだけ長かろうと気まずかろうと、俺の頭の限界を読んでさっさと自分から説明したりはしないのだ。
待つ。 あくまで待つ。
俺が分かりません、どうか説明して下さいとはっきり言うまで。 ほんと、嫌みな奴。 それを口に出して言うほどの肝っ玉はないが。 ちょっと補佐としての柔軟性に欠けるんじゃない、くらいは言ってもいいかな? だけど、マッギニス補佐に柔軟性を求めるなんて氷に柔軟性を求めるのと同じじゃありませんか、と他の部下から言われそう。
はあ。 この冷たい沈黙さえなければ俺とマッギニス補佐は割といい上下関係を持っていると言ってもいいのに。
念のために言っておくが、ここで言う上下関係とはマッギニス補佐が上で、俺が下だ。 水と知識は上から下へ流れるものだしな。
何をごたごた言っている、さっさと教えて下さいと言えばいいじゃないか、と思うかもしれない。 でも分かりませんと言った途端、マッギニス補佐が説明し始める。 それは大概の場合、短いものではない。 はっきり言ってしまえば、すごく長い。 長過ぎて、そもそも何を説明されていたのか思い出せない時もあるんだ。
ところで、マッギニス補佐の朝の授業は今でも続いている。 その時教えられるあれこれも同じように長くて難しい事ばかりだ。
でも幸いそれはトビが一緒に授業を受けている。 説明を後でトビがまとめるというか、俺の頭でも理解できる様に通訳してくれているんだ。 ここにトビがいさえすれば後で意味を聞けるから、迷わず教えて下さいと言ったんだが。 残念ながらここにトビはいないし、トビを呼びに行ってる時間もない。
俺は諦めて、サリが準皇王族である事と今回の誘拐事件にどんな関係があるのかを聞いた。
「準皇王族を狙われて皇国が黙っている訳にはまいりません。 それでなくとも今回の標的は瑞兆。 掛け替えのない御方なのです。 報復は当然と申せましょう。
もし賊が外国に雇われた傭兵と分かれば未遂であろうと開戦の理由となり得ます。 北軍がどのように事件を報告するか次第で、証拠が一つも見つからなくてさえ皇国上層部は開戦を決定するかもしれません。 証拠など適当なものをいくらでも捏造する事が可能なのですから。
それ故北軍としては慎重に報告せざるを得ないのです。 相手の国に攻め込み、多大な損害が出た後で、それはこちらの誤解でしたと撤回する訳には参りませんので」
その説明を聞いて、ぎょっとした。 今回に限り説明が短かったし、いくらおばかな俺でも「開戦」を「改選」や「廻船」ましてや「海鮮」だとは思わない。
「か、開戦って。 いくらなんでも誘拐が成功した訳でもないのに。 それって、あまりに大げさなんじゃ?」
俺の言葉にマッギニス補佐が呆れた様に返答する。
「大隊長は誘拐が成功するまで待つべきとおっしゃるおつもりですか? 瑞兆の噂は既に世界各国に流れております。 現在の所は穏便な招待ばかり。 こちらが断る事で済んでおりますが、いずれ穏便ではなくとも瑞兆をお迎えしたいという国が現れる事でしょう。 ある意味、誘拐であろうと開戦に比べれば穏便と言える手段。
皇国上層部は他国が瑞兆の略奪を企てない様、今の内に国の一つや二つを潰しておけば良い見せしめになる、と考慮中だったかもしれないのですよ。 今回のような事件があったのをこれ幸いと開戦を決定したとしても驚くべき事ではありません。 証拠はあるに越した事はありませんが。 ないからと言って開戦を諦める事はないでしょう。 相手だとて今回の襲撃のように簡単に尻尾を掴ませないようにしているのですから」
「まさか、この会議って開戦準備会議って事?」
「お言葉の通りです」
マッギニス補佐の返事を聞いた時、俺は大峡谷の谷底に突き落とされた様な気持ちがした。




