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弓と剣  作者: 淳A
北方伯
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 十月になって秋の色が深まった夜、外からフォッフォーという音が聞こえてきた。

 あれ、なんの音だろう? 俺は耳を澄ました。 隣のリネはとっくにくーくー安らかな寝息をたてている。 でもその夜は何となくその音が気になって眠れなかった。 しばらくして、ようやく梟の鳴き声だと気が付いた。


 フォッフォー

 フォッフォー


 北に来て初めて梟が鳴くのを聞いた。 なぜかその夜はしつこいぐらい何度も鳴く。 音がとても近いから俺達夫婦の寝室の真上か窓のすぐ外で鳴いているんだろう。

 それでふと、昔おばあ様が教えてくれた俺の母方のおじい様(先代ジョシ子爵)の話を思い出した。 おじい様は生前、死んだら梟に生まれ変わって子供達の家を見守ってあげたい、とおっしゃったんだって。 昼は自分で用心出来るが、眠っている時は不用心なものだからな、と。

 それはとても貴族らしからぬお言葉と言える。 普通、貴族が守ろうと思うのは家名とか財産だ。 子供は大切だけど、それはその子供が家名や財産を守ってくれるから大切なんだ。 でもおじい様は家名や財産より子供の方が大事と思う御方だったらしい。


「サダのおじい様はね、貴族としては珍しいぐらいに、それはそれは子煩悩な御方でいらしたんだよ。 お年を召してから授かった子供だからかもしれないねえ。 昔から変わり者として有名な御方だったし、咎める事でもないけどさ」


 おじい様は爵位を継がぬ気楽な次男として生まれ、自由奔放なお育ちだったと聞いている。 俺とはまた違う意味で。 貴族としての教育は受けたが、成人した途端旅に出て実家には滅多に戻らず、結婚もしなかった。

 だけど大人になってから長男である兄上が事故で亡くなり、その後を継いだ甥が若くして病死したため、おじい様が爵位を継ぐ事になった。

 様々な冒険をなさり、何かと有名な御方だったらしい。 でも俺が二つになる前に亡くなられたし、一緒に住んだ訳でもなければ遊んだ事もないおじい様の事なんて俺は少しも覚えていない。 ジョシ子爵家にある肖像画を見ているから顔は知っているが。


 おばあ様はきっと深くおじい様を愛していたんだろう。 俺に少しでもおじい様の事を知ってもらいたかったらしく、おじい様の冒険談をあれこれ沢山聞かせてくれた。 俺もおじい様の話を聞くのは大好きだった。 何しろ色々な意味で波瀾万丈な人生を送った人なんだ。

 おじい様が若い頃の話は、おばあ様がおじい様のお姉様から聞いた又聞きだが、それによると親族の中では結構な鼻つまみ者で。 飲む、打つ、買う、の三拍子が揃ったやりたい放題。 品行方正、真面目な者揃いの親族から顰蹙を買っていた。 かろうじて借金だけは誰からもしなかったから門前払いにならずに済んでいたが。 遊ぶ金をどこから捻り出していたのか誰にも分からず、それが敬遠される理由にもなっていた。


 世界中を巡ったのではないかと言っていいくらい、そちこちに行かれ、様々な経験をなさったらしい。 旅先で盗賊の頭と友達になったり、詐欺師を騙した事もおありになる。 外国にもよく行かれたようだ。 但し、無銭乗船。 それで船員として働かされた。 言葉が分からない国で、危うく結婚させられそうになった、などなど。

 おじい様の話はどれも冒険譚として本になりそうなものばかり。 直接お話を伺う事が出来なかったのは本当に残念だ。


 兄上であるジョシ子爵夫妻が不慮の事故で亡くなったのはおじい様が二十八になった時で、兄上の遺言により、おじい様は当時十二歳になったばかりの甥の後見人となった。

 親族はまだ幼い子爵が放蕩者の叔父から悪影響を受けるのでは、と懸念したらしいが、遺言の力は絶対で、どうしようもなかった。 因みに亡くなった兄上はおじい様より六つ年上の温厚円満な御方で、猪突猛進な弟と全く似ていなかったが、生前二人はとても仲が良い兄弟だったと言う。


 親族の懸念通り、おじい様は甥の後見人や親代わりというより年の離れた友人として振る舞い、世界を見るんだ、世界は広いぞ、と国内は勿論、国外にまで子爵を旅行に連れ回し始めた。

 子爵は朗らかで逞しい若者となって旅から帰って来た。 後年おじい様の姉上が語った所によると、おじい様は子爵を怪しげな賭場や娼館にまで連れて行ったらしい。 そんな話で真面目な親族をのけぞらせては、子爵はいたずらっ子のように笑っていた。 とは言え、子爵は貴族としての儀礼と教養もきちんと習得していた。 どんなやり方を使ったのか分からないが。 ともかくそのおかげで親族の中でおじい様の評価がちょっとだけ上がったのだとか。


 子爵が成人(十八歳)すると、いい加減領地の管理を学ばせろという親族の声を無視しきれず、子爵を領地に戻した。 そしておじい様は後見役を親戚に任せ、自分一人で旅に出た。 ところが翌年、子爵は流行病にかかった。 急を告げる報を聞いて、おじい様が旅先から飛んで帰ってきたら、病が病なだけにうつるのを恐れ、誰も近づきたがらない。 若き子爵は寝室に一人、ただ死を待つ有様だった。

 それを見たおじい様は一緒の部屋に寝泊まりして看病し始めた。 彼が死んだらジョシ子爵家の直系男子はおじい様を残すだけとなる。 家が断絶する事を恐れた親族が、病気がうつったらどうすると止めたのだが、おじい様は、そんなに家が心配ならジョシ子爵をなぜたった一人にしておいたと激昂し、耳を貸さなかったらしい。

 おじい様の必死の看病の甲斐もなく、子爵は間もなく息を引き取った。 おじい様は甥の死をとても悲しまれ、酒を飲むでもなく、女を買うでもなく、ただ静かに毎日を過ごし、見る見るうちに痩せていったのだとか。


 傍目にも痛々しいおじい様の悲しみを癒す為、おじい様の姉上が子爵家の重厚な内装を気持ちが明るくなるようなものに変えるよう、内装にかけて名前が知られるようになっていたおばあ様に頼んだ。 それが二人の馴れ初めとなった。

 爵位を継ぐ気なんて全然なかったおじい様はそれまで独身を通していた。 爵位を継いだ当時まだ三十半ばだったが、いつまでも独身ではまずいと親族にせっつかれ、ならば妻は自分で選ぶ、文句は言うなよ、と結婚を申し込んだ。 それがカージャラ家の長女であるおばあ様だった。

 カージャラ家は材木商で当時から家具の販売も手掛けており、金はあったが平民に過ぎない。 平民を正妻にする必要がどこにある、妾で充分ではないか、と結婚に反対する親族もいた。 そこでおじい様の姉上が、子供じゃあるまいし、妻くらい本人の好きに選ばせなさい、短気を起こして出奔されたらどうするの、と周囲を説得してくれたらしい。


 晩婚ではあったが、おじい様は長男と娘二人、合計三人の子供に恵まれた。 俺の母上は第二子だ。

 おばあ様によると子煩悩なおじい様は父上が結婚を申し込みにジョシ子爵家を訪問なさった時、何とか父上を追い払おうとして様々な嫌がらせをしたらしい。 ジョシ子爵家にとって娘が伯爵家に嫁ぐのは本来なら喜ぶべき事なのに。

「遠くに嫁ぐな、とまあ、ごねる事、ごねる事。 御自分は世界中を巡っていらっしゃったくせに。 西なんてそんな世界の果てに行くもんじゃない、とかおっしゃってさ。 子爵位を継いでからは、そうそう自由に御旅行なさる訳にはいかなくなっていたからねえ」

 おじい様の嫌がらせをものともしない父上の熱意に絆された母上が、嫁ぎます、と決意を込めて言った為、嫌々諦めたのだとか。


 西にあるヴィジャヤン伯爵家本邸にはおじい様から贈られた見事な梟の彫刻が付いたランプがある。 母上はそのランプを応接間ではなく夫婦の寝室に置いていた。 きっと母上も、おじい様の梟となって見守ってあげたい、というお言葉をおばあ様から聞いていたのだろう。


 俺が結婚した時、おばあ様から戴いた夫婦用ベッドのヘッドボードの両端には梟の彫刻が据え付けてあった。 だからと言っておじい様が本当に梟に生まれ変わったとは思わない。 でもなぜかあの梟の鳴き声は俺に何かを伝えようとしているみたいな気がした。


 八日後、ジョシ子爵家から連絡が届き、梟が鳴いた夜におばあ様が亡くなられた事を知った。


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