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弓と剣  作者: 淳A
瑞兆
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英雄  ソーベルの話

 俺が密命の同行者として指名されたのはウェルター中隊長の補佐であるからと言うよりトタロエナ族だからだ。

 トタロエナ族は大峡谷に住む唯一の部族で、厳しい環境で生き抜くための知恵といろいろ変わった風習を持つ。 外部と接触する事がほとんどないトタロエナ族が北軍に入隊するのは珍しい。

 たぶんそのおかげで入隊した時、すぐさまウェルター中隊長(当時は小隊長)が俺を引き抜きに来たんだ。 彼の小隊はイーガンに駐在している。 俺にとっても勤務地が家族に近いのは有り難いからすぐ転属した。


 俺の幸運はそれだけじゃなかった。 ウェルター小隊長は気骨ある軍人で御自分には厳しいが、部下を思いやる御方として知られていた。 部下のために心を砕いても恩着せがましいところはない。 毎日ただやるべき事を率先して為して行く。 こうありたい、と誰もが密かに憧れる軍人の鑑だ。

 ウェルター小隊長は部下と共に汗を流し、泥にまみれる事を厭わない。 そして一人一人を実によく見ていらっしゃる。 文盲で部族以外の生活を知らない俺は何をするにも人より時間がかかったが、その分一生懸命働いた。 その態度を気に入って戴けて、いろいろ目をかけて戴いた。


 一度大峡谷に行けば俺程土地勘のある者はいない。 それで入隊以来かなりの数の遭難者を救助した。 だがいくら功績があったって所詮は少数民族出身。 上級兵、軍曹、小隊長と次々に昇進するなんてウェルター中隊長の御推薦がなければ不可能だったろう。

 トタロエナ族は小柄なだけでなく、言葉が北の標準語じゃない。 それで仲間の兵士とも仲良くなる事が出来なかった。 もっとも元々人嫌いの俺だ。 うまくしゃべれた所で友達なんか出来たとは思えない。

 足は速いし、身軽だから重宝されたが、他の兵士からは仲間や同僚というより便利な家畜の扱いをされていた。 だから同僚ならともかく、俺の部下となっても構わないと言う奴は滅多にいない。 ウェルター小隊長は俺を昇進させる時、わざわざ部下を面接し、俺が上官でも構わないと言った奴だけを選んで下さった。

 ウェルター小隊長は俺が入隊してから中隊長補佐に、それから中隊長に昇進なさった。 中隊長昇進の際、俺を補佐に、と御指名戴いた時の嬉しさは今でも忘れられない。


「イーガンの奇跡」の後もウェルター中隊長は淡々と日々の業務をこなされ、いつもと変わりなく過ごされている。 もしウェルター中隊長があの時イーガンで最期を遂げられたってどこからも感状なんて来なかっただろう。 あの方の決断と尊い犠牲はそのおかげで救われた七十九名が知るだけで。

 別にヴィジャヤン大隊長の代わりにウェルター中隊長を英雄と呼べと言ってる訳じゃない。 イーガンの奇跡のような華やかさはなくても俺の心の中でウェルター中隊長以上に軍人として尊敬する人はいない、と言いたいだけだ。


 あの密命が下された日、将軍執務室に出頭する前に俺はウェルター中隊長に呼ばれ、ロックを探す旅に付いて来てくれるかどうかを聞かれた。 ウェルター中隊長はタケオ大隊長とヴィジャヤン大隊長の道先案内として選ばれたとおっしゃる。

 命令が下る前に打診して下さったのは俺の徹底した英雄嫌いをウェルター中隊長はよく御存知だからだ。 これは命がけの危険な任務となる。 嫌々従う者は足手まといでしかない。


 俺は世間が有名人とか英雄とか呼ぶ輩を尊敬した事もなければ近寄りたいと思った事もない。 すごい事をやったおかげでそう呼ばれるようになったって、辺りからもてはやされ、ちやほやされている内にいい気になる。 怠ける。 あれはやりたくない、これもやりたくないとごね始める。

 俺に言わせりゃ英雄だろうとなんだろうと兵士として使い物にならない奴はくずだ。 北の猛虎や六頭殺しの若の噂を聞いたって関心なんて欠片も無かった。 どうせ会ってみれば鼻持ちならん奴らに決まっている。 いい女はどこだだの酒を持って来いだの、まるでそれが重要任務であるかのように命じて来るに違いない。


 今回の旅だって俺やウェルター中隊長がやり遂げた事まで最後にはあの二人の手柄となるんだろう。 手柄を横取りされるのはどうでもいいが、あの二人がバカな命令をしたせいでウェルター中隊長が死ぬ事になったりしたら嫌だ。 ウェルター中隊長が行くならもちろん俺も行く。 それにウェルター中隊長が行かれなかったとしてもヴィジャヤン大隊長の為なら俺は自分から願い出てこの任務に就いただろう。 

 大峡谷に響き渡る強弓の唸りはまだ俺の耳にはっきりと残っている。 あの弓のおかげでウェルター中隊長の命が救われた。 その恩は俺にとって自分の命が救われた恩より何倍も大きい。 それを少しでも返せるいい機会だ。


 だからってヴィジャヤン大隊長を好きになるとか尊敬するとかは全然ない。 何をやったんだか知らないが、皇王室から感状を戴くなんてどうせ親とか親戚とかが裏で工作したんだろ。 皇太子殿下や皇王陛下をお守りする為に死んだ奴なら他にいくらでもいるんじゃないのか? だが今まで誰かが感状を戴いたなんて聞いた事はない。

 そりゃ弓はすごいくらい当たるんだろうさ。 しかしそれって皇太子殿下から感状を戴くほどの事か?

 両大隊長に対して含む所があると言う訳じゃない。 ただ期待や憧れがないだけだ。 それが気に食わないと言われりゃあ申し訳ないが、俺みたいな変わり者、どうせ好かれるはずはない。 生と死が常に隣り合わせの大峡谷で生き抜くのは従者に傅かれ水と食べ物がたっぷりある暮らしとは訳が違うんだ。


 俺の訓練は慣れない者には相当きついし、不便を強いる。 農民出のタケオ大隊長は貴族のヴィジャヤン大隊長よりましかもしれないが、入隊の翌年軍曹に、その次の年には小隊長になる異例の大出世をした御方だ。 つまり新兵として苦労したのは最初の一年だけ。

 ヴィジャヤン大隊長は入隊初日から勇名を轟かせている。 貴族の出だし、さぞかし周りから散々甘やかされているだろう。 それでもお二人は俺の上官だ。 年下だろうと無理難題だろうと黙って命令を聞くしかない。

 俺はお偉いさんの子守りをする覚悟でいた。 ところが見事にその予想は外れた。 訓練に手加減したという訳じゃない。 その証拠に同じ事をやらされている従者達はとっくに地面にぶっ倒れている。 こいつらが弱いって訳でもない。 それどころか中々鍛えられていると言っていい。 さすがは猛虎の従者として選ばれただけの事はある。

 だが俺が驚く程お二人の耐久力は並外れていたのだ。 人力の限界に挑戦する訓練だというのに淡々とこなしていく。 文句も言わず極限まで水を使わないし、飲まない。 その状態で岩を登らせたのに岩登り競争でかつて負けた事のない俺より速い。

 どちらも岩登りを今まで一度もやったことがないのは明らかだ。 命綱の結び方から手がかりにする鋲の打ち方まで、俺が全部一から教えたんだ。 なのにヴィジャヤン大隊長に至っては猿の生まれ変わりなんじゃないかと思うような素早さだ。

 それだけじゃない。 大隊長なのに階級がずっと下の俺の言う事を従順に聞く。 何かをする前に必ず俺の確認をとる。 汚れ仕事を平気でする。 水を汲むのもポーロッキに荷を負わせるのも、そんな事は従者にやらせて自分達はふんぞりかえっているのかと思ったら。 餌やりや糞の始末も聞かれたから教えたが、まさか自分でやりだすとは思わなかった。


 英雄を嫌うなんて俺は間違ってたのか? いや、普通の英雄なら俺に嫌われるような奴らだったはずだ。 普通の英雄って何だ、と聞かれれば俺だって返答に困るが。

 お二人共世間から英雄と呼ばれて随分経つ。 本人にだって英雄と呼ばれている自覚はあるはずだ。 でも日々やるべき事を黙々とこなす態度は俺の尊敬するウェルター中隊長を思い起こさせた。 鍛えられた兵士でさえ気を失う訓練が終わった後、ヴィジャヤン大隊長は弓の、タケオ大隊長は剣の稽古を毎日欠かしたことはない。


 旅に出てからもお二人の態度は相変わらずだ。 大峡谷側に入れば一層危険が増す。 案の定、バゲリスタやジャオウエに襲われたが、全てタケオ大隊長の一刀で始末が付いた。 他の連中はこの猛禽について何も知らないから平気な顔で見ていたが、こいつらが如何に仕留めづらいかをよく知っているウェルター中隊長は、さすがは北の猛虎、と舌を巻いていた。 たった一人で仕留めただなんて俺は今まで一度も聞いた事はない。 これからもないだろう。


 バゲリスタやジャオウエの皮は高値で売れるからタケオ大隊長に聞いた。

「皮を剥ぎましょうか?」

「先を急いでいる。 時間の無駄はするな」

「一枚二十万ルークなのに?」

「二十万だろうと二百万だろうと関係ない」


 ふと見ると、ヴィジャヤン大隊長が手早くバゲリスタから胆を、ジャオウエから牙と爪を剥ぎ取っていらした。 薬師でもなければその効能を知っているはずはない。

「お知り合いに薬師でもいらっしゃるんですか?」

「ああ、部下に一人いる。 頼まれたんだよな」

「いくらでお売りになるんですか?」

「え? ただで手に入れたのに、お金を取るってちょっと厚かましくない? 第一、俺が仕留めたんじゃないし」

 そこで誰が仕留めたのか気がつかれたようで、ヴィジャヤン大隊長は刀の手入れをなさっているタケオ大隊長にお声をかけた。

「あ、師範、お金どうします? マッギニス補佐が、薬の材料代は必要経費で落としていいって言ってましたけど」

「いらん」

「いらないんだって。 もらっときゃいいのにね。 それでかわいい奥さんにお土産とか買ってあげれば、あの無愛想を補えるのにさ」

 そのセリフは俺に向かっておっしゃったんだが、すぐそこにいるタケオ大隊長に聞こえないはずはない。 ヴィジャヤン大隊長は音を聞いただけで痛くなるような強烈なやつを一発食らっていた。

「正に何にも入ってない音がするな」

 にこりともせずタケオ大隊長がおっしゃる。 誰もがびびる迫力なのに、涙目ではあったがヴィジャヤン大隊長は少しも臆した様子を見せず、お答えになった。

「スイカじゃないんですから。 音で決めつけないで下さい」


 ヴィジャヤン大隊長には恐怖を感じる能力が欠けているのだろうか?

 そんなはずはない。 バゲリスタやジャオウエに襲われた時、びびったとか、今晩夢に見ちゃうかも、とかおっしゃってた。 ならどうして猛禽より恐ろしいタケオ大隊長が怖くないんだろう?

 謎だ。


「そりゃここには店とかないけど。 帰ってから買ったっていいだろ」

 ヴィジャヤン大隊長は懲りもせず、そんな事をぶつぶつおっしゃっていた。 それってポイント外してますから、と教えてあげるべきだったのかもしれない。 だがポイントを掴んだ後でこの御方が次に何を言い出すか。 タケオ大隊長を更に怒らせる事になるのでは、と思うと何も言えなかった。

 バゲリスタの胆は十万、ジャオウエの牙と爪なら一本一万という相場も言わずにおいた。 どうせお二人のお返事に変わりはないだろう。 

 

 それにしても上官が部下に頼まれた物をただで集めているだなんて、どこかおかしくないか? そもそも弓部隊に薬師がいるなんて変だろう? 医療部隊がちゃんと他にあるんだから。

 それに薬の材料代が必要経費って。 まさかヴィジャヤン大隊長はこの他にも何か密命を遂行しているのか? しかしこんな裏も表もない人に密命をやらせるなんて危ないだろ。

 だが考えてみれば、今まさに密命を遂行している最中じゃないか。 ばかっぽい奴に難しい任務をやらせ、まさかあいつが、と思う人の裏をかく、という戦略?


 そこでヴィジャヤン大隊長をばかっぽい奴呼ばわりした事にはっと気がついた。

 俺ってば、なんて事を。 面と向かって言った訳じゃないが、お二人を深く尊敬するようになっていたから申し訳ない気持ちは中々消えない。 俺は心の中で深く謝っておいた。


 言っておくが、俺がこんな風に尊敬し始めたのは息をのむ遠射や豪快な剣捌きを間近で見たからじゃない。 それは旅に出る前から知っていた。 知らなかったのはお二人の一兵士としての真摯な姿勢だ。 偉ぶる事もなく、目的に向かってひたすら脇目もふらずに突き進む。 成功する可能性なんてこれっぽっちもない任務だというのに。


 ロックなんて八十になるトタロエナ部族の長老でさえ生まれてこのかた一度も見た事がない伝説の鳥だ。 大峡谷を死ぬまで探し歩いたって見つかる訳がない。 そんな任務を命令されたら誰だってまじめに取り組んだりしないだろう。 大峡谷を旅したついでに皮や鉱石を持ち帰って金にするいい機会だと考えるくらいで。

 命令した皇太子殿下御自身だって本気で見つかると信じていたとは思えない。 この密命を遂行している最中のお二人だってそんな期待はしていないはずだ。 それなのに。


 兵士としての基本と究極を年下の軍人から教えられる事になるとはな。 不思議な巡り合わせで彼らの傍らを歩める自分の幸運をしみじみとかみしめる。 たとえ生涯目にする事はなくともロックが俺にとって瑞鳥である事は間違いない。


 それがウェイザダ山脈に着いた途端、この目でロックを見る事になった。 ヴィジャヤン大隊長が寝ているハンモックごと連れて行かれたからだ。

 後を必死で追うバスラーにタケオ大隊長が続く。 ようやくバスラーに追いつくと、大峡谷の下を見下ろしている。

「ロックはヴィジャヤン大隊長と一緒にここから下へ降りて行きました」


 俺達は黙って顔を見合わせる。 どうにかして助けなくてはならないが、こんな事態に対する準備なんて何も持って来ていない。 間もなく全員が追いついて来て、どうやってヴィジャヤン大隊長を救出するかを話し合い始めた。 その時、ばさーん、ばさーん、とでかい羽音が聞こえて来た。 


 ヴィジャヤン大隊長をハンモックに乗せ、ロックが俺達の真ん前を飛び去る。 

「俺は大丈夫だ! お前達は先に駐屯地に帰ってろ! 川の水はうまかったぜえええ……」

 ヴィジャヤン大隊長が早口で叫んだ言葉が木霊となって消えていく。


 川? 大峡谷に川? 水だって?

 

「ロックに捕獲され、空を飛びながら川の水の味を伝える心の余裕がおありになるとは。 いやはや六頭殺しの胆力には恐れ入った」

 ウェルター中隊長が感嘆の声をあげる。 ロゼゴーテが半ば呆れて言う。

「それにしてもあの嘴が怖くないんですかね? 普通なら殺されるとか、餌にされるとか思うもんでしょ?」

「ぜーんぜん怖がってる感じじゃなかったな。 振り落とされるかもしれないのに」

 ゼンが不安げにタケオ大隊長に聞いた。

「大丈夫なんでしょうか?」

 それにため息をつきながらタケオ大隊長がお答えになる。

「大丈夫でなかったとしても俺達に出来る事はないだろう」

「大丈夫そうだった、と言ってもいいんじゃないでしょうか」

 バスラーの言葉に周りが希望を込めた同意の頷きを返した。


 それにしても、水があるだなんて。 それはロックより更にすごい世紀の大発見だ。 確かに下に降りるのは容易じゃない。 でも水があると分かっているなら話は別だ。 大峡谷が人の住める場所となる。

 そう教えた所で、あの御方ならたぶん、へー、そうなんだ、とおっしゃるぐらいで終わりなんだろうな。


 大隊長が飛び去った空の彼方を見つめる俺の心に、北軍入隊以来一度も使った事のなかったトタロエナ族の祈りの言葉が思い浮かぶ。


「デュアレイ、レナアティ」(無事であれかし、我らが英雄よ)


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― 新着の感想 ―
[良い点] 周回中です この話も好きです。 英雄なんて鼻持ちならない、と考えていたソーベルが二人の驕らない真摯な姿を見て尊敬へと変わっていく過程や、二人の人柄を第三者視点で知ることができるので。 あ…
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