お弁当 リネの話
誰かが玄関のドアを叩いている。
その時私はサリにお乳をあげていた最中。 起きていたと言えば起きていたけど、出産の疲れで半分寝ているみたいな。 サリが元気にちゅうちゅう吸い付くものだから、それが痛くて半分起きてるって感じだった。
出産に立ち合ってくれたミンが帰った後、六時頃ようやく眠りについたトビ、カナ、メイレさんはまだ寝ていたからだろう。 フロロバさんが玄関に出てくれたよう。
部屋のドアを少し開けて誰が来たのか耳を澄ますと、ボーザーの声が聞こえてきた。
「お早うございます。 皆様お疲れの所、突然お邪魔することになり大変申し訳もございません。 まずはサリ様のお健やかなるお誕生、心よりお祝い申し上げます。 しかしながら緊急事態。 奥様に急ぎお知らせ申し上げねばならない事がございます。 ウィルマー殿にも是非御同席戴きたく」
平常心の塊みたいなボーザーが焦って早口になってる。 一体何があったの? まさか、旦那様に何かあった? フロロバさんがトビを起こしに行ってくれた。 私もきちんとしなきゃ。
お乳を呑み終え、げっぷを出し、満足そうなサリを揺り籠に置いて、私は取りあえず見苦しくない程度の格好に着替える。 応接間は一階にあるんだけど、階段を下りるのはまだちょっときついので、ボーザーには二階にある空き部屋の一つに来てもらった。
誠に信じられない事ではございますが、と前置きしてボーザーが説明してくれた所によると、旦那様とリイ兄さんの任務って、本当は大峡谷の果てに住むと言われる巨大な鳥、ロックを探しに行く事だったんですって。
「その住処近くに辿り着いた朝、ヴィジャヤン大隊長は寝ていたハンモックごと、ロックに連れ去られたとの報告が只今届きました」
「つ、連れ去られた? それって。 あの、まさか。 旦那様を、餌にするため、とか?」
思わず私の声が震える。 ボーザーが静かに宥めるように言う。
「いえ、そうではございません。 何でもロックは誕生を言祝いだ人と一緒に空を飛ぶのが好きなのだそうです」
「はあ?」
「確かではございませんが。 ヴィジャヤン大隊長はロックと共に現在こちらに向かって飛んでいらっしゃる、と考えられます」
こちらって。 ここ? えええ?
「な、なんで? どうして、ここがロックに分かるんですか?」
ボーザーは私の質問に答える代わりにトビに聞いた。
「ウィルマー殿。 ヴィジャヤン大隊長より予め伝達されていた事などはございませんでしたでしょうか?」
トビがそっとため息をついて答える。
「旦那様からは何も。 ただマッギニス補佐から以前、お子様がお誕生になり次第、屋根に梯子を常に立て掛けておくように、との指示がございました」
「屋根に梯子、ですか」
「理由をお伺いしたのですが。 話した所で信じられまい、とおっしゃるものですから」
「分かりました。 するとマッギニス補佐はこの事態を予想されていた訳ですね」
ボーザーの言葉にトビが頷く。
「ではこれより早速マッギニス補佐の元へ連絡しに参ります。 奥様はどうぞお心安く、御心配などなさいませんように。 大隊長は空から、自分は大丈夫ゆえ、先に駐屯地に帰るように、と同行の者達に向かっておっしゃったとの事」
「あの、それって。 いつ頃起こった事なんでしょう?」
「今朝でございます」
「今朝って。 こんなに早く、どうやって分かったんですか?」
「詳しい事は申せませんが、伝書鳥のようなものがございまして」
それだけ言うとボーザーは急いで帰っていった。
心配するなとは言われたけど、ロックに攫われただなんて。 ほんとに大丈夫なの?
不安が次々湧き上がってくる。 でも眠気には勝てなくて、いつの間にかうとうとしていたみたい。
昼過ぎにマッギニスさんが訪ねて来た。 旦那様の事で何か新しく分かった事でもないか聞こうとしたんだけど、お祝いの言葉と共に沢山の出産祝いを戴いたので、まずそれにお礼を言った。
お祝い金二十万ルークと沢山のかわいらしい服に玩具まで。 部下の人からこんなにもらっちゃっていいのかしら?
赤ちゃん用の物がほとんどだけど、中に今評判の六頭殺しの若着せ替え人形と別売の着せ替えセット全種類付きがあった。 初めて見たけど、大人気なだけあってとてもかっこいい。 それにしてもこれって三ヶ月の予約待ちとか聞いたのに。
噂では聞いていたけど値段が高いし、こんなもので遊ぶようになるのはどうせ数年先だから買うつもりなんて全然なかった。 大きくなって欲しいと言われれば考えるけど。 だって人形とはいえ父親で着せ替え遊びって。 それもなんだか。
だけど旦那様は子供が生まれる前からぬいぐるみを買っていらしたし。 ずっと先に使う玩具を買うのってもしかしたら貴族の習慣?
私ってばそんなどうでもいいこと考えて肝心の旦那様の事を聞き忘れていた。 そしたらマッギニスさんの方から言い出してくれて、はっと気が付いた。
「奥様。 お聞き及びのように大隊長は只今ロックと共にこちらに向かって飛行中でいらっしゃいます。 いつの御到着となるのかお知らせ出来ればいいのですが、何分ロックの飛行速度や一日当たりの飛行距離を知っている者がおりません。 知っていたとしても人ひとりを掴んで飛ぶのと身軽で飛ぶのでは同じとは思えませんし。 大隊長の為に途中で何度か休憩する可能性もございます」
マッギニスさんが冗談なんて言うはずはない。 どんなに私が長生きしようと、ひょっとしたらその内言うかも、と思うのさえ無理。
だからいくら信じられない事だって少なくともこれが冗談でない事は確か。 でも、でも、でも。 心の中で、冗談じゃないなら嘘でしょうと叫びたくなった。
「しかしながら巨鳥。 又、聞く限りでは飛竜を遥かに上回る速度で飛んでいるようです。 それですと、二、三日で御帰宅となる事もあり得ます。 これは今の所単なる推測に過ぎませんが、大隊長は御自宅にお戻りになられても、すぐに皇都へと向われるのではないかと存じます」
そこでマッギニスさんはフロロバさんを呼んだ。
「フロロバ。 大隊長が間もなく御帰還なさる。 だがすぐまた御出立になる可能性があるため、水筒と腐らずかさばらない物を詰めた弁当をいくつか用意しておけ。 くれぐれも注意してもらいたいのはオークから作った物を一切使ってはならないという事だ。 それは容器も含む」
えーっと、腐らない、かさばらないお弁当、か。 うーん。 それだと乾パン、木の実、乾燥果物類、薫製肉、干し魚に塩せんべいかな?
あ、旦那様の好きなみりん干しも焼いておけば大丈夫持って行けるよね。 私がそんな事を考えていると、フロロバさんが聞いた。
「何日分用意したらいいでしょう?」
「二、三日で皇都にお着きになるのでは、と思うが。 往復なさるかもしれないし、途中どこかにお泊まりになる可能性もある。 取りあえず三日分を一括りにした物を何個か用意しておけ。 大隊長御自身がいくつ必要か、御判断下さるだろう」
何が何だかさっぱり分からなかったけど、私とフロロバさんは間もなく帰って、そしてまたすぐ旅立つという旦那様の為に、三日分のお弁当を詰め合わせた袋を六つほど用意しておいた。
サリが生まれてから四日後、旦那様がほんとに空から飛んで帰って来た。 ロックが屋根に舞い降りた途端、どーん、とものすごい音がしたので家中の者が外に飛び出すと、屋根にロックがとまっている。
ひえーっ。 おっきーい!
そりゃロックってすごく大きい鳥だって聞いてはいたけど、これ程大きいだなんて思わなかった。 しかも鋭い嘴を持ってる。 あれで突つかれたら助からないよね。 私だったら、とてもじゃないけど怖くてそばになんか近寄れない。 旦那様ったら、どうして平気なの?
屋根から梯子を伝って降りた旦那様は早速サリを嬉しげに抱いてくださった。
「おおっ。 やっぱり女の子か!」
やっぱりって、どういう意味? でも私がそれを聞く前に、旦那様は屋根から見下ろしているロックにサリの顔を見せた。 すると家の窓をがたがた揺らすぐらいのすごい鳴き声が辺りに響き渡った。
らあーーっ
らあーーっ
らあーーっ
す、すごい。 第一駐屯地まで届いたんじゃないかしら?
それにしても誰もが思わず家の外へと飛び出すぐらいの音なのに。 サリったら、へーちゃらですやすや眠ってる。 この子ったら、耳、ちゃんと聞こえているんでしょうね?
旦那様はどうやらすぐまた御出発になるようで。
「トビ、家に麻縄、ある?」
「長さはどれ位がよろしいでしょう?」
「三メートルぐらいの短い奴、二、三本あれば助かる」
トビがそれを取りに行っている間、フロロバさんが用意していたお弁当を旦那様に差し出した。
「一包みが三日分になっています」
それを受け取りながら旦那様がおっしゃる。
「リネ、すぐ帰って来るからな。 心配するなよ。 弁当ありがと。 ほんと、お前って気が利くな。 一つあれば大丈夫かな? ま、もう一つは保険な」
いえ、お弁当を用意していたのはマッギニスさんから言われたからで、別に私の気が利いてる訳じゃ、と言う間もない。
「トビ、屋根の修理頼んだぞ」
そうおっしゃると、旦那様は麻縄数本とお弁当の括りを二つ掴み、ささっと屋根に上って行った。 私はあっけにとられ、ハンモックに乗ってロックと一緒に飛んでいく旦那様を見送った。 ひらひらとお手を振るお姿が、あっと言う間に見えなくなる。
これって、まさか、夢?
そんなはずないか。 お弁当二つ、なくなっているもんね。




