予定日 バスラーの話
密命が下った次の日、俺だけマッギニス補佐に呼び出された。 大隊長補佐執務室へ行くと、前置きなしでマッギニス補佐が聞いてくる。
「バスラー。 帰還の予定日はいつだ?」
思わずぎくっとなる。 これがマッギニス補佐以外の誰かから聞かれた質問なら、分かる訳ないだろ、そんなもん、と笑って終わりにする所だ。 でもこの人が馬鹿な質問をするはずはない。 俺が知っている事を知っているから聞いている、という感じがする。 かと言って、ここで先走った事を言う訳には。
言い逃れを許してくれそうな人には見えないが、しらばっくれた。
「申し訳ありませんが、予定日なんて見当もつきません。 ロックが見つかるかどうかも分からないのに。 ましてやいつ帰るかなんて」
「嘘をつくな。 お前はかなりな精度でいつかが分かっている」
まるで俺の全てを見通したかのような視線だ。 まさか俺の出自まで知られている?
「星読みの村出身なのだから」
マッギニス補佐が決定的な一言を言う。 俺の背中に冷汗が滲んだ。 どうやってごまかそう?
頭の中で様々な言い訳が駆け巡った。 どれもすぐにばれそうなものばかり。 そしてばれた後、俺の村に多大な迷惑がかかりそうなものばかり。 無言を通す? 氷づけにされても無言を通せるか?
取りあえず、ここは白を切り通すしかない。
「いったい何の事をおっしゃっているのか、俺には」
「よく分かっている」
この人は、何をどこまで知っているんだ? 一体、その確信はどこから? 出来れば今すぐこの部屋から飛び出してしまいたい気持ちを必死で抑え込む。
「マッギニス補佐は何か誤解していらっしゃいます」
「何も誤解などしておらん」
「俺には星読みの能力などありません」
「そんなものは必要ない」
「何ですって?」
「予言は既に成就している。 北の猛虎と六頭殺しの若の出会いにまつわる予言が」
村人でなければ知らないはずの予言を、どうしてこの人が知っている? それに「占い」ではなく「予言」という言葉を使ったのはなぜだ?
祭祀庁の神官が公式に発表したものでもない限り、予言と呼ぶ事なんて許されていないはずじゃないか。 猛虎と若の出会いなんて祭祀庁から発表された事はない。
いや、予言されていても公表されなかった? それならありそうだけど、神官でもないマッギニス補佐が未公表の予言をどうして知っている?
「二十一年前、瑞鳥は誰を言祝いでいたのか、お前は知っていた。 するとお前が北軍に入隊したのも理由があっての事と考えるべきだろう。 あの村から北軍に入隊した者は過去、一人もいなかったのだから」
ただでさえ表情のないマッギニス補佐の顔からは何も読み取る事は出来ない。 俺の村や入隊理由を知っていると言うのも単なる引っかけ? だけどもしそうなら、過去一人もいなかった、なんて言えるか? 過去、北軍に入隊した兵士が一人もいない村なんてそんなに幾つもあるとは思えない。
「お前がわざわざメイレに若の子供の出産予定日を聞きに行った理由は何だ? しかもそれはお前がこの密命に任命される前だ」
俺は思わず息を呑む。 それも知られていた?
「ロックがオークを嫌うという記述は文献にもある。 ロックが誰かの生誕を祝うというのも巷間で信じられている事だから、お前が知っていても不思議ではないが。 言祝いだ人の肩に留まるとか、その人と一緒に空を飛ぶなど誰も聞いた事がない。 なぜ突然そんな事を言い出した?」
何も答えられないでいるのに、マッギニス補佐は構わず言葉を続ける。
「肩当ては本当に必要なのか? それとも単に出発を遅らせるための言い訳か?」
俺だって無表情を作ろうと思えば作れるし、今まで誰かに自分の気持ちの動きを読まれた事なんてなかった。 でもマッギニス補佐にそれは通用しなかった。
「どうやら新たな予言があったようだな。 それともお前は何かを『見た』のか?」
言うべきか? 恐れ。 と同時に、自分の予知を言葉にする機会が訪れた事を喜ぶ気持ちがないとは言えない。
「今回ロックが現れるか否か。 現れるとしたらいつか。 お前には既に予想がついているはず。 でなければ出発を遅らせようとする理由はない」
しかしその理由を言った所で信じてもらえるのか? まあ、信じる信じないはそちらの自由だ。
「俺には確かな事なんて何も分かりません」
「では確かではない事を聞かせてもらおうか」
この人には隠せない。 俺は諦めて、ある日俺が見た白昼夢をマッギニス補佐に教えた。
「ロックに捕まえられたヴィジャヤン大隊長が空を飛んでいました。 言ってしまえば俺が『見た』のはそれだけです。 俺はヴィジャヤン大隊長を見失わないよう、その後を一生懸命追っていましたが、それがどこなのか、ロックがどこへ向かっていたのか、俺にも分かりません。 なにしろそこは俺が今まで一度も行った事のない場所で。
大峡谷に派遣される事になったから遠くに見えたのはたぶんウェイザダ山脈なんだろうとは思います。 でもロックは山を目指して飛んでいた訳じゃなかったし。 俺の後ろにはタケオ大隊長、ウェルター中隊長、ソーベル補佐、そしてタケオ大隊長の従者が三人続いていました。
それを『見た』時はいつ起こるのか、本当に起こるのかさえ分かりませんでしたが。 今年になってタケオ大隊長が従者を雇われました。 彼らの顔を見た時初めて、あれはこれから本当に起こる事なんだ、という予感のようなものを感じたんです。
夢の中のロックはとても嬉しそうでした。 ヴィジャヤン大隊長もなんだか喜んでいらしたような気がします。 そこに地を揺るがすような、大きな『祝声』が聞こえてきたんです。 ロックが誰かの誕生を祝う時にあげると言い伝えられる特別な鳴き声が。
それって裏返せば、どんなに早く出発した所で、その誰かが生まれない限りロックは現れないと思ったものですから」
俺の荒唐無稽な夢の話を信じるとも信じないとも言わず、マッギニス補佐が訊ねた。
「皇王室は瑞鳥を利用しようとしている訳だが。 それに対してロックの怒りがあると思うか?」
「ロックがどうして祝うのか、誰を祝っているのか、知りたいのは人の都合です。 それをどう利用しようとロックの知った事ではないし、ヴィジャヤン大隊長に至っては、それが利用できるものであるとさえ思っていらっしゃらないでしょう。
村のじいさまが言ってました。 瑞鳥は昔からいろんな人達に利用されてきたって。 今回も利用されたとして何も目新しいことじゃありません。 誰が利益を得ようとロックや大隊長にとってどうでもいい事です。
ロックの怒りを買うとしたら、それは『瑞兆』を傷つけた時。 それだけは許されないと思って間違いありません」
俺は瑞兆が誰の事を指すのか、わざと言わずにおいた。 マッギニス補佐が何も聞いてこない所を見ると、それは彼にとっても自明の事なんだろう。
マッギニス補佐の無言は何かを言ってる時より恐ろしい。 息の詰まるような沈黙が続く。 気が遠くなる程の時間が過ぎて、俺はようやく退室を許された。
大隊長補佐執務室のドアを閉め、俺は自分の人生で最大の安堵のため息をついた。




