息子 猛虎の父の話
八年ぶりに会う息子にちっちゃい頃の面影はねえ。 十八の時と比べたって別人と思えるぐらいに面差しが変わった。 俺が側に立ったって誰も俺がリイの父親だなんて思わねえだろう。 まあ、元々俺達は似てねえ親子だったが。
俺のお袋に言わせると、リイは俺より俺の親父に似ているんだと。 顔立ちだけでなく、生き様まで。
親父は農家の長男だってのに剣が好きでさ。 北軍に入隊し、三十になる前に死んだ。 俺が三つの時だから俺は親父の顔なんて覚えちゃいねえが。
親父が早死にしたせいか、お袋は死ぬまでリイが親父みたいに早死にするんじゃねえかって心配していた。 そろそろリイも俺の親父が死んだ年になるが、これだけ出世すりゃ大丈夫かもな。 自分が戦うより部下に戦えって言う立場になったんだから。
リイに会ってすぐ、目からくすぶる憎しみの影が消えている事に気が付いた。 もう怒っちゃいねえようだな、と心の中で密かにほっとした。
リイが八つの時だ。 俺は乱暴者と評判の貴族の息子にめちゃくちゃ殴られた事がある。 ただ畑で草取りをしていた俺に、そいつは突然襲いかかって来た。 理由なんかねえ。 いや、何かあったのかもしれねえが、俺は知らねえ。
リイに逃げろって叫んだ事は覚えている。 でもどうやら物陰で一部始終を見ていたらしい。 その時俺は前歯を上下とも全部無くした。 その所為でよぼよぼのじじいにしか見えねぇが、これでもまだ五十前なんだぜ。
ぼろ雑巾みたいに道端に捨てられた親の姿を子供に見せたくはなかったが。 しょうがねえよな。
近くで見ていた人が急いで助けを呼びに行ってくれて。 偶々近くに回診に来ていた医者が手当てしてくれてさ。 おかげで命拾いしたが、そのままだったら死んでいた大怪我だ。 腕やら足やらそっちこっちの骨が折れちまって、二ヶ月以上起き上がれなかった。
乱暴したのは俺達の領主様の息子じゃねえ。 領主様に訴えた事は訴えたが、農夫が殴られたくらいで他の貴族と喧嘩してくれる訳ねえし。 殺されなかっただけ儲けもの、と諦めて終わりさ。 実際他所の村じゃそいつに殺された奴がいたってんだから。
それ以来、リイはしょっちゅう親の目の届かない所に行くようになった。 リネの子守はちゃんとやってたんで放っといたんだが。
何年か経ったある日、リイが棒切れを剣に見立てて振り回しているのを見た。 剣の事なんかこれっぽっちも分からんが、ありゃあ子供のちゃんばらごっこじゃねえ。 相手を殺すつもりでやっている。 あの子のぎらぎら光る目。 あれを見たときゃ、ぞっとしたぜ。 怒りと憎しみがだだもれでさ。
一体何をしてると聞いたら目を爛々とひからせてリイが答えた。
「悪い奴をやっつけるんだ」
「悪い奴なんてどこにもおらんだろうが」
「いるじゃん。 父さんを半殺しにした奴が」
子供の事だからとっくに忘れていると思って言わなかったんだが、俺を殴った奴は何でも皇都に行ったきり戻って来なかったらしい。 そいつの家は次男が継いだって聞いた。
「リイ。 もうあいつはいねえ。 二度とこの村に来ねえんだ」
「ふん。 どうだか。 あいつは死んだって他にも悪い奴がいるだろ」
「世の中の悪い奴ら、みんなをやっつけるってか? 無駄な事はやめろ」
リイは何も言わなかったが、だからって剣を振り回すのをやめなかった。 そりゃ腕の筋肉の付き具合を見りゃ分かる。
俺が造る酒はうまいと評判で、遠くの村から買いに来る人がいるくらい人気だ。 リイに酒造りを、リノには畑を手伝わせるというのが俺の夢でな。 リイが北軍に入隊しちまった後でも、あんな貴族の馬鹿の事なんかいつか忘れて、そしたら帰ってきてくれるかも、て望みを捨てきれずにいた。
北の猛虎と呼ばれるようになったって、俺にしてみりゃそれがどうした、だ。 出来る奴と思われたら余計危ない事ばかりやらされるじゃねえか。 英雄なんか他の誰かにやらせときゃいい。 なんで農家の息子のお前がそんなものになる必要があるんだって思ってた。
小隊長になって中隊長になって。 今じゃ押しも押されぬ大隊長様だ。 それでも俺はリイの出世を喜ぶより、そんなに出世したならもういいだろ、帰って来い、とそんな手紙ばっかり書いて送っていた。 軍のお歴々にゃあ言えねえが。
今じゃこんなに沢山のお偉方に囲まれて、しかもその人達から敬われているんだものなあ。 俺なんかただの農夫だってのに、そっくり返って挨拶する奴なんて一人もいねえんだぜ。 これって子供の七光りって言やいいのか?
今更あんな村に帰って来いと言ったって無理だよな。 こんな目も眩むような結婚式を見なくたって分かっちゃいたけどよ。 夢ぐらい持ってたって誰にも迷惑かけてる訳じゃねえんだから、いいだろ。
将軍様にまでありがたいお言葉をかけてもらったのに、腹の中じゃこんな事考えているだなんて申し訳ねえ気はするがな。
俺は侯爵様の乾杯の音頭で酒をあおった。
ふうっ。 我ながらうめえ酒だぜ。 腸にじーんと沁みてきやがる。
待つ甲斐あり、か。 そりゃあよかったな。 俺にゃおんなじ事は言えねえが。
待っても、待っても。 俺の息子は帰ってこなかった。
金はしこたま送って寄越したけどよ。 金なんていらねえから、ただリイに帰ってきてもらいたかった。
横から女房のアキが俺に手布巾を差し出す。
「ばか、そんな女子供の使うもん、寄越すんじゃねえ。 ちょっと目にごみが入ったぐれぇで」
「ばかはあんたでしょ。 こんなりっぱな着物の袖口使ったりして」
女房も古くなると平気で亭主に口答えしやがる。
「亭主より着物の方が大事なのかよ」
「どっちも大事にして何が悪いのさ」
ふん、と偉そうに言う。 嫁に来たばかりの頃のかわいげはどこに行った。
まあ、俺も伊達に年をとった訳じゃねえ。 ちょっとはあのかわいいリイの嫁っこを見習え、なんて間違っても言ったりしねえが。
それにしても相手は侯爵令嬢って聞いていたから、さぞかし高飛車なんだろと思っていたんだが。 俺達にまで一生懸命気を遣ってんだものな。 びっくりしたぜ。 おとうさま、おかあさま、て。 いってえ誰のこった、て思わず辺りをきょろきょろ見ちまった。
リイにぞっこんなんだなあ。 そりゃリイだって見てくれもそこそこいってるけどよ。 侯爵令嬢ともなりゃ金、身分、顔の三拍子そろった奴がよりどりみどりだったんじゃねえのか?
なのにきらきらの目でリイの事ばっかうっとり見つめてさ。 わが息子ながら羨ましいねえ。 男冥利に尽きるってもんだ。
「師範ったら、ちらちらヨネ義姉上の方を盗み見ちゃって。 旦那なんだから遠慮しないでじろじろ見ればいいのに」
若様の言葉に思わず笑っちまった。 あの様子なら気ままに生きてきたリイも、ちったあ自分の命を大事にするようになるだろう。
ほんと、嫁の力ってのはすげえ。 親にも出来なかった事をあっと言う間にやっちまうんだから。 あのぎらつく目で辺りをびびらせていたリイが照れてるんだものな。 最初見た時なんか俺の目、とうとういかれちまったのかと思って、ぎくっとしたぜ。
「父さん。 はるばるここまで来た甲斐があったよなあ。 照れる兄さんが見れるだなんてさ。 ばあちゃんに一目見せてあげたかったぜ」
リノの言葉に全くだ、と深く頷き返したら、リネと話し込んでいたアキが口を挟む。
「世の中、この目で見なきゃ信じられないものがあるからねえ。 ま、見たって信じられないものもあるけどさ」
古女房も偶にはうまい事を言う。 アキはどっちかって言えば、リイよりリネに帰って来てもらいたがっていたが。 子供が幸せなら親が四の五の言っても始まらねえ。 リネも若様にちゃんとかわいがってもらっているようだし、もうすぐ孫も生まれる。 いつ帰って来るんだとか聞く必要ねえよな。
そこで杯を空にしたリイが、ふっと息をついて言った。
「やっぱり父さんの酒が一番うまいな」
そうか。 うまいか。 お前も酒の味が分かる男になったんだな。
「達者で長生きしろよ。 毎年うまい酒を送ってやるから」
俺がそう言うと、にっと笑って頷いた。
間違っても親より先に死ぬんじゃねえぞ。 そんな縁起でもねえ事、めでたい場所で口に出したりしねえが。
式が無事に終わり、じゃあ帰るかと言った所で、ミッドー伯爵様て御方に呼び止められた。 なんでも俺の酒を買いたいんだと。
「はあ。 あいにく古い酒は呑んじまったこの樽だけでして。 これだけはリイの結婚式用に、と思って金に困っても売らなかったんですが。 他は作った先から売らないと食べていけなかったもんで。 去年二十樽仕込みましたがね。 あれがこの味になるにゃあ二十年は寝かせねえと。 と言っても二十年先まで残っているかいないか、それは俺にも分からねえんで」
リネの結納金は全部酒蔵と酒樽になった。 残った金はねえ。 リイがずっと仕送りしてくれてるおかげで金には困ってねえが、仕込みの金は毎年酒を少しづつ売って捻り出すつもりだ。
「それでは、その二十樽を全部予約させて戴きたい。 承諾して下さるならその代金として毎年二十万ルーク、二十年間支払い続ける事を約束致しましょう」
酒の先払いに四百万ルーク? 農民の俺には信じられねぇような大金だが。 二十年後なんて俺が生きてるかどうかもあやしい。 その時どうするかを今俺が決めるより、リノに決めさせてやりてえ。 断わろうとして、ふと思い出した。
「ミッドー伯爵様って、あのすごい弓を若様にあげたっていう?」
「北進の事ですか? ええ、そうです」
若様が俺達に矢を射る所を見せてくれたんだが、いやー、たまげたのなんのって。 さすがは六頭殺しだ。 でも若様は、弓がいいおかげなんです、と謙遜していらした。 ミッドー伯爵家の家宝だったのに、ただで譲って貰ったって。
若様を自分の息子と呼ぶのは畏れ多いが、娘の旦那だ。 婿に家宝を貰って、貰いっぱなしって訳にはいかねえよな?
俺は北進のお礼を申し上げ、俺の酒は今後ミッドー伯爵様以外どこにも売らねえ事を約束した。
追記
リツ・タケオの手による酒は「北進」と名付けられ、北の猛虎の結婚式の二十年後、皇国皇太子殿下御成婚式で乾杯の酒として供された。 それ以来、「北進」を結婚式の乾杯の酒に、と指定する習いが皇国中に広まる事となった。 徐々に国外にもその芳醇な味わいが知られるようになり、現在では皇国の主要輸出産物の一つに数えられている。
因みに名酒を指して俗に「かいあり」と言うが、これはグゲン侯爵による乾杯音頭の「待つかいあり」が短縮されたもの、と言い伝えられている。
「北進酒造株式会社社史」より抜粋。




