親族 ヨネの伯母の話
新婦経歴紹介は短めに、と予め注意されていた事でもあり、ヨネの美点を並べたてるより彼女がどのように猛虎にハートを掴まれたかを話し、大変に受けた。
新婦紹介は年上親族の女性がする倣い。 とは言え、大人しく必要以上の外出を好まないヨネと、人付き合いに忙しい伯母である私は特に近しくしていた訳ではない。 ただ義妹であるグゲン侯爵夫人ミネとは昔から仲が良く、普段お互いの家へ遊びに行く関係で、私の義父母である先代ボルダック侯爵夫妻が他界した後も、ミネはボルダック家に年一回は遊びに来ていた。 旦那様は色々お忙しいから私と一緒に行けない事もままあるけれど、皇都に行った時には必ずグゲン侯爵別邸に立ち寄っている。 偶にはグゲン領を訪れたり、ミネと二人で観光旅行を楽しんだり。
だから証人を受け入れた辺りの事情は聞いていた。 グゲン家で受け入れた証人が次の家へ移った後にミネと会ってもいる。 でもその時ヨネが猛虎に見染められたという話は出なかったし、手紙のやり取りもしていたけれど猛虎のもの字もなかったのに。 突然慶事の知らせが私達の元に早馬で届けられたから、とても驚いた。
私にとってはかわいい姪。 とは言え、それによって自分の目を曇らせようとは思わない。 際立つ美貌でない事は本人も両親も承知している。 ヨネは積極的な性格でもない。 滞在中、猛虎の方から言い寄られた事もなかったらしい。 一体どのようにして掴み難いという評判の猛虎のハートを掴んだのか、内心不思議で仕方がなかった。
ミネに聞いても心底驚いたと言っていたし、当事者であるヨネでさえ驚いていたらしい。 話を聞く限り、どうやらヨネの一目惚れ。 でも二人が並んでいる所を見る限り、猛虎もまんざらではない様子。 視線でヨネを気遣っている事が感じられ、ほっとした。 あれならまずまずのスタートと言える。
北は早春の季節。 生憎今日は風が冷たいけれど、北軍の第一駐屯地の屋内祭典場は暖かいくらい。
式は美麗というより質実。 これは新郎の希望に添ったのだとか。
戴いた祝辞はいずれも短いながら心に残る温かいお言葉に溢れ、招待客を飽きさせずに進んでいく。
続く新郎の妹、リネさんによる祝婚歌。 噂に聞いてはいたけれど、その美声に聞き惚れた。 皇都の大歌劇場に出演する歌姫も顔負けの鮮やかな声の伸びで満場の喝采を浴びていた。
どうやら彼女はおめでたのよう。 出産は八月辺りかしら? これは是非とも詳しい事を聞いておかないと。
次に演舞が披露された。 式次第には北軍有志とあったから、所詮は素人芸と思っていたのだけれど、なんとも見事な剣舞で息をのんだ。 その他の余興も驚くべき手品と楽器の演奏で中々楽しめた。
そして新婦の父、グゲン侯爵ヨカによる乾杯の音頭となった。
「さて、皆様のお手元に注がれましたこの酒は二十六年前、新郎の父、リツ・タケオ殿が長男の誕生を祝い、仕込んだ酒であります。 その待つ事長き年月に思いを馳せ、同時に我が父の言葉を思い出しました。 父と書いて待つと読む、と。
真に至言ながら自ら父となるまでその意味をかみしめた事はございませんでした。
生まれるのを待つ。 生まれてから這うを待つ。 這ってからは立つ、立ってからは歩く、歩いてからは走るを待つ。
早く育て、早く育てと急かしてはみたものの、子とは親の言う事を聞かぬもの。 いやはや待たされました。 とは申しましても、待つ甲斐あり。
待った先には今日の美酒。 待たねばこの酒に酔う事叶わず、と思えば味もまた格別。
ここで乾杯の音頭を取らせて戴きます。
新郎新婦の幾久しき幸福と健康を祈って、乾杯!」
乾杯の音頭が予想以上に短く済んだのには驚いた。 いえ、これはもう感動したと言ってもよいわ。 ヨカは常なら一言言えば済む事でも十言にしてしまう人なのだもの。 思わず隣にいたミネにそっと囁いた。
「素晴らしいじゃないの。 あれは私の生涯で聞く最短の乾杯音頭となるでしょう。 賭けてもよくてよ」
「お義姉様ったら。 嘘と坊主の頭は結わないのではございませんでした?」
「あら、何が嘘だと言うの?」
「賭けはもう二度となさらないとおっしゃった事をお忘れ?」
「んまっ。 嫌なミネ。 これくらい、賭けた内に入らないでしょうに」
そこでお酒を一口飲んだ。 途端に芳醇な香りが体の奥まで沁み渡る。
「これは、これは。 ミッドーが絶対飛びつくわね」
どうやら私と同じ感想を招待客の全員が抱いたようで、感嘆のため息がそちこちから聞こえて来た。
「お酒の事はミッドーに任せておくとして。 それより何より肝心のリネさんとはいつ話せるのかしら?」
「そのように焦らずとも、先にお約束していた通り、お式の後に御紹介しますわ。 お義姉様こそ、どうかお忘れにならないで下さいませよ? いくら親戚になったとは言え、リネさんは六頭殺しの若の妻、皇太子殿下御相談役義娘、ヘルセス公爵義娘、サジアーナ国王太子妃殿下義妹なのですから。
よもや平民に語りかけるような気安い態度を見せたりはなさらないでしょうね? リイさんの御両親と弟夫妻へも失礼のない様くれぐれもお気を付けて戴きたいわ。 リイさんの不興を買えば間に立って困るのはヨネなんですから」
心配性のミネらしい言葉だけれど、少々呆れた。
「ミネったら。 それではまるで私に常識がないと心配しているかの様よ」
「常識はおありでも常規を逸する事がままあるのがお義姉様」
「んまあ、失礼な。 千載一遇の機会に少々気合いが入っているだけの私を掴まえて。 常規を逸するだなんてブリアネク宰相夫人でもあるまいし。
そう言えば、彼女、このお式に関しても様々なごり押しをなさったとか。 本当なの?」
「それは、まあ。 何しろあの御方は御存知の通りの知りたがり。 なのにいつまで待ってもリネさんが皇都に遊びにいらっしゃる様子はないし」
宰相夫妻自らが結婚式に参列なさるのは親戚なら侯爵家でもありうる。 けれど在職中は皇王族、公爵以上の結婚式に限られ、親戚でもない大隊長(準伯爵)の式に出席する事など、まず考えられない。 そんな事をしようものなら北の猛虎は次期北軍将軍と言ったも同然。
参列を諦めるしかなかった彼女は、なんと式を皇都で挙げてはどうか、宰相別邸を式場として提供するから、と北軍に打診したらしい。 人の迷惑を考えない彼女の人柄を物語る逸話と言える。 それ程リネさんに会いたかったお気持ちは分からないでもないけれど。 何しろほとんどの人にとってリネさんは直接会った事のない謎の人だ。
カレンダーやポスターが出回ったから六頭殺しの顔なら知らぬ人はいないし、実際会った事のある人もそこそこいる。 でもその人を見事に射止めた妻に関しては、美声と女剣士としての腕前が噂となって皇都に届いているだけ。
六頭殺しの実兄を部下に持つ宰相、その夫人といえども強力な姻戚を後ろ盾に持つリネさんを理由もなく皇都に呼びつける訳にはいかない。 そう言えば、宰相夫人は皇都にお住まいのヴィジャヤン伯爵夫人でさえ未だにお茶に御招待出来ずにいらっしゃるのだとか。
改めて考えてみれば、世間の顰蹙などものともしない宰相夫人の招待を穏便に逃げおおせるだなんて。 御主人が宰相府にお勤めなのだもの。 後ろ盾があろうとお断りするのは容易な事ではないはず。 ヴィジャヤン伯爵夫人、お年に似合わぬ老練な手腕だわ。 さすがはヘルセス公爵令嬢と言うべきかしら。 この機会に是非お近づきになっておかなければ。
招待するなら先代ヴィジャヤン伯爵夫人と御一緒の方がよいかもしれない。 二人は同じ親族テーブルで隣り合っている。 にこやかに話している所を見れば、どうやら嫁姑の仲は円満なよう。
先代ヴィジャヤン伯爵夫人とは数年前にお会いした事がある。 その時とても話が弾んだのに、その後あちらで不幸があったり御旅行中だったり、こちらで不幸があったり旅行中だったりが相次ぎ、交友を深める機会を持てないでいた。
せっかくの機会を逃したのは大きな間違い。 それをここで繰り返す訳にはいかないわ。 なんとしてでもボルダック家へ遊びにいらして下さるよう、お願いしなくては。
私も親族席に座ってはいるものの、リネさんの周りはヴィジャヤン、タケオ、両家の女性達で固められている。 少々離れているから直接話しかける事は出来ない。
お顔を見る限り、リネさんはとても幸せそうな笑顔で義父母、義兄、義姉に受け答えしていらっしゃる。 彼女にとって夫の親族と会うのは今日が初めてのはずだから緊張しているだろうに。
リネさんの近くに座っている面差しが似ている年上の女性が、おそらく彼女のお母様。 するとその隣の若い女性は弟さんの妻だわね。
皇都に帰ったら私には首を長くして詳細を待っている友人達がいる。 関心の的は何と言ってもリネさん。 そのリネさんと碌に話す事さえ出来なかった、と言おうものなら私の面目丸つぶれだわ。
散々やきもきさせられたけれど、お式の後、無事に幸せな家族の団欒に入れて戴けた。 和やかな子育ての話に花が咲き、途中から若様も加わって、今日結婚した新婚夫妻も顔負けの、のろけ話をたっぷり聞く事が出来た。 そのお熱い事と言ったらない。
うふふ。 これで当分ブリアネク宰相夫人を悔しがらせる事が出来るわ。