第43話 私だってね、本当は……
「ちょっと、お母さん? もしもし! あっ……」
電話は一方的に切られてしまった。
黒須さんのスマホからは、俺の焦燥をあざ笑うかのように、ツーツーという無情な電子音が響く。
「もう……、いつもこう! でも、そのままって言っていたから……」
黒須さんは警察への通報をしばらく待って欲しいと言い出した。
黒須さんのお母さんに何か考えがあるらしい。
それから数分間。
俺たち五人は、警察に通報はせず、全ての窓の鍵がかかっているかを確認して回った。
幸いにも全て鍵がかかっていた。
窓ガラスは簡単には割ることのできない特殊なものだそうだ。
それでも不安なのは変わらない。
俺たちは息を殺して黒須さんの母の来るのを待つ。
「……ねえ、黒須っち。あんたんちのお母さん、マジでここに来るわけ? この状況で」
楯さんは西瓜割りに使った木刀を握りしめ、鋭い視線で暗い窓の外を警戒している。
「ええ……。言いづらいのですが、この一件にお母さんが関わっているような……。昔からそういうところがある人で……」
黒須さんはこめかみを押さえ、今にも爆発しそうな頭痛を堪えるように深いため息をついた。
「ていうかさ、ここに向かってるって、いつ来るんだ? 電車で二時間以上、あ、車なら渋滞とかなければ二時間かからないか?」
乗り物に少し詳しい須藤が頭の中でルート検索をする。
その時だった。
バタバタバタバタと、空気を激しく揺するような爆音が上空から響いてきた。
地響きと共に別荘全体がガタガタと震える。
「うおっ? もしかして、ヘリコプター?」
須藤が窓にしがみつき、目を丸くして叫んだ。
別荘の広い芝生の庭が上空から強い光で照らされる。
ヘリコプターの着陸灯だ。
見るからに高級そうな一機のプライベートヘリコプターが轟音を立てて着陸。
パタパタとローターの回転が次第に遅くなり、プシューという音と共にヘリの重厚なドアが開く。
中から優雅に降りてきたのは、二人の女性だった。
一人は、おっとりとした笑みを浮かべつつも周囲の空気を支配するような圧倒的な威厳とオーラを放つ黒須さんの母、黒須南さん。
そしてもう一人は、モデル顔負けの抜群のスタイルで歩く黒須さんの姉、黒須遊美さん。
二人は窓の内側の俺たちに軽快に手を振る。
窓からその非現実的な光景を凝視していた俺たちは、言葉を失って完全に固まっていた。
「ちょ、待って……。あれが黒須っちのお母さんとお姉さん? どこのモデルさんってレベルっしょ」
楯さんの目が丸くなっている。
「黒須先輩の遺伝子ヤバすぎ……」
結委が呆然と俺の袖を引っ張る。
須藤にいたっては、言葉もなく口をあんぐり開けている。
俺が急いで庭に通じる掃き出し窓を開けると、南さんは、
「ごきげんよう、皆さん。お待たせしてしまったかしら?」
と上品に微笑みながら優雅に会釈をした。
黒須さんはすたすたとスリッパの音を響かせて母の前に歩み寄ると、小さくも怒りの籠もった声で問い詰めた。
「お母さん! これは一体どういうこと? もしかして、あの侵入者もお母さんが仕組んだくだらない……悪戯?」
しかし、南さんは「あらあら、まあまあ」と少しも動じず、困ったように白い頬に手を当てた。
「人聞きの悪いことを言わないで、殊羽。私はそんな物騒でお行儀の悪い悪戯なんてしませんわ。ねえ、山田さん?」
南さんが庭の大きな木陰に視線を向けると、そこから一人の男がバツが悪そうな、消え入りそうな態度でノコノコと現れた。
「――っ? あんた、さっきの野郎じゃん!」
楯さんが即座に木刀を構え、鋭いステップで南さんの前に躍り出る。
その男は、ついさっきリビングで楯さんと激闘を繰り広げて窓から逃げた、あの侵入者その人だったのだ。
男は南さんの前で頭を下げて恐縮している。
「実はね」
南さんは何事でもないかのように、上品に微笑みながら説明を始めた。
「あなたたちが『若さ故の過ち』を犯してしまわないように、それと何か危険なことがあったらすぐに助けられるように、私が彼にこっそり監視させていたの。まさか見つかってしまうなんてねえ」
「あやや、過ちって……! そんことしないって!」
黒須さんの顔がみるみるうちに赤くなり、湯気が立ちそうなほどだ。
母に対してもっと怒りをぶつけたい様子だったが、俺たち友人たちの前ということもあり、感情を抑えているようだ。
すると、ようやく状況を飲み込めてきた楯さんが感心したように声を漏らした。
「へぇ……。道理で手強いわけだ。あのさ、おじさん。あんた相当鍛えられてるでしょ? ウチの道場の師範代クラス、いや、それ以上の身のこなしだったよ。マジでビビったわ」
ギャルでありながら武術の達人である楯さんの一流の褒め言葉に対して、見張り役の男は特に何も言わなかった。
ただ黙って一礼すると、ヘリコプターの中へと引き下がっていった。
あえて言葉を発さず背中で語るプロフェッショナルの姿は、惨めさとかっこよさが相半ばしているように思えた。
図書室の本に人が触れた形跡があったのは、俺たちが遊んでいる間にこの人が暇つぶしに読んでいたからなのだろう。
元々本棚にあった本は管理人が好みの本を置いていったのかもしれない。
「あの人から連絡があったから飛んできたのね?」
「ええ、まあね」
「お目付役がいると先に知らせてくれていたら……。どれだけ私たちが怖い思いをしたか」
黒須さんの声には普段とは違うドスのきいた感じがある。
しかし、南さんはどこ吹く風と受け流し、ふふっと楽しそうに笑っている。
「もう、殊羽ったら、そんなに怒らなくてもいいじゃない。冷たいわねえ。私だってね、本当は……」
南さんはいたずらっぽく綺麗なウインクをしてみせると、ふざけた調子でとんでもないことを付け加えた。
「あなたたちの、その楽しそうな『若さ故の過ち』の仲間に混ぜて欲しかったのよねえ」
「は、はあ……? お母さん、みんなの前でふざけないで! 恥ずかしい」
「えーっ、ふざけてなんてないけど」
黒須さんは完全に呆れ果て、怒る気力も失ったように、深い深いため息をついて天を仰いだ。
隣の遊美お姉さんは「お母さん、相変わらずだねー」とケラケラ笑っている。
そんな黒須家が巻き起こした怒涛の一大スペクタクルを前に、黒須家以外の俺たちは、ただただ言葉を失い、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。




