裏・戦国日記 二回目
再び出張ってまいりました。
こんにちは。こんばんは。
皆さんご存知、小金井ひよりです!
早速再登場です。いえーい!
皆さんご一緒に、いえーい!(^0^)/
さてさて今回は、戦国時代の成り立ちなんて語っちゃいましょうかね?
え?前回は上杉謙信様について語ったんだから、今回は武田信玄様についてが順当だろうと?
………………おっさんは趣味じゃないんです。
というわけで、戦国時代についてです。
現在、こう呼ばれている時代は、室町時代の後期から始まっています。
時の室町将軍は八代・足利義政。
京都にある銀閣寺を建てた事で有名ですね。
まあ、銀閣寺っていうのは通称で、お寺としての名前は慈照寺です。
そこの観音殿なんですよ、銀閣っていうのは。
で、その義政将軍様はですね、将軍なんかやってらんなかったんです。
さっさと位を次に譲っちゃいたくて、子どももいなかったもんだから弟の義視さんに譲ると約束をしたんです。
でもその後で正室との間に子どもが出来ちゃうんですよ~。
もう展開、判っちゃいますよね。
自分の子どもを次期将軍にしたい母親と、譲ってもらう約束をしていた弟一派との対立が『応仁の乱』っていう内紛にまで発展しちゃいました。
この乱が終わった後ってのは、もう、室町幕府に諸国を纏めていく力は無くなってたんです。
そりゃそうですよねー。
お家騒動に四苦八苦してちゃ、誰もついて行きたくなくなりますよねー。
しかも当の八代将軍は芸術や宗教にのめりこんじゃってたんですから。
室町幕府が興った当初、将軍の下には『守護大名』がいて、自分の領国を治めていました。
領国とは、まあ、言ってしまえば領地ですかね。ちょっと『国』に対する意識が現在とは違っていたので、一概にはそう言い切れないんですが、都道府県よりもっと独立国家チックだったと考えていただければいいかな……と思います。
で、その守護大名の下に、彼らに仕える上級役人の『守護代』。
その下に領国の有力武士である『国人』。
更にその下に百姓、と続くピラミッド構造を有していました。
しかし応仁の乱以降は幕府が力を失うに連れて、この守護大名や守護代が力をつけていきます。
ぶっちゃけ、「幕府が頼りにならないから、俺達自分で何とかするしかないぜー!」的な心境だったのでは。
そして、かの有名な『下克上』ってやつが全国で横行するわけです。
実力主義、弱肉強食。
この甘美な響きが世に蔓延っていったんです!
う、うふ、うふふ。
とまあ、要約するとこんなところでしょうか?
尾張国の内情については後々蝶夏と一緒に知ることが出来るとは思います。
界軌には精々頑張って話を進めて貰いましょう。
さて。蝶夏はちらっとワタクシの気配を感じ取っているようですが。
悪寒を感じるくらいじゃ、甘い甘い。
そう簡単に悟らせると思うなよ!って感じですね。
ではでは、今回はこの辺で……。
またしても、こんなもの読んで頂き有難う御座いました。
注釈があります。
武田信玄おっさん説ですが、これはひよりの偏見です!
誰だって年取ればおっさんです!
注釈になってないですね……。おかしいな。




