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50 罪の理由

 マグダレナ・グラナドは十代後半にして、婚約者であるコルネート公爵家の子息を亡くした。

 父は公爵家と繋がりを持つことに執着していて、公爵家子息の死を聞くと発狂せんばかりに嘆いた。そして公爵が甥であるロドルフォ・ランヘルを養子に迎えると聞き、「何が何でもロドルフォと結婚しろ」とマグダレナを追い立てたのだった。


 コルネート公爵もまた、ルフィナのことを邪魔に思っていた。「離婚しなければ、ルフィナを殺す」とまで言ってロドルフォたちを離婚させ、すぐにマグダレナとの結婚を取り付けた。


 申し訳ない、とマグダレナは思っていた。自分は未婚なのでまだいいが、ロドルフォは身分差で結ばれた最愛の妻と引き離され、顔も知らないマグダレナとの結婚を強制された。このまま何事もなければ彼はいずれ伯爵位継承権を放棄し、ルフィナと共に王都の片隅でずっと暮らすはずだったというのに。


 結婚初夜にマグダレナがその旨を相談すると、ロドルフォもまたマグダレナの境遇に同情してくれた。

 とても素晴らしい人だと思った。この人と一緒なら、頑張れると思った。


 だからマグダレナは、「同士になりましょう」と申し出た。大人の命令に逆らえずに翻弄される者同士、協力しよう。荒波にも耐え、それぞれの臨む未来を掴めるようにしよう。そう二人は約束した。


 ルフィナは王都から追放されたが、ロドルフォはいつでも彼女のことを想っていた。マグダレナはそんな夫の気持ちを尊重し、ルフィナがどんな人だったのか積極的に聞き出した。

 夫の語るルフィナはまるで聖女のような人で、従僕のアダンも同じようにルフィナのことを絶賛していた。だからマグダレナは素直にルフィナを尊敬し、彼女のようにとまではいかずとも、ロドルフォを支えられる人になりたいと願うようになった。


 だが――マグダレナはやがて、ロドルフォのことを一人の男として愛してしまった。「跡継ぎはまだか」と公爵に叱られて渋々寝所に来たロドルフォを慰めたが、内心では天にも舞い上がるほど嬉しかった。身ごもると、幸せでいっぱいな気持ちになった。


 生まれた子が男子だと分かると、ロドルフォは安心した様子で「ありがとう、マグダレナ」と言ってくれた、が、それ以降彼がマグダレナと共に寝ることはなかった。

 生まれたのが女の子だったら、夫はもっと自分のもとに来てくれたはずなのに……そう思う自分が恐ろしく、息子トビアスに対して申し訳なく、自己嫌悪に陥ることもしばしばだった。


 ロドルフォは約束通り、何年も何十年も、マグダレナを「同士」として扱った。その関係を申し出たのは自分なのに、一生夫から愛されないのだと分かると辛くなるが、決してそれを表に出すことはせず、完璧な夫人の仮面を被り続けた。


 二十二年前、ルフィナの訃報が入ったとき、夫はふさぎこみ続けた。マグダレナは――これでやっと最大のライバルがいなくなったと安堵する一方、死んだからこそルフィナは一生夫の心を縛り付けるのだと思うと憂鬱になり、そしてそんなことを考える自分が嫌になる。その繰り返しだった。


 五年前、義父である先代公爵が死んだ。ルフィナの部屋が作られ、ロドルフォから信頼されていたマグダレナも部屋の鍵を任された。壁には、ずっと物置にしまわれたままだったというルフィナの絵が飾られた。


 絵画に描かれたルフィナは、まさに聖女だった。こんなに美しい人が、離婚して三十年近く、病死して二十年も経つというのに夫を魅了し続ける。

 ルフィナは永遠に十代のままで、ただでさえ見劣りする自分は年老いて劣化していくばかり。そう思うとますます、絵画の中で微笑むルフィナが神々しく、羨ましく――憎らしく思えてきた。


 夫がルフィナの遺品の中で一番愛していたのは、安っぽいブレスレットだった。宝石も家紋も一切ない、ガラス石が嵌っているだけのブレスレット。


 しかしあれがある限り、ロドルフォは「ここ」にいてくれる。そしてマグダレナも、憎みつつも敬愛するルフィナが「ここ」で見守ってくれているような気持ちになれたのだ。












「……だから、あなたがブレスレットを受け継ぐと聞いて……我慢できなくて。でも、わたくしのものにするつもりはなかったのです! あなたがいなくなったら、物取りの仕業を装って使用人に見つけさせ、そのまま戻すつもりだったのです!」


 そこまで言うと、夫人はふっと息をつき、遠い眼差しになった。

 数十年間ずっと彼女の胸の中でくすぶっていたものを、今やっと吐き出せた。そのことに安堵し、爽快感を抱きつつも、妙な喪失感に浸っているといった様子だ。


(……夫人は、お母さんのことを嫌ってはいなかった。羨ましい、妬ましい、と思うことはあったけれど、一番の感情は敬意だった――)


 それはきっと、夫人が真面目で我慢強いからこそできたことだろう。だが何十年間も自分の恋心を抑えつけ、嫉妬や羨望などの感情を抱くたびに、自己嫌悪に陥って自分を傷つけてきた。


 ブレスレットを取ったのは、自分でも信じられない行動だったのだろう。だがそれは夫とルフィナの思い出の品を占有したいからではなく、アマリアに奪われるのが怖かったから。


 アマリアは息をつき、項垂れる夫人を見つめた。


「お話しくださり、ありがとうございます。心中、お察しします」

「……どうして」

「はい?」

「どうして、あなたはわたくしを詰らないの!? あなたもルフィナ様と同じなの!? どうして……わたくしは、あなたたち親子に勝てないの――!?」


 か細い悲鳴を上げ、夫人はぎゅっと胸元を掴んだ。ユーゴが、「ねえ、大丈夫ですよ。落ち着いて」と優しく声を掛けると、肩を震わせながら首を横に振っている。


(どうして詰らないの……か)


 しばし考えた後、アマリアは口を開く。


「奥様。私にはあなたを詰る権利はありません」

「……」

「だって、母の遺品は母と公爵様の思い出の品です。確かに私も母の遺品を譲ってもらえるのなら嬉しいですが……今のブレスレットの所有権は公爵様にあります。私じゃありません」


 もし母の遺品を壊されたり売り飛ばされたり粗末な扱いをされたりしていれば、アマリアもさすがに物申したくなる。だが、「戻すつもりだった」というのなら無傷の状態でどこかに保管しているはずだし、ブレスレットを取ったのだってアマリアに嫌がらせをしたかったからではない。


 ……そう、彼女を叱るのは、アマリアの仕事ではない。


「……奥様。公爵様のもとに参りましょう」

「だ、旦那様? ……いえ、そう、そうですね。ブレスレットをお返ししなければ」

「それもそうですが……もうお分かりではないですか。奥様が回収されたブレスレット。その代わりの品を置き、強盗が盗ったのは指輪だと錯覚させた人物がいるのです」


 その人こそが、捜査を混乱させた第二の犯人だ。

 その人はブレスレットがなくなっていることに気づき――おそらく、夫人が犯人だと目星がついたのだろう。だがあえて現場をいじって、「強盗が盗んだのは大ぶりの宝石が付いた指輪だ」と皆に知らせた。


 ブレスレットはとても繊細なので、ハンカチに挟んでも本棚の隙間などに簡単に忍び込ませられる。反面、指輪はとても大きいので隠す場所が限られる。


(つまりその人は、「指輪が盗まれた」と広めることで、捜査の範囲を絞らせた――ブレスレットは入るけれど指輪は入らない場所を、調査の対象外にすることができた)


 さらに情報の出入りを制限し、外部からの調査が入らないようにした。執事のアダンを使って屋敷の者たちに聞き込み調査をし、その上で夫人が犯人だと確定した。


 そんなことが短時間でできるのは。

 ブレスレットの代わりになるものを特別な宝物室から移動させられる人は。


「……指輪を回収なさったのは、公爵様です」

「……旦那様が? どうして――」

「奥様を守るためですよ」


 夫人の疑問に答えたのは、ユーゴだった。彼はカップの縁に溜まっていた砂糖を舐め、レオナルドに口元を拭かれながら言う。


「公爵様は、奥様が犯人だって分かってたんでしょう? でも、公爵様は奥様を犯人にしたくないし、みんなにも悪く言われたくない。だから、奥様の方からごめんなさいをするのを待ってくれてるんですよ」


 ――おそらく公爵は指輪に関して、夫人と同じような対応をするはずだ。


 ブレスレットが無事に戻ってきたら、今応接間に置いている偽物と交換する。そしてアダンあたりを使い、「こんなところに指輪が落ちていた」と犯人が落とした風を装って指輪を回収する。そうすれば屋敷の者たちは誰一人として夫人が最初の犯人だと知らず、「指輪が無事に戻ってきてよかった」でひとまずのところ済ませられるのだ。


 なぜブレスレットを盗んだのだ、と夫人を問いつめることもできた。そうすれば一番手っ取り早かっただろうが、使用人たちはもちろん、トビアスやオリビアたちにまで最悪の形で夫人の行動が知らされてしまうのだ。


 限られた時間の中で、必死に考えた公爵が出した結論。

 全ては――夫人を守るためだ。


「……公爵様はきっと今もお待ちです。お茶をもう一杯飲んだら、公爵様にお話しに行かれてはいかがでしょうか」


 アマリアが優しい声で申し出ると、夫人は最後の涙をぽろりとこぼし、力なく頷いたのだった。

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