『決着』
辺りを静寂が満たしたというのは、こんな時をいうのだろう。
いくらサンタのヒュプノス催眠が全員に聞いているといっても、彼らの本能まで操ることは出来ないのだ。
ハクヤは麒麟を見た後に体高が最も高い動物のキリンを真っ先に連想させた。アフリカのサバンナにいるキリンの体高は5.6メートルと言われている。
目の前の聖獣である麒麟はそれと同等か同じぐらいに見えた。
竜の顔を持ち全身が翡翠色の鱗で覆われて静かな輝きを放ち、白い鬣に隠れた角と、深い優しさと厳しさを備えた赤い瞳、神聖な獣だった。
麒麟は、一度ハクヤと目を合わせて、天を高く見上げた後に、その伝承に違わぬ音階に達した声で鳴くと。
サンタの魔術に干渉したのか、ヒュプノス催眠で操られていた者が次々と倒れていった。
(……流石に伝説に違わないか……)
ただの一声で、ヒュプノス催眠の干渉を解いた事をハクヤが把握すると、麒麟は、その体躯を動かして、朱い角を鬣から出すと倒れたオークに歩み寄り、その首を曲げて赤い角から、淡い光を噴出させた。
獣医の知識などないハクヤから見ても、オークは重症である。
肺がやられているのか呼吸がおかしく、既に虫の息といっても差支えないだろう――持って後――数分といった感じだろうか。
だが麒麟の光の本流を受けた後に、オークは元気よく立ち上がり、先ほどの召喚の影響か倒れこんだユリナの元に駆け寄ると、尻尾を振って彼女の顔を舐めていた。
全てが終わったように麒麟は、壁際に吹き飛んでいるサンタの方に振り向くと。
「ヒッ‼」
サンタは本能的な恐怖を呼び覚ましたのか、麒麟の圧倒的な体躯から見下ろされるのは、歴戦の猛者であるハクヤでも、本能的に恐怖を感じるものだ。
「なんだよ、テテテメエ。俺とやろうっていうのか」
恐怖で呂律が回らないのかサンタは、歯をガチガチとならしながら、M,Aを握っていた。
(……正真正銘の神の裁きか)
東洋の伝説の生き物であり四霊の一つであり、獣たちの王とされている。
西洋では天からの使いを、文字通り神の使いと呼称し、逆に東洋では、神の事を『天』とさす、その天の使いの麒麟の裁き――ハクヤはサンタがどうなるか興味が尽きなかった。
麒麟はサンタを一瞥したと思ったら、そこで戦いは終わっていた。
「ギャ‼」
否、戦いにすらなっていなく――唯、裁かれるものと裁くものがそこにいただけだった。
裁かれた者であるサンタは――おそらくマナを司る中枢を焼き尽くされているようだった。
恐らくは、魔術師として彼は生涯を終えたのだろう。
ヒキガエルのような悲鳴が彼の最後の断末魔だったことが哀れであった。
麒麟は一通りの裁きを終えると――向きを変えて憤怒の表情でハクヤを見据えた。
邪魔者が誰一人としていなくなった、校舎の裏でハクヤと麒麟のにらみ合いが続いていた――サンタが操っていた部外者たちは全員が気絶しており、この事態を引き起こした一人のサンタは再起不能で、ユリナの方は麒麟などという規格外の存在を現出させたのが原因か意識を失っていた。
(……無事かどうか確かめたいが……)
ハクヤは冷や汗をかきながら、隙を見せずにユリナの方に視線を動かすと、麒麟は刹那の瞬間を見逃さなかったのか、ハクヤはとにかく飛びのいて後方に下がった。
何処からか分からないが、極小の稲妻が先ほどにハクヤがいた位置に振ってきたことだけは確かだった、
(あのまま、あそこにいたら……)
ハクヤは先ほど自分がいた場所が、ブスブスと黒煙を上げていてゴクリと唾を飲み込む。
「まさか、教会の執行者である、俺が裁きを受けるとはな」
教会の執行者であるハクヤが東洋の天の使いである、麒麟の裁きを受けるなどとは皮肉が効きすぎていないだろうかとハクヤは苦笑した。
ハクヤは心中で、いつかは自分にも罰が訪れる瞬間があることは理解している。
だが、まだ果たしていない約束もある――こんな理不尽にやられることは御免だった。
「出し惜しみをしている場合じゃないな」
ハクヤは、体格が五メートルもある麒麟とこんなところでやりあうのは御免だった。
後方に逃げて、ひたすらに距離を稼ごうとすると、麒麟は自身の体躯では、動きにくいと判断したのか、
自らの体躯を縮めて、ハクヤを追いかけてきた。
「……もはや、なんでもありだな」
ハクヤは麒麟の出鱈目さ呆れると、自分にとって有利な場所に付いてくるように誘導する。
戦えば、何とかする自身はあるが、万が一にも自分が戦っている姿を見られるわけにはいかない。
ハクヤは自身の制約の多さに歯噛みしながら、駆け抜けると――ようやく戦える場所にたどり着いた。
普段使われていない、体育館の扉を蹴破り中に入ると、やはり自分を追い掛けてきたのか、朱い目でハクヤを睨むと、頭から出た角に紫電を漲らせて、戦闘態勢に入ると、自身の体躯をこの体育館で最も動きやすい三メートルぐらいの体躯にしていた。。
ハクヤは麒麟が自身の体躯を操っているうちに、降ろすための詠唱に入る――彼には魔術の才能は全くといっていいほどなかった、だが降ろす才能はあった。
ハクヤの才能とは降霊術、チャネリングとも呼ばれており、高次の霊的存在・神・死者などの超自然的とのチャンネルを開き自身に降ろす方法である。
彼には、この才能だけがあり――これだけを鍛え上げて生きてきた。
精神を集中させて、詠唱を開始して言霊を口にする。
「我は未来、過去、現在をしるものなり。我は聖霊、人、神格を違える三位一体の物なり、我が呼び声に応え、我が内に宿れ、サリエル」
彼は、降ろすときに自我を失わないようにはっきりとハクヤ・ミレイグという存在がここにいることを認識する。
降霊術とは、自分の精神に異物を取り込む事であり、失敗すれば自我の崩壊、発狂までするものもいる。
ましてやハクヤの降ろしているのは、高次の存在の七大天使の一角である『サリエル』と呼ばれる天使である。
いつもは上手くいっているが今日は成功するなどという保証は、何処にもない。
「があああ‼」
獣のようなうめき声をあげて、自分の精神に入ってくる暴れ馬の手綱をしっかりと握る。
顔の目元付近を手で押さえると、ハクヤの左目には焔のような刺青が浮かび上がり、漆黒だった左目の瞳の色が黒から、アメジストを思わせる紫色に変化する。
始祖の魔眼と呼ばれる瞳を自身に降ろし背中に滞納してあるダマスカス鋼で出来ているククリと呼ばれている蛮刀を二本抜くと、自分を見ている獣王を、この世ものではない左目で眉を吊り上げて見ると。
「……西洋と東洋のどちらかが上かなどとは、興味もないし知りたくもない……ただ、ここでは終わることが出来ないだけだ」
四肢が動くうちは止まるわけにいかなかった――麒麟は頭にある一角から落ちてくるい稲妻を魔眼で視認しながら前に出て、ハクヤはククリで切りつけた。
けたたましい金属音が聞こえると、獣王の体の鱗がかけて人の手で与えられた切り傷が出来ていた。
「あんた、何で出来ているんだ?」
ハクヤは、まさか失われた製造技術の一つであるダマスカス鋼をもってしても切れない生物がいるとは思いもしなかった。
ダマスカス鋼というのは、十九世紀に製造技術が失われた幻の製鉄の一種であり、古代インドに使われたデリーの柱は、今でも錆びていない柱として残っており、1600年もの間存在し続けている。
失われた製造技術を教会が再生させて、日本刀と並ぶ知名度のダマスカスの刀剣――人の作れるものとしては最上級の一品だろう――それをもってしてもかすり傷ぐらいしかつかない麒麟の体。
その事実を認識してハクヤは苦笑いをした。
そして、ハクヤは時間を確認し、もはや大会に出場するのは無理かだろうと考えると思考を切り替えて――そんな下らない事を考えて勝てる相手ではないと一番分かっていた。
今は目の前の事に集中して、麒麟の動きを先読みして攻撃をかわして、距離を詰めようとするが、逆に麒麟の方がその巨体の体躯を活かして、体当たりをしてきた。
「チッ‼」
舌打ちと共に回避する術がないことをハクヤは知ると、超重量の質量が自分に加速をつけて衝突してきた。
凄まじい衝突音と共にハクヤの軽い体が吹き飛び、後方の壁に打ち付けられて倒れると、
意識を休める暇もないのか、麒麟は帯電させていた落雷を落とす。
ハクヤは素早く立つことが出来ないのか、残された力で床をゴロゴロと這いつくばり回転しながら、雷を回避すると立ち上がる。
体育館の床は掃除していなかったのか、たちどころに彼の体は誇りまみれになり、ボロボロになっていた。
「仕切り直しだな」
ハクヤは目の前に見える獣王にどうやって倒すかを脳裏に浮かべる、こちらの攻撃は全てかすり傷しか与えられない、加えてあちらの攻撃は全てが致死量に達する一撃である。
きっと獣王にとっては自分などは目の前を飛び回る、羽虫にしか過ぎないのだろう。
(一撃に掛けるしかないか)
乾坤一滴にハクヤは賭けようと、二刀持っていたククリを一刀に持ち替えて、必答の一撃を与えるべく、両の手に力を込める。
覚悟を決めたハクヤに不意に誰かが声を掛けてきた。
「……人の子よ、貴様はどうしてそこまで抗おうとする?」
ハクヤはきょろきょろと辺りを見回すと――ここには誰もいない、いるのは裁くものと裁かれるもの二人しかいない――ならば今自分に問いかけているのは一人――否、一匹の獣だった。
「……驚いたな、喋れたのか」
ハクヤは驚いて目を見張るが、麒麟は構わずに言葉をつづける。
「我が問いに応えよ。貴様は何故、抗う?」
「何故って、誰だって死にたくないだろ」
ハクヤは簡潔に応えた――まさか意思疎通の通じる相手とは及びもつかなかったのか――戦闘以外でどうにか出来ないかを模索していた。
「どうして、嘘をつくのだ?」
ハクヤは心を読まれているのか、癪に触ったのか感情が高ぶらされるのを実感した。
「嘘なんて付いていないさ。アンタには分からないかもしれないが、これは本音の一部っていうんだよ」
麒麟は嘆息して息を吐くと。
「……愚かな男だ。貴様は知っているはずだ。自分が報いを受ける側だという事を……」
「何を言っている?」
図星を言い当てられたように、ハクヤの本心を見抜いていく。
「貴様は気づいているはずだ。自分の歩いている先に未来などないと……ただ、ただ破滅に向かって行っているだけだ」
「……黙れ」
「貴様は本心では、理解しているのではないか、いつか来るのは救いではなく、審判だと、私はそれを君に教えるために、裁きを下そうとしたのだが、抵抗する貴様の胸中が分からないから問いかけたのだ」
まるで上から見下ろすような言い草にハクヤは胸中にある怒りを抑えるのに必死だった。
「だから、なんだテメエには関係ねえだろう」
「私とのチャンネルを開いた、あの少女も愚かなものだ、目の前に存在する人物を疑おうともせずに懐柔されるなどとは……だからこそ私を呼び出せたともいうが、皮肉な話だな、その純真さゆえに自らが依存している存在を失うとは……」
ハクヤはユリナを侮辱されたのか怒声を上げた。
「黙れ‼! ここは俺たちの世界だ。テメエに誰も裁く権利なんてないんだよ」
「ふむ、怒りで我を忘れていると見える」
いつまでも、尊大な態度をする麒麟に我慢が出来なかったのかハクヤは吠えると。
「あまり人間を舐めるなよ」
ハクヤは憤怒の如く怒りで、床に落としたククリをあらぬ方向へ投げると、麒麟に向かって歩き出し最小限の動きで雷を躱しながら、徐々に加速するとハクヤは真っすぐに麒麟の頭部に向かって走りだす。
雷などは関係ない、全ての感覚を体に預ければ、避けれないもの等はなかった。
ハクヤに気おされたのか獣王が数歩後退したが、視線の先は間違っていなく、彼は飛び上がり頭部に一撃を加えようとしたが、彼の狙いが分かっていた麒麟は動じることなくハクヤが飛び上がってきたタイミングに合わせて、雷を繰り出そうとしたが――急にガクンと麒麟が異物でもぶつかったように体制を崩した。
後ろを見ると先ほどにハクヤが投げたククリが麒麟の後ろ足に突き刺さっていた。
麒麟には知る由もないが、ククリという刀は投擲の武器としての一面もある。
ハクヤは賭けにかったのか――口元に笑みを浮かべた、麒麟は急いで雷を放つが、止まらずにハクヤは渾身の一撃を振り下ろした。
「言ったはずだ、人間をなめるなよってな」




