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ムーン・ライト  作者: 武池 柾斗
第一章 覚醒編
7/95

第六話 記憶喪失

 翌日。二月一六日。

 山坂浩二はいつものように朝の用事を済ませて登校した。

 そして、昨日の騒動が嘘だったかのように、一年の理系クラスはいつもと変わらない様子であった。

 女子生徒たちは山坂浩二には近寄らず、永山と村田は山坂浩二と昼ご飯を食べ、ヘンタイ六人衆は食堂で話に花を咲かせていた。

 山坂浩二は昨日との差に戸惑いつつも、いつもの学校生活を楽しんでいた。

 そして、月影香子は山坂浩二を訪ねては来なかった。



 帰りのホームルームが終わると、彼らの学校では掃除の時間となる。

 今週、山坂浩二の掃除場所は一年五組の教室である。

 約四十人の一クラスにつき、三つの掃除場所が割り当てられるので、出席番号で区切られた三つのグループに別れて掃除を行っている。

 教室には村田やヘンタイ六人衆のくせ毛や長髪やオールバックメガネもいる。

 山坂浩二は持つ部分が木製のほうきを使って、床に落ちているごみを掃いていた。

(今日、月影さんと会ってないなぁ。ジャージ返しに来るって言ってたけど、本当に来るのか?)

 彼は小さなため息をつく。

(クラスのやつら、誰一人として昨日のことを言ってこないな。……まあ、それはそれで嬉しいんだけど)

 彼が使っているほうきが机の脚に当たる。

(なんか、さびしいんだよなぁ)

 また、ため息。

(昨日はあんなに大騒ぎしたってのに)

 彼のほうきが机の脚にまた当たった。

 一通り床を掃き終えた彼はほうきを持ったまま教室の隅へと向かった。

 そして、机が運ばれていくのを気の抜けた顔をしながら眺める。

 くだらない話に花を咲かせながら掃除をしているクラスメート達を見ると、山坂浩二の口から自然とため息が出た。

(男以外ともっと話してぇ)

 彼は天井を見ながらもう一度ため息をついた。すると、

「ちょっと、山坂! さっきからアンタため息ばっかりついて! うるさいわよ!」

 彼は声がした方向、つまり彼から見て左に顔を向けた。

 教室の前の黒板に、 黒板消しを右手に持って当てている一人の女子生徒。

 髪は肩にぎりぎりかかる長さで、身長は女子高生の平均的なものより十センチほど低い。スカート丈は膝より上にある。

 山坂浩二に話しかけることのできる数少ない人物。

 柳川友子やなぎがわともこである。

「や、柳川さん!? な、なんなんですか、急に!?」

 山坂浩二は相当驚いたようで、身体をびくつかせた後、一歩身を引いた。

 だが、彼が立っていたのは壁際。

 山坂浩二は後頭部をぶつけてしまう。

 ゴンッ! と鈍い音がする。

 そして、彼は両手で後頭部を押さえながらうずくまってしまった。

「……い、い、い、う」

「…………アンタって、ほんとドジね」

 柳川友子は黒板から手を離し、山坂浩二に体を向ける。

 山坂浩二は後頭部を押さえてしゃがんだまま、顔を左に向けた。

「……ほっといてください」

 そして、彼はその体勢のまま、

「いったい何の用なんですか?」

 と尋ねた。

 柳川友子は、はっとしたように両肩をびくつかせ、

「あっ、それよ。それ」

 黒板消しを教卓の上に置き、

「昨日、月影香子が山坂に用があってこの教室に来たじゃない。アンタたちいつ知り合ったの?」

 と尋ねた。

『月影香子』という言葉に、彼は反応し、立ち上がり、柳川友子と向き合った。

 そして、一つひっかかることがあった。

 呼び捨て。

 月影さんでも月影香子さんでもなく、

 月影香子。

 彼はそこに疑問を感じた。

「……あの、月影さんと柳川さんは知り合いなんですか?」

 彼はやや弱々しい声で尋ねた。

 しかし、柳川友子は眉間にしわをよせ、

「こっちが質問してんのよ。あんたは質問なんかしないで答えなさい」

 と、まるで何かに焦っているかのように言った。

「……すいません」

 山坂浩二は軽く頭を下げた後、

「一昨日です」

 と答えた。

 柳川友子は姿勢を崩さず、間髪入れずに再び問う。

「一昨日のいつ?」

「…………夕方です」

「何があったの?」

「…………未来橋から銅鏡川に落ちて溺れていた月影さんを助けました」

「……未来橋から……落ちた……? あの香子が?」

 柳川友子はわずかながら動揺しているようで、目を細めた。

 そして、彼女は目を細めたまま、

「で、その後どうしたの?」

 と尋ねた。

「……えっと、僕の家まで背負っていきました。体が冷えていて、放っておくと危ないと思ったので」

「それで?」

「……お風呂に入ってもらいました」

「その後は?」

「……いきなり下の名前で呼ばれて、十年前に……あの、その……」

 山坂浩二は言葉に詰まってしまった。

『退魔師』なんて単語を出していいものなのか。

 たとえ言ったとしても、信じてもらえるはずはない。

 彼は言葉の選択に迷った。

 柳川友子は彼が言葉を紡ぎ始めるのを待っていた。しかし、ついに我慢できなくなってきたのか、

「十年前になによ? はっきりさせなさい」

 といらいらした様子で言った。

「……すでに知り合っていたそうです」

「へえ。山坂、それ信じた?」

 柳川友子は彼を疑うように目を細めて山坂浩二を凝視した。

「始めのうちは信じませんでしたが、今は信じてます」

「ふうん。そう」

 彼女はそう言うと教卓に置いてあった黒板消しを手に取り、再び黒板に向き直り、作業を始めた。

 しかし、彼女は腕を挙げたまますぐに顔だけを山坂浩二に向け、

「あの子、ほかに何か余計な事とか言ってなかった?」

 山坂浩二を睨みつけながら尋ねた。

「よ、余計なことって……なんですか?」

 山坂浩二は柳川友子が醸し出す、自分を押し潰すような雰囲気に耐えながら尋ね返した。

「……そうね。たとえば……」

 彼女は黒板消しを持っていない左手の人差し指を顎に当て、


「『退魔師』、とか」


 その言葉を聞いた瞬間、山坂浩二の両肩が一度だけビクッと動いた。

 だが、 山坂浩二は慌てて体勢を立て直す。

 柳川友子はニヤリと笑い、

「なーんてね。なに慌ててんのよ」

 と言った。

「はあ、そうですか」

 山坂浩二は大きく息を吐き、

「まあ、今日の放課後に借りてたジャージを返しに来るとは言ってましたが」

 と、落ち着いた様子で答えた。

 すると柳川友子は、はっとしたように目を一度大きく開いた。

「あれ? そうなの? ……でも香子、今日学校休んでるみたいよ」

 彼女は眉間にしわを寄せ、

「なにがあったかは知らないけど」

 と、やや声を低くして呟いた。

 山坂浩二はそれを聞くと、肩を落としてため息をついた。

「…………そうですか」

 そして、彼は机が前方に固められた教室を見渡し、

「そろそろほうき係の出番のようなので、失礼します。ありがとうございました」

 と柳川友子に頭を下げた後、スペースの空いた教室後方に歩き出した。

 柳川友子はほうきを持った彼の後ろ姿を眺める。

「……あの反応、やっぱり」

 彼女は再び眉間にしわを寄せる。

「…………厄介なことになったみたいね」


 彼女の独り言を聞いた者は誰ひとりとしていなかった。




 放課後、山坂浩二は高校生にありがちな寄り道もせずに家に帰り着いた。

 昨日買い物をしたのでスーパーマーケットに行く必要はなく、また衣類も大量に洗濯しているため、彼が今日しなければならないのは夕飯の支度だけである。

 彼はこたつの横にスポーツバックを置くとすぐに入り口付近の台所に向かった。

 彼から見て、左側に流しがあり、右側に鍋やフライパンを置くところが二つある備え付けのガスコンロがある。

 さらに、流しの左横には高さ約九十センチ、横幅約八十センチ、奥行き約五十センチ、二段構造の食器棚が置かれている。

 そしてその横には山坂浩二の半分ほどの高さの冷蔵庫があり、またガスコンロと流しの間にはまな板と包丁が立てられており、その手前に炊飯器が置かれている。

 かなり詰めて置かれているため、ガスコンロの火が他の物に移らないかどうかが心配である。

 また、流し台の下方には物入れがある。

 山坂浩二はそこからボウルと米を二合分取り出し、ボウルに米と水を入れて米を研ぎはじめた。

 ある程度研ぎ終わると、ボウル内で米を水に浸し、風呂場へと向かった。

 体育座りをしてようやく入れるほどの風呂桶をスポンジに水と洗剤をつけて洗った後、蛇口をひねってお湯を溜めはじめた。

 彼は部屋へ戻ると、たんすから着替えをとり出し、風呂場へと戻った。

 そしてそのまま風呂に入った。



 風呂場から出た山坂浩二の服装は、下は黒色のジャージ、上は黒色の長袖シャツ、つまり上下とも黒色であった。

 理由は定かではないが、彼は黒色の服装をすると自然と落ち着くそうだ。

 彼は濡れた髪を黄色のタオルでふきながら台所へと向かった。

 彼は十分に水を含んだ米を炊飯器に入れ、炊飯開始のスイッチを押す。

 そして、彼はこたつ傍の毛布と布団を重ねた、こたつ代用のところまで歩き、床に座ってそれに両足を入れた。

「さぶっ」

 彼は体を震わせて呟いた。

「やっぱ、入った瞬間に暖かくなるこたつのほうがいいよな」

 彼はそう言うと、こたつの上に置いてあるリモコンを手に取り、テレビの電源スイッチを押した。

 黒い画面から、夕方のニュース番組の映像に移り変わる。

 彼はしばらくボーっとテレビ画面を眺めていたが、ふと何かを思い付いたのか、ジャージのズボンの左ポケットから黒色の携帯電話を取り出した。

 そして、携帯電話を操作してインターネットに接続をした。

「……もしかしたら」

 彼は液晶画面を見つめながら、

「……『退魔村』ってのが、本当にあって」

 毛布の暖かさを感じながら、

「……十年前に山崩れで壊滅したんだったら」

 大きく息を吸って、

「……ニュースになっていてもおかしくない!」

 携帯電話のボタンを押し始めた。

 まずは、


『退魔村 十年前 壊滅』


 で検索をかけた。

 少しの間があってから、画面が切り替わる。

 が、一ページ目に出てきたものにそれらしい記事はない。

「だめか。……じゃあ、次は」

 彼は再び携帯電話のボタンを押し始める。

 検索欄に打ち込まれた言葉は、


『山村 ○○○○年 山崩れ』


 彼は検索に決定ボタンを押した。

 わずかなロード時間を経て画面が切り替わる。

 いくつかの項目が山坂浩二の目に映るが、それらしきものはない。

 だが、画面を下にスクロールしていくと、一ページ目の最後の項目が彼の目を引き付けた。

 そこには、


「○○○○年、日吉村で突如発生した土砂崩れについて」


 と書かれてあった。

 彼は迷わずその項目に決定ボタンを押した。

 画面が切り替わる。

 そのページには読むのが嫌になるほど長い文章が綴られていた。

 山坂浩二は一度読むことをやめようとしたが、自分を奮い立たせて読みはじめた。

 そこには、こう書かれていた。



 ○○○○年四月八日、日吉村で発生した土砂崩れについて。

 突然の土砂崩れにより、日吉山の中腹に位置していた日吉村は壊滅。

 家屋は全て倒壊。死者行方不明者は五百人にのぼった。

 その日は降水もなく、土砂崩れが発生した原因は不明。

 また、犠牲者は全て二十歳以上の成年であり、未成年者には犠牲者は一人もいなかった。

 未成年者は何らかの情報を得たのだろうか、一人を除いて村から遠く離れた場所に避難していた。

 また、一人だけ避難し遅れた未成年者も、倒壊した家屋のそばで発見された。

 ただ、この事故には不明な点が多い。

 まず、降水の無いなかでの土砂崩れ。

 これについては様々な見解があるもののはっきりとした原因はいまだ判ってはいない。

 次に、成年が全て犠牲になり、未成年者に犠牲者が出なかった点。

 これについては、何らかの情報を得た成年たちが未成年者を村から逃がしたなどの理由が考えられるが、詳しいことは不明。

 さらに、生存者から、『土砂崩れが発生したと考えられる時刻に、日吉村から青い光が見えた』などの証言があるが、信憑性は薄い。

 また、犠牲者の身体から刃物で切り付けられたような傷跡が多数見られたが、これについては調査は行われていない。


 ここまでの文章には山坂浩二は平然としていたが、次の文章から彼は平静を保てなくなった。


 また、余談ではあるが、この日吉村は昔、『退魔村』と呼ばれており、村人全員に退魔の力が宿っていたという話がある。

 彼らの祖先は妖怪と人間の間に生まれた子供であるという言い伝えがあり、村には霊的な様々な出来事についての記録が残っていた。

 それゆえ、日吉村壊滅の原因は霊的なものであると考える者もいるが、現代社会にその可能性はまず無いと言っていいだろう。



 山坂浩二は携帯電話の画面を見つめながら震える。

「……な、なんなんだよこれ。……なんだよ……これ」

 彼は携帯電話を操作して、再び文章に目を通す。

「意味わかんねえよ……」

 彼は呟いた。


 その時!

 彼の後ろからドアを叩く音が聞こえた。


「……っ!?」

 彼は座ったまま体をひねり、顔を後ろに向けた。

 ドアを叩く音が何度も狭い部屋の中で聞こえる。

 だが、声は聞こえない。

 ドアを叩く音とテレビからの雑音。

「……誰だ? こんな時間に。近所迷惑だろうが」

 山坂浩二は布団から脚を出して立ち上がり、ドアの前までだるそうに歩いた。

 その間にもドアを叩く音は鳴りつづける。

 その音は段々と強くなっていく。

 まるで何かを焦っているかのように。

「……ったく、わかってるっつーの」

 山坂浩二は顔をしかめて頭を右手でかきながら呟き、

「はいはーい。今開けますよー」

 と全く抑揚の無い声で言い、鍵を開け、扉を押して開けた。


 その瞬間、

 彼の部屋に、

 人が一人飛び込んで来た。


「っ!?」

 その人物が入り込んでくると同時に、山坂浩二は反射的に後ろに大きく跳びのいた。

 玄関に入り込んで来た人物は腰を大きく曲げて前屈みになっており、荒い呼吸を繰り返している。

 さらに、見慣れた紺色のセーラー服を着ており、髪は通常の体勢ならば腰まで届くほどの長さ。

 ただ、腰をほぼ直角に曲げているため、髪は床に届くか届かないかの位置にある。

 そして、髪はその人物の顔を隠してしまっている。

 しかし、山坂浩二にはこの人物に心当たりがあった。


 まさか、……この人は……。


「…………月影さん?」

 山坂浩二はその人物を見ながら小さな声で呟いた。

 すると、その人物は呼吸を荒げながら顔を上げた。端正な顔立ちをした、見馴れた少女のもの。

 やはり、月影香子だった。

「……こう……じ」

 彼女は注意しなければ聞き取れないほど弱々しい声で彼の名を呼ぶ。

「いったいどうしたんですか? …………っ!?」

 山坂浩二は月影香子を見ていると、あることに気がついた。

 彼女の顔の左半分を血が赤く染めている。

 おそらく頭から出血しているのだと思われる。

 そして、出血しているのは頭部からだけではなかった。

 両足のソックスはもとは白だったのだろうが、今はそのほとんどの部分が赤く染まっている。

 さらに注意深く見てみると、紺色のセーラー服にもかなりの血液が付着していることがわかった。

 山坂浩二は顔をしかめながら、もう一度尋ねる。

「いったい、何があったんですか!?」

 先程よりはやや声量を上げていた。

 しかし、月影香子は両手を膝につけたまま、荒い呼吸を繰り返しているだけだった。

 また、呼吸も徐々に弱くなってきている。

 おそらく、『答えない』というよりは『答えられない』のだろう。

「……どうすればいいんだ?」

 山坂浩二は悲痛な表情をしながら彼女を見る。

 今必要なのは、怪我の応急手当。

 理由など聞いている場合ではない。

 彼は月影香子の肩に手を当て、玄関近くのフローリングの床に彼女を仰向けに寝かせた。

 そして、部屋のたんすから市販の消毒液とピンセット、大量のガーゼ、包帯を取り出し、彼女のもとへ戻る。

 彼女のそばに座り、ガーゼに消毒液をつけ、ピンセットでそれをつまんで、顔についた血を拭き取っていく。

 月影香子は両目を閉じて弱々しい呼吸を繰り返している。

 顔に付着した血液を拭き終わると、ガーゼを新しいものに替え、消毒液をつける。

 セーラー服の右腕の部分をまくると、刃物で切り付けられたような傷が二の腕にあり、そこから流れ出た血液が腕を真っ赤に染めていた。

 山坂浩二はその血液を拭き取る。

 拭き終わると、彼は包帯を手に取った。しかし、よくよく考えてみると、彼は包帯の巻き方というものを知らなかった。

 だが、傷口をそのままにしておくわけにもいかない。

 そこで彼はガーゼで傷口を覆い、医療用のテープでとめることにした。

 同様に左腕も手当をしていく。

 次に脚の傷を手当していく。

 ソックスを脱がし、スカートをぎりぎりの部分までめくる。

 両脚には多数の傷があった。

 深いもの、浅いもの。

 彼は血液を拭き取ると、傷口をガーゼで覆い、テープでとめた。

 次に、胴体。

 彼はセーラー服を見ていると、セーラー服には多数の切り口があり、学校に着て行くことができない状態になっていた。

 さらに、ところどころに縫い合わせたり新たな布を継ぎ足したような部分もあった。

 彼はこれを疑問に思ったが、首を横に振って気持ちを切り替える。

 今必要なのは手当。

 彼はセーラー服、その下のシャツを限界の位置まであげた。

 やはり胴回りにも多数の傷があった。

 彼は先程と同様に、血液をガーゼで拭き取り、傷口を覆う。



「……これで、一応大丈夫かな」

 彼はそう言うと、めくり上げていたスカートとセーラー服をもとに戻し、道具を全て手に取ってたんすに向かった。

 引き出しを開けて道具を入れた後、引き出しを閉める。

 その途端、山坂浩二は急に恥ずかしくなった。

 理由は簡単。

 彼が先程何をしていたのかを思い出してもらいたい。

 そう。


 女の子のスカートやシャツをめくり上げていたのである。


 当然、普段は見ることのできない箇所の素肌が目につくし、それに加えて、手当のためとはいえ堂々と肌に触れていた。

 今までの彼ならば、そのような機会などなかった。

 いや、機会があったとしても、

 できない。

 不可能である。


 なぜならば、

 彼は女性が怖いからである。


 では、なぜ?


「……まさか、月影さんだから?」

 彼は玄関近くで仰向けになっている月影香子を見る。

 彼の顔がさらに赤くなっていった。

「……ほんとに何なんだろうな。この気持ちは」

 彼は軽くため息をつく。

「……まあ、考えても仕方ない。夕飯の支度でもするか」

 彼はそう言うと、脚を動かして台所に向かった。

 しかし、台所のそばには月影香子が横になっており、山坂浩二としては気になって仕方がない。

「もしもーし、月影さん?」

 彼は足元の月影香子に声をかけるが、彼女からの返事はない。

「もしもーし」

 もう一度呼びかけるが応答はない。

「…………寝たのかな?」

 彼は首を少し傾けて呟く。

「こんなとこで寝たら風邪ひいてしまうな」

 彼はその場にしゃがみ込むと、月影香子の上半身を起こして彼女に肩を貸した。

 すると、月影香子はうっすらと目を開け、山坂浩二に触れていない右手の人差し指で右目を擦りながら彼に顔を向ける。

「…………ん? ……なに?」

 月影香子は寝ぼけたような声で山坂浩二に問いかける。

「……こんなところで寝たら風邪引きますよ」

 山坂浩二は月影香子を見ずに、顔をまっすぐ向けたまま答えた。

「はい、はーい。わかりましたよーだ」

 月影香子はまるで子供のようにふざけた感じで言い、立ち上がった。

 山坂浩二は月影香子をこたつ代用の布団まで連れてくると、しゃがみ込んで彼女から離れた。

「さあ、さあ、布団に入ってください」

 山坂浩二はまるで彼が母親であるかのような口調で言い、布団をめくり上げた。

「……あ、うん。わかったぁ」

 月影香子は再び寝ぼけたような声で言うと、毛布とカーペットの間にもそもそと入った。

 山坂浩二は掛け布団を毛布の上に被せる。

「うーん。ありがとね、こうじ」

 月影香子は目をほとんど閉じた状態で、うわごとのように言った。

「いえいえ。どういたしまして」

 山坂浩二は顔を赤らめながらも笑顔で頭をぽりぽりとかきながら言った。

「えへへぇー。じゃあ、おやすみ〜〜」

 月影香子はやや気味悪い笑い声を出したあと、まるで酔っ払いであるかのように言ってから目を完全に閉じた。

 彼女はすぐ寝息を立てはじめる。

 山坂浩二はそれを確認すると、立ち上がってそそくさと台所に脚を運んだ。

 そして、台の流し付近に両手をつけて、荒い呼吸をし始めた。

「ハア、ハア、ハア」

 彼は左手で胸を押さえ、

「し、死ぬかと思ったぁー」

 吸い込み。

「心臓バクバクで破裂するかと思った」

 そう、彼は月影香子に肩を貸してから彼女が寝付くまで、心拍数が急上昇していたのである。

 例えるならば、二百メートルを全力で走り終えたときのように。

「き、緊張したぁ」

 

 それぐらい、

 緊張していたのだ!


「今思えば俺って、とんでもないことしていたよな」

 山坂浩二は目の前のタイルの壁を見つめながら言った。

「でも、俺があんなことできたなんて」

 彼は月影香子に肩を貸して、体の右半分を彼女に密着させていたことを思い出し、

「…………やっぱり、月影さんだから……?」

 目線を炊飯器に落として自分に問いかける。

「……ほんと、何なんだろうな」

 彼は眉間にしわを寄せ、

「……この、胸が締め付けられるような感じは」

 と呟いた。



 山坂浩二は夕飯を適当に済ませた後、押し入れから別の毛布と布団を取り出し、月影香子とこたつを挟む位置にそれを広げた。

 その後、宿題を終わらせ、歯を磨き、つけっぱなしになっていたテレビの電源を切り、部屋の明かりを消して布団と毛布の下に潜り込んだ。

「寒っ」

 彼は誰に向けてでもなく言い、布団のなかで脚をじたばたと動かし、体を暖める。

 一分ほど続けると、ちょうどいい感じの暖かさになってきたので、彼は脚を動かすのを止めた。

 そして、彼は目を閉じた。

 だが、眠れない。

 月影香子が気になって仕方がない。

「……月影さん。結局俺の部屋に泊まっていくことになるんだな」

 山坂浩二はこたつを見つめながら、その向こう側にいる月影香子を想像して呟く。

「はあ。まあ、仕方ないか。傷だらけの女の子を無理矢理帰すわけにもいかないし」

 彼は体を天井に向け、碁盤状に線が引かれている天井を眺めながら言い、

「あー、もう、どうにでもなれよ」

 と吐き捨て、目を閉じた。

 まったく眠れなかったが、彼は両目をつむったままでいた。




「うう、………ひっく」

 豆電球の明かりがついた部屋で女性のすすり泣くような声が聞こえる。

「……ん? なんだ?」

 山坂浩二は閉じていた目を開け、声のした方向に顔を向けた。

 多分、月影香子のものだろう、と彼は思う。

 すると、再び部屋のなかで女性のすすり泣くような声が聞こえた後、

「……どこ行ったの?……帰ってきてよ」

 という、震えて弱々しい声が山坂浩二の耳に届いた。

 山坂浩二はやや目を細め、

「なんだ? 寝言か?」

 とこたつを眺めながら言った。

 月影香子の独り言は続く。

「…………ずっと、一緒にいるって言ったくせに。…………絶対帰ってくるって言ったくせに」

 嗚咽。

「…………いつまで私を一人にさせておくつもりなのよ」

 いつしか、山坂浩二は彼女の寝言に聴き入ってしまっていた。

 そして、再びすすり泣く声。


「…………こうじ」


 寝言ではあるものの、名前を呼ばれたことに山坂浩二は反応し、上半身を起こして、こたつの向こう側を覗き込む。

 月影香子は彼に背中を向け、玄関のドアに体を向けて横になっていた。

 山坂浩二には彼女がどのような表情をしているのかはわからない。

「……はやく帰ってきてよぉ……」

 鼻をすする音。

「……お願いだから……私を一人にしないでぇ……」

 山坂浩二の目線は自然と下に向いていた。


 自分が責められているようで、

 自分が悪者のようで、

 つらかったから。

 申し訳なかったから。


 それでも、

「……俺は……覚えてないんだ」

 その思いが自然と言葉に出る。

 記憶を失う前の自分への責任転嫁。

 彼女を置いていったのは、今の自分じゃない。

 十年前に月影香子といたことも、

 まだ信じてはいないが、自分が退魔師だったことも、

 覚えていないのだから。


 では、なぜ、

 あの時自分はあんなことを言おうとしたのだろうか。

 昨日の昼休み。

 彼女と手を繋ぎ、正面から向き合ったときに。

 それが。

 自然と口から出ようとした。

 しかし、

 何か変だと思い、言わないように口を閉じた。

 身の危険が迫っていたため、口には出せなかった。


「……くそ、わけがわかんねぇよ」

 山坂浩二は頭を乱暴にがりがりとかいた後、横になって、自分の体に毛布と布団を被せた。

 そして、頭まで潜り込み、目を閉じる。



 月影香子のすすり泣く声は、もう聞こえては来なかった。








今回、退魔師と言うよりは退魔村の壊滅について触れてみました。


話の展開がかなり強引だったと思います。




また、ここまで読んで下さった方はもうお分かりだと思いますが、この物語は『満月の夜』がクライマックスになります。


だらだらと長い話ですが、最後まで読んで下さるとたいへん嬉しいです。






また、今回から少し更新スピードを上げていきたいと思います。


僕自身は現在高三の、いわゆる『受験生』なので、はやいうちに書き終えたいと思っています。



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