表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ムーン・ライト  作者: 武池 柾斗
第四章 悪霊使い編
40/95

第六話 分裂③

 三月九日、水曜日、夜。

 水谷紗夜が訓練場に訪れた頃、その付近の山中で道なき道を駆け回る一人の少女がいた。小柄な彼女は、肩にぎりぎりかからない長さをした黒髪で、上下赤色のジャージを着用し、全身を土や植物の汁で汚している。

 人間を越えた速さで草をかき分けているその少女の名は、柳川友子。退魔師残党の三番手であり山坂浩二のクラスメイト、そして月影香子の親友だ。

 彼女の特徴である大きな瞳は、今は鋭いものに変わっている。退魔師残党の多くの者が戦意を喪失しているなか、彼女は一人で訓練を行っていた。

「……よし!」

 柳川友子は眉間により一層しわを寄せた。

 その直後、急激に足の回転が悪くなり、彼女は前のめりになった。両足から何かが弾けるような音がし、柳川友子の体が地面から離れていく。

 勢いづいたまま空中に身を投げ出された彼女は、前方へわずかに飛ばされた後、失速せずに顔から地表に激突した。

 少女の体が数回転がり、停止する。飛び飛びに押しつぶされていった雑草が、彼女の着地点を表していた。

「い、痛いよ……」

 柳川友子は苦悶の表情を浮かべた。唇は切れ、鼻の穴からは血液が垂れ流しになっている。彼女は両脚を動かさずに、すりむけた両手を使って顔を上げていく。

「はやく……自己回復しなきゃ」

 彼女は奥歯を噛みしめ、両拳を握り込んだ。すると、負傷した箇所すべてから赤い光が発せられ、わずかな時間で傷が塞がっていく。両脚、特にふくらはぎは非常に強く光り、ジャージ越しでもその輝きは確認することができる。

 発光が止むと、柳川友子の穴という穴から汗が噴き出てきた。ジャージは上下とも一瞬で湿り気を帯び、彼女の顎からは大量の水滴が滴り落ちていく。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 彼女は荒い呼吸とともにゆっくりと立ち上がり、後ろを振り返った。鋭い眼光を再び宿し、三メートルほど跳び上がり、空中で急加速。激しい空気抵抗に襲われながら、減速することなく木々の間を縫うように低空飛行で前進していく。

 柳川友子は右手を強く握った。彼女の視線はひときわ太い樹木に向けられている。

「いくよ」

 さらに表情を厳しくした柳川友子は、目線の先にある幹へ突進していった。体の勢いに乗ったまま右拳を突き出す。巨木と衝突した右腕は鈍い音を発し、彼女の体が前へ進むと同時に背中側へむりやり回された。

「あぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 柳川友子の悲鳴が森林にこだまする。

 しかし、彼女は飛ぶことをやめなかった。

 右腕が垂れ下がった状態で、歪みに歪んだ顔で再び加速し、別の木に左拳をめり込ませた。左腕もあらぬ方向に曲がっていく。

「ひぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」

 柳川友子の体はそこで急減速し、回転しながら落下。容赦なく背中を土に叩きつけられる。声にならない声が彼女の喉の奥から発せられ、柳川友子は白目を向いた。仰向けで全身を痙攣させながら、彼女はほとんど意識を失った状態で自己回復を始める。

「あ、あああ……ああ、ア……」

 首を絞められたニワトリのような声が柳川友子の喉から出ていく。全身が赤い光に包まれた彼女は、半ば気を失いながらも損傷した箇所の修復を開始した。霊力の量が少ないのか、光が弱い。しかし、治りの速度は衰えていなかった。

 柳川友子はすぐに意識を取り戻した。

 身体の回復も一分もかからないうちに終え、彼女は寝返りをうってうつ伏せになった。そして大量の汗を放出しながら、這いずって前へ進み始めた。

「ウウ……オエア……オウ、オオ」

 酸素を求める彼女の声はもはや原型をとどめておらず、また弱々しい。まさに風前の灯火だった。

 虚ろな目で、ジャージに土をなすりつけながら、彼女が向かう先。

 そこには水色で少し大きめのリュックサックがあった。

 柳川友子の目に、それ以外は映っていないようだった。

 やがて彼女がそのリュックサックにたどり着くと、目の色を変えて一心不乱に中身を探り、二リットルのペットボトルを取り出した。ラベルには有名なスポーツドリンクのデザインが施されていて、中身もそれに見合うものだった。

 柳川友子は地面に伏せたまま、ペットボトルのキャップを狂ったように開け、必死の形相で中身の液体を口に注ぎ始めた。

「んぐんぐんぐ」

 口の端から甘い液体がこぼれていくことも厭わず、彼女は喉を鳴らし続ける。口から溢れ出たドリンクは雫となって土へと落ちていく。

「ふはあ!」

 容器の半分ほどを体内に入れた柳川友子は息を吹き返したかのような声を上げた。

「はあ、はあ、はあ」

 呼吸も次第に落ち着きを取り戻していく。

 彼女はペットボトルのキャップを閉めると、再びリュックサックの中に手を入れた。少しの手探りの後、柳川友子が取り出したのは、中身がたくさん入ったコンビニのレジ袋だった。

 その中には惣菜パンや菓子パン、おにぎり。小柄な少女が食べるのには多すぎるくらいの分量があった。

 しかし、彼女は商品の袋を破っては食べ物を口に詰め込み、また破っては口に詰め込むことを繰り返していた。食べカスをまき散らし、ケチャップや米粒を口の周りにつけたまま怒涛の勢いで捕食していく。その勢いは止むことを知らず、全部で十品以上あった食べ物は瞬く間に完食されていた。

 食品の袋を辺りに放置したまま呼吸を整え、柳川友子はうつ伏せの状態で呟く。

「今日は、このくらいにしよう」

 彼女は息を吐いて体を起こし、すぐそばの樹木に背中を預けて腰を下ろした。柳川友子の目線は下を向いている。そこには褐色の土と枯れた落ち葉と雑草くらいしかない。

 柳川友子は両手を握り、開く。

「アタシは確実に強くなってる。重傷から回復したときに霊力の最大値が上がるっていう、三日前のアタシの勘は間違ってなかった」

 両手を再度閉開し、虚ろなまなざしをその両手に向けて口元を上げる。

「へへっ。この調子なら、月影さくらに対抗できるようになるね。もう、非力なんて言わせないから」

 光のない瞳とともに、うっすらと笑みが浮かんでいく。

「アタシは、パートナーがいなくても大丈夫なんだから。一人で戦えるんだから。霊力もなくて小柄でも、速さと霊点突きでみんなの役に立てるんだから」

 そこで、彼女の笑みが消えた。

「でも、まだ足りない」

 両手が強く握られる。

「月影さくらを殺すには、まだ霊力とパワーと頑丈さが足りない」

 虚ろな目が、強固な決意を物語る。

「明日もまた、アタシはアタシを壊して、直す。そして、もっと強くなるよ」

 狂った笑みが、柳川友子の表情を支配した。




 そして次の日。三月十日、木曜日、朝。

 自宅で起床した柳川友子は、朝食をとることもなく、まだ眠っている柳田秀と水谷紗夜の分の食事を用意することなく、身支度を整えるとすぐに学校へと向かっていった。

 少し前までは月影香子との待ち合わせ場所だった公園を素通りし、山坂浩二と合流することもなく未来橋を渡り終えた。

 通勤通学の人々で賑わっている未来橋周辺。だが、柳川友子は活力のない視線を道路に落とし、ゆっくりとした足取りで道を進んでいる。自動車や自転車、歩行者とすれ違い、また追い越されながら、彼女は歩いていく。

 柳川友子が学校に着いたのは、始業時刻の十分前だった。

 慌てた様子で校内を駆けていく徒歩通学の生徒。校門を抜けて駐輪場へと向かっていく自転車通学の生徒。校門前に立って挨拶をする教員たち。毎日のように繰り返される朝の光景の中で、柳川友子という少女もそこに溶け込んでいく。

 校舎に入り、中央階段を上って二階へと到達する。廊下で話し込んでいる女子グループの横を通り過ぎ、彼女は一年五組の教室の前で足を止めた。

 目線が下りていく。目も半分程度までしか開いていない。柳川友子は扉を開けるのを躊躇っているようだが、彼女はすぐに頭を左右に振り、両頬を二回軽く叩いた。

「みんなの前くらいは、いつも通りにしなきゃ」

 柳川友子はそう呟いて両目を大きく開いた後、深呼吸をし、わずかな間を置いてから教室の前扉をスライドさせた。

「おはよう!」

 彼女の元気な声が教室内を通っていく。教室内のほぼ全員の目が柳川友子に向けられる。すぐに目線を戻した生徒もいるが、彼女に顔を向けている者もいた。

「あ、おはよう友子!」

 真っ先に言葉で反応したのは、教卓を囲んで談笑している女子四人組だった。全員が柳川友子に挨拶を返した後、彼女たちは再びテストの話に花を咲かせ始める。

「柳川さん、お、おはよう」

 次に話しかけてきたのは、廊下際の最前列の机に座っているやや身長の高い男子生徒だった。柳川友子は彼のほうに素早く体を向けた。

「あ、朝倉。おはよう。なに? アンタまた徹夜で詰め込んできたの? クマできてんじゃん!」

「いや、でも、普段はほとんど勉強してないから、直前で頑張らないとテストやばいんだよ」

「もう、バスケばっかりやってるからだよ。普段からコツコツやっときなよ。そのほうが絶対にいいって」

「そ、そうだな。気を付けるよ」

 右手で髪を触りながら赤面する朝倉。そんな彼に柳川友子は明るい様子で言葉をかけていく。

「それ何回目かな? まあいいや。テスト頑張ってね」

「お、おう」

 その男子生徒との会話を終えた後も、柳川友子はクラスメイト達と挨拶を交わし、短い会話をしながら自らの席へと向かっていく。

 そして、最後に一人の男子生徒と目が合った。

 山坂浩二だ。

 彼の目は力なく開いていて、活力というものを感じられない。誰に向かうものであっても、その目線は冷たいものでしかなかった。

「あ……」

 柳川友子の表情が一瞬にして曇る。教室に入ってから被っていた仮面がいともたやすく剥がれ落ちた。

 自分の後ろの席の山坂浩二に、彼女は何かを言おうとしている様子だが、山坂浩二は柳川友子からすぐに目を背けて窓の外の景色に見入ってしまった。

 柳川友子は肩を落とす。落胆する様を他の生徒に見られないように彼女はそそくさと自分の席につき、学生鞄を机の横にひっかけて力尽きるように顔を伏せた。

 柳川友子と山坂浩二。クラスメイトとして、退魔師として交流を深めてきたはずの二人の間には、深い溝が形成されてしまっていた。

 やがて三日目の期末試験が始まった。柳川友子は終始、意識が朦朧とした状態で問題用紙と解答用紙に向かっていた。彼女の字は薄く、また大きく歪んでしまっている。解答の成否にかかわらず、彼女にとってはこの試験は解答欄を埋める作業でしかなかった。

 三つ目の試験が終わると、教室はテストの出来についての会話で賑やかになっていた。その中で、柳川友子は会話には加わらず、カバンを持って一目散に教室から出て行った。

 彼女は教室から抜け出した後、早歩きで中央階段へと向かっていった。そのとき、一人の女子生徒が彼女の視界に入り、柳川友子は足を止めた。

 柳川友子は目を見開いて、無言だった。

 腰を少し通り過ぎる長さのポニーテールで長身の、その女子生徒も無言だった。

 ほんの数秒間、二人は距離が開いたまま目線を合わせていた。だが、意志の強いその目から、柳川友子は顔を背けてしまう。

 柳川友子はそのまま中央階段へ行き、一階へと下りていった。

 月影香子は、黙って彼女の背中を見届けていた。

 光を宿したその目で。




 柳川友子は学校から帰宅した後、三時間ほど睡眠をとり、大きなリュックサックを持って外出した。柳田秀と水谷紗夜は、彼女が帰宅したときから不在だった。

 近くのコンビニエンスストアでパンやおにぎり、スポーツ飲料を大量に買い込んだ彼女は、それらをリュックサックに詰め込み、人目のつかない場所まで移動した。そして不可視の状態になり、訓練場のある方向へ飛び上がっていった。

 そして今日も、柳川友子は山に籠って自らを痛めつける。血が出ようが、肉が千切れようが、骨が折れようが、彼女はそのたびに自己回復を行って苦行を続ける。

「あは、あはは。あはははははははははははははははははははははははは!」

 歪んだ笑い声が森の中にこだまする。

「アタシはもっと強くなれる! 才能なんてなくったって、頑張れば月影さくらにも負けないようになれる! だってアタシは! こんなにも強くなってるんだからああああ!」

 もはや正気だとは考えられない柳川友子。

 身も心も壊れていく彼女を、止めてくれる者などいない。

 今はまだ……。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ