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ムーン・ライト  作者: 武池 柾斗
第二章 残党編 
22/95

エピローグ 明かされた真実と有明の月

「……じさん。浩二さん」

 山坂浩二はその声を聞いて、ゆっくりと目を開けた。彼の目に映ったのは柳田秀。彼は山坂浩二の肩に手を置いて体を揺らしていた。はじめのうちは柳田秀の表情に余裕が見られなかったが、山坂浩二が意識を取り戻したことを確認すると、

「目が覚めましたか、浩二さん」

 と言って、ふっと表情を緩めた。

 山坂浩二は首を小さく縦に動かし、柳田秀に答えた。そして、目線を彼から外して天井の照明を眺め始める。

(そっか。俺は……負けたんだな。まあ、今の俺が勝てるほど、甘くはないか)

 彼は柳田秀に視線を向けた。彼の柔らかな表情は、戦いの最中は快く思わなかったが今となっては山坂浩二に安心を与えてくれた。柳田秀のワイシャツは、左肩の部分が血で汚れていたが、さほど大きな傷ではないようだ。

 それよりも、心配なのは山坂浩二のほうだった。目立った外傷はないものの、体中が痛む。気力が尽きたことで、一人では体を動かすことがままならない。学ランも破け、山坂浩二には修復が不可能な状態になっていた。

(あーあ。これで二着目だ。予備の学ラン、あと一つしかないよ)

 山坂浩二はため息をついた。気を張った状態が長く続いたためか、癖であるそれも随分と久しぶりのように感じた。

 体はぼろぼろなのに、気持ちだけは変に落ち着いていた。

「浩二さん、大丈夫ですか」

 柳田秀がそう尋ねると、山坂浩二は静かに「はい」と答えた。

「では、少し場所を移しましょう。こんなところで寝たら風邪を引いてしまいますのでね。あと、あなたと香子さんには話さなければならないことがあります。悪いですが、眠りにつくのはもう少し待ってもらいますよ」

 柳田秀はそう言うと、山坂浩二の肩を掴んで彼の上半身を起こし始めた。山坂浩二も微力ながら手伝う。

「これからの僕たちにとって、とても重要なことですから」

 彼の体が起き上がると、柳田秀は自分の右肩に山坂浩二の右腕を回させた。ついでに左腕を山坂浩二の背中に回して体を支えてあげた。

「では、立ちますよ」

 二人の頭がその位置を高くしていく。山坂浩二はたまらず表情を歪めて「痛い痛い」と声を漏らした。柳田秀は山坂浩二に、

「大丈夫ですか」

 と声をかけたが、彼は無理やり笑みを浮かべて、

「まあ、なんとか……」

 と答えた。

 山坂浩二は柳田秀に支えられながら前へと進み始めた。柳田秀がいなければ、山坂浩二はその場に崩れ落ちてしまいそうだ。二人が歩む速さは遅いどころではなかった

 二人が進む先には大きな結界がある。山坂浩二はそれがとても遠いところにあるように感じた。

 だが、

(あのなかに、香子がいるんだな……。やっと、会えるんだな……)

 そう思えば歩けないことはなかった。

 結界との距離が縮まっていく。その途中、柳田秀が山坂浩二に声をかけた。

「浩二さん」

「……なんですか、柳田さん」

「秀で構いませんよ」

 柳田秀は小さく息を吐いた。そして続ける。

「すみませんでした。こんな手荒なことをしてしまって。今考えれば、他にも方法はあったんじゃないかと思います。普通に浩二さんとお会いして、香子さんとも話をつけて、それから運命に立ち向かっていく。そうするべきでした」

 柳田秀の表情から笑みが消えた。山坂浩二は弱々しく首を横に振った。

「いいんですよ。もう、過ぎたことですから。それに、今回のことで、俺は退魔師であることへの意識を改めることができましたから。戦うということを、俺は甘く見すぎていました。今日、俺は自分自身でもかなり成長したなと思います。柳川さんや秀さんのお陰です」

 山坂浩二のその言葉を聞いた柳田秀は笑みを取り戻した。

「そう言って頂けると光栄です。ですが、僕や友子さんだけではなく、紗夜さんや他のみんなのことも忘れないであげてください。確かに、この計画を立てたのは僕ですし、もっとも働いてくれたのは友子さんですが、実行したのは退魔師残党のみんなで、ですから」

 柳田秀は結界を見上げた。

「あの大きな結界だって、男性全員の霊力を使って張っています。僕一人であれを張るのはさすがに無理です。それに、友子さんが香子さんの霊点を突けたのも、彼らが霊力を提供してくれたからですし、結界内で香子さんと戦ってくれたのは、友子さんを除いた女性全員です」

「そうなんですか……」

 山坂浩二は小さく相槌を打った。

「あの、一つ聞いてもいいですか?」

「はい、なんでしょう」

「霊点って、何なんですか?」

 山坂浩二がそう尋ねると、柳田秀は目線を前に向けたまま答えた。

「霊点というのはですね、簡単に言えば、霊力が集中している場所のことです。霊力の拠点ともいえますね。僕らの体にも存在しますし、雑霊や悪霊にもあります。霊点を集中的に攻撃することで霊力が大量に流出し、結果として多くの霊力を削ることができます。香子さんが気を失ったのも、友子さんに霊点を突かれたからです。あれがなければ、香子さんをさらうことなんてできませんでしたよ」

 柳田秀は小さく息を吐いた。

「友子さんは本当によくやってくれました。香子さんに敵意を向けられるなんて恐怖でしかありませんしね。ですが、霊点突きは彼女にしかできません。友子さんの見極める力と速さがあってこその霊点突きです。その二つに関しては、香子さんにも負けていません。友子さんがいなければ、香子さんを連れ去ることができず、この計画は破綻していたに違いありません」

 柳田秀からこぼれたのは、小さな笑い。

「本当に、友子さんは尊敬できる方です。彼女だけパートナーがいませんし、霊力は退魔師残党のなかでは小さい部類に入ります。ですが、浄化任務ではいつも一番の働きをしてくれます。僕らの見えないところで、努力をしていたのでしょう。それに、僕らは、僕と僕のパートナーである紗夜さんと、友子さんの三人で暮らしていますが、友子さんは家事のほとんどをやってくれます。彼女がいなければ、僕らの家は荒れ放題でしょうね」

 柳田秀は咳払いをした。

「すみません、話が逸れましたね。他に、何か聞きたいことはありませんか?」

 山坂浩二は首を左右に振った。

「いえ、特にありません。あるにはあるんですけど、それはたぶん、秀さんがこれから話そうとしていることでしょうから」

「……そうですか。では、あと少しですから、頑張って歩きましょう」

 山坂浩二は苦笑いをする。

「わかりました」

 その言葉の後、二人は無言のまま歩いた。山坂浩二は内心、まだあんなに歩くのかと思いながら、ため息をついた。




 結界に着くと、柳田秀は、

「では、このまま中に入りますよ」

 と言って、そのまま歩いた。山坂浩二は、

(結界にぶつかったりしないよな……)

 と心の中で呟いたが、柳田秀を信じ、抵抗せずに足を前に出していった。体が青い壁をすり抜けていき、すんなりと結界の中に入ることができた。

「あー、これはひどいですねー」

 そこに広がる光景を目の当たりにした柳田秀は、笑いを漏らした。その笑いは、おそらく呆れからきたものだろう。

(たしかに、これはやばいな……)

 山坂浩二も彼の言葉に同意した。

 結界内に入った二人が見たのは、足を向け合って倒れている紗夜と月影香子だった。彼女たちの服は破けたり血で汚れたりしていて、人前ではもう着ることができない状態になっていた。そして、あたりを見回すと、結界に背中をもたれさせて座ったまま眠っている柳川友子の姿も目に入った。

「とりあえず、彼女たちを起こしましょう。浩二さんはここに座っていてください」

 柳田秀はそう言うと、しゃがんで山坂浩二を座らせ、背中を結界にもたれさせた。そして柳川友子のもとへと向かっていった。

「友子さん、友子さん。起きてください。友子さん」

 柳田秀が柳川友子の肩を揺さぶると、彼女は不機嫌そうに唸りながら目をうっすらと開け、そしてはっと気づいたかのように目を見開いて結界から背中を離した。

「あ、しゅ、秀さん。すいません。アタシ、いつの間にか寝ちゃってたみたいで……」

 柳川友子が慌てたようにそう言うと、柳田秀は、

「いいんですよ。もう三時を過ぎてますし」

 と言って穏やかに笑い、

「本来ならば寝なければならない時間ですが、まだ残っていることがありますので、すいませんが手伝っていただけませんか」

 柳川友子は頷いた。

「わかりました。で、何をすればいいんですか?」

「まずは、紗夜さんと香子さんを起こして、浩二さんのところまで運びましょう。浩二さんと香子さんを説得するのはその後です」

「はーい」

 少しの会話の後、柳田秀と柳川友子は立ち上がり、床に倒れている紗夜と月影香子のもとへと歩き出した。そして、柳田秀は紗夜を、柳川友子は月影香子を起こしてそれぞれ肩を貸した。その後、四人は歩いているといえる速さで山坂浩二のところへ向かい始めた。

 それぞれ会話をしているようで、柳田秀と紗夜は、

「ごめんね、秀ちゃん」

「いえいえ、気にしないでください紗夜さん。それに、謝るのは僕のほうです。香子さんと一人で戦うのは怖かったと思います。なのにそんな無茶なことを言ってしまって、本当に申し訳ありません」

「いいのよ、もう。でも、香子ちゃんと戦うのは怖くなかったわ。むしろ楽しかった。私にとっても、いい訓練になったと思う」

「そうですか。なら、よかったです」

 といったような話をし、月影香子と柳川友子は、

「悪いわね、友子。なんか杖みたいにしちゃって」

「べつに気にしてないって。身長は低いけど、胸はアタシのほうが大きいし」

「それは関係ないでしょ。それに、友子だって小さいほうじゃない」

「まあね」

 と言葉を交わし、二人で紗夜の豊かな胸元を見て、

「はあああ」

 と、同時に深いため息をつくのであった。

 四人が山坂浩二のもとへとたどり着き、山坂浩二と月影香子の目が合うと、二人は力が抜けるかのように微笑んだ。

 山坂浩二が感じていた疲労は、彼女に会えた喜びと安心感に塗り変えられていった。離れてから半日も経っていないのに、随分と久しぶりに会ったような錯覚。彼女がいる光景は、山坂浩二にとっては格別なものだった。

「ひっでぇ顔だな、香子」

 山坂浩二の言葉に笑いが混ざる。これを言った後に、

(会って最初に言う言葉じゃないよな、さっきの)

 と後悔したが、月影香子はそれを気にする様子を見せなかった。山坂浩二の冗談めいた言葉に月影香子も、

「浩二だって、みっともない格好ね」

 とふざけたように言い返した。この二人のやりとりが微笑ましく映ったのか、他の三人は口元を緩めていた。それから訪れたわずかな静寂の後、柳田秀は紗夜の肩から手を離し、右手で山坂浩二の左隣を示した。

「では、香子さんもそこに腰を下ろしてください」

「……わかったわ」

 月影香子がそう答えると、彼女は柳川友子に支えられながら言われたところに移動し、ゆっくりと座った。山坂浩二とわずかに距離を開けて、結界に背中を預ける。

 柳川友子は柳田秀と紗夜のもとへ戻った。

 これで、二体三で向かい合う形になった。

「まずは、自己紹介をさせていただきましょうか。僕は、退魔師残党のリーダーを務めさせていただいてる、柳田秀と申します。こう見えて実は二十九歳です」

「え?」

 山坂浩二は驚きのあまり声を漏らした。

(俺より十三歳年上じゃないか。もっと歳は近いと思っていたのに……。まさか、あのきれいな人ももしかして)

 彼は紗夜に目を向けた。

 すると、紗夜はそれに気づき、山坂浩二に体を向けて軽く頭を下げて口を開いた。

「水谷紗夜です。秀ちゃんのパートナーで、退魔師残党の副リーダーです。香子ちゃんをさらった時、大きな斧を使っていたのは私です。ちなみに、だれも信じてくれないんですが、私も秀ちゃんと同じ二十九歳です」

(やっぱりそうか!)

 山坂浩二は心の中で叫びながらも、水谷紗夜に頭を下げた。

(嘘だよー。どう見ても二十歳にしか見えないよ。二十九とかもうおば、いや、おねーさんだよ。近寄りがたいなぁ)

 彼がそんなことを考えているなか、柳田秀と水谷紗夜は柳川友子に目を向けた。二人に見つめられた彼女は目を閉じてため息をつき、山坂浩二に視線を移した。

「柳川友子です。一応、退魔師残党での立場としては、三番手です」

 彼女はやや不満そうに言った。

 三人がそれぞれ自己紹介を終えると、

「では、自己紹介が終わったところで、本題に入ります」

 柳田秀がそう言うと、周囲の空気が急に重くなった。

「まずは、退魔村壊滅の真相から話します。僕らは十年前まで退魔村、正式には日吉村というところに暮らしていました。日吉村は山奥にあり、人口は千人ほどの村で、表の顔は農村でしたが、裏の顔は浩二さんがご存知のとおり魔物を浄化する退魔師の集団でした。そこで、今から十三年前にある事件が起きました。そのときから既に、退魔村は崩壊へと向かっていたのかもしれません」

 水谷紗夜の表情が曇る。

 柳田秀は続けた。

「その事件は、退魔村百年に一度の天才と言われた二人組によって起こりました。彼らはその時、まだ六歳でした。そしてある夜、その二人は浩二さんと香子さんの両親を殺害し、さらにそれを止めようとした四人の退魔師の命をも奪い、村から逃亡しました。その動機は今も不明なままです」

 山坂浩二はつばを呑んだ。

「そしてそれから三年後、つまり今から十年前、桜がひどく美しかったあの満月の夜に、大量の悪霊が村に攻め込んできました。それによって村は壊滅しましたが、実は、あれは単なる悪霊の襲撃ではなかったのです。あの襲撃は、その三年前に村から逃亡したあの二人組によるものだったのです。彼らは、悪霊を操る術をどこかで身につけていたのです」

 山坂浩二の心拍数が上がる。

「そして退魔村が壊滅した後、村から逃げていた僕らはその二人組に見つかりました。彼らは意識を失っていた浩二さんと香子さんを僕たちの前に放り投げてこう言いました。」

 柳田秀は一呼吸置いた。

「退魔師としての力を捨てたら命だけは助けてやる。退魔師として生きたいなら、浩二と香子をこれからずっと会わせるな。浩二は記憶と力を失っている。浩二が香子と会えば、浩二は力を取り戻すだろう。もし浩二が力を取り戻したら、その次の満月の夜に、浩二と香子、そして退魔師の力を捨てなかった者全員を殺す、と」

 柳川友子は山坂浩二から目線を逸らした。

「それで、退魔師として生きることを選んだのは僕ら三人を含めた十七人だけでした。ここから先の話は、友子さんから聞いていますよね」

 山坂浩二は無言で頷いた。

 柳川友子も、

「そこから先は全部話しました」

 と言った。

「では、肝心の二人組みの話をしましょう。ここ日本には霊能者協会というものがありまして、僕らはそこから与えられた浄化任務をこなして報酬をいただいています。任務には除霊・浄化のほかに、力を悪用する霊能力者を捕らえる、もしくは抹殺するといったものもあります。退魔村を滅ぼしたあの二人もかつては後者のリストに載っていました。ですが、今から三年ほど前に二人はそのリストから除外されました」

「その二人は、捕まったんですか?」

 山坂浩二がそう尋ねると、柳田秀は首を横に振った。

「いいえ、違います。あの二人は、危険すぎるがゆえにリストから外されたのです。これは、協会始まって以来のことだそうです。二人を捕らえようとした腕利きの霊能力者たちは、全員帰ってはきませんでした。しかし、あの二人は刺激しなければ害はないということはなんとなくわかっていました。ですから、協会は二人の存在を秘匿することに決めました。おかげで、あの二人の存在を知るのは、僕たちを含めた一部の者だけです。下手に二人を刺激する輩が出てきては、日本が壊滅するかもしれませんしね」

「日本が、壊滅する?」

 山坂浩二は声を漏らした。

「ええ。ですが直接的に、ではありません。確かに、二人のうち、男性のほうは莫大な数の悪霊を操りますし、彼自身にも大きな霊力と戦闘能力があります。女性のほうは悪霊を直接的には操ることができませんが、彼女には香子さん以上の霊力と戦闘技術があります。おそらく、近接戦闘においては日本最強でしょう」

 柳田秀は小さく息を吐いた。

「ですが、彼らのもっとも恐ろしいところは、保有する悪霊の数です。悪霊の最も恐ろしいところは、周囲に穢れや負の感情をばら撒き、人の心を汚すところです。心に穢れが溜まると人は負の感情に沈み、場合によっては犯罪行為に走ります。度が過ぎると、人の魂が悪霊化して自殺します。自殺行為というのは、悪霊化した魂が肉体という呪縛から逃れるための手段なのですよ。ですから、彼らの支配する悪霊がすべて解き放たれれば、日本は三日も経たないうちに終わりを迎えるでしょう」

 山坂浩二の体が震えた。

 それは決して寒さからくるものではなく、恐怖によるものだった。

 柳田秀は続ける。

「僕らは、そのような危険人物に命を狙われているんです。このままでは、僕らは殺されてしまうでしょう。その運命に抗うためには、浩二さんと香子さん、二人の力が必要なのです。そして、あなたたちも、僕らの力がなければ運命から逃れることはできません。今回の目的は、浩二さんと香子さん、そして僕たちの実戦訓練でした。そして、あなたたち二人だけではあの二人に立ち向かえないことを香子さんにわかってもらいたかったのです」

 月影香子は腕組みをして、両目を閉じた。

「ふうん、そういうことだったのね。まあ、確かにあたしたち二人だけじゃ無理かもしれないわね。浩二を強くして、あたしたち二人であいつらを殺そうと思ってたんだけど、あたしだけじゃ浩二に教えられることには限度がある」

 彼女は左目を開けて柳田秀を見上げた。

「で、秀さんは結局、あたしと浩二になにが言いたいわけ?」

 月影香子は口元を上げて尋ねた。

 柳田秀は息を吐いて肩を少し下げた後、頭を下げた。

「僕たちと、手を組んでくださいませんか? 今までのことは本当に申し訳なく思っています。ですから」

「別に、あたしはもう怒ってなんかいないわよ」

 柳田秀の言葉を、月影香子が遮った。

 彼女は続ける。

「いつまでも過去のことを根に持つのは、こどものやること。あたしはそこまでこどものつもりはないわ。紗夜さんと殴り合ってたら、秀さんたちがやってきたことなんてどうでもよくなっちゃった。今は、浩二もいるし」

 彼女はため息をついた。

「あたしは、あんたたちと手を組むか組まないかは、どっちでもいい。浩二に任せる。」

 月影香子はそう言って山坂浩二に目を向けた。

 他の三人も、釣られるように彼に視線を移す。

 あまりにも急だったので、山坂浩二は戸惑ったが、彼の答えは聞かれる前から決まっていたようなものだった。

「お、俺は、秀さんたちと手を組みます。退魔師についてまだまだ知らないこともあるでしょうし、なにより、頼りになる仲間が増えるのは心強いですし」

 山坂浩二は柳田秀に右手を差し出した。

「よろしくお願いします、秀さん、水谷さん、柳川さん」

 彼の言葉を聞いて、その三人は安心したかのように表情を緩めた。柳田秀は山坂浩二の手を右手で握った。

「よろしくお願いします、浩二さん」

 そして、左隣の月影香子は鼻で笑った。

「決まりね。じゃあ、あたしも、秀さんたちと手を組みます。でも、一つ条件があります」

「なんですか」

 月影香子は、三人の目をそれぞれ見上げていき、

「今後絶対、あの二人があたしたちを殺そうとしていることを、『運命』だなんて言わないでください。運命って言葉、諦めてるみたいで嫌いだから」

 と言い放った。

 柳田秀と水谷紗夜、柳川友子の三人は目を合わせて頷いた。無言で決定した彼らの総意を、柳田秀が代表して伝える。

「わかりました。今後、そのことを運命だなんて言いません」

「ほんとに?」

「本当です」

 月影香子は柳田秀の目を数秒睨むと、小さく息を吐いて目を閉じた。

「わかりました。今日からお願いします」

 彼女はそう言って右手を柳田秀に差し出した。彼はその手を掴んで、握手を交わした。

「よろしくお願いします、香子さん」

 二人の手が離れる。月影香子は再び口を開いた。

「それと、秀さん、紗夜さん。あんな乱暴な口きいてすいませんでした。それと友子。あんなひどいことしてごめん」

 彼女からの思わぬ謝罪に、三人は呆気にとられたような顔をして数秒間なにも話さなかったが、やがて表情を緩め、

「いいんですよ」

「謝るほどのものじゃないわよ、香子ちゃん」

「あ、あれは、アタシも悪かったと思うし、アタシこそごめん」

 と、それぞれ言葉を返した。

 そして、五人の間に静けさが訪れた。

 その静寂を破ったのは、山坂浩二だった。

「……それで、誰なんですか?」

「え?」

 山坂浩二はそう尋ねたが、その声は小さくて柳田秀には聞こえなかった。しかし、彼の言葉はその場の空気を再び重いものへと変えた。

 彼はそれを自覚しながら、もう一度言う。

「誰なんですか。その、俺たちを殺そうとしている二人は、俺と香子の両親を殺して退魔村を壊滅させた二人の名前は、いったい何なんですか」

 山坂浩二の言葉で、柳田秀、水谷紗夜、柳川友子の表情が曇った。

 月影香子は、眉間にしわを寄せて歯軋りをしていた。

 その音だけが、五人の間を通っていく。

 長い沈黙。

 そして、柳田秀はその重い口を開いた。


「二人の名は……。月影さくらと、山坂宗一」


 山坂浩二は目を見開いた。


「香子さんのお姉さんと、浩二さんのお兄さんです」






 夜明けが訪れる。日の出を迎えていないものの、暗闇は失せ、代わりに光が世界を満たし始めようとしていた。

 しかし、西の空には月が出ていた。

 満月かと思い違えるほどの形。色。明るさ。

 そして、空低くに浮かぶので、かなり大きく見える。

 このように、夜明けを迎えてなお空に残る月のことを、『有明の月』という。山坂浩二が訓練前に言っていたように、月は一日ごとに出るのが五十分ほど遅くなるので、満月の次の日あたりからこのような月を見ることができる。

 この有明の月を背に、ある二人が高台の崖付近にいた。

 二人がいる場所には緑色をした草が短く生え、辺りを埋め尽くしている。二人のうち、男は草むらに腰を下ろし、女は男の右隣に立って眼下に広がる景色を眺めていた。山坂浩二たちが暮らす圭市は、いかにも田舎の地方都市といった姿だ。

 男は黒衣を身に纏い、その間からわずかに見える衣服も靴もすべて黒。黒衣は長く、彼が立てば足首まで届くだろう。彼はなかなか整った顔立ちをしていて、髪は目を通り過ぎ、耳を隠すほどの長さ。全体的に、男性としては細い。

 女は袴姿だ。上衣は白く、下は赤い。靴は履いておらず、代わりに地下足袋を履いている。彼女はかなり整った顔立ちをしている。彼女の黒髪は肩までの長さで、その白いうなじを際立たせている。身長もそれなりに高い。出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるというスタイル。モデルと言われれば納得してしまう人もいるだろう。

 冬の風が二人の髪を揺らしていった。

 そして、女が口を開く。

「香子と浩二が、残党と手を組んだようだね、宗一」

 彼女がそう言うと、宗一と呼ばれた男、日本を負の感情で破滅させる力を持つその男、山坂宗一は目線をそのままにして、

「ああ、そのようだな、さくら。これで、ようやく次の段階に進めるってわけだ」

 と言った。

 さくらと呼ばれた女、近接戦闘では日本最強と言われるその女、月影さくらもまた景色を眺めたまま、

「今まで長かったね。でも、あと一ヶ月、次の満月の夜で、わたしたちの計画は終わる。そう考えると、なんだか嬉しいよ」

 と、凛々しい笑みを浮かべた。

「ああ、そうだな。でもなあ、このまま顔を合わせずに満月の夜を迎えるっていうのもな。おもしろくねーよな」

「そうね。やっぱり、何回か会ったほうがいいのかな」

 山坂宗一は首を横に振る。

「いや、一回でいいんじゃねーか。そのほうが盛り上がる」

「確かにね。でもそれなら、会うのはいつにするかを考えないと」

「別に、今考える必要はないだろ。すぐに会いに行くってわけでもないからな」

「そう言われればそうだね。今会ったら興ざめだね」

「だな」

 二人は少しの間無言になった。決して柔らかではない笑みを浮かべる二人には、生きている動物はおろか霊的存在も寄り付かない。

 彼らの本能が、この二人は危ないと警告していた。

「それにしてもさ」

 月影さくらは口を開いた。山坂宗一は彼女に顔を向ける。

「会うってなったら、月影姉妹と山坂兄弟の感動の再会って感じになるのかな」

 彼女がそう呟くと、山坂宗一は鼻で息を吐いた。

「たぶん、ならねーよ。香子はさくらのことを殺したいようだし、浩二はおれのことを覚えてない。今の浩二はおれのことを、超危険人物みたいに思っているだろうから、感動の再会ってよりもむしろ殺意溢れる再会になるだろうな」

「まあ、それはそれで面白くなりそうだけど」

「残党が関わってくれば、もっと楽しくなる」

「へえ。じゃあそうする?」

「どっちでもいい」

 二人は少しの間見つめ合い、再び景色を眺め始めた。

「でもやっぱり、一番楽しみなのは、満月の夜だよね」

「異議なしだな。浩二のやつは別人みたいに強くなるし、香子もさくらと同じくらいまで霊力が上がる。それに計画の最終段階の実行日だし、楽しみじゃない訳がねーよな」

「そうだね。わくわくしてくるよ」

「ああ。それと、あいつらと会う日があることも忘れんなよ」

「わかってるって」

 そして、二人はある一点を見つめ始めた。山坂宗一の視線の先には山坂浩二のアパート。月影さくらの目線の先には月影香子のアパート。

「浩二、香子」

 二人は笑った。

「会う日が楽しみだなあ」


 有明の月を背に。 

 禍々しい月光ムーン・ライトを浴びて。

 ただ邪悪に。


 笑った。







 第2章《残党編》はこれで完結です。


 いやー、長かったなあ。シナリオ自体はそこまで長くないのですが、構想にかなりの時間を使わさせられた話だったと思います。プロット変えたり、戦闘シーンを何度も書き直したり、結構大変でした。


 さて、この第2章のテーマは、『わかるようでわからない』、『受動的から能動的へ』、『笑い』です。

『わかるようでわからない』は文字通りです。例えば、物語の全体像だったり浩二君の戦う理由だったり、読者様によっても違うかもしれませんが、この第2章ではそういう場面、ものがちらほらと出てきたと思います。よければ、思う存分考えてみてください。

『受動的から能動的へ』も文字通りです。浩二君は訓練当初は香子さんに言われてやっている感じでしたが、友子さん、秀さんへと教官が変わっていくうちに自分からやるようになっていきました。戦う動機の中心も、香子さんから自分へと移り変わっていきましたしね。

 最後の『笑い』は、人はいろんな状況で笑いますが、笑いがあらわすものは喜びや優しさだけでなく、ときには侮蔑や悪巧みなどのときもあります。この話では、香子さんに侮蔑の笑みをたくさん浮かべていただきました。


 さらに、第1章《覚醒編》が五日間のダイジェストであったのに対し、この第2章《残党編》はほぼ一日の出来事というないようにしてみました。ですが、今読み返してみると、覚醒編の出来がひどい……。最後のあたりは面白く読めるのですが、それ以外は書いた本人ですら目も当てられないのです。ですから、内容はあまり変更せずに、文章を書き直すということをいつかする予定です。


 では、ちょっとだけ次回予告を。

 次の章は、読了時間一時間ほどの短編が三つあります。独立ではなく、ちゃんと繋がっているのでご安心を。十一月の中旬にプロローグを更新します。できれば、一つ目の話も投稿したいですね。


 それでは、ここで感謝の言葉を。

 拙作をお気に入り登録してくださった方々。あなた方の存在が執筆のエネルギーになり、第2章を無事書き終えることができました。本当にありがとうございます。これからも浩二君や香子さんたちの物語を見てあげてください。

 評価してくださった方。跳び上がるほど嬉しかったです。これからも執筆頑張りますのでよろしくお願いします。

 高校時代の友人達。あなたたちのアドバイスが今生きている(つもり)です。ありがとう。

 そして、ここまで読んでくださった方。本当に、本当にありがとうございます。


『ムーン・ライト』はまだまだ続きます。作者的には後になるにつれて面白くなっていきます。作者自身も成長するつもりです。


 それでは、今回はこのへんで。また、次の章で会いましょう。



 2012年9月16日(日)  武池 柾斗




※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、事件等とは一切関係ありません。

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