7話 このマンガ人死にすぎ! 推理マンガ生存ファイル
「このマンガ人死にすぎ!」
ひとまず形になった分厚いファイルを前にして、心からの叫びが漏れ出た。
言ってしまってから、口を押さえる。さっきお母さんが帰ってきたところだった。
「まさか、お母さんに聞こえてないよね……」
階段を降りて、居間を覗き込む。
お母さんはビジネススーツのままでテーブルに突っ伏していた。傍らにはビール缶がいくつも転がっている。
これは間違いなく聞こえていない。安心すると同時に、別の心配が芽生える。
「お母さん、こんなところで寝ていると風邪ひくよ?」
軽く揺さぶると、ゆっくりと顔を上げた。けど目はとろんと落ちて、唇の端からは涎が垂れている。
「ちょっと待って……。せっかくプロジェクトが一段落したのよ……」
そう言って、また頭がガクッと下がった。
すぐに「スー、スー」と寝息が聞こえてくる。
普段の落ち着きがウソみたい。だらしない姿に私の頬も緩む。
「もう、仕方ないな」
肩の上から毛布をかけてあげる。
「あたる〜」
呼びかけられて背筋が伸びた。お母さんを見下ろすと、口をモゴモゴと動かしていた。
寝言?
また寝息が続く。
時計を見るともう日が変わっていた。なのに、
「眠くない……」
ファイルができたおかげで興奮しているのかも。
せっかく降りてきたし、コーヒーでも淹れようかな。
* * *
「苦……」
思わず顔をしかめる。
「前の私、よくこんなものを飲んでいたわね」
それとも味覚が変わったのかな。
とりあえず頭はスッキリした。
残ったコーヒーには後で砂糖やミルクを入れるとして、脇に置いておく。
「さて、と……」
分厚いファイルを開く。
ページは手書きの文字で、びっしりと埋まっていた。
前世の記憶を頼りに、何日もかけて作り上げた力作。名付けて『生存ファイル』。
分厚い業務用のファイルにみっちりと詰まった紙は、パラパラとはめくれない。何度も書き直した結果、紙がゴワゴワによれている。
メディアミックスの盛んな長期連載を甘く見ていたわ。
しかも手書き、腕が痛い……。
「パソコンが使えれば楽だったのに……」
けど、私はパソコンを持っていない。お母さんのを借りるか、高校のパソコンは借りるしかないけど、こんな分量をこっそり書き込むのはさすがに無理。
何より……。
「このファイル、絶対に誰にも知られないようにしないと……」
『抹吏ファイル』の世界において、このファイルはデスノートと未来日記が合体したようなトンデモない呪物だ。誰かに見られたら言い訳のしようがない。
何よりパソコンのデータは流出が怖い。
「まだ怪盗グリフォンがいないのに亡霊との仮面舞踏会が始まったら、詰みよね」
コンピューターウイルスがきっかけになった映画の事件を思い出して、大きく息を吐く。
猫背になった時、スマホが振動した。
「え、何?」
肩が跳ねながらも、震える指でタップする。
「なんだ、迷惑メールか……」
そのままスマホを眺めた。別の事件が思い出される。
「スマホだって安全じゃないし……」
果乃子ちゃんがスマホを落としたことで巻き込まれたスマホ取り違い殺人事件。
「結局、機密という一点だけなら紙に手書きが最強なのよね……」
前世の社会人生活でそう学んでいた。
ページを次々とめくっていく。
書いている途中で思い出すことも多かったし、やっぱり形にして残すことは大事だ。
それでも、眉間にシワが寄る。
「後から見直すと空白が多いわね」
特にトリックとかはうろ覚えが多かった。分からないところは飛ばして、さっさと次へ進むという書き方をしたせいだ。
もちろん、後で思い出したら書き込むつもりだけど。
「あ〜、こんなことになるんなら、もっとトリックとか覚えておけばよかった!」
割とキャラ萌えで読んでいることが多かったせいだ。ゲストキャラに華が無い事件も記憶が怪しい。
そして、ページをめくる手が止まる。手が小刻みに震えた。
表題に書かれているのは不良少年連続殺人事件。犯人の名前を見て、思わず呟く。
「持田仙一……、お兄ちゃん」
名字が違うのは、両親が離婚したからだ。私がお母さんに、お兄ちゃんはお父さんに引き取られた。
何かの間違い……よね?
隅から隅まで読み込む。そのたびに誤字脱字に気づいては修正して、紙がますます汚くなった。
ビリッ!
「あ……」
耐えきれなくなった紙がとうとう裂けた。
セロハンテープで丁寧に貼り付ける。読み辛いけど、内容に間違いはないみたい。
背もたれに沈み込んで、天井を仰ぐ。照明が目に痛い。
「嘘でしょ……。この事件、動機は殺された妹の復讐なのよ……」
もちろん、原作での妹は私じゃない。その頃の私はとっくに佐藤|紅葉に殺されていた。
「配役圧縮とかドラマ版ではよくあるけど……、こんなことってある?」
一緒に暮らしていた頃はケンカばかりしていたのに、胸の奥がチクリと痛む。破滅してもらいたいわけがない。
何より、このままだと私がナレ死する。
「せっかく生き延びたのに、なんでまた死亡フラグが生えてくるのよ……」
ベッドの上でクッションに顔を埋め、脚をバタバタさせる。
とにかく死にたくない。
なんとか生き残る方法を考えないと。
「いっそ、生徒会を辞めて、一般生徒に戻る?」
抹吏くん達と離れるのは惜しいけど、命には代えられない。
言葉にした後、即座に首を振る。
「ダメ。私が転生する前から、事件は起きてる」
部活も成績も関係ない。不登校の生徒が殺される事件もあるし、逃げ場は無い。
「こんなんだから、ファンの間で返り血で濡れた濡羽高校とか言われるのよ……。校名が濡羽だけにって、洒落にならないわ」
大きなため息。
温くなったコーヒーを口に含む。何の気分転換にもならなかった。
「なら、いっそ転校する? どこか遠くへ引っ越すとか……」
あんな事件が起きたから怖くて、とかいえばきっとお母さんも許してくれるけど……。
両手を振って否定する。
「無理、よね。 別の高校とか土地、外国ですら事件が起きたことあるし。もし、久しぶりとか言われたら絶対死ぬ!」
なんか頭が痛くなってきた。
ファイルをどかして、机に突っ伏す。
さすが長期連載。
「どうすればいいのよ。逃げ場、無さすぎ……」
まぶたが急に重くなった。
疲れがどっと出てきたみたい。滑るように、眠りに落ちた。
* * *
耳元で電子音が鳴る。
寝ぼけたままアラームを止め、スマホの時計を見る。
変な姿勢で寝ていたせいで、首も凝っている。
「はあ……」
大きく息を吐いてから、首を回す。寝ている間にもいい考えは浮かばなかった。
どうしよう。どこへ逃げても予想外の再会やナレ死の危険が付き纏う。
「そういえば、佐藤|紅葉の時もそうだったわね」
あの時は、あえて予想のできる行動を取らせた上で、逃れることに成功した。
「なら、また同じことをすれば……」
少なくとも、レギュラーのみんなと一緒にいればナレ死は無いはず。それに、事件に巻き込まれてもある程度の概要は分かるから、対策も立てられるかも……。
「もう、これしかない!」
穴をパッチワークで塞いだバッグを持って、力強く立ち上がる。
バリッ!
「えっ、ウソ……」
変なところに引っかかったみたい。
バッグのパッチワークが剥がれてしまった。
先が見えない。氷を押し当てられたような気がした。
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