6話 アニオリなんて聞いてない! 喫茶店籠城発砲事件
白い煙は収まった。でも、バッグに開いた穴は消えない。分厚い教科書が無かったら、私の顔がこうなっていた。
背筋を寒気が走る。
代償も大きかった。
派手に動いちゃったおかげで、抹吏くんは犯人にマークされている。隙を付いて蹴り倒すなんてまず無理だ。
私がいるおかげで難易度が跳ね上がるってどういうこと!?
犯人の目は血走っている。
もし何かの弾みで引き金に力が引かれたら……。
脂汗が止まらない。
物音一つしない、嫌な緊張感。
外が暗くなり、店内の照明に切り替わる。
その時、沈黙が破られた。
「いくらだ?」
凍てつくような低い声。
強盗犯が反射的に銃を動かした。
「は?」
銃口を向けられたというのに、龍青は眉一つ動かさなかった。
椅子に座ったまま、長い脚を優雅に組み替える。強盗犯を見上げているはずなのに、態度が大きすぎてまるで見下ろしているようだ。
心臓が跳ねた。思わず龍青を睨みつけてしまう。
ちょっとあなた、この回いなかったでしょ!
これ以上原作、いやこれはアニオリ回だけど展開が悪い方に変わったらどうするの!?
「その宝石を持ち帰ったら、いくらもらえるのかと聞いているんだ。どうせ大した額じゃないんだろう」
「うるせえ!」
銃口が龍青に突きつけられる。額に冷たい感触があるだろうに、彼は真っ直ぐに強盗犯を見返した。
そして、淀みない口調で告げる。
「僕が買い戻してやる」
「ガキが、何を馬鹿なことを……」
「僕は烏丸グループの人間だ。ロワゾ宝石店も系列店。資産を見知らぬ場所へ捌かれるくらいなら、自分で買い戻した方がマシだ」
強盗犯が目をしばたたかせた。銃がカチャカチャと音を立てている。
「なんだと? おい、本当か!?」
私と果乃子ちゃんはぶんぶんと首を縦に振る。
抹吏くんが油断なく強盗犯を警戒している様子。
私たちの反応と、あまりに堂々とした態度。信じる気になったみたいで、強盗犯の目に打算の光が生まれた。
「ほう、確かにただのガキじゃなさそうだな。で、いくら出す?」
「そうだな。千、二千……面倒だ、五億にするか」
あまりにも桁違いの金額が飛び出した。
虚勢のつもりか、強盗犯は声を荒げる。
「ご、五億!? ふ、ふざけるな! そんな金……」
「ふざけてなんかいない。さすがに現金はないが……」
「バカにしやがって!」
銃口が押し付けられた。ほんの少し指に力が入れられただけで、龍青の端正な顔は柘榴のように弾け飛んでしまうだろう。
流石の彼も、これには目を大きく見開いた。
「僕を殺すか? そんなことをしても一銭にもならないな。一生牢屋から出られないぞ」
強盗犯はギリギリと音が聞こえそうな程に歯ぎしりをしている。
ちょっと、これ以上挑発するのはやめて!
「だ……だが、ここで話を聞けば金が手に入る。どっちが得か、考えてみろ……」
語尾が揺れていた。眼鏡の奥にある視線も、随分と彷徨っている。
額に汗を流しながら、強盗犯は逡巡している。目に入った汗を拭って、ようやく力を抜いた。
「わ、分かった……。話を聞いてやる」
「なら、まずはこれをどかしてくれ。銃を押し付けられたままじゃ話もできない」
「あ、ああ」
強盗犯はついに銃を下ろした。
龍青は大きく息を吐き、バッグから無造作に帳面を取り出した。帳面には、烏丸グループのマークが入っている。
「小切手は知っているか?」
「テレビで見たことがあるぜ。金がもらえるんだろ?」
強盗犯がニヤリと笑い、龍青もふっと微笑む。
小切手……?
あれって確か来年……。
龍青は愛用の万年筆を使い、手慣れた様子で額面を記入した。さらっと署名も完了。
「お前、その銃で誰かを傷つけたのか?」
「い、いや……」
「なら、自首して素行がよければ五年以内には出られるな。振出日は五年後にしておこう」
あっと声を出しそうになった。両手で口を押さえて、言葉を呑み込む。
これは龍青のえげつない罠だ。しかも、私以外は誰も気付いていない。
抹吏くんでさえも。
「龍……!」
声を上げそうになった彼の口を塞ぐ。振り向いた抹吏くんに、私は口の前で人差し指を立てて見せた。
シーッ、のジェスチャー。今は龍青の邪魔をしちゃダメ。
抹吏くんは訝しげな目を返しながらも頷く。
私達を横目に見て、龍青は口角を上げた。
そのまま振出日付まで書いて、小切手を切り離す。
「ほら、こいつだ」
強盗犯に突きつける。
奪い取るように小切手を手にした強盗犯は、震える手で隅から隅まで注視する。
「こ、これが本当に五億になるのか……。偽物じゃねえだろうな!」
「烏丸グループの名にかけて、そんな真似はしない。間違いなく本物の小切手だ」
いや、確かに本物でしょうけど……。
「へ、へへ……」
強盗犯は紙片を宝物のように掲げる。もう、それが五億に変わると疑ってもいない。
遠くからサイレンが聞こえてきた。
その時、全く別の方向から怒鳴り声が轟いた。
「ふざけんな! なんでお前だけ……!」
ネックウォーマーをした男が立ち上がりながら怒鳴りつける。その手には銃が握られているけど、一人だけなら抹吏くんの相手にはならない。
銃を向ける間もなく、会長キックで沈められた。
今日は回し蹴りかぁ。
私は現実から逃れるように、抹吏くんの勇姿をぼんやりと眺めた。
* * *
パトカーが駆けつけた頃には全てが終わっていた。
強盗犯は自首。もう一人の犯人も、抹吏くんによって引き渡される。
連行される前の強盗犯に対して、龍青は一つのことを告げていた。
「小切手は提示期間がある。気をつけろ。振出日より前には換金できないし、振出日の翌日から十日以内に銀行に行かなければ換金できない。……まあ、五年後の話だがな」
「へへ、すまねえな。兄ちゃん」
二人は別のパトカーに乗せられた。もう一人の犯人は、終始恨めしそうな目を強盗犯へと向けていた。
パトカーのサイレンが聞こえなくなった頃、龍青は皮肉な笑みを浮かべた。
「歓迎会が台無しだな」
「そ、そんなことよりあんな大金!」
果乃子ちゃんが血相を変えている。抹吏くんも何も言わないけど、龍青と私を半目で見ている。
だというのに、龍青は涼しい顔で私に声をかけた。
「モナカは気付いているみたいだな」
力なく頷く。説明してくれ、とばかりに目配せしてきた。
大きなため息を吐いてから、口を開く。
「あのね。紙の小切手って、来年の三月に廃止されるの」
「えっ? それじゃ、あの小切手は……」
こんなことを知っているのは、普段から小切手を使う人くらいだ。私だって、前世が経理だったから知っていただけ。
「そう。振出日が五年後の小切手なんてただのメモ用紙でしかないわ。それを……」
二人がポカンと口を開けた。
少しして、抹吏くんが大きな声で食ってかかる。
「なんでそんな無茶なことを! もしあいつがそれを知っていたら、いや知らなくても調べられたら……」
「強盗なんかする奴がそんなことを知っているわけがない。それに、もし調べられたとしても、それで隙ができる」
抹吏くんの方を向く。そうすれば、お前が蹴り倒せるだろうと目が言っていた。
そうか、もう一人の犯人が喫茶店にいるって龍青は気付かなかったんだ。
危なかった……。
深いため息と共に、抹吏くんは肩をすくめた。
「龍青先輩の言葉を聞いた時点で、あいつは詰みだったってことか……」
「隙をつくるだけのつもりだったんだが……いや、素直な奴で良かったよ。ちゃんと罪を償ったら、真面目に第二の人生を生きてほしいな」
悪びれもせず微笑む龍青にドン引きした。いつか劇場版で狙われても知らないわよ。
* * *
帰りは警察がパトカーで送ってくれた。後部座席に座ったまま、私は穴の空いたバッグを見下ろす。
アニオリ回の被害者役が私に回ってきた。これってどういうこと?
そういえば、原作だと一話限りのゲストキャラがドラマ版だといろんな事件に巻き込まれて準レギュラーになったことがあったわね。
私もまた巻き込まれるかも……。
「……嘘でしょ」
血の気が引いた私は、穴の空いたバッグを抱きしめた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
続きも毎日更新予定です。




