1話 転生後の余命は10分!? 濡羽高校生徒会室殺人事件
どこまでが自分なのかも分からない。重力から解放された浮遊感。
意識に靄がかかり、溶け出していく。
微睡むような至福の時間は、唐突に終わりを告げた。
パパパン!
連続した軽い破裂音と安っぽい火薬の臭いが、私の意識を引き戻した。
「退院、おめでとうございます!」
少年少女特有の高めの声が鼓膜を優しく刺激した。
焦点の定まらない私の視界で、紙吹雪と紙テープが舞っている。
その向こう側で、少年少女達が円錐形の紙筒を私に向けていた。紙筒からは細い白煙が昇っている。
彼らはみんな、高校の制服らしき統一されたブレザーを着ていた。
退院……?
無意識に長い黒髪へ手を伸ばした。滑らかな手触りが気持ちよく、一度も引っかかることなくすっと通った。いくらドライヤーをかけてもゴワゴワだったのに。
指だってしなやかで白く長い。書類のギッシリ詰まったファイルなんて、とても持てそうにない。
そして私も、彼ら彼女らと同じブレザーを着ていた。短いスカートの下から伸びる脚も細くて長い。
「え……?」
漏れ出た声も高く、透き通っている。酒で焼けつき、掠れたものではない。
私は、私じゃなくなっていた。
まばたきをしたところで、私自身も目の前の光景も何一つ変わらない。
眼鏡が無いのに、居並ぶ学生達の顔まではっきりと見える。
部屋の壁にはホワイトボードがかけられていた。距離が変わっても一瞬でピントが合い、『モナカ先輩、復学おめでとう!』という文字もくっきりと読み取れた。
「モナカ先輩?」
少年少女達の中心にいた、一人の男の子が一歩前に出てきた。
モナカ先輩って、私のこと?
聞き覚えのある名前だけど……。
そして、彼にも見覚えがあった。というより忘れるはずがない。
癖のある短い黒髪。整った顔立ちながらも、どこまでも見通すような深く黒い瞳の方が印象に残る。
彼は私の頭の上からつま先まで、ざっと見渡した。すると、一人合点がいったような顔をする。そして、
「体力が落ちていたんですね。すみません、気付かなくて」
近くにあった椅子を目の前に置いてくれた。
「あ、ありがとう」
実際、胸が重くて肩も凝っていた。猫背になりそう。
遠慮なく座らせてもらって、背もたれに寄りかかる。
けど、この流れ……。
心臓の鼓動が早まる。顔のいい男の子が近くにいるから、ではない。
これから何が起きるかを、私は知っている。緊張感に生唾を呑み込む。
「どうしてそんなことまで分かったの?」
疲れていたのは分かるけど……、と甘く高い声で続けたのは茶髪の小柄な女の子。大きな瞳が印象的な彼女もよく知っている。
「戸を両手で開けていただろ。建付けも良くないけど、それ以上に力が無かったんだ。それに、前に比べて細くなって……」
そこまで言って、彼は女の子に半目で睨まれているのに気付いたようで話を止めた。彼女は1オクターブ下がってもやっぱり愛らしい声で、恨めしげな声を出す。
「抹ちゃん、人前でそんなことを言うなんて……」
「え、いけなかったのか? すみません、モナカ先輩!」
そう言って彼は頭を下げた。この先を知らなければ、思わず頬が緩むような光景。なのに、唇の端がピクピクと動く。
「き、気にしてないわよ……」
微笑んだつもりだったけど、表情筋が強張っていた。苦笑いになったかも。
女の子は「ほら〜」とばかりに男の子を見上げた。彼はバツが悪そうに首を掻く。
そんな男の子を見かねたのか、スラッと背の高い少年が二人の間に割って入った。
胸元に光る校章の色が青。さっきの二人より一学年上の三年生だと分かる。
「モナカだって気にしていないと言っているんだ。果乃子、そこまでにしておいてやれ」
鷹揚にたしなめられて女の子、佐藤果乃子ちゃんは軽く頬をふくらませた。怒っている、というより甘えているような距離感だ。
「もう、龍くんったら抹ちゃんに甘すぎ!」
「僕は副会長だからな。生徒会長である渋川抹吏をフォローするのが役目だ」
彼――烏丸龍青は青縁眼鏡のブリッジを指でくいと持ち上げた。甘いマスクも相まって、実に様になる仕草だ。
もう、間違いない。
天を仰ぐ。
私は『渋川抹吏の事件ファイル』の世界に転生してしまった。
『渋川抹吏の事件ファイル』、通称『抹吏ファイル』は私も好きなマンガだ。ついさっきも新刊を読んだばかり。
それが今、息遣いさえ聞こえそうなほど近くに抹吏くん達がいる。
胸が高鳴る。
一方で、手のひらにはじんわりと汗が滲んでいた。
「そういえば龍青先輩、駅での事件の犯人はどうなりました?」
「夫を突き落とした妻の事件だったな。これから裁判になるが……いくらDVがあったとはいえ殺人だ。実刑は免れないだろうと聞いている」
やっぱり物騒……。
膝に手の震えが伝わってくる。
「二人とも、パーティーでそんな話はダ〜メ!」
ヒロインの果乃子ちゃんが、両手の指でバッテンをつくった。
少年二人は一瞬だけきょとんとしてから、顔を見合わせて破顔した。
主人公の抹吏くんが軽く頭を下げる。
「そうだった。果乃子、ごめん」
「謝るのはあたしじゃないでしょ?」
「そうだったな。すまない、モナカ」
龍青も頭を僅かに動かす。
私も笑顔を貼り付けていたけど、背筋には冷たい汗が流れていた。
脳裏に浮かぶのは、原作の一コマ。
私、最上中の死体という、ショッキングな一枚絵だ。
まずい……このままだと、あと十分もしないうちに死ぬ!
こうしちゃいられない。
ガタンという音とともに勢いよく立ち上がろうとして。
途端にくらっときた。
前のめりにふらつく。そんな私の肩を、力強い腕が支えてくれた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ありがとう、抹吏くん」
すぐに彼から離れて、椅子に座り直す。
ほんの一瞬のことだった。けど、制服の上からは細身に見える抹吏くんが実際にはかなり骨太なのが分かった。
触れられた肩が熱くなる。
息が上がる。心臓の鼓動も早まった。
脚が重い。お尻に根が張ったように、椅子から動けない。
真正面にある時計が、否応なく余命を告げてくる。
もう二分経った……。
眉間にシワが寄る。
抹吏くんが心配そうに聞いてきた。
「あの、本当に大丈夫ですか?」
「もしかして、人に酔ったんじゃ? しばらく一人にしてあげようよ」
ちょっと誰よ、余計なことを言うのは!?
声の主を見つけて、私は開いた口が塞がらなかった。
龍青もその言葉に追従した。
「紅葉の言う通りだな。気付かなくてすまなかった」
「そ、そんなことないわ。気にしないで……」
語尾が震える。
でも、私の言葉は遠慮と取られたみたい。
頼むから一人にしないで!
でも、声が出なかった。
ぱくぱくと口を動かしているうちに、生徒会の人達が次々と部屋を出ていく。
歩きながら、果乃子ちゃんは龍青を見上げた。不満げに口を尖らせる。
「え〜、もっとモナカちゃんとお話したかったのに」
「話なら後でいくらでもできるさ。今は休ませてやれ」
永遠の別れフラグみたいなセリフは止めて!
果乃子ちゃんも龍青も、談笑しながら廊下へと出て行く。
最後に残ったのは抹吏くん。部屋を出ようとしたところで振り返る。
「ま、抹吏くん……」
行かないで!
そう叫ぼうとしたところで、舌を噛んでしまった。
悶絶して続きを言えない。
その間に、抹吏くんが笑みを見せた。
「それじゃモナカ先輩、また後で……」
原作通りのセリフを残して、彼の姿も消えた。
無情にも戸は閉められてしまう。
しんと静まり返った生徒会室で、私はガクッと項垂れた。
「せめて、セリフは変えてよ。アドリブとか……」
教室の半分ほどしかない生徒会室とはいえ、たった一人でいるにはあまりに広かった。私の愚痴が空しく響く。
とにかく時間がない。
顔を上げて、ゆっくりと立ち上がる。
それでも息が上がった。呼吸が浅く、肺が苦しい。
息を整えようとして、大きく深呼吸。
「ゲホッ!?」
むせた。
喉が痛くて、その場にうずくまってしまう。
私、どうすれば……。
残り時間は三分を切っている。
涙目で部屋を見渡す。
ソファーに机と椅子、そして飾り気の無い木製の棚。棚の上には、OBが置いていった古いカセットプレイヤーと、トロフィーが何個も並んでいる。
確か、トロフィーが凶器になったのよね……。
凶器が無ければ、事件は起きない?
よし、隠そう。
呼吸を整えて、椅子伝いに棚へ取り付く。扉を開ければ、スペースは随分と空いていた。
「なんでこんなものを放置するのよ。凶器にされたらどうするの!」
ぶつぶつと呟きながら、まずはサッカーの全国大会優勝のトロフィーを手に取る。下の方が細くて握りやすく、ズシリとした重量感がある。
凶器はこれかな?
いいや、全部しまっちゃえ!
その時、ガタンと戸が開く音がした。
「ひっ……!?」
「何してるの?」
少し高いトーンの少年の声だ。
肩が跳ね上がり、手が滑る。トロフィーがガタンと音を立てて、棚の上に転がった。
あの声……。
錆びた扉のように、ぎこちない動きで振り返る。
部屋に入ってきたのは、眼鏡をかけた大人しそうな少年だ。龍青のような洒落っ気があるわけでもなく、ただの地味な黒縁眼鏡。
彼の顔を見た瞬間、息が止まった。全身が総毛立つ。まためまいを起こしそうになったのを、ぶんぶんと首を振って持ち堪える。
間に合わなかった……。
「こ、紅葉くん?」
「ごめんね、体調の悪い時に。どうしても二人きりになりたかったんだ」
おずおずと口を開いた地味眼鏡の名前は佐藤|紅葉。
これから私が死体として発見されることになる、濡羽生徒会室殺人事件の犯人だ。




