私と彼のお話
今日は教会でバザーが開催される。
そのために色々な準備をしてきた。
売れ行きは好調で、私も忙しく動き回る。
その最中、知っている顔を見かける。
記憶をたどり、彼がこの国の王子で元私の婚約者だと分かる。
私は人々が安心する、と言ってくれる笑みを浮かべる。
「お久しぶりです」
言葉は自然に出た。
最近は脳内で吟味した後でなければ、言葉を発していないため自分の行動に僅かに驚く。
些細な事であるため目の前の王子に集中する。
王子は何故か悲痛な顔をしていた。
私の存在が気に入らないのか、どこか怪我をしているのか、幾通りかの仮説を立て、それを否定する。
私には王子の表情の答えが分からないことは分かった。
それならば問わねばならない。
しかし、それは叶わなかった。
何故か王子は私を抱き締めたのだ。
驚いて言葉を失っているうちに、遠くで王子を呼ぶ声が聞こえる。
耳元でまた来る、と告げて王子は帰っていった。
私はただ呆然とすることしかできなかったが、心のどこかが甘く痺れた気がした。
王子はその日から連日、教会を視察するようになった。
王族に視察して頂けるのは嬉しいことだ。
教会の現状を知ってもらえる良い機会なのだから。
皆で協力し、困っている人たちを援助する。
それは、人手や資金がいくらあっても足りなかった。
ただ、不思議なことがある。
私の覚えている範囲でも、王子は多忙であった。
教会はこの国になければならず、今までも視察はあったがこのように頻繁ではなかった。
なぜ時間を作ってまで視察に来るのか。
そしてなぜ視察の案内に私を指名したのか。
一つ言えることは彼との時間は心地よいと感じる自分がいることだった。
そんなある日、王子から花束をもらった。
視察では物を送る、寄付するといった行為は禁止されている。
そのため視察ではなく、お忍びで来たということだった。
行動の理由が分からず困惑する。
けれどその花束は私が好きだった種類の花で構成されていると分かり、胸が締め付けられる気持ちになった。
王子が教会に通うようになって、いつの間にか約一月が経過していた。
今日も私はいつも通りに働いていた。
最近、人々にお礼を言われると嬉しいと感じるようになり、日々が楽しいと思うようになった。
その日いつもと違ったことは、少し早いが見習いではなく正式な修道女になる試験を受けないか、と打診されたことだった。
嬉しいと思うと同時に寂しいと感じる。
修道女になると俗世から切り離され、家族とすら会うことが難しくなる。
それはきっと、彼とも。
以前であればそれが当たり前と受け入れただろう。
私は胸に何かが刺さったような痛みを感じながらも、試験を受ける、と答えた。
いつの間にか、と表現するのが正しいのだろうか。
窓の外は暗くなっており、目の前には王子がいた。
王子はうつ向いており、表情は見えない。
しばらく無言の時間が続くが、私はどう声をかけて良いか分からなかった。
ふと、彼が顔をあげた。
視線が交差する。
気がつくと、再び彼の胸に閉じ込められていた。
いつか感じた甘い痺れをより強く感じる。
試験を受けないでくれ、と絞り出すような声で告げられる。
もう試験を受けることは決まっている。
この温もりにいつまでも包まれていたい、そんな気持ちを振り払い、そう告げる。
彼はどんな心境だったのか、そうか、と寂しそうに微笑んだ。
それが先程とは違う切ない痺れを呼び起こし、彼の事をいつの間にか抱き締めていた。
試験がはじまった。
私が想像していたより、試験の内容は簡単だった。
複数の教会をまわり、人々に祈りを捧げる。
その間、帰りたいと思わないことだけが合格の条件だ。
少し前の私であれば難しくない条件だっただろう。
しかし、今の私では。
試験はすぐに始まり、私は順調に教会をまわる。
時間はかかるが、場所が僅かに違うだけでも、様々な文化があると分かる。
真新しい発見もあり、帰りたいとは思わなかった。
ただ、会いたい、とは思ってしまう。
誰に、というのは答えが出ているが、認めてしまうのが怖かった。
試験が始まる前はほぼ毎日会っていた。
それがいつの間にか当たり前になっていて、彼に会えないだけで寂しい、という気持ちが湧いてくる。
次の町が最後の町だ。
本当にこれで良いのか、と疑問を持つ。
修道院に入ってしまえば彼に、会えなくなる。
考えに耽っていると、トントン、とノックする音が耳に入る。
扉をあけると何かが押し付けられる。
それを手紙だ、と認識した後には、押し付けた人物は去っていた。
誰かに雇われたのだろうか。
手紙には宛先も差出人も書かれていなかった。
けれど、私には予感があった。
私の好きな色、手紙に主張しすぎない程度に添えられた私の好きな花の匂い。
震える手で手紙を開封する。
そこにはただ一言。
会いたい、と書かれていた。
「私も、会いたい…」
自然に口から言葉がもれた。
これは、心の底からの叫びだった。
彼に会いたい、彼と話したい、願わくば、彼の温もりに触れたい。
気がついてしまうと抑えようがなかった。
彼が私に会いに来てくれていたのは、私との結婚を諦めていなかったから。
きっと彼は私の事を思い出してくれたのだ。
私は自分が楽になるために、感情を忘れようとして、そんな簡単な事にも気がつかなかったのだ。
気がついてしまったら、感情が溢れだして止まらない。
ああ、そうだ。
私は彼に会いたい。
彼のもとに、帰りたい。
私の試験が終わった瞬間だった。
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「ねえねえ、おばあちゃま」
幼い女の子が私の顔をのぞきこむ。
「そのあと、私と彼はどうなったの?」
心配そうに、けれど期待を込めて聞いてくる。
私はその子の目を見て答える。
「その後は貴女も知っているわよ。私と彼は結ばれて、貴女のお母様が生まれたの」
そういうとその子は満面の笑みを浮かべて良かった~!と呟く。
それが可愛くて頭を撫でる。
気持ち良さそうに受け入れているが、突然なにかに気がついたようだ。
「あ、おばあちゃま!おじいちゃまが呼んでるよ!」
女の子の目線を辿ると彼がいた。
私も彼も大分老けたけれど、今でも私の目には彼が一番素敵な男性に見える。
私の特別な能力はなくなってしまったけれど、修道女になるよりもたくさんの事を成し遂げられたと自分では思う。
娘夫婦に仕事の引き継ぎは行った。
幸せな人生だったと思う。
きっとこの先も彼と一緒ならそう思い続けるのだろう。
残りの人生は、私と彼のお話をゆっくりと紡いでいこう。
私と彼のお話 fin.
最終話投稿に時間がかかり申し訳ありません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。