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潜伏者

「攻撃が失敗したそうだ。一機落とされたらしい」


 遠藤純香に背を向けながら、奇妙なほどに静かな声で彼女の祖父は言った。彼は手に持った軍用無線のヘッドセットを机の上に置き、彼女に向き直る。回転する椅子の軸がぎしりと軋みをあげる。

 彼女は相変わらず奇妙な光景だと思う。慣れた祖父の書斎。老人らしい、落ち着いた色合いの服。静かな空間で本に囲まれた。そんな穏やかな一室には似合わない、オリーブドラブ色の頑丈さをそのまま形にしたような無線機。それを平然と操る見慣れた祖父。


 彼女は椅子に腰掛けたまま、ぐるりと周囲を見渡す。


 なんとなく祖母の姿を探していた。しかしあるのは本棚にぎちぎちに詰め込まれた書籍の山だ。政治関連の書籍ばかりだと思えば、今度は軍事。きな臭い本が好きなのかと思えば、詩集やら古典文学やら、彼女には読めない言語のタイトル等々。本棚を見れば人となりが分かると誰かが言ったが、いつも彼の書斎で本を読みふける彼女は、祖父がどんな人間か分からなくなる事が多々あった。


「純香?」


 祖父は怪訝そうに彼女の名を呼ぶ。その声に彼女は再度祖父の顔を見る。祖父はなんと言ったのだろうか。彼女は祖父の言葉を受け流していた。だから必死に記憶の中から探す。確か、一機落ちたと。


「何人亡くなったの?」


 その問いかけに、祖父は眉を軽く上げる。


「五人だそうだ。悲しい事だ。痛ましい事だ……」


 五人死んだ。彼女はそう聞き取った。五人の同胞が死んだらしいと。それはとても悲しい事だと彼女は思う。人が死ぬのは本当に悲しい事だ。きっと遺族も悲しんでいるに違いない。

 彼女はもはや習慣と化した、かつての思い出に浸る作業に没頭する。何も知らず平和だった時代。まだ家族が健在だった時代だ。嘉手納基地が奴らの拠点に変貌する際に、喰われた家族を。


「奴らは更に進化した。戦闘特化型と言うしかない。今度は目視範囲外から攻撃してきた」


 奴らは人を殺すのがよほど好きらしい。出現してから出生率がどんどんと低下し、人口は急激に減っていった。その減り方は急激すぎる。自然に減っていっているというだけでは説明が付かない。

 正気を失った彼女の知人は少しずつ居なくなっていった。日常が侵食される恐怖。彼女に残された周囲の環境すらも奪われようとしていたのだ。


「ああ、さっきの光ね。やっぱりそうだったんだ。ところで、あまり悲しそうに見えないけど?」


 彼女は上の空で喋る。その焦点も話し相手である祖父に結ばれてはいない。ぼんやりと中空を見ているだけだ。


「望みが一つ出たからね。良いニュースだよ」

「望み?」


 彼女の関心は自らの記憶から、祖父の言葉に移り変わる。中空に結ばれていた焦点は祖父に変わり、彼の顔をはっきりと捉える。彼は僅かに笑っていた。口角がほんの少しだけ上がっている。


「望みって?」


 敵がより厄介になり、貴重な味方が五人も喪われた事よりも良い知らせとは一体何だろうかと。だから彼女は祖父に問いかける。その望みは一体なんだと。


「形態が変化するのは知ってるね? あれを撃った後、激しく消耗して元の形態に戻ったのを観測班が確認したらしい。極端に疲れた様子で、おそらく能力も大幅に下がってるんじゃないかと――」

「そこを拉致すれば良かったんじゃないの?」


 彼は一瞬だけ目をいつもよりも少しだけ開いた。そしてすぐに痛ましい者を見る目に変わる。うっすら涙の膜が表面に出来てすらいる。しかし彼女はそれに気が付かない。


「不確定要素が多すぎる。もう少し問題点を洗いなおし、確実な物にする必要がある。なあに、こっちには文明の利器がある」

「そして確信的な悪意も?」


 彼女の言葉に彼は薄く笑う。それにつられて彼女も笑う。小さく控えめな。でも確かに朗らかな笑いだ。


「成長したねえ。そんな事を言うなんて……。そうその通り。確かな理性の下に行使される悪意は人間の最大の武器だ」

「まるで他の動物に理性がないって言っている様に聞こえるけど?」


 彼は椅子をやや回し、後ろに置いたコップを取った。それを一口飲むと、途端に顔をしかめる。


「その行為が正しいと信じ……信奉と言い換えても良いね。そうして万事を以って相手を害し、陥れようと悪意を向けるのは人間固有の行動だよ。そう、人間固有の……ね」


 彼女は祖父の言葉に納得がいっていない様子だった。そんな彼女の様子を彼は怪訝に思う。乾いた喉を湿らせようと、もう一口コップに口をつける。再度同じ液体が口の中に流れ込む。快か不快かと言えば、ぎりぎり不快の温度。冷たかった筈の麦茶はすっかり温くなっていた。


「それじゃあ確信的な悪意とは何だい?」


 分からない物は素直に聞く。それが彼が数十年の人生を円滑に生きてきた秘訣だ。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥という訳だ。


「動物の理性云々に納得がいってないの。私は単純に……あいつらは悪意が無いからって言いたかっただけ」


 これに対し彼は、ああと頷く。魔法少女と呼ばれる『種族』は、基本的に善良である。ある意味では無垢である。根っからの悪人といった個体がいまだ確認されていないのだ。人間が追い求める幸せと基本的には同じ物を、それぞれの個体が独自に追い求めているだけに過ぎないのだ。平穏な日常然り、有名人になる、旅をするなど、決して非難される様な内容ではない。


 ならば何故人類が彼女らを排除しようとするのか。その理由は単純に、彼女らの種族のありようにある。人類の文明を簒奪しようとする。全ての理由を取り纏めてしまえば、その一点にあるだろう。

 人類の文明は人類の子孫にこそ継承されるべき代物である。横からいきなり湧いて出てきた存在に奪われる筋合いは無いという事だ。


「それはそうと……そろそろ良い時間だ。寝た方が良いね。明日は終業式だろう」


 彼女は首を横目で時計を見た。時刻は十時半を指していた。過去の彼女からすれば、寝るにはまだ少し早い時刻である。しかし、近頃の彼女には趣味といった物は無かった。勉学くらいしかやることがないのだ。時間は有り余っていた。二人暮らしである。家事と言ってもやることはたかが知れている。

 早い話が彼女は実に健康的な生活を送っていた。


「うん。もう寝る」


 彼女は立ち上がり、ずっと座っていた為に固まった身体を伸ばすべく背伸びをする。脱力と共に深呼吸を行う。くあ、と空いた口からあくびが漏れ出る。うっすらと涙の膜が張るその様は完全に年頃の少女と言った風体である。


 涙を手の甲で拭いながら立ち去る彼女を見送る祖父。部屋から出た彼女が扉で遮られたのを見た彼は、はあ、っとため息をついた。くるりと椅子を回し、デスクに相対する。年代物のデスクだ。それの横の引き出しを引いて写真を取り出す。自分の息子家族、つまり彼女の両親と自分と妻。それらが笑顔で映ったそれを目を細めて見つめる。


 そして何事か、言葉にならない言葉を絞り出すように口をもごつかせた後、それを再び仕舞い込んだ。彼の視界がぼやけているのは、老眼鏡の度数が合っていないからでは無いだろう。




「それじゃあ、行ってきます」


 ぱりっとした制服を着こんだ純香は、祖父に挨拶をしてから扉を開ける。途端に気だるげな表所は一転、人生楽しいですと主張する様な希望に満ち溢れた、明るい顔へと変貌を遂げる。


「あら、純香ちゃん。おはようね。気を付けてね。行ってらしゃいね」


 家の門を出ると、隣家の軒下を掃除していた老婆が彼女に微笑みかける。純香は女性の方を見る。


「はい、の、田中さん。行ってきます!」

 足早に純香はそこから立ち去る。学校へ急いでいる風を装って、すたすたと足早に。しかし口は笑っているが、彼女の眼には苦々しさが浮かんでいた。


「馬鹿に……して」


 小さく彼女は呟く。あの家の元々の住人は中年夫婦だ。家族ぐるみで付き合ってきた。決してあの老婆ではない。


 街の中心。直通バスの出る停留所に近づけば近づく程に人は増えていった。眼が疲れると彼女は思う。茶髪、金髪は序の口。赤、青、緑、挙句の果てには二色の髪の色の者すらいる。制服を改造している様な連中すら見受けられる。


 道端の自販機は見たことがないようなメーカの物が置かれている。商品名は崩されて読めない物や、一言、お茶としか書かれていない物すらある。ジュースと書かれた商品を見た時、彼女は思わず笑ってしまったそうだ。

 数年前のアメリカと日本が混ざり合った様な不思議な街は一変し、見たことはあるけれど見たことがない。そう称するしかない風景になっている。


「きゃー! 可愛い、可愛い可愛い! うぇへへへへ……」


 オーバーリアクションで傍らの女に抱き着くピンク色の髪の少女。抱き着かれた方もまんざらではない。そんな光景が視界に収まる。


 ああ、気持ちが悪い。そう思う彼女は空を見上げる。憎たらしい程に快晴である。簡略化された街。ある意味ではデフォルメだろうか。意識的にしろ無意識にしろ、歪められた街。街の要素を誇張した、人でないのに人の真似ごとをし、最後には自分の世界に入れ替える。そんな狂った。


 彼女は顔を正面に向ける。狂った世界を正常に戻すのは、そこに暮らす自分らの役目であると信じて。

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