表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最凶公爵令嬢は微笑まない―誰も、彼女の季節を止められない―  作者: 玉響すばる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/43

第33話 誰かに必要とされたい願いが、自分も誰かを必要としている事実を隠していた

 人は「役に立ちたい」と言う時、たいてい半分は本当だ。


 けれど残りの半分には、別の願いが混ざっていることがある。


 必要とされることで、自分の不安を埋めたい。

 感謝されることで、自分の価値を確かめたい。

 誰かの役に立つ形を借りて、実は自分の心を支えてほしい。


 それ自体は珍しいことではない。

 むしろ、とても人間らしい。


 ただ、その混ざりものに自分で気づけるかどうかで、その後は大きく変わる。


 別邸の朝、フィオナは昨夜書いた返書を何度も読み返していた。


 文面はまだ短い。

 感謝。

 見学で感じたこと。

 そして、役に立つかどうかだけでは足りないと知ったこと。


 そこまでは書けた。


 だが、その先が書けない。


 ――それでも、自分は何をしたいのか。

 ――それでも、なぜあの場所が気になっているのか。


 そこへ進もうとすると、言葉が急に曖昧になる。


 手伝いたい。

 知りたい。

 何かしたい。

 どれも間違いではない。

 けれど、どれも少し足りない。


 フィオナはペン先を紙へ当てたまま、しばらく動かなかった。


 昨日の施設での感覚が、まだ身体に残っている。


 熱を持った子供の額。

 足りない薬。

 年長の子の小さな手。

 マルタの働く手の荒れ。

 そして自分の癒やしの光が確かに一人には届きながら、それでも全体は変わらないという、あの重さ。


 あの場で感じたのは、失望だけではなかった。


 自分の力が万能ではないことは苦しかった。

 だが同時に、自分一人が中心ではない場の中で、それでも役に立てることには妙な安堵もあった。


 特別ではなくてもいい。

 全部を変えられなくても、少し助けになるなら。


 その発想は、少し前のフィオナにはなかったものだ。


「……わたくし」


 小さく呟く。


 何を言いたいのか、昨日よりは分かってきていた。


 自分は、必要とされたいだけではなかったのかもしれない。

 むしろずっと、自分を必要としてくれる“何か”を必要としていたのだ。


 王太子。

 社交界。

 聖女という立場。

 守られる構図。

 そして今は、地方の施療施設。


 相手が違うだけで、ずっと同じことを繰り返していたのではないか。


 そう気づいた瞬間、胸の奥がひどく冷えた。


 必要とされたいのではなく、必要とされる状態にしがみつきたかっただけだとしたら。

 自分が善意だと思っていたものの一部は、ただの飢えではなかったか。


 それは、フィオナにとってかなり痛い認識だった。


 女官が朝の茶を運んできても、彼女はすぐには顔を上げなかった。


「フィオナ様」


 控えめな呼びかけに、ようやく視線を向ける。


「……ありがとう」


 声は静かだった。


 女官は少しだけ机上の便箋へ目をやり、それから何も言わずに茶器を置く。

 最近のフィオナは、以前より感情の起伏を表へ出さなくなった。

 それが安定なのか、もっと深い場所へ沈んでいるのかは判断しにくい。


 だが今朝は、少なくとも怒りの匂いが薄かった。


「書状は、本日中にお出しになりますか」


 その問いに、フィオナは少し考えた。


「……もう少しだけ」


 急がない。

 その選択ができたこと自体、わずかな変化だった。


 以前なら、胸が動いた瞬間に意味を固めたかった。

 今はまだ、自分の中で整理しきれていないと分かっている。


 王妃宮では、その日の別邸報告に「夜間静穏、書状作成継続、情緒大波なし」とだけ記された。


 王妃はそれを読み終え、机上へ置く。


「少し沈みましたね」


 側仕えの言葉に、王妃は頷いた。


「ええ。でも悪い沈み方ではないかもしれないわ」


「と、申されますと」


「昨日の見学で、あの子の中の“私は必要とされれば立ち直れる”という単純さが少し崩れたのでしょう」


 王妃の見立ては的確だった。


 人は、自分の願望が一度そのまま通らない現実へ触れると、すぐには前へ出られなくなる。

 その停止は、挫折にも見える。

 だが同時に、考え直しの入り口でもある。


「この段階で周囲が急かすと危ういわね」


「ヴァルメル夫人は」


「動くでしょう」


 王妃は静かに言う。


「理解者の顔をした方ほど、相手の沈黙を“次の言葉を差し出す機会”と読むもの」


 そこが難しい。


 弱った人間が少し立ち止まった時、本当に必要なのはその停止を急いで意味づけしないことだ。

 けれど、外から見ればその沈黙は“背中を押せば動く瞬間”にも見える。


 だから介入は起こる。


 一方、エドガルドは北部視察へ向けた事前資料の確認を終えていた。


 今回の視察は派手ではない。

 むしろ地味だ。

 施療院、備蓄庫、孤児院、小規模な行政詰所。

 王太子が行く場所としては華がないと感じる者もいるだろう。


 だが今の彼には、その華のなさがむしろ必要だった。


「殿下、こちらが現地の簡易報告です」


 文官から受け取った紙束へ目を落とす。


 物資不足。

 人手不足。

 冬季急病の増加。

 孤児の受け入れ数。

 どれも数字だ。

 数字だけでは人の顔までは見えない。


 けれど数字を見なければ、顔の後ろにある継続の重さが分からない。

 最近のエドガルドは、その両方の必要性を少しずつ理解し始めていた。


「施療院側の受け入れ準備は」


「最小限にするよう通達済みです」


「よし」


 そこで彼は一枚の紙に目を止める。

 孤児院併設施設の報告だ。


 病児対応の負担増。

 看護補助者不足。

 薬草煎じの供給不安定。


 昨日、別邸関連で教会施設見学の件を聞いたばかりだったせいか、その一文の重さが少し違って感じられた。


 だが彼はそこへ個人的な感傷を混ぜない。


「補助案の優先順位、ここを一段上げろ」


 文官がすぐに書き留める。


「承知いたしました」


 それだけだ。

 けれど、それでいい。


 個人的な関係や未練や後味の悪さを、制度側の調整へそのまま流し込まない。

 必要なのは、その場の構造を少しでもまともにすることだけだ。


 レティシアは午後、領地から上がってきた春先の人員配置案を見ていた。


 婚約解消の余波が完全に消えたわけではない。

 だが、彼女の時間配分はもうかなり本来の状態へ戻っている。


 そこへセバスチャンが新しい報告を持って入る。


「別邸で、返書がまだ止まっているようです」


「そう」


 レティシアは紙を受け取り、短く目を通す。


「迷っているのね」


「前進ではなく、停滞では」


「いいえ」


 彼女は静かに首を振る。


「本当に停滞している時は、人は何も書けない理由を全部外に置くもの。“制限されているから”“理解されないから”“機会がないから”ってね。でも今のあの子は、自分の中で何かが引っかかって書けずにいる」


 それは大きな違いだった。


 自分の外に原因がある限り、人は自分を修正しなくていい。

 だが自分の内側に言葉の詰まりがあると気づいた時、人は初めて“考え直す”段階へ入る。


「見学が効いたと」


「ええ。少なくとも、“行けば必要とされる”という単純さは崩れたでしょうね」


 レティシアは少しだけ目を細めた。


「問題はここからよ。その崩れたあとで、なお残る願いが何か」


 それが大事なのだ。


 役に立ちたいのか。

 見返したいのか。

 救われたいのか。

 逃げたいのか。


 混ざったままでもいい。

 でも、その中で何が最後まで消えないのかを見ない限り、本当の意味で次へは進めない。


 夕方、別邸ではフィオナがようやく返書の続きを書き始めていた。


 最初の一文は昨夜のまま。

 その下へ、彼女は慎重に言葉を重ねる。


 ――わたくしは、誰かの役に立てるかどうかばかりを見ておりました。けれど実際には、わたくし自身が“必要とされることで安心したい”と思っていたのだとも感じました。


 そこまで書いて、彼女は息を止めた。


 これは怖い言葉だった。

 あまりにも裸だ。

 差し出せば、自分の未熟さまで見せることになる。


 けれど同時に、初めて少しだけ本当だった。


 今までは、自分の善意ばかりを整えて見せていた。

 でも、本当に揺れていたのは、自分が誰かを必要としていた部分の方だったのかもしれない。


 王太子に守られることで安心したかった。

 社交界で認められることで安心したかった。

 聖女と呼ばれることで安心したかった。


 だとしたら今、地方施設へ惹かれているのも、その延長かもしれない。


 その認識は苦しい。

 だが、書いてみると不思議なことに、少しだけ肩の力が抜けた。


 善人でいなければならない。

 純粋でなければならない。

 そういう圧力が少しだけ薄れる。


 人は、自分の混ざりものを認めた時に初めて、完全ではない形で前へ進めることがある。


 フィオナは続けて書く。


 ――それでも、あの場所で見た子供たちのことが気になっております。もし再び伺うことが許されるなら、今度は“わたくしがどう見られるか”ではなく、“何が足りていないのか”を、もう少し知りたいと思っております。


 書き終えたあと、彼女は長く息を吐いた。


 これはまだ完成された言葉ではない。

 たぶん幼い。

 たぶん危ういところも残っている。


 それでも、昨日までより少しだけ違う。


 自分の願いの中にある利己を見たうえで、なお残るものを言葉にしようとしているからだ。


 それが本当に自分のものになる第一歩だった。


 現実を見たあとで残る願いだけが、本当に自分のものになる。

 そしてそういう願いは、綺麗ではない代わりに、前よりずっと折れにくい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ