10
翌日。
宣言通りぐっすり寝ているエルナンのために、朝からクルミのマフィンを焼く。
家中にいい匂いが漂い始める頃になって、エルナンはぼさぼさ頭で部屋から出てきた。
「うまそーな匂い……」
「こらこら、お兄ちゃん!まずは顔を洗って、朝ご飯を食べてからだよ」
「ちょっとだけ」
「ダメです!」
ぴしっとセレスティーナから叱られて、エルナンはすごすごと伸ばしかけた手を引っ込めた。そして、おとなしく顔を洗いに行く。
――エルナンは朝食兼昼食、セレスティーナは昼食を食べたあと。
午後は二人で街まで買い物へ行くことにした。日用品のあれこれを買い足すためだ。
家を出て街へ向かい始めてすぐに、三軒隣の緑の大きな屋根の家が目に入り……セレスティーナは昨日の件を思い出した。
「あのね、昨日……」
「ん?」
「ホセに嫁にもらってやるって言われたの」
「は?!」
エルナンがぎょっとしたように妹を振り返る。
「あいつ……!くそ、盲点だった!田舎なら安心かと思ってたのに!」
「盲点?」
「いや、こっちの話。……ちょっと話に行ってくる」
眉を吊り上げ、拳を握り締めてホセの家へ行こうとするエルナンに、セレスティーナは慌てて追いすがった。まだ話は途中なのに、兄は一体何をどうするつもりなのか。
「待って待って!」
「なんだ、セリーナ。えっ、もしかしてホセと……結婚したい……とか?」
エルナンは興奮したまま振り返り、セレスティーナに問いかけて……途中からすっと青ざめる。そして勝手にショックを受けてよろめく兄に、セレスティーナは往来の真ん中だということを忘れて「はあっ?!」と大きな声を出した。叫んでから、慌てて口を塞ぐ。
きょろきょろと周囲を見渡し、誰もいないことを確認してから兄を詰る。
「ど、どうしてそういう話になるの!そんなこと考えてないってば」
「だよな?!だよな……よ、よかった。少なくとも、"もらってやる"なんて言うヤツはダメだ」
「う、うん……まあ、私もそういう人はイヤなんだけど……」
違う。セレスティーナはそんな話をするつもりではなかったのだ。
"んんっ!"と咳払いをして、セレスティーナは逸れかけた話を戻した。ホセの家の近くで話すようなことではないので、兄を引っ張って急いで歩を進めながら声をさらに抑える。
「えーと、それでね、そのときに実はレオさんに助けてもらったの。だからホセはもう、何も言ってこないと思う。ただ、レオさんにはムリをさせちゃって……」
「そうなんだ?そうか、ふく……レオさんがいて良かった」
「ということで」
兄の腕をぐいっと更に引っ張って、セレスティーナは兄を見上げた。ここからが本題だ。
「明日、レオさんにクルミのマフィンを渡してもらえる?全快のお祝いと、助けてくれたお礼代わりに」
「えっ」
良かった良かったと何度も頷いていたエルナンが、聞いた途端、嫌そうに鼻の頭に皺を寄せた。セレスティーナのマフィンは美味しいし、大好物なのだ。自分の分が減るのは耐えがたい。
そんな兄の顔を見て、セレスティーナは呆れたように兄を叱った。
「レオさんはクルミを割るのも手伝ってくれたの!お兄ちゃんの分もたっぷり作ったんだから、そんな顔をしないで」
「うう……はい」
しゅんと項垂れ、エルナンはしぶしぶ頷いた。端から見て、これではどちらが年上が分からないことだろう。
「レオさん、マフィン好きだといいんだけどな。聞いておけば良かった」
「セリーナの作るものをマズイと言ったら、たとえふく……レオさんでも殴る」
「あはは、止めてよ。……そういえば、レオさんって女の人の恨みを買ってたんでしょ?すごくいい人なのに、恨む人もいるんだねぇ」
昨日、兄から話を聞いたときから思っていたことだ。レオは確かに素っ気なく頑ななところはあるが、他人に対して酷い仕打ちをする人物とは思えない。呪いを掛けたくなるほど恨まれるとは、驚きだった。一体、何をしたというのだろう。
するとエルナンは、「んん~」と唸って頭を掻いた。
「まあ、ヒドイことをしたというか、そうじゃなくて……あの人、モテるからさぁ……」
「モテる……」
思っていた理由と違って、セレスティーナは首を傾げた。
(つまりレオさんに振り向いてもらえない嫉妬で呪ったってこと……?んん~……レオさんって年をとっててもカッコいいし、そういうこともあるのかな?そっか、大変なんだなぁ……)
彼は女性が苦手と言っていた。
若い頃から、年をとった今でも追いかけ回されているのなら……苦手なのも当然だ。
セレスティーナは大丈夫だと言ってくれたが、やはり無理をしていたに違いない。世話をする人間相手に、「嫌だ」なんて言えるはずがないのだから。
レオと一緒に本を読んだ時間はとても心地良かっただけに、なんだか悲しい気持ちになるセレスティーナだった。
翌日からはセレスティーナもエルナンもいつもと同じように仕事場へ行き、仕事である。
セレスティーナは、数日のんびりした日を過ごしてしまったせいか、仕事のやる気を取り戻すのが大変だった。
汚れ物を回収し、洗って、干して……乾いたら綺麗に畳んでゆく。いつもながら、なかなかの重労働だ。でも、汚れ物が綺麗になってゆくのは気持ちいい。
それに……仕事仲間とお喋りをしながらの洗濯作業も結構、楽しいものである。
さて、今日の洗濯場では……麗しの副団長リオネル・マルティネスの話題で盛り上がっていた。
リオネルは今年27歳、騎士団内で一番強く容姿端麗な男である。貴族のご令嬢方だけでなく、騎士団本部で働く全女性から人気の御仁だ。
しかしかなり寡黙な男で、洗濯婦のほとんどが言葉を交わしたことは無い……のだが、何故か昨日から何人かが声を掛けられているらしい。
「副団長さまから"お疲れさま"って言われちゃった~!」
「あたしも!あたしも言われたわよ。こんなこと、初めて~!」
「きゃーーーっ、明日は私の番よ、私も声を掛けていただけるかしらっ」
先輩たちは興奮が収まらないらしく……洗濯物を抱き締めたり、ぎゅうぎゅうと絞ったり。今日の洗濯物の扱いは、散々だ。
(仕上がりがくちゃくちゃにならないかしら?)
セレスティーナはその様子を見て少し心配になった。服の皺を取るのは大変なのだ。
ちなみにセレスティーナはまだ下っ端なので、リオネルの洗濯物を取りに行ったり返しに行ったりしたことはない。リオネルに関わる仕事は、先輩たちの間で取り合いになっているせいである。
だけども。
(副団長さま……。仕事を始めたばかりの頃、助けてもらったっけ)
一度だけだが、言葉を交わしたことがあった。洗濯婦として働き始めた最初の頃だ。
集めた衣服やシーツを洗濯場へ運ぼうとして重さによろけていたところを、リオネルが手を貸してくれたのである。
突然、黙って横からひょいと荷物を取り上げ、
「どこへ運ぶ?」
と聞かれた。
思わぬ事態にセレスティーナはポカンとしたが、リオネルは静かに立ってセレスティーナからの返事を待っている。
……このとき、実はセレスティーナはリオネルのことを知らなかった。だけど団服を着ているし、明らかに身分が上の人間だということは分かる。なので慌てて、「大丈夫です!」と返した。
「あの、これは私の仕事なので!自分で運びます。騎士さまの手をわずらわせるワケには……」
「君は新顔だな。最初は張り切って無理をするものだが……この量は多すぎるだろう。自分の力をちゃんと把握したまえ」
「……はい」
男の淡々とした口調に、セレスティーナはしゅんとした。この日はちょうど失敗続きだったので、余計にその言葉は堪えた。しかも、彼はセレスティーナが両手で持ってもフラフラする量の荷物を、片手で軽々と持っている。自分の力の無さを見せつけられた気分だ。
「申し訳ありません……」
「いや、俺は君を咎めている訳ではない。無理をすると、体を痛めることになる。気をつけた方がいいと言いたかっただけだ。……その、言い方がきつく聞こえたなら、こちらこそ申し訳ない」
無表情だった男の眉尻が、少しだけ下がった。
整った顔立ちで無表情に淡々と言うので、てっきり怒っていると思ったのだが……どうやら、そうではなかったらしい。現金なセレスティーナはホッとして、顔を綻ばせた。
「ありがとうございます。私、自分は力のある方だと思っていたんですが……全然でしたね。いつか、騎士さまみたいに片手で持てるくらいまで、頑張って鍛えます!」
「……いや、そこまで力をつけることはないと思うが」
……そしてその後、リオネルは洗濯場まで荷物を運んでくれた。
話をしたのは最初だけで、あとは会話もなかったのだが……二人で歩いているところを見た年配の洗濯婦が「その人は副団長のリオネルさまだよ」と教えてくれた。さらに、あとでこんな忠告もしてくれた。
「あんた、新入りだろう?あんまり副団長さまと親しくしたらダメだよ。他の子からイジメられるからね」
「そうなんですか?」
「そりゃあ、そうさ!強いうえに、あんな男前だもの。みな、副団長さまの特別になりたくて必死なんだ。……ただ、副団長さまはうるさく付きまとう女性は嫌いみたいだけどね」
顔の美醜に重きを置いていないセレスティーナでも、リオネルがモテるのは分かる。それに、いい人だった。
新入りで、まだ仕事の出来ない自分が近付いていい相手ではないだろう。
セレスティーナは素直に頷き、「もう、副団長さまと話をしないよう気をつけます!」と答えた。
(というか、頑張って鍛えて、副団長さまには迷惑をかけないようにしなくちゃ!)
そしてその日から腕立て伏せがセレスティーナの日課になったのだ――。
すみません、家の用事が重なって執筆作業が出来なかったたため、来週の更新日は未定~…
(更新はする予定でいます。あと、3~4回ほどで完結するはず…!)









