31 いつもの二人で
「で、大丈夫?」
防波堤であぐらをかいて座る蘇芳が、潮風に髪を抑えながら聞いてきた。
「……なにが?」
「総の結婚が」
荘厳な結婚式が終わり、和やかなガーデンパーティーへと移ってたった数分で、蘇芳は二年前と同じように「海、いこう」と鈴を連れ出した。
スーツのジャケットを鈴の座る場所に置いているのも、全く同じだ。
海の色も空の色も、たった二年では変わらないらしい。
晴れ渡った空を見ながら、ゆるく頷く。
「うん、大丈夫」
「そっか。仕事はどう?」
「順調かな。家事代行とシッターだから、私には合ってるよ。色々バイトしたけど、どこかの誰かが私の名前を浸透させてるせいで、りんって名前だけで、あー、Dのりんりんと同じだねって声かけられるから続かなかったし」
「へー。認知度高い」
「あなたのせいですけど?」
鈴の恨めしそうな声に、蘇芳は無邪気に笑う。
その横顔に、思わずほっとした。
Dの活躍はこの二年で更に勢いがついている。テレビをつけていればメンバーの誰かのCMを必ず見かけるし、雑誌も、音楽チャートも必ず入っている。
スオウを見ない日はなかった。
けれど、今鈴が見ている横顔は「蘇芳」だ。
思わず表情がゆるむ。
蘇芳に見つからないように俯けば、その頭を優しく撫でられた。
「りん」
「……なに」
「ここ二年、いい子にしてたんだけど」
「いい子かどうかは知らないけど、頑張ってたのは知ってる」
「そ?」
「うん。ドームツアーも無事に終わって、世界的に有名な人から楽曲提供されて、再生回数が凄かったとか、ブランドの顔になったとか。色々。太郎も家に帰れなかったくらいだし。でも、楽しそうだなって」
「楽しいよ。何かに打ち込むの、初めてだし」
蘇芳の淀みない答えは、鈴の心を軽くした。
同時に、少しだけ痛むが。
海面がきらきらと太陽の光を乱反射して、二人の目の前に広がっていく。
その光景や、潮騒に混じって鳴る祝福の声が、鈴の何かを揺さぶった。
「――私、今の仕事で、人の世話をしたい欲をどうにかできると思ってたし、実際向いてるからやりがいはあるんだよね。達成感とか、満たされる感じはあるの。でもやっぱり、蘇芳の世話がしたくてしたくて。これっておかしいよね、やっぱり。私がおかしいんだと思う。蘇芳って意外とちゃんとしてるんだもん。この二年でよくわかった。だから」
「りん」
視線を感じた鈴が蘇芳を見た瞬間、ふと総の言葉が戻ってきた。
――自分の気持ちを一度も疑うことなく、怖いくらいまっすぐ思える蘇芳が羨ましい。
その言葉の意味が、蘇芳の顔を見てわかった。
疑っていない。
蘇芳は、鈴を思う気持ちを一度も疑ったことはないのだ。
小さな頃からずっと。
「俺と結婚して」
「け」
「……なに? 忘れてたの?」
訝しげ言われ、思わず首を横に振る。
蘇芳の言葉を忘れたわけではない。
確かに二年前「りんの課題をクリアしたら結婚を申し込む」と出した覚えのない課題ができてそう言われたが、少なくてももう少し先の話だと思っていたのだ。
さっきだって、だからもう少し時間をかけて関係を変えていきたい、と言いたかった。
鈴が伝えると、蘇芳は眉を顰める。
「先って? 時間って? どれくらい?」
「じゅ、じゅうねん、くらい?」
「俺に死ねって言うの」
真顔で言われる。
「あのさ、俺の世話をしたいって話。それ、依存じゃないよ」
「え」
「ただ俺のことが好きってだけ」
蘇芳はなんでもないことのように言ってのけた。
一拍遅れて、鈴が赤面する。
「そ、そういうこと、言うかなあ?!」
「りんには遠回しとか建前とか察してもらうとかやめたから。だから、はい」
「……なにこれ」
二人の間に、コトンと置かれたのは、小さな四角い箱だ。よくドラマで見るアレだった。
蘇芳はあぐらをかいたまま、置いた箱を開ける。
ドラマで見たものと同じように、そこにきらきら輝く指輪が鎮座していた。
「ん。もう言い訳も意地も聞かない。それに付き合ってたら、十年どころか二十年、三十年過ぎるってわかったし。俺は待てないし、待たない。いらないなら海に捨てていいよ」
胡座に頬杖をついて挑戦的にこっちを見ている蘇芳は、どう見てもプロポーズをしているようには見えない。
けれど不思議と、鈴は嬉しかった。
テレビの中のスオウではない言葉が嬉しい。
「あの、蘇芳」
「なに」
「これってプロポーズ?」
「ううん。最終の追い込み」
「怖いんですけど」
「それくらいがちょうどいいだろ」
そう言う蘇芳の顔は穏やかだ。
「結婚しよう、りん」
「……い、いいのかな」
「いーよ」
「蘇芳と、結婚」
「そうそう」
「結婚……」
鈴は「ふっ!」と笑い出した。
海に跳ね返される日差しや、防波堤の上にちょこんとある指輪のケースの中で輝く指輪が、あれこれ考えていたはずの理由みたいなものを、光が綺麗にかき消したのだ。
「本当にするの?」
「うん。するよ」
「蘇芳、私から逃げられなくなっちゃうよ」
「それ逆。りんが俺から逃げられないけど、いい?」
蘇芳が目を伏せて、指輪の箱を指で揺らす。
ああ、この人、今緊張してるんだ。
それに気づくと、深くから湧く愛おしい気持ちでいっぱいになった。
素直に。
ただ、素直に。
鈴は軽く頷いた。
「わかった。する」
「それは、結婚ってこと?」
「そういうことになりますね」
「……照れてる?」
蘇芳の手が伸びてくる。
前髪をさらって、表情を確かめるように手の甲で頬に触れてきた。
前に付き合っていたときとは、触れ方がまるで違う。
あの頃はやっぱり手加減されていたのだ。
「なあ、大丈夫? 結婚したら絶対離婚なんかしないよ」
「……するつもりは、今のことろないけど」
「その言い方、りんっぽい」
蘇芳がくすくすと笑う。
総が結婚することを知った三日前から、確かに鈴は放心していたが「総ロス」ではなかった。ただ単に、蘇芳との約束の日が突然目の前に迫ってきたせいだ。覚悟なんて決まっていなかったが、ここに来て華麗に流された。
しかし、嫌な気はないどころか、むしろスッキリしている。
「炎上でもなんでも、もう仕方ない。どんと来い!」
「しないと思うよ。大丈夫」
ぽんぽん、と肩を叩かれる。
そうして、蘇芳は指輪を取り出すと、鈴の左手をさらっと拾って、あっけなく薬指につけた。
「ぴったり……」
「ん。で、大事なのはこっち。はい、書いて」
指輪の箱の底から出てきたのは小さく折り畳まれた婚姻届で、空欄は鈴の各部分だけだった。すぐにペンを渡される。
「ここで?」
「うん。今すぐここでサインして」
「いや……するけど……待って、私の字だけふにゃふにゃして下手じゃん!」
「よし。じゃ、出しに行こう」
「今?!」
「鉄は熱い内に打て、だよ」
「こういうのって慎重に、お互いの両親とか親族に報告して。あ、ほら、ボスにも」
「あそこに全員いるけど」
「確かに」
鈴が納得しているあいだに、蘇芳は立ち上がると防波堤から飛び降りた。
式場の庭に向かって婚姻届を大きく振る。
すると、すぐに向こうから歓声が上がった。
「蘇芳……まさか」
「太郎が実況中継してる、かも。いや、生配信だっけ?」
「もう! また?!」
「大丈夫。俺たちは映ってないし」
「そういう問題じゃない」
「ほら、りんも降りて。炎上してないか見に行こう」
「散歩するみたいに言わないで」
「絶対してないって。ほら」
鈴が降りて蘇芳のジャケットをはたくと、向こうからが大きな「おめでとう!」がいくつもかけられる。そして、太郎が大きく手を振っていた。睦も、千夏もだ。
「な、大丈夫だって」
「あれそう言ってんの?」
「そうそう」
「……絶対適当でしょ」
「幸せになろうね、りん」
蘇芳に手を取られ、柔らかく繋ぐ。
なんかもう、この瞬間だけで幸せなような気がした。
けれど悔しくて、鈴はそれを口にはせず、代わりの言葉で伝える。
「蘇芳」
「ん?」
「ありがとう」
「うん。俺も好きだよ」
「あ、ありがとうって言ったんですけど?!」
「はいはい」
蘇芳がにこにこと笑って、鈴の手を引く。
手を繋いでいるのは、鈴のよく知った蘇芳だ。
だとしたら、流されるのも悪くはない。
というか、そもそも逃げられなかった。
蘇芳でしか埋められない部分が、幼い頃から鈴の中心にあるらしい。
依存とか、そういうものよりも深いところにある、愛おしいという気持ち。
鈴は蘇芳の手を強く握り返した。
きっともう、この手を放すことはできない。
でもまあ、それでもいいや、と鈴は開き直って青空を仰いだ。
諦めも肝心だ。
完
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
最後に鈴が「諦めも肝心」と呟いていますが、きっと蘇芳を好きじゃないと言い張る自分を受け入れたのかな、と勝手に思っています。彼女は意地っ張りなので。きっとこれからがデレのターンに入るのかもしれません。
読んでくださり、本当にありがとうございました!




