3
委員会を終えて風紀室に戻ると、廊下に見覚えのある人影があった。
足立だ。
俺の姿を認めてニコリと笑う。並んで歩いていた他の委員が「可愛いじゃん」と呟く声が聞こえる。確かに明るい所で見る足立は可愛らしい。
大きな目と長い睫毛、白い肌に真っ赤な唇。小柄な体格だからかどこか女の子っぽく感じるし、ニッコリと笑う姿はそこらのアイドルより全然可愛いし綺麗だ。たが、俺には悪魔の微笑としか思えない。或いは獲物を見つけたハンターだ。
「林先輩、ちょっといいですか?」
厭だと答えたら昨日の事を言いふらされるかも知れない。
まぁ足立は友達が少ないようだから大丈夫だろうけど、可能な限り危機は回避したいと思うのが人情だ。
「ああ、」
頷いて風紀室のドアを開けようとして思いとどまる。ここで話したら俺がビビリだと、他の委員にもバレてしまうではないか。
「ちょっと待ってろ」
そう言いおいて風紀の書類を手早く片付け、すぐに戻る。
風紀室にいる委員どもが何やら囃し立てているが、今は無視だ。そんなものに構っている余裕なんかない。
「で、話って何だ」
適当に歩きながら促すと、足立がニコリと笑う。
「肝試しに付き合って下さい」
「断る!」
俺がビビリだと知っていながらそんな事を言うなんて、こいつは相当のイジワルに違いない。
「お礼はちゃんとしますよ?」
どんなお礼だろうが、厭な物は厭だ。だいたいからして、俺が金に目が眩むような人間だとでも思ってるのか。
「先輩のその目、封じてあげます」
「……え?」
今、何て言った?
俺は自分の目の事を誰かに言った事なんかない。家族ですら視力が弱いぐらいにしか思っていないのに、どうして昨日会ったばかりの足立がそれを知っているんだ。
「正確には封じる訳じゃないんですけどね」
「どういう事だ」
「先輩の右目、取り憑かれてますよ」
取り憑かれ……って何に!
クワッと目を見開く俺を見て、足立が困ったように小さく笑う。
「僕もちゃんと修行した訳じゃないのでよく分からないんですが、それでも先輩の右目にいるものとは波長が合うみたいで何となく分かるんです」
分かるのか分からないのか、ハッキリしろ。
いや、何がいるのか分からないって意味で、何かがいるのは分かってるって事か。
「それ、じゃ……もしかして俺の目が普通になるって事なのか?」
「視力は戻らないと思いますけど、ない物を見てしまうって事はなくなると思いますよ」
マジか!
そしたら、もう踏切を避けて遠回りする事もなく、深夜のトイレも行けるようになるのか。余談だが、何故か俺がトイレに行くと奴らはここぞとばかりにおちょくりに来る。それにいちいちビビってしまうからいけないと分かってるのだが、ビビるなと言われてビビらないなら最初からそうしてる。
「あ、でも……ちゃんと修行した事ないって」
「小さい時に祖母から禁止されたので。でも、失敗したとしても先輩に危害が及ぶ事はありませんよ」
何だか引っ掛かる言い方だな。
でも、今の話が本当だとしたら俺にとってメリットばかりなのは確かだ。
成功したら俺はもう怖い思いをしなくて済むし、失敗しても今と変わらない。
だったら、引き受けるしかないだろう。
「でも、どうして俺なんだ?」
旧校舎はボロボロだし、怪談の舞台でもある訳だから一人じゃ怖いと言うのなら納得出来る。でも、昨日は一人で行った癖に今日になってどうして。
「虫が嫌いな人って誰よりも先に虫を見つけるでしょう?」
おまえ、幽霊とゴキブリを同じレベルで話したな。まぁ、嫌われ者と言う点では似てるんだけど。
「分かった、その条件で飲もう。いつ行くんだ?」
「今から行きますよ」
………はい?
今って言ったか、それってもしかして現在ナウって事なのか?
強張る首をグギギと動かして窓の外に目を向ける。
下校時刻の近い午後六時。西の空はまだほんのりと明るいが、そんな物あっという間に沈んでしまう。朝昼晩で区切るなら今は晩だ。つまり夜。
「いやいや。明日にしよう、そうだ、明日の明るい時間がいい!」
これまでの経験から、奴らが出るのは何も夜だけに限った事ではないと分かっている。でも、心理的に夜はダメだ。暗いと言うだけで色々と怖過ぎる。
「何言ってるんですか、さっさと済ませた方がいいじゃないですか」
そうだけど。でも、だけど!
本気で無理だって。夜の旧校舎で血まみれの幽霊とご対面なんかしたら、泣く自信あるぞ。いや、それどころか気絶するかも知れない。
ブンブン首を振る俺に呆れたような溜め息をついて、足立が言う。
「行きますよ」