12
レッカ・ヴァーナーは、レッカ・ジョージル(町長)の息子の名前であった。しかし、ヴァーナーは、齢十五で亡くなっている。黒い魔物に襲われた、と言うことしか分かっていないが、ヴァーナーは死んだ。そんなときに、黒いローブを被った、ヴァーナーと同じくらいの年頃の少女が、町長の家の前に倒れているのを発見される。
その日より、町長は、その少女をヴァーナーとすることにした。
それゆえに、レッカ・ヴァーナーは、女性である。
そして、俗に言う「ハーフエルフ」である。そして、彼女もまた、シェリクシアの定義から外れる、アイナやアンと似た存在。
そして、それは、この世界の人間から見たら、異質な存在である。
だから、彼女は、決してローブを外さない。そして、決して、ローブの中を誰かに見られては、いけない。そう、自分で誓ったのだった。
「勇者さん」
皆が寝静まった夜のこと。野宿のため、複数のテントを張ってある。黒真が眩しい太陽の登った空を見上げていたら、テントの一つから黒真に、ヴァーナーが話しかけた。その声は、とても愛らしい、高い声音だった。
「……随分と可愛い声だな」
黒真の呟きに、ヴァーナーが可愛らしい反応で返す。
「なっ、なな……」
顔を真っ赤にし、照れと驚きと怒りの混ざったような、なんとも言えない顔をしている。
「それで、何か用か?」
黒真の、普段の様子とは違う、暗く冷静な雰囲気に、ヴァーナーは、呑み込まれそうな気分になる。
「この忌まわしき体を見たのですか?」
とても愛らしい声とマッチしない真剣み溢れる内容に、黒真は思わず苦笑いしそうになるが、堪えて、言う。
「忌まわしき、ね。別に口調から見ても、性同一性障害じゃないんだろう?ってことは、あの可愛い『お耳』のことかな?」
キザったらしい口調で黒真が言う。
「な、何が可愛いんですか!あんなもの、他人と異なる……、人ではない証明じゃないですかっ!そんなもの、可愛くもなんともありません!」
「喋るようになったら、いつになく饒舌だね。そのとても可愛い声が聞けるのはうれしいけれど、少し声を抑えたほうがいい。誰かが起きてきて困るのは、君のほうだと思うよ?」
などと、適当に言葉をかけつつ、内心では、別のことを考えていた。
(この反応、エルフが悪者ってゆーか、魔物って言う話は聞いたことがねぇし、魔物図鑑にも載ってなかったからな。そもそもいない存在ってことか?じゃあ、エルフの存在について、ざっと説明するか)
「くっ、……そうです、ね。喋りすぎました。声も控えます」
ヴァーナーは、声を潜めた。
「君は、自分の正体を気にしたことはあるかい?」
黒真の言葉にヴァーナーは、眉を顰める。
「しょう、たい……?」
黒真は、溜息をついて言う。
「エルフ」
ヴァーナーは、「何を言ってるんだ?」と言うような顔をした。
「えるふ?」
それに対して、黒真は、笑う。その笑みは、まるで、ヴァーナーの無知を嘲笑するかのような、笑い。
「そう、エルフだ。森の妖精。神聖なる森の奥に住む、森の守護者。尖った耳と白い肌が特徴的な妖精のことだ」
黒真は知っていることだけを述べた。
「神聖なる森の守護……」
そう、そして、神聖なる世界、……いや、妖霊なる世界の住人だ。
「だから、さ。その綺麗な顔を隠しちまうのは、もったいないぜ」
黒真は、笑った。その笑みは、先ほどまでの嘲笑とは全然違う、明るい笑み。その笑みに、ヴァーナーは心を奪われる。
「貴方がそう言うのでしたら、ローブを羽織るのを、やめます」
「ふっ、そうか。うん、いいんじゃないか?」
(ちょっと寂しい気もするけどな。俺以外の奴も、この綺麗な顔を知るってのが)
そんなことを考えながら、黒真は、テントに戻るヴァーナーを見送った。
翌朝(と言うより、就寝時間明け)、まだ静かな森の中。黒真たちは、テントを畳んでいた。
「ヴァーナーさん、起きてこないっすね。珍しい」
スーザックの言葉。そう、いつも、ヴァーナーが最初に起きてくるはずなのだ。そのヴァーナーが起きてこない。黒真は、昨日のことを知っているだけに、仕方がないと思っていた。
「ん?何やってるっす?」
「いや、写メっとこうと思って」
写メ、写真メールの略称。別にメールを送るわけでなく写真を撮るだけなのに、写メると言うこともあるから不思議である。
「しゃめ……?」
「まだ、10%だけど充電残ってっから、あれを撮らないのはもったいないと思ってな」
そう言った瞬間、ヴァーナーのテントから、ローブのフードを外したヴァーナーが出てくる。シャッターボタンを押し、ばっちり撮れたことを確認しながら、黒真は、スマートフォンをしまい、ヴァーナーに声をかける。
「おはよう、ヴァーナー」
「おはようございます」
そのヴァーナーの笑顔を見た、スーザック、リューク、アイナは、唖然とした。
「って、黒真ちゃん!ヴァーナーさんって男なんじゃないんですか!完全に女の子ですよ!」
「そうっすよ!な、なにがあったっすか?!」
「い、一体何が……」
その言葉に対して、ヴァーナーは、いつもと同じように無言だった。
「……」
ヴァーナーは、どうやら、黒真としか口を利く気がないらしい。
「ヴァーナーは、立派な女の子だぞ?」
黒真の台詞に、三人が目を丸くした。
「こ、黒真ちゃんは、いつから知ってたんです?」
「ナイフを拝借した時に、ローブの中を見たからな」
黒真があっけらかんと言うと、アイナは、息子が思春期になったことで不安を覚える母親のような顔をした。
それからも、黒真たちの冒険は続く。一ヶ月で、村から村へと巡り、スーザックが運命の人と出会ったり、リュークが自身の姉と許婚関係になったことが判明したり、と大忙しだった。
さらに一ヶ月で、大きな街につき、武道会や舞踏会などに参加し、大暴れ。
そうこうしているうちに、あっという間に、一年が過ぎた。
「ここが魔王のいるグルヴラ城か……」
黒真は、魔王城の前にいた。現在、黒真は、一人だ。
グルヴラ城に来る前、黒真は、時を止めて、単身で、来た。理由は様々あるが、仲間の安否を気遣ったのが一番か。
スーザックは、もうじき子供が生まれそうだと言う。
リュークは、許婚の「姉」と久しぶりに再会した。
ヴァーナーは、黒真の無二のパートナーと言われるほど、頼もしい間柄だったが、それゆえに、大事だからこそ危険な眼にあわせたくなかった。
アイナは、重要な仲間だった。そして、黒真にとって、母親のように暖かい存在だった。だから置いてきた。
それゆえ、黒真は、一人で戦いに挑む。最後の戦いに……。
魔王城の大きな扉に手を掛ける。
――ギィイイイ
そんな軋む音と共に、静かに開く。
「遅かったな!勇者よ!待ちくたびれたのじゃ!!」
そんな透通った怒声に、黒真は、その方向を見る。
――「赫い」
そう、赤と言うには深く暗い。それでいて、紅と言うには、太陽のように明るい、そんな「赫い」色。
次に、健康的な肌色。艶があり、光を反射する。ツヤツヤ、スベスベとした肌の色。
露出の高い、漆黒の衣装。水着や下着と変わらない布地で、胸元や腰元を覆っている。そして、風で翻るマント。それにより、荘厳な、偉大な、そんな風格ある魔王を髣髴とさせられる。
そして、少ない布地の所為で非常に目立つ、ヴァーナー以上にたわわに実った巨乳。ヴァーナーよりは、少し有るが、くびれた腰。少し大きいお尻。
パッチリと大きな瞳。長い睫毛。赤と黄色の中間のような、オレンジの瞳。
その容姿に、黒真は、思わず見とれた。見入った。いや、魅入られた、とも言えよう。
「ふっ、勇者よ。跪くのじゃ」
そして、蔑むような笑みとともに、黒真を見て、言った。
「跪く……、はっ、誰が」
しかし、黒真は、それをきつく睨み付けた。
「ぬっ……」
黒真は、この一年間……シェリクシアに飛ばされてからの日々で、ほとんどの時間、自分を偽って過ごしていた。
バカな振り、テンションの高い振り。全部、何もかも、「嘘」。
そして、今の黒真が、本当の黒真と言う人間。
「魔王。最初に、一つ言う。負けを認めろ」
冷たく、冷酷に、そう言った。
「本当に勇者か、おぬし?声の殺気が、化け物並みじゃぞ」
黒真は、押し殺していた自分を表に出す。
「時よ、止まれ――」
その言葉とともに、世界が止まる。
「これは……、ふむ、面白い技じゃのう」
しかし、アルスは、止まっていなかった。
「じゃが、【最硬度守護結界】の前では、どんな力も意味をなさぬ」
【最硬度守護結界】【オレイカルコスの守護結界】は、如何なる【魔力】【聖力】【科力】等の力でも無効化する。その結界に触れる、もしくは、結界内に居る状態では、誰も発動することができない。対【魔力】【科力】【聖力】などの力用【魔力】の中では、最強の部類に入る神がかり的な力だ。この力の前では、黒真の力すら、容易に無力化できる。無論、彼女が範囲に入る技であれば、同様に無効化されるため、【時の刻印】も発動中には、意味をなさない。
「そうかよ。だけどな」
しかし、黒真の【時の刻印】は、ただ、時を止めるだけではない。
【時の刻印】【タイム・スティグマ】。勇者の中でも異質な能力。勇者の時代を超えた語り継がれに起因する時間を体現した能力。その実質は、時の支配であり、本質的には、魔王に近いが、人々の心や思い出を、時空を越えて支配する勇者伝説と言う意味では、勇者の力である。そして、時と言うベクトルを様々に支配できるこの力には、止める以外にも能力がある。
時間の停止、時間の巻き戻し、時間の加速、時間を歪めること、時間を破壊すること、時間を御するあらゆることが行える。それこそが、【時の刻印】の本当の力。
「時よ、速まれ――」
アルスの周囲だけ、時間が隔離され、速まる。時の流れと言う「概念」そのものは、無効化できないため(時が止まると言う「事象」は無効化できるので、時が止まらなかったことになるが、時の流れが速まるという「事象」は、無効化しても、時が流れるため、結果的に加速すると言うことが起きてしまう。要するに、「事象」は無効化できても「概念」は無効化できないと言うこと)結果的に、長時間、【最硬度守護結界】を使用したことになってしまう。ただ、アルスの時間は、「事象」を無効化したので、普通の時間と同じである。一秒に一消費していたのが、一秒で十消費するようになると言うことだ。
「な、んじゃ、この疲労感は……」
そして、【最硬度守護結界】は、解除される。その隙を突いて、黒真は、止める。そして、ナイフを出して、アルスの首筋にナイフをあてがって、時を動かす。
「くっ」
「おっと、動くなよ。素直に、負けを認めろ」
黒真は、告げた。アルスは言う。
「誰が、認めるものか」
「いいな、それでこそ魔王だ。しばらく、止まっていろ」
そうして、黒真は、アルスの時だけを――止めた。
黒真は、アルスを縛り、抱え、仲間の元へ戻る。
「ここはどこじゃ?」
「俺の宿」
黒真は、動き出したアルスと部屋で話していた。どうやら、皆、まだ、黒真が、魔王を倒しに行ったことに気づいておらず、散歩をしに行って迷子になったかも知れない、と探しに行っているらしい。
「ふむ、迂闊じゃったか。おぬし、中々やるのう?勇者よりも、魔王向きじゃ」
アルスが笑う。
「くくっ、違いない。まあ、もっとも、お前みたいな魔王にはなれっこないがな」
そして思う。
(もし、俺が、魔王として呼ばれちゃってたら、こいつほど有能じゃなかっただろうな……。劣等感、か。久々だな、こう言うの)
純粋に、並びたいと思った。それだけだった。
「黒真ちゃん!帰ってるんですか?!どこ行ってたんですか?!」
アイナが怒声を浴びせながら、ドアを開けて入ってくる。後ろには、ヴァーナーの姿もある。
「おう、アイナ!ヴァーナー!見てくれ!」
そう言って手足を縛り上げたアルスを指差す。
「魔王拉致ってきた!」
黒真の発言に目を丸くする二人。
「はい?」
「ふぇ?」
気の抜けた声に、黒真は、もう一度言う。
「だから、魔王拉致してきたんだって!」
一瞬の間。
「ええええええええええええ!」
「えっ、は?はぁああ?」
そして、悲鳴のような叫び声。
「ま、まま、まお、魔王拉致って、え?え?ええ?」
アイナが混乱する。
「ちょっ、コレどうするんですか?せっかく【思いを筆に込めて】で作った伝記!黒真ちゃんが、かっこよく魔王と対峙するように、書いてたんですよ!」
ちなみに、【思いを筆に込めて】は、【聖遺物】だ。
「はぁ、まあ、落ち着いて聞いてくれ。俺は、これで、魔王に勝った。だから、そろそろ、お別れだ。だから、お前等に最後の言葉を言いに来たんだ」
「最後……」
「黒真ちゃん……」
二人が物悲しげな声を出す。
「アイナ、その愛情が俺の心に優しすぎて、暖かかった。ありがとう。ヴァーナー。その美しさが、俺の励みになった。ありがとう。スーザックやリュークにも感謝してる。でも、お前等二人は、特別だった」
そう言いながら、黒真の体が光に包まれる。
「じゃあな。また会おう」
徐々に光が広がる。
「黒真ちゃん、最後に、これを!」
アイナが一冊の伝記を黒真に渡す。
「サンキュー、アイナ」
そして、光が消える寸前、アルスが、叫ぶ。
「最後に一発、殴らせるのじゃ!」
そして、ギリギリ、光に手が届いた。
「へぶぅ!」
そんな情けない声とともに、黒真の一度目の家出は終わりを迎えるのだった。
――2050年、3月。アルスは、日本のエスサイシア大使館前に、謎の反応と共に叩き落されたのだった。
「痛いのじゃ……」
そこに一人の女性がやってくる。
「貴方、どうやってエスサイシアから、ここに来たの?違法転移かしら?」
アルスに忍刀を向ける女性、フューゼ・クランベリールだった。
アルスは、フューゼにきつい取調べを受けるのだった。
――2050年、3月末。黒真は、通学路のど真ん中に立っていた。思い起こせば、黒真がトラックに撥ねられそうになった場所だ。
「伝記、か」
それにしても、と黒真は思う。
「アルスの奴、本気で殴りやがって、マジ痛ぇ……」
その後、黒真は帰路に帰るのだった。大幅に世界が変わったことにも気づかずに。
そして、すぐに、別の世界に行くとも知らずに。




