↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/39

第9話 灰土が、鳴った

 草丈が、二日で四センチ伸びていた。


 工程表の数字を三度見直した。書き間違いではない。

 トマトの発芽から四日目。本来なら、まだ本葉が出るかどうかという頃だ。それが本葉を三枚展開して、茎が立ち始めている。


 しゃがんで、葉を裏返した。

 毛じが密で、色が濃い。徒長していない。光が足りない株は間延びして色が薄くなるが、これは逆だ。節と節の間が詰まって、葉の厚みがある。

 触ると、指に張りが返ってくる。露地でこの手触りになるのは、水と光と肥料が三つとも過不足なく揃った年だけだ。七年で二度しか見ていない。


 トキさんからもらった苗のほうは、もっと分かりやすかった。

 植えたのが二週間前。ふつうなら、まだ支柱もいらない大きさのはずだ。

 それが膝の高さまで来ている。慌てて園芸支柱を買い足して、昨日のうちに立てた。麻紐で結ぶとき、茎の太さが指の関節ほどあることに気づいて、手が止まった。


 第一花房に、蕾がついていた。

 露地なら、五月末の景色だ。今日は五月六日で、この株が土に入ってからまだ十四日しか経っていない。


  ◇


 ノートに書き出した。

 播種から発芽まで十七日。ここまでは、むしろ遅い。馴致で濃度を絞っていたぶん、代謝も抑えられていたからだ。

 だが発芽してからが速い。草丈、葉数、節間、どれを取っても露地の三倍から四倍で回っている。

 肥料は入れていない。持ち込んだのはバーク堆肥と燻炭とゼオライトだけで、追肥は一度もしていなかった。水にしても、壁から滲む量が上限だ。

 条件は貧しい。それでこの速度が出るなら、理由は一つしかない。


 理屈は、通っている。

 魔素は代謝を加速する。人間が浴びれば臓器が焼ける。植物も、いきなり浴びれば根から焼ける。焼けたのは四日前に見た。

 だが慣らしたあとなら。

 慣らして、根が構造を変えて追いついたあとなら。加速はそのまま、成長速度になる。

 毒が肥料に変わるというのは、正確ではない。魔素は最初から最後まで、代謝を速めるだけのものだ。速さに耐えられる体を先に作れば、同じものが肥料として働く。

 順番だけの話だった。誰も試さなかったのは、順番を守るのに三週間かかるからだ。


 ペンが止まった。


 俺が塩害地でやっていたのは、土を「普通に戻す」仕事だった。

 ここでやっているのは、それとは違う。


「速いな」


 声に出して、自分でその言葉に引っかかった。

 速いのは、いいことなのか。

 急いだ人間が何を失うか、俺は十四のときに見ている。


 工程表の余白に、こう書いた。


『生育速度 露地比 三・二倍/要監視。速さは、こちらが選んだものではない』


  ◇


 その日、灯が来た。

 三日連続だ。カメラは持っているが、レンズにキャップをしたままぶら下げている。


「悠真さん、これ」

「はい」

「昨日より、また伸びてません?」

「伸びてます」

「え、怖」


 灯は畝の脇にしゃがんで、蕾を覗き込んだ。指は出さない。触らないように、手を後ろで組んでいる。三日目にして、そのくらいは覚えたらしい。


「あの、聞いていいですか」

「はい」

「これ、食べられるんですか」


 その問いは、まだ考えていなかった。

 育てることばかり考えていて、口に入れる段になったときのことを、俺は一度も検討していない。

 魔素を吸った作物を、人間が食べたらどうなるか。前例を聞いたことがない。


「分かりません」

「分かんないのに作ってるんですか」

「はい」

「悠真さん、それ昨日も言ってましたよ」


 灯が笑いかけたところで、音がした。


  ◇


 灰土が鳴った。


 乾いた砂を、大きな手で握り潰すような音。それが区画の西側から、こちらへ近づいてくる。

 俺は顔を上げただけで、何が起きているのか分からなかった。


 灯の反応のほうが、はるかに速かった。


「走って!」


 腕を掴まれた。

 振り返る間もなく、引っ張られる。ヘッドライトの光が跳ねて、天井と地面が交互に流れた。


 俺は走りながら、後ろを見た。

 二十メートルほど後方の暗がりで、何かが灰土を掻いている。輪郭は分からない。ただ、地面を擦る音の位置が、こちらへ動いてくる。


「見ないで!」


 灯の声が裏返っていた。


  ◇


 通路を百七十メートル。昇降機ホールの明かりが見えたところで、灯が速度を落とした。

 膝に手をついて、二人とも息を切らしていた。


 俺は何もしていない。

 武器を持っていないし、持っていても使い方を知らない。逃げ方すら習っていなかった。腕を掴まれるまで、その場に突っ立っていた。

 資格がないというのは、そういうことだ。

 畑を作る技術は、あの音の前では一グラムも役に立たない。


「あんた」


 灯が息の合間に言った。丁寧語が消えている。


「なんで逃げないの」

「すみません」

「謝るとこじゃないでしょ」


 灯は壁にもたれて、天井を見上げた。汗が顎から落ちて、コンクリートに小さい染みを作った。


 それから、急に静かな声になった。


「ごめんなさい。あたしが、悪いです」

「え」

「ここ、魔物ほとんど出ないんですよ。年に二回とか、そのくらいで。だから、大丈夫だと思ってて」


 灯は膝を抱えて座り込んだ。作業着の膝に、灰土の粉が白くついている。


「三年通ってて、あたし、二回しか見たことないんです」

「二回」

「一回目は、四年目の春。二回目は」

 言いかけて、灯は口を閉じた。

 言い直しもしなかった。


 三年。

 その数字が、さっきの足の速さと繋がらなかった。


 この人は、なぜ三年も、誰も来ない層に通っているのか。

 聞かなかった。

 聞けば、たぶん、答えないだろうと思ったからだ。


  ◇


 協会に湧出の報告を出して、区画に戻れたのは翌朝だった。

 窓口で書いた報告書には、記入欄が十七あった。発見時刻、個体数、推定等級、被害の有無。個体数と等級の欄は空欄で出した。見ていないからだ。職員は何も言わずに受け取った。年に二回の層の話に、誰も時間をかけない。


 畝は無事だった。

 トンネルのビニールに穴一つない。踏まれた形跡もない。灯が先に入って、四隅を見て回ってから「大丈夫です」と言った。


 灰土に、跡は残っていた。

 畝の一メートル手前まで来て、そこで直角に折れて、通路のほうへ抜けている。


 跡をたどって、しゃがんだ。

 折れた地点に、線が引いてある。俺が撒いた作土の境目だった。境目の外側は灰白色で、内側は黒っぽい。

 その線を、跡はまたいでいない。


「……避けてる」


 灯が横で「え」と言った。


「魔物、たぶん魔素の匂いで寄ってくるんです」

「はあ」

「畝の中は、濃度が二十まで落ちてます。作土の下は、もっと低い」

 葉を一枚裏返した。

「吸ってるので。作物が」


 灯が三秒くらい黙って、それから声を出した。


「え。じゃあ、この畑」


 灯はそこで言葉を切って、言い直した。


「この畑の周りって、安全ってことですか」


 俺は答えなかった。

 二畝ぶん、たった十六メートルの話だ。安全と呼べる広さではない。作物が吸える魔素の量には上限がある。十六メートルを八十メートルにするには、畝を五倍にして、電力を五倍にして、水を五倍にしないといけない。

 できるとは言えない。


 だが灰土の跡は、確かにそこで折れていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。