第7話 枯れた列と、枯れなかった列
壁際の畝の、端から三株が白い。
しゃがんだまま、しばらく動けなかった。
昨日の朝は何ともなかった。葉色は濃い緑で、草丈も揃っていた。四日前に濃度を三十五へ上げてから、毎朝ここに来て、同じ順番で測っている。数字はどれも正常だった。
それが一晩で、根元から色が抜けている。
一株、指でつまんで引いた。
抵抗がない。すぽりと抜けた。
根を見る。
先端が黒い。硬い。爪で押しても潰れずに、乾いた木片の手応えがある。
焼けている。
塩害で枯れた根とは、まるで違う。塩でやられた根は褐色になって、ぶよぶよに崩れる。これは炭化に近い。細胞が自分の代謝で熱を出して、内側から固まっている。
教科書に載っている写真と、同じだ。
◇
抜いた株を、作業台の上に並べた。
三株。全部、壁側の端から順に並んでいたものだ。
同じ畝の、真ん中から向こう側は無事だった。葉が立っている。もう一本の畝は全部生きている。
同じ日に、同じ作土で、同じ手順で播いた。濃度も同じ三十五だ。トンネルは一つで繋がっているから、空気も共通している。
条件が同じなのに、結果が違う。
こういうとき、疑うのは条件のほうではない。「同じ」と思い込んでいる自分のほうだ。
どこかで、俺の「同じ」が間違っている。
工程表を出した。
四日ぶん、八項目の数字を横に並べる。地温、含水率、pH、電気伝導度、魔素濃度、葉色、草丈、発芽数。
全部、畝ごとには測っていない。トンネルの中央に測定器を刺して、一点で代表させていた。
そこだ。
◇
測定器を持って、壁際に戻った。
枯れた株があった位置に、刺す。
四十九。
中央では三十五だった数字が、壁際では四十九ある。十四ポイントの差が、畝の中で出ていた。
もう一度、真ん中に刺す。三十四。反対の端、通路側に刺す。三十一。
同じ畝の八メートルの間に、三十一から四十九まで開きがある。
俺は三十五だと思って、四十九を根に浴びせていた。
しゃがんで、壁際の灰土を一握り取った。
毎朝やっている動作だ。二週間、一日も飛ばしていない。
指で潰す。
粉になる。
いつもと同じだと思っていた。だが今日は、指の腹に残る感触が違って感じられた。粉が、貼りついている。
通路側まで歩いて、そこの灰土も取った。
同じように潰す。
手応えが違った。
通路側のほうが、粒が粗い。ざらついて、指の間から落ちる。壁際のは、粉に近い。小麦粉を触っているのに近くて、指の腹に貼りつく。
◇
壁際は、十八年間ずっと水が滲んでいた場所だ。
染みては乾き、染みては乾きを繰り返せば、灰土の粒は少しずつ細かくなる。角が取れて、砕けて、粉に近づく。
粉に近い粒は、隙間が細かい。細かい隙間は、気体を抱え込む。
魔素は空気より重い。細かい隙間の底に、溜まる。
中央で測って、それを畝全体の値だと思っていた。
それが間違いだ。
俺は膝に手をついて、灰土の上に座り込んだ。
塩害地の記録に、俺は自分でこう書いている。「同一区画内でも、土壌の物理性が異なる箇所は必ず個別に測定すること」。
九年前に、自分で書いた。書いたのは、同じ失敗を一度やったからだ。あのときは水路に近い一角だけ塩が抜けきらず、二年目の苗を三十株無駄にした。
書いたことを、自分でやらなかった。
三十アールの中の、たった一メートル。そこの粒が細かいというだけで、株は焼ける。土は毎回、同じ嘘のつき方をしない。
◇
枯れた三株を、袋に入れた。
残りの株には手を出さない。濃度を下げたくなるが、下げれば今度は「下げたことが効いたのか、時間が効いたのか」が分からなくなる。数字を動かすのは一度に一つだ。
やることは決まっている。
壁際の一メートルぶん、灰土を掘り出して、粒径を揃えて敷き直す。そのうえで馴致をやり直す。壁際だけ、また二十から始める。
三週間かかる。
残りの畝は予定どおり進むから、収穫時期が二段になる。工程表を書き直さないといけない。
それと、測定点を増やす。壁際、中央、通路側の三点。手間は三倍になるが、一点で代表させた結果がこれだ。
手袋を外して、指の粉を払った。爪の間まで白くなっている。
スコップを取りに行こうとして、足を止めた。
通路のほうから、光が来ていた。
誰かのヘッドライトが、こちらへ向かって揺れている。
◇
大牟田だった。
手に、コンビニのおにぎりを二つ持っている。
「……よお」
「どうも」
「この前の、返しに来た」
差し出されたのは、鮭と昆布だった。梅がないのは、たぶん偶然だ。
大牟田は作業台の上の袋に目をやった。中身が透けて見えている。白く抜けた葉。
「枯れたのか」
「三株だけです」
「三株」
「はい」
「……で、あんた、なんでそんな顔してんの」
どんな顔をしているのか、自分では分からない。
「原因が、分かったので」
「はあ?」
「四日ぶん測ってたんです。壁際と真ん中で、濃度が十四違ってました。毎日測ってなかったら、たぶん分からなかった」
大牟田はしばらく黙って、それから作業台の袋をもう一度見た。
「三株枯れて、原因が分かったのが、あんたには得なのか」
「はい」
大牟田が眉を寄せた。
「損だろ、普通」
「四百株のうちの三株で分かったので。全部育ってから分かったら、四百株ぶん焼けてました」
言ってから、少し喋りすぎたと思った。
大牟田はおにぎりの包みを剥きながら、ふうん、と言った。
「……あー。それ、あれか。俺が装備の点検サボって、五層で脛やったのと逆だな」
「逆、ですか」
「俺は痛い目見てから気づいた。あんたは三株で気づいた」
鮭のほうを口に入れて、飲み下してから続けた。
「変な人だな、あんた」
◇
その日のうちに、壁際の灰土を掘り出した。
一メートル幅、八メートル。深さ二十センチ。掘り出した灰土をふるいにかけて、粉に近い細かいぶんを取り除く。ふるいは百円ショップの調理用を三枚重ねた。目が細かすぎて、二時間で腕が上がらなくなった。
大牟田は帰らなかった。
途中から黙ってふるいを持って、俺の隣でずっと振っていた。振り方が上手い。手首だけで回している。訊いたら「魔石の選別で十二年やってる」と返ってきた。
粉が舞って、二人とも髪が白くなった。層の中は風がないので、一度立った粉はなかなか落ちない。
礼は言わなかった。言おうとしたら「うるせえ」と先に言われた。
全部終わったのは二十一時過ぎだった。
敷き直した壁際に、測定器を刺す。
二十。
揃った。
ここからまた、三週間だ。
工程表の今日の欄に、こう書いた。
『壁際 再馴致 一日目/畝内の測定点を三点に変更』
その下に、もう一行。
『枯死 三株 原因=粒径差による局所濃度上昇』
書き終えて、顔を上げた。
残りの畝では、まだ何も出ていない。土の色が濃くなっているだけだ。
発芽まで、あと六日。
帰りの昇降機で、大牟田が壁にもたれたまま言った。
「兄ちゃん。あれ、いつ食えるようになるんだ」
「分かりません」
「また分かんねえのか」
「はい」
大牟田は天井を見上げて、少し黙ってから続けた。
「じゃあ、また来るわ」
扉が開いて、ホールの明かりが入ってきた。二人とも髪が白いままだった。




