↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
45/45

第45話 今日、カブ抜きますよ

「農区の書式、どこ置いたかな」


 滝本さんは、書類棚の三段目を開けて、それから四段目を開けた。

 一年前と、同じ動きだった。


 違うのは、探しているものが新しく作られた書式だという点だけだ。


  ◇


 四月八日。


 協会板橋支部、区画管理課。

 窓口の脇に、施行されたばかりの冊子が置いてある。


『魔素環境下における生物利用に関する安全基準』


  ◇


 三雲静が、その一冊を持ってきた。


「本日付で施行されました」


 彼女は復職して、いまは基準管理室という新しい部署にいる。人員は三名。うち一名が彼女で、あとの二名は環境保全部からの異動だった。

 予備の眼鏡は、机の引き出しではなく、鞄に入れているそうだ。数字を疑う日が、分析室の外にも来るようになったからだと言っていた。


  ◇


 俺は、表紙をめくった。


 第一条に、表示の義務が書いてある。


『魔素環境下で生産された作物を譲渡または販売する場合、次の三項目を表示しなければならない。

 一 生産されたダンジョンの名称

 二 層の番号

 三 馴致工程の完了日』


  ◇


 第二条から第十九条までが、工程の規定だった。


 馴致は三段階。基準値の二十パーセントから開始し、七日ごとに三十五、五十へ。

 測定点は、同一区画内で三点以上。壁際・中央・通路側、あるいはそれに準ずる分布。

 各工程を省略した場合の記録義務。省略した理由まで書くことになっている。

 第八条に、土壌の匂いの三段階評価。第十二条に、握ったときの崩れ方。どちらも、参照映像のタイムスタンプが条文に書き込まれていた。


  ◇


 付録として、失敗記録が四件、全文が載っていた。


 削られていなかった。

 四件目の末尾の但し書きも、そのままだ。


『※この失敗は、著者が工程を文書化していなかったことによる』


  ◇


「これ、そのまま載せたんですか」


 俺が聞くと、三雲さんは頷いた。


「削る案は出ました。基準に失敗事例を載せる前例がないので」

「通したんですか」

「蒲田課長が」


  ◇


「『そっちが本体です』と、そう仰いました」


  ◇


 滝本さんが、四段目から用紙を引っ張り出してきた。


「ありました。これです。新しい書式ですよ。区分が『農区』です」


  ◇


 俺は用紙を受け取った。


 第三ダンジョン浅層 第三層 東区画A-7およびB-1。

 使用目的の欄が、五センチ四方ではなくなっている。三行ぶんある。


 俺は「栽培」とだけ書いた。三行はいらなかった。


  ◇


「封鎖は、本日解除です」


 三雲さんが言った。


「立入禁止措置の解除通知が、掲示板に出ています」


  ◇


 滝本さんが判子を押した。


「いやあ、これで農区の第一号です。制度ができた日に、契約者がいるって、なかなかないですよ」

「一年前は、十三年ぶりでしたね」

「そうでした。あのときは書式を探すのに二十分かかりました」

 滝本さんは判子を戻しながら、こう続けた。

「うちの課、来年度から人が一人増えます。二人から三人です」


  ◇


「あと、笹倉さん」


 三雲さんが、封筒を出した。


「協会から、表彰の案内が来ています。それと、取材の申し込みが十一件」


  ◇


「断ります」


  ◇


「両方ですか」

「両方です」

「理由をお聞きしても」


  ◇


「土が乾くので」


  ◇


 三雲さんは、それをメモ帳に書いた。

 書いてから、少し笑った。


  ◇


 ゲートは、朝七時が一番混む。


 列に並んでいるのは、ほとんどが探索者だ。金属の擦れる音と、消毒液に似た匂いがする。

 俺の格好は作業着にゴム長で、担いでいるのはスコップと測定器と、種の袋。


 読み取り機にカードをかざした。


  ◇


 短く、鳴った。


  ◇


 第三層は、四か月半ぶりだった。


 通路の常夜灯が等間隔で入っている。二百メートル歩くと、灯りが途切れる。

 ヘッドライトを点けた。


  ◇


 東区画A-7。


 畝は荒れていた。

 豆の茎が支柱に絡まったまま倒れていて、葉は茶色く縮れている。トマトの株は上のほうが全部枯れて、落ちた実が黒くなっていた。


 だが、壁からの水は、止まっていない。


  ◇


 塩ビ管は、まだ埋まっていた。

 継ぎ目のテープが何箇所か剥がれている。指を入れて、溜まった灰土を掻き出した。冷たい。地下水は十度もない。


 流れが戻る音がした。


  ◇


 俺は、しゃがんだ。


  ◇


 作土の上から、一握り取った。


  ◇


 指で潰す。


  ◇


 崩れた。


  ◇


 握れば固まって、指で押せばほろりと崩れる。粒と粒が団子になっていて、その隙間に水と空気が入る。

 団粒だ。

 四か月半、誰も手を入れていない。それでも、崩れ方が変わっていない。


  ◇


 一年前、ここの灰土は、握っても粉になった。

 細かいガラスを触っている手応えで、水気が一切なかった。


  ◇


 鼻に近づけた。


  ◇


 匂いがした。


  ◇


 湿った、青い匂いだ。

 腐葉の匂いが、はっきりある。四月八日の記録には、無臭と書いた。あれが基準点になって、いまは冊子の第八条に載っている。


  ◇


 土だ。


  ◇


 ――土は嘘をつかない。嘘をつくのは、急いだ人間のほうだ。


  ◇


 父の言葉が、一行だけ浮かんだ。


 それ以上は、何も浮かばなかった。


  ◇


 手を払って、立ち上がった。


  ◇


「悠真さん」


  ◇


 振り返ると、灯がカメラを構えていた。


  ◇


 配信ではない。収益化は切ったままで、彼女はもう数字を追っていない。

 撮ったものは、基準の参照映像として登録される。第八条と、第十二条と、第十五条。三つの条文が、彼女のアーカイブのタイムスタンプを指している。


  ◇


 携帯が鳴った。三雲さんからだった。


『第十二層の初期データを送ります。魔素濃度、基準値の八百四十パーセント。系統は混合。既存の作物では馴致に半年かかる見込みです』


  ◇


 半年。


  ◇


 昇降機のほうから、音がした。


 台車の車輪が、灰土を踏む音だ。新品の車輪は、沈まない。


  ◇


 俺は、その音を聞いていた。


  ◇


 畝には、根が残っている。壁からの水が届く範囲だけ、茎の根元がまだ緑色をしていた。

 抜かずに済む株が、二十七ある。数えた。

 二十七株が四か月半、灌水も光もなしで生き延びたのは、壁の滲出水が二十二メートル先まで届いていたからだ。あの溝を掘ったのは、去年の四月十五日。ツルハシで三十分振って、深さ十センチしか削れなかった日だ。


 残りは、播き直しだ。

 種は持ってきている。カブと、葉物と、豆。

 トキさんの店で買った。値段は一年前と同じだった。品薄でも値を上げない人が、種でも同じことをしていた。


  ◇


 俺は、いちばん手前の畝を見た。


 枯れた葉の下に、白いものが見えている。

 しゃがんで、葉をどけた。


  ◇


 カブが、残っていた。


  ◇


 四か月半、誰も収穫しなかったぶんだ。

 葉は枯れている。根だけが、土の中で残っていた。

 地上なら、とっくに腐っている。ここは十五度で一定で、湿度も安定している。層内では劣化が遅い。理由は、まだ分かっていない。冊子の付録に「要検証」と書いた。


  ◇


 葉の付け根を持って、まっすぐ上に引いた。


 抵抗が一瞬あって、それから土が割れた。


  ◇


 白い。


  ◇


 俺は、それを持って立ち上がった。


  ◇


 灯が、カメラを回している。

 三雲さんのメールには、半年と書いてある。

 昇降機のほうから、台車の音が近づいてくる。


  ◇


 振り返って、俺は言った。


  ◇


「灯さん。今日、カブ抜きますよ」


最後までお読みいただき、ありがとうございました。楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価、感想で応援していただけるとうれしいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。