変身の朝(あした) その6
その少女は、花園のベッドの中に、スラリとした身体をうずめながら、スヤスヤと眠っていました。
長い黒髪を、草花の上に扇状に広げて、深い眠りについていたその美しい少女は、やがて上空を飛ぶ小鳥の声によって目を覚まし、うっすらと、その瞼を開けます。
「う~ん、よく寝ましたわ」
そして彼女は、今まで寝ていた花園の上で、半身を起こすと、両腕を頭上に伸ばして、大きく間延びをします。
それから、ゆったりとした優雅な動きで、見渡す限りまで続く、一面の花々で覆われた、地面の上に立ち上がると、ゆっくりとした足取りで、いずこかへと歩き出しました。
そうして、しばらくの間、その美しい自然の中を、のんびりと歩いていた少女ですが、やがて、サラサラと小川が流れる、開けた場所にまでやって来ると、ふとある事に気づき、その端整な顔に、驚きの表情を浮かべました。
「あら、珍しい。人がいますわ」
彼女の言う通り、その開けた場所をゆるやかに流れる小川のほとりの、草むらで覆われた地面の上に、一人の少年が、その身を静かに横たえていたのです。
彼を発見したその美しい少女は、肩を出した白いゆったりとしたギリシャ風の衣服のスカートを翻して、ゆっくりと草むらの上を歩き、その小川の側に横たわる少年の元へ近づいて行きます。
やがて、その草むらの上に仰向けになって横たわる、少年の近くにまでたどり着くと、その傍らに、正座の姿勢でしゃがみ込みました。
「まぁ、なんて、可愛らしい顔をした殿方でしょう。まるで、天使ですわ。歳はわたくしより、少し下かしら?」
草むらの上に横たわった少年の傍らに座った、件の少女は、未だに眠ったまま目を覚まさない、そのあどけない寝顔を見て、思わず感嘆の声を上げます。
そして何を思ったか、急に立ち上がると、草むらに横たわった少年の元を離れて、近くの小川の側に茂っている、背の高い植物が群生している場所へと、小走りで向かいました。
それから、そのツタ状の植物の葉っぱを一枚ちぎって、それで側に流れている小川の水をすくうと、再び、草むらに横たわっている少年の元に舞い戻り、その傍らに、もう一度座り込みます。
その美しい少女は、眼下の草むらの上に静かに横たわる少年の姿を、もう一度うっとりと見やると、仰向けになった彼の口元に、手に持った葉っぱをそっと近づけて、半開きになったくちびるの内側に、葉っぱの中に入っている、小川からくんだ水を、ひとしずく垂らします。
するとー。
「う~ん」
草むらに横たわった少年が、うめき声を上げて、深い眠りから目を覚まします。
草地に仰向けになって横たわる、その少年は、うっすらと目を開けると、自分を心配そうに覗き込んでいる、傍らに座る美しい少女の存在に気づき、上向きにした端整な顔に、怪訝な表情を浮かべます。
そして、草むらに横たわっていた、自身の身体を起こして、半身の姿勢になると、少女の隣で、草地の上に、背中を曲げて座り込みました。
彼は草地の地面の上に、あぐらをかくように座り込むと、頭をハッキリさせるためか、ブンブンと首を振ってから、自分の傍らで、スラリとした足を崩しながら座っている、その少女に対して、少し目を泳がせながら尋ねます。
「ここは・・・。一体、何処なんですか?」
すると、少年の隣で、青草の絨毯に座り込んでいる少女は、微かに笑みを浮かべて答えます。
「ここは、冥界の楽園、エリュシュオン。偉大なる冥皇ハーデス様が、選び抜かれた善男善女の為に造られた、永遠の楽園ですわ。ここに来れるという事は、あなたは生前、とても正しい生き方をなされたのね」
しかし、彼女の言葉を聞いた少年ー。
言わずと知れたシュナン少年は、草地の上であぐらをかきながら、ガックリと肩を落とします。
そしていつのまにか自分の服装が、先ほどまで身につけていた、戦闘でボロボロになった貴族風の服では無く、隣に座っている少女と同じ、小ざっぱりとしたギリシャ風の白い衣服に変わっている事に、改めて気づきます。
更にシュナン少年は、石化した己の身体が元に戻っているのはもちろん、ペルセウス軍に受けた矢傷や。元々、彼の肉体を覆っていた無数の傷までが、すっかり消えている事にも気づきます。
シュナン少年は戸惑いながらも、懸命に頭をひねると、結局は、自分が既にもう死んでおり、元々の身体を離れ、魂だけの状態となった上で、この冥界において、新たな身体を与えられたのだという考えに、思い至ります。
「冥界の園かー。それじゃ、やはり、僕は死んだんだな。そして現世を離れて、死後の世界に魂を飛ばされた。メデューサたちは、一体、あれから、どうなったのだろう?心配だー。なんとか知る術は、無いだろうか?」
そんな彼に対して、隣に座る少女が、少し同情のこもった声で話しかけます。
「ここは、もう死後の世界。うつし世の事は、もう考えても、せんない事ですわ。それよりわたくし、あなたの事が、知りたいですわ。お名前は、何とおっしゃるの?」
彼女のそんな質問に、すぐその隣であぐらをかいて座るシュナン少年は、現世に残してきた、メデューサら旅の仲間たちが心配で、気もそぞろになりながらも、ちょっと、ぶっきらぼうな口調で答えます。
「僕の名前は、シュナンドリック・ドール。親しい人は、シュナンと呼んでいるよ。君も良かったら、そう呼んでくれ。ところで、現世の様子を知りたいんだがー」
シュナンの隣に座る美しい少女は、彼の言葉の途中で口を挟むように、今度は自分の名前を、少年に向かって告げました。
「わたくしは、ヘレナと申します。トロイアのヘレナですわ。よろしくですわ、シュナン」
[続く]




