「さらなる高みへ」
~~~綾女~~~
「何か来るぞ! 躱せ綾女ぇぇぇぇー!」
坊ちゃま如きに言われるまでもなく、その変化には気づいていた。
それまで緩慢だったエントの動きが、突如スイッチが切り替わったように速くなったこと。
狙いをどうやらリトルノアからこちらへと切り替えたらしいこと。
エントのテイクバックの大きさ、スイング角、速度に重量まで考えると、効果範囲はおそらく周辺一帯すべてに及ぶだろうこと。
「なんと愚かな……!」
傭兵団の頭目であるボルグとかいう男は、戦況の不利と部下たちの反抗にキレて、自ら幕を下ろしたようだ。
「集団自決ごっこなら、よそでやってくださいな……!」
坊ちゃまの駆る阿修羅6000が安全範囲へ逃れるのを横目に、私は逆方向に走った。
阿修羅6000のそれは、エントの腕から遠ざかる軌道。
私はエントの腕に向かって行く軌道をとった。
人の身で逃れられる速度ではないと考えたからだ。
ならばまだ、変化の予測のしやすいところを飛び越えたほうが可能性がある。
「はーっはっはっはあああああーっ!」
気の触れたような、ボルグの最後の声が森にこだました──
ほぼ同時に、エントの腕が地面を叩いた──
バウンドはしなかった。
腕は重く、「ズズズ……!」と薙ぎ払うように動いた。
土砂が巻き上げられ、木々が折れ飛び、岩が粉々に砕けた。
起伏に富んだ森の一帯を、それはほとんど整地するような動きだった。
傭兵団の生き残り、そのすべてが巻き込まれた。
悲鳴まるごと、整地された。
「……しっ!」
私は息を吐いた。
鋭く強く、地面を蹴った。
倒木を踏み台にして跳んだ。
大きな岩を踏んでさらに跳んだ。
双子のように並んだ樫の木の枝を連続して踏み渡り、さらに上へと跳んだ。
樹冠の高さは二十メートル。
そのわずかに上に出た。
「……足りない!?」
私の記憶が確かなら、エントの腕は一番太い二の腕部分で二十メートル。
今まさに迫って来ている手首部分が最も細く、十メートル程度だったはずだ。
多少の変化はあっても二十メートルも跳べば十分回避できるだろうと踏んでいたのだが──どうやら甘かった。
森の複雑な地形と衝突した結果、エントの手首は歪に変形している。
弱い部分を補おうとして、他の部分より太くなっている。
二十四、五メートルはあるだろうか。
いずれにしろこのまま行けば、私の腰に直撃する。
空中姿勢制御だけで走り高跳びのバーのように乗り越えられるか?
いや、おそらくは無理だろう。
もうひとつ何か、踏み台でもあれば別だが……。
「……っ!?」
ふと出てきたアイデアに、私は自分で驚いた。
あまりにも突飛すぎて現実味が無く、すぐに捨てようと思った。
だけどすぐに思い直した。
それはたぶん、この状況のせいだ。
異世界の森の中の、想像もしていなかった遥かな高み。
迫り来るのは規格外の化け物の凄まじい攻撃。
坊ちゃまは阿修羅6000で地上を駆けていて。
一時的な措置とはいえ、剣の主として私を従えている。
この私に──
飛べと命じている──
「……はっ」
私は笑った。
レディハーケンを一本、背に負った鞘から抜いた。
超硬度ナノチューブから鍛造されたその刃は、しなやかで弾力性があり、かつダイヤモンドをも凌ぐ硬度がある。
現代日本の、現代世界の、おそらくは最強最高の刃だ。
まあそれでも──
こんなロックな使い方をした人間はいないだろう──
だからこそ、私は笑った。
笑いながらレディハーケンを足の下に敷いた。
スノーボードのようにその上に乗り、グラブさながら、片手で掴んで持ち上げた──直後、エントの腕が殺到した。




