其の四九
タンディニウム:庁舎
郭蘭たちが砲台への対処に動き始めてから数分、砲台近くの時計が残り二十五分を指した頃。
庁舎にて情報収集と伝達に徹していたメアリー・ジキル副市長や黒原小豆たちも、時計塔付近での異変に気付いていた。
庁舎の屋上に設けられた展望デッキに備え付けの望遠鏡から時計塔の様子を窺っていた職員が、突然晴れ始めた空と細長いなにかの出現を報告したのだ。
「一体、何が起きているのかしら」
「それが分かんないんですよねぇ。ドメちゃんと直接の連絡が取れないんで、見えてる以上の情報は仕入れらんないですし」
「そろそろ夜明け──奴の指定した時間も近いですし、終息に向かっている気配はあるのですが」
電波妨害が残っているタンディニウムでの主な情報源は実地で活動する妖怪たちであり、彼らと契約している〈妖技場〉スタッフが受け取る念話に委ねられている。
最前線で戦っていたドメイドハンからの情報提供が途絶えた今、時計塔で何が起こっているのか知る術を、副市長らは持っていなかった。
会議室で地図を広げて状況把握を試みていたメアリー副市長と黒原のもとに、別の職員が息を切らしながらやってきた。
「失礼します! ヴィクター市長が戻られました!」
「! すぐにお通ししてください!」
副市長が許可を出すと、すぐ近くまで来ていたヴィクター市長が会議室の扉から姿を現した。
衣服や靴がぼろぼろになっているだけでなくずぶ濡れになっていることから、先程までの大雨の中外にいたことが推察された。
椅子を立ち上がって手で別の椅子を示して着席を促すメアリー副市長だが、ヴィクター市長は片手を挙げてそれを拒んだ。
「心配していました、救出された旨は聞かされていたのですが、時計塔から離れた後の動向までは窺っていなかったもので」
「あぁ、心配をかけましたね。帰宅直後の油断を狙われました、私生活での色々で精神的に余裕がなかったのも原因ですかね……今後はこのようなことがないように気を付けますとも」
「では、すぐにでも休んでください、今後の復興を考えても、ヴィクター市長は回復に努めるべきで──」
「そのまえに。何か言いたいことがあるんじゃないですか市長?」
メアリー副市長が着席を促そうとするのに対し、話を遮るように黒原が尋ねた。
ボロボロの服を着替えもせずに庁舎に戻ってきたことから、何か緊急の用事があるのだろうと判断したのだ。
一つ頷いて、市長が郭蘭から伝えられた内容を口にし始める。
「そう、君たちに聞いてほしくて、取るものも取り敢えず駆け付けた次第です。実は今、時計塔の展望台では──」
砲台に作り替えられた望遠鏡、街中から集められた妖力による砲弾、そして制限時間。
これらの問題に対応すべく、砲弾の成長を抑え、砲弾の毒性を希釈しようという策を取っていること。
一連の事態について聞かされた黒原が、頭の中で情報を整理しながら呟く。
「ドメちゃんから連絡がないと思ったら、そんなことが。じゃあ事件は終わりに向かってるってことでいいんですね?」
「そのようです。私達が今できるのは、彼らが全力で対処に取り組めるように応援することと、市民の皆様に解決の一報を届けることでしょう」
「そうと決まれば、すぐに放送室に向かいましょうか! 善は急げ、皆さんを安心させましょうよ!」
明るい面持ちで会議室を出て放送室に向かおうとする黒原と、頷いて後に続こうとするヴィクター市長。
だが、一人その場から動こうとしない者がいた。
顎に手を当てて考え込むその者に、ヴィクター市長が気付いて振り返った。
「どうかしましたか、メアリー副市長」
「──嫌な予感がするんです。小豆さんにはもう伝えたのですが、自分が見た夢の話で」
「予知夢、の話ですか。そういえばヴィクター市長はメアリーの予知夢について知ってるんです?」
「いえ、それは……元から合理的な人だと思っていましたから。まさか未来が見えるとは」
驚きを露わにするヴィクター市長だが、すぐにそういうこともある、と思い直した。
バグルによって血を注がれ、すぐに適応し鬼人の如き身体能力を得られたヴィクター市長も、目立ちにくいだけで術使いの一人。
本人に自覚はなかったが、妖怪のいる世界で超能力を扱える人間がいても不思議はない。
「それで、その予知夢では何が見えたんですか?」
「確か、鉄砲水、って話だったっけメアリー?」
「ええ。時計塔のてっぺんから、黒い水がバケツをひっくり返したように流れて行くのが見えたんです」
「──それは」
どう考えても、今回の事件の最後の砲台に纏わる予知夢だった。
黒い鉄砲水が溢れ出すという情景は、時計塔で現在対処に当たっている者たちの行動が無意味に終わることを示している。
青ざめ始めたヴィクター市長が、副市長に問いかける。
「そ、その予知夢は、どれほど正確なものなんですか」
「正直に申し上げて。今まで、外れたことがありません」
「そんな……」
希望から一転、まだ油断できない状況に叩き落されたヴィクター市長。
次の言葉が出てこない市長に対し、意を決して副市長が切り出した。
「一つ、試してみませんか」
<***>
タンディニウム:避難所
街に点在する避難所の中、避難している人々はかなり落ち着きを取り戻していた。
自分の身を案じる気持ちは徐々に減っており、むしろ同じ避難所に来られなかった親しい人の安否を気に掛けるようになっている。
今すぐにでも外へ飛び出して探しに行きたい心情を抑えている者もいるが、事態の進展があれば放送で知らせてくれるだろうと信じて今は待機していた。
「うぅ、本当に大丈夫なのかよ」
一方で、避難所の隅で膝を抱えて黙っている者もいる。
いくつかの種類に分かれるそうした人々のうち、大部分に分類されるのは数年前の洗脳妖怪の暴走事件を経験した者たちだった。
外の状況が把握できない避難所において、事態の進展は放送によってのみ知らされる。
逆に言うと、その放送を聞き逃したり聞いていても自らの内の不安の声に打ち勝てなかったりしていた場合、心配が消えることはない。
一度経験した深い絶望は、簡単に消えはしない。
「クソッ、まだ終わんねぇのか……?」
他にも、身内の妖怪が契約を通じて不安定な状態にあると認知している者であったり、かつての事件を経験した者に語り聞かされてきた子供たちなどは、胸を占める感情として希望よりも恐怖が大きかった。
理由は様々だが、希望と恐れが入り混じる避難所に、最後の放送が届く。
『──皆さま、副市長のメアリー・ジキルです。まずは喜ばしいニュースからお伝えします、救出が確認されたヴィクター市長が庁舎に帰還されました!』
おおっ、とすべての避難所で歓声が上がった。
ヴィクターは若くして市長に上り詰めた男であり、市民からの人望も厚い。
救出のニュースは既に入っていた市長に関し、安否が確認できたというさらに嬉しいニュースには、鬱屈していた心情も明るくなろうもの。
『街中で暴力行為を働いていたデビルたちも鎮圧され、緊急事態は回避されました。皆様、本当にお疲れさまでした……早速ですが、帰還なさった市長からお言葉をいただきます』
『ご無沙汰しております、タンディニウム市長のヴィクター・シェリーです。この度は、私の身に関してお騒がせいたしまして、たいへん申し訳ございませんでした。今回の失態については、今後の仕事で皆様への誠意を表したいと考えております』
一晩の間誘拐され、心配の的になっていたヴィクター市長の声が、電波越しとはいえ市民に届く。
その声が持つ、焦燥や不安を落ち着かせる力は計り知れない。
『事態はひとまずの解決を見ました。が、最後に皆様に協力していただきたいことがあります。詳しくは、副市長からお話があります』
『任せられました、副市長のメアリー・ジキルです。この街タンディニウムを守るため、皆様に協力していただきたいことがあり、お時間をいただきます』
それからメアリー副市長は、詳細は伏せたまま、街に洪水が訪れるかもしれないという話をした。
ただの洪水ならば家から出ないように、と伝えるところだが、今回は人体にとって有害な可能性が高い。
直接その有害性を伝える訳にはいかないが、副市長は下水道に流れ込むと拙い、などのカバーストーリーを展開した。
『ということで、皆様には大通りから路地に洪水が入り込まないよう、高さ一メートルほどのバリケードを築いてほしいのです。協力していただける方は、避難所を出て護衛に立っているデビルに指示を仰いでください』
避難所の中が、しんとする。
自分たちのことを当事者だとは思っていなかった者たちが大多数であり、突然協力、と言われても身体が動かない。
そんな避難所の様子を見透かしたのか、ヴィクター市長がマイクを握って言葉を紡いだ。
『怖い、と思う方もいるかもしれません。自分には関係ない、と思う方もいるかもしれません。そうした感情は自然なものでしょう、決して否定はしませんし、非難もしません──けれど』
一拍の間をおいて、市長が続ける。
『タンディニウムを愛する心があるのなら、美しい街を守りたいのなら、その気持ちは尊いものです。一人一人が動くことでタンディニウムはもっとよくなっていく……私の市長就任演説での言葉です』
それを聞いて、はっとする者がいる。
非番で自宅にいた警察官や役所職員といった、公職の者たち。
新進気鋭の市長の演説に心打たれた経験が、胸の内で再び燃え上がる。
一人、また一人と、避難所の中で立ち上がる者が増えて行く。
『タンディニウムの明日をよりよくするには、皆様の協力が必要です。どうか、バリケード作成に協力をお願いします』
誰かが動き出したら、あとは早かった。
避難所を出ようとした者に引っ張られ、雪崩のように外へ出ていく者たち。
睡眠不足の身を奮わせ、自らの暮らす街を守らんと立ち上がる。




