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召喚ノススメ  作者: EDA
第二章 海と魔術(前)
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「うーん、あちこち痛いなぁ。日焼け止めが足りなかったかなぁ」


 ふかふかのベッドに寝転がりながら、俺は宇都見のぼやく声を怠惰に聞き流していた。


 ようやく、夜だ。本当に疲れた。半日遊びほうけていたのだから、当然か。シャワーをあびて、ベッドに倒れこむと、夕食などもうどうでもいいから、このまま夢の世界に没入したくてたまらなくなってしまった。


 魔術師に襲撃されることもなく、隕石に直撃されることもなく、今日という日は平穏無事に過ぎ去っていったのだ。


 水面に叩きこんでやると七星も通常モードに切り替わり、まあ通常でも馬鹿は馬鹿だから、その後はナギとの勝負に明け暮れることになった。


 遠泳、潜水、ビーチバレー。やっぱりどれも七星の圧勝だったが、スイカ割りだけ、ナギが勝利した。それだけでナギは大喜びして、七星は敗北感に打ちひしがれる、という、前回とまったく同じ顛末だ。


 しかし、容赦や手加減という概念が欠落している七星から、たったひとつとはいえ勝ち星を強奪できる我が妹も、実はなかなかの大物なのかもしれない。


 しかし、それにしても……


「宇都見。お前はけっきょく一日中岩場でカニだのヒトデだのを追い回してるだけだったな。こんな時までわざわざ好きこのんで単独行動を取るこたあないだろうがよ」


「うん? ああ、まあねぇ。だけどボクは磯月と違って、団体行動ってあんまり得意じゃないから」


 あんまりどころの騒ぎじゃない。この俺が見放してしまったら、お前は学校でも完全無欠に孤立無援になっちまうだろう。だからこそ、もっと他の人間と関わる努力をしろってんだ。


「うーん、だけど、今日はなかなか楽しかったよ? 海なんて来たのひさびさだったし」


 そうか。水着姿の女の子より、カニやヒトデとたわむれるほうが面白いっていうんなら、俺にはもはや重ねるべき言葉も見つからない。


 しかし、もう少し異なる観点からも、俺にはちょっと気になることがあった。他者の耳がない現在は、もしかしたらそれを問い質す貴重なチャンスなのかもしれない。


「……前々から聞こうと思ってたんだけどな、宇都見、お前はどういうつもりなんだ?」


「え? 何がぁ?」


 きょとんとした顔で振り返る悪友を、俺はベッドに倒れふしたまま見つめ返す。


「何が、じゃねぇよ。三日前だって、今日だって、お前は律義に参加してるけど、何ていうか、立ち位置がずいぶんあやふやなままじゃねぇか? 魔術結社に目をつけられてるって言っても、お前さんは別に幻獣を召喚したわけでもないし、浦島さんと一緒でそこまで危険度が高いわけでもないだろ? 逆に七星なんかとは深く関わらずに家でいい子にしてたほうが、よっぽど安全なんじゃねェか?」


「どうしたのさ、突然? ボクがいると磯月には迷惑なのかな?」


「別にそういうわけじゃねェけど。何ていうか、必然性が感じられねェんだよ。お前は七星と大してコミュニケーションするわけでもないし。わざわざ呼びだしといて放置しちまう七星も七星だけど、のこのこついてくるお前もお前だな、と思っただけさ」


「うーん? まあもなみさんの思惑はわからないけど。磯月がこんな境遇になっちゃった責任の大部分はボクにあるんだから、可能なかぎりは、ボクも運命をともにしたいなぁ」


 そんな殊勝なセリフを吐いてから、宇都見はふにゃりといつものように笑う。


「……それに、何だか楽しいしね。この世ならざる異世界の住人と海水浴なんて、こんな機会でもないかぎりは絶対に味わえない体験でしょ。まあ、ボクが求めるオカルトの世界とはずいぶんイメージはかけ離れちゃってるけど。磯月が想像してる以上にこの状況を楽しんでると思うよ、ボクは」


 そいつは良かったな。まあ、こいつ自身に不満がないなら、それはそれでいい。


 七星のそばにいるべきか、家に閉じこもっているべきか、本当のところはどっちが安全なのか、俺にだって判別はつかないのだから。


「それにしても、お前や八雲は普通にあいつを『もなみさん』とか呼んでるよな」


「うん。だってそう呼ぶように言われたからねぇ。『名無き黄昏』に七星って苗字はバレちゃいけないんでしょ? 磯月も、公共の場では苗字を呼ばないように気をつけてるみたいだけど、どうして下の名前で呼んであげないの?」


 ……それは単に、タイミングを逃しただけだ。あいつがヘンにこだわるもんだから、ついつい俺も意固地になってしまったのだよ。


 ここまできたら、俺は死ぬまで「七星」か「お前」で通すしかないのかもな。


 そんなことを考えていると、ドアが高らかにノックされて、当の七星の声が響いてきた。


「ミナトくん、ウツミショウタくん、美味しいごはんの時間だよぉ! 至急、第二宴会場までおこしください!」


 やれやれ。やっぱり眠っちまうわけにもいかないか。


 俺はクタクタの身体をベッドから引きはがして、宇都見とともに、部屋を出た。


 部屋の外には、もちろん七星が立っていた。……ただし、非常に見なれない格好で。


「うふふ。どーお? 水着姿に続いて、もなみのスカート姿も初公開!」


 七星は、いかにもリゾートチックな花柄のワンピースにそのすらりとした身体を包みこんでいた。


 足もともブーツではなく小洒落たサンダルで、ざっくりと開いた胸もとに光る琥珀の護符すら、小粋なアクセサリーに見えてしまった。


 亜麻色の頭はやっぱりアップにまとめているが、こめかみのあたりに大きな花飾りなどをつけていて、ふだんの妙ちくりんな格好に比べれば、格段に女らしい。


 うーん……本当に、容姿だけは卑劣なぐらいに恵まれてるんだよな、こいつは。


「どお? どお? ミナトくん、可愛いなら可愛いってハッキリ言ってくれちゃってかまわないんだよっ!」


 が、そんな余計なことをまくしたててくれるもんだから、俺も余計なことは言わずに済んだ。七星の馬鹿さ加減に感謝しよう。


「自覚してるなら他人の評価なんて必要ないだろ。自己満足を胸に、強く生きろ」


「何よ、それ! どうして『とっても可愛いね、よく似合うよ』ぐらいのことが言えないのさ!」


「……トッテモカワイイネヨクニアウヨ」


「ぐわぁムカつく! 可愛さあまって憎さ百倍!」


 せっかく女らしい格好をしてるんだから「ぐわぁ」とか言うなよ。


 とりあえず俺は肩をすくめて七星の神経をちょろりと逆なでしてやってから、回廊のむこうで手持ち無沙汰にたたずんでいる残りのメンバーたちのほうに向かった。


 おやおや。トラメとアクラブ以外は全員ワンピースだ。


 八雲は道中と同じ格好だが、ラケルタはいくぶん簡略型の、それでもやっぱりゴス系としか言い様のないフリフリの黒で、ナギはやっぱりグリーンが主体の花柄、だ。七星の中で、ナギのイメージカラーはグリーンなのだろうか。


「さ、行くよ! 第二宴会場は一階だから!」


 頬をふくらませた七星を先頭に、俺たちはぞろぞろとエレベーターに乗りこむ。


 どうやら他の客たちは、第一宴会場でバイキング、あるいは別料金のレストランで晩餐を楽しんでいるらしい。エレベーターでも、広い回廊でも、俺たちはやっぱり誰ともすれ違うことすらなかった。


 そうして俺たちは、一階の南端にある第二宴会場とやらに到着したわけだが。


 そこには、まさしく「宴」の準備が滞りなく用意されていた。


「うわ……豪華だな、おい」


 巨大なテーブルに、八つの席。


 まず目にとびこんできたのは、その中央にでんと置かれた巨大な舟盛りだ。


 赤身、白身に、タコ、エビ、イカ、貝……たぶん一人では持ち上げることすら難しいようなスケールで、トラメさえいないければ、誰がこんなに食うんだよ!と叫びたいぐらいだった。


 その山盛りの豪華客船を取り囲むのは、サザエの壺焼きに、あわびのステーキ、折り重なったタラバガニの群れ、人数分の釜飯と、ぐつぐつ煮えた、たぶんカニスキ鍋、海鮮を散らした大皿のサラダ、しんなりと横たわった巨大イカの姿造り、焼きホッケ、甘エビの唐揚げ、茶碗蒸し、エトセトラエトセトラ……竜宮城も真っ青だな、これは。


「七星、お前の心づかいには感謝するけどな……いくらトラメがいるからって、ちょいとハリキリすぎじゃないか?」


「そーお? もなみは二十人前でよろしく!って頼んだだけだよ。トラメちゃんが十人前はぺろりとたいらげるとして、まあ三人前ぐらいの余剰しかないはずだけど、それさえもトラメちゃんの胃袋に消えるともなみは予測しております!」


「そうかねぇ。ま、トラメが食い物を残す姿なんて見られれば、それはそれで貴重かもな」


 とりあえず俺たちは、着席した。


 今回は七星も席順にとやかく口を出してこなかったので、俺の左右にはトラメとナギがいる。


 このたびの現世降臨において最大級の食糧の山を前にして、トラメは、異様なほど静かだった。嵐の前の静けさ、なのかもしれないが。


「さてさて。それでは七面倒くさい挨拶はぬきにして、まずは食欲を満たしましょう! いただきますっ!」


「いただきます」と、幻獣ならざる四人が復唱した。


 トラメは、七星の気づかいで準備されたフォークを握り、まずはじっと俺に視線をむけてくる。


 うん、食べ方がわからないんだろうな。


 我が家では刺身など提供したことはないので、それもいたしかたがない。


 現し世の食事は現し世のルールにそって食べるのが一番美味い、という認識を正しく備えているトラメは、こういうとき、目先の食欲にとらわれて、むやみに手をのばしたりはしないのだ。……お行儀がいいと言えばその通りだが、要するに「食」にかける情熱が尋常でない、ということなのだろう。


「えーっと、お前は香辛料に敏感だったよな。ワサビは避けたほうが無難かなぁ」


「えー? ワサビぬきなんて物足りなくない?」


 さっそく釜飯をパクつきながら、ナギが口をはさんでくる。


 そうだろうか? 猫もワサビは苦手だったと思うのだが、トラメはどうだろう。


 俺は自分の小皿に醤油を注ぎ、適量のワサビをといて、それをトラメの鼻先に近づけてみた。


 トラメはくんくんとニオイを嗅ぎ、けげんそうに首をかしげる。


 そうか。醤油などにといてしまうと、ワサビもそこまでは匂わないもんな。


 俺は小皿をテーブルに戻し、今度はワサビをといた箸の先を、トラメの前にかざしてやった。


 ピンク色の舌が、ぺろりとその先端をなめ。


 次の瞬間、テーブルの下で、俺の足が蹴っ飛ばされた。


「痛えなぁ。だから味見させてやったんだろ? やっぱりワサビはダメだな」


 ということで、トラメの小皿には醤油のみを注いでやった。


 さて、まずは王道で赤身かな、と俺は舟盛りのほうに視線をむけ……そこでようやく、その場にいる連中の過半数が、おかしな顔つきで俺たちの動向を見守っていることに気づき、ぎょっとした。


「な、何だよ?」


 宇都見は、カニスキに箸をつっこんだまま、きょとんとしている。


 八雲とラケルタは、ぽかんとしている。


 アクラブだけはこっちのほうを見ておらず、そして、七星とナギは、二人しておんなじように少し眉を吊りあげていた。


「お兄ちゃん……ちょっと過保護じゃない?」


「ミナトくん……何故にアナタはもなみの嫉妬心をむやみに刺激するの?」


「だ、だから何がだよ? こいつは刺身の食べ方なんて知らないんだから、そいつを丁寧に教えてやってるだけだろ?」


「だからそれが過保護だって言ってるの! 口で言えばわかることじゃん!」


「無意識ににじみでる愛情深さが、もなみを羅刹へと変貌させるのだよ!」


 わけがわからん。こんなのは猫に餌付けをしてるようなもんじゃないか。誰に責められるいわれもないぞ。蹴っ飛ばされた上に非難されたんじゃ、俺の立つ瀬はどこにある?


「……もうよいわ」


 面倒くさげにトラメが言い、目の前にあったタラバガニをわしづかみにする。


 うわぁ待て待て。そいつはハンバーガーとはわけが違うんだ。カラごとバリバリ食べはじめたら、ナギあたりに正気を疑われてしまうぞ。


「馬鹿、違うって。こいつはこう、まずは足のところをもいでだな……」


「過保護!」


「羅刹!」


 結託すんな。お前ら、やっぱり実は仲良しなんだろ?


「あ、あの、磯月くん、良かったら私がカニをほぐしましょうか……?」


 と、見かねたように八雲が手をさしのべてくる。


 そのオドオドとした顔が、俺には救いの天使に見えてしまったよ、まったく。


 トラメの手からもぎ取った馬鹿でかいタラバガニを八雲に献上し、俺は、無言で刺身を食べてみせた。


 後はもう難しいことなんてないんだ。目で見て学べ。そして、巣立て。俺が二人の馬鹿者どもに眼光で射殺されないうちに。


 トラメは、「ふん」と鼻を鳴らしてから、再びフォークを手に取った。そうそう、ギョーザの要領だ。えらく美味い魚だから、テーブルに落とすなよ。


 そうして一口刺身を食すと、その後はもう止まらなかった。


 よどみない手つきでぱくぱくと舟盛りを制覇していく。いつもよりもほんのちょっとだけハイペースなその動きが、トラメの満足度を何よりも現していた。


「ト、トラメさん、これもどうぞ。ポン酢で食べると、美味しいですよ?」


 少し緊張した笑みを浮かべつつ、八雲が器用にほぐしたカニの身をトラメの前に置く。


 俺はすかさずそれを一口だけかっさらい、みずから手本を示してみせた。


 トラメはじろりと俺をにらんでから、同じようにカニの山をもたいらげていく。


「美味しいですか? ちょ、ちょっと待ってくださいね」


 八雲があわてて新しいカニに手をのばすと、またナギと七星が騒ぎはじめた。


「何だか楽しそう! ナギもほぐす!」


「むむ? もなみだって負けないよ、妹ちゃん!」


 何なんだ。お前ら、みんなしてトラメの世話を焼きたいだけなのか?


 まあいいや。それならそれで、俺もぞんぶんに自分の食事を楽しめる。


 唐突に開始されたカニほぐし勝負を横目に、俺はあわびのステーキをいただいた。うーん、不思議な味だな、これは。


「む」とトラメのうなり声が聞こえ、振り返ってみると、そのフォークが狙っていた赤身の刺身を、アクラブが指先でつまんでかすめとる姿が目撃できた。


「ふん。干からびた肉よりは、いくぶんマシだな」


 トラメの眼光をはね返しつつ、アクラブが唇を吊りあげる。


 七星は巨大なタラバガニと格闘しながら、「こら、アクラブ!」と母親のような声をあげた。


「お行儀悪いよ! それに、食事中ぐらいは帽子とサングラスを外しなさいな!」


 え、いいのか? トラメの黄色い瞳だってけっこうキワドイのに、アクラブの赤い髪や瞳などは、あまりに人間離れしすぎてはいないだろうか?


 そんな俺の懸念もよそに、アクラブはもう一度「ふん」と小馬鹿にしたような声をあげ、何の躊躇もなく主人の言に従った。


 大きなベレーに隠されていた長い髪が、ふわりと腰まで流れ落ちる。


 ……げげ。アクラブの髪が、黒い。


 瞳も、黒い。


 こいつはどういうイカサマだ?


(変化の術だよん。アクラブもまだ本調子じゃないけど、これぐらいの魔力は使っても負担にならないでしょ)


 と、ひさかたぶりに念話の声が響く。勝負の最中に、余裕だな。


 しかし、たとえ黒髪黒瞳でも、アクラブの悪魔的な美貌に変わりはない。トラメやラケルタとおんなじぐらい長い髪に、冷徹な光をたたえた切れ長の瞳。初めてその姿を目の当たりにしたナギは「ふわぁ……」とおかしな声をあげ、七星は、笑顔で新しいタラバガニをつかみとった。


「スキあり! アクラブの美貌に見とれてるヒマはないよ、妹ちゃん!」


「あ、くそ、ヒキョーだぞ、吊りズボン!」


 放っておこう。ウニとイクラとマグロの切り身がまぶされた釜飯を美味しくいただきながらトラメのほうをうかがうと、ちょうどそちらも同じ品に手をつけはじめたところだった。


「どれを食っても美味いなぁ。魚好きのお前にはたまらんだろ、トラメ?」


「……悪くはない」


 大嫌いな海などに連れてこられて損ねられたご機嫌も、これで少しは復調しただろうか。


 阿呆な二人が阿呆な勝負にかまけている間に、俺はこっそり焼きホッケの身をほぐして、半分トラメの取り皿に置いてやった。


「……アレは、ないのか?」


「ん? アレって?」


 俺が聞き返すと、トラメは、わずか数秒でほとんど中身のなくなってしまった釜飯を指ししめしてくる。


 どうでもいいけど、きちんと咀嚼しているし、そんなに猛スピードでがっついてるわけでもないのに、どうしてこいつはこんなに食べるのが早いのだろう。


「この白いものに茶色いものを混ぜた、アレだ。いつも貴様が作っているだろう」


「ああ、ネコマンマか。あれはホテルで出されるようなメニューじゃねェなぁ」


「ないのか」


「ないよ。あんなの、毎日食べてて飽きがきてる頃だろ?」


 トラメは答えず、完食した釜飯の器をしばらくじっと見下ろしてから、また舟盛りの刺身に手をのばしはじめた。


 アクラブまで参戦してきた効果か、あれほど山盛りだった刺身もずいぶん残りわずかとなってしまっている。


「何だよ。あんなもんがなくったって、それ以上に美味いもんがこれだけ山積みにされてるんだから、十分だろ?」


 それでもやっぱり、トラメは答えない。


 何だ、本当にネコマンマが食べたいのか? まあトラメが一番美味そうに食べていたから常食メニューにしたわけだが。そこまで気に入ってもらえているとは夢にも思っていなかったな。


「よーし、もなみの勝ちぃ!」


 と、七星の素っ頓狂な声が響く。


 見れば、七星の前にはカニの殻が四杯ぶん、ナギの前には三杯ぶん転がっていた。


 紅白のカニ肉も、皿の上に山盛りだ。何だかありがたみのないシロモノに化けちまったな。


「はい、トラメちゃん! もなみが買ったからもなみのを食べて! きっと勝ちガニは負けガニより美味しいよ!」


 ナギはわなわなと震えながら、テーブルのシーツをわしづかみにしていた。


 俺は溜息をついてから、傷心の妹の頭をくしゃくしゃになでてやる。


「それじゃあ負けガニとやらは俺たちがいただこう。ご苦労さん、ナギ」


「ぬわぁ! そうきたか! 試合に勝って勝負に負けたっ!」


 七星の嘆きの雄叫びを聞きながら、八雲がきょときょとと視線をさまよわせていた。


「あの……宇都見くん、よかったら食べてください」


 ああ、八雲もカニをほぐしていたんだった。


 宇都見は、「うわあ、ありがとう」と子どものように笑って、八雲から皿を受け取った。


 そういえばラケルタが静かだな、と思って視線を転じてみると、八雲の陰でちまちまと茶碗蒸しをついばんでいる。


 そうか、こいつはタマゴ一個で一日ぶんの燃料補給できてしまうリーズナブルな幻獣なのだった。


「同じものばかり食うな。我のぶんがなくなる」


 と、トラメがいきなり険悪な声をあげる。


 見れば、アクラブがひょいひょいと赤身のマグロばかりを食していた。


「白い肉など食べる気にもなれん。足りないのならば、そこのクラーケンの幼体みたいな肉でも食べていろ」


 クラーケンって、真イカのお作りのことか。


 さて、猫にイカはまずいはずだったが、トラメはどうなのかな。


「ケンカしないの! ……でもアクラブって、お刺身が好きだったんだね。こりゃあなかなかの新発見だわ」


 七星が言うと、アクラブは面白くもなさそうに口もとを歪める。


「ふん。死んでから時間の経った肉よりは、死んで間もない肉のほうがまだマシというだけだ」


「ならば海にでも潜って生きた肉を追い回すがいい。あそこにはこいつらが群れをなして泳いでいるらしいぞ、ギルタブルル」


「喧嘩を売っているのか、グーロ? 右腕の動かないお前など、腹ごなしの相手にもならんぞ」


「そういう貴様こそ、エルバハにやられた痛手からはまだ回復しておるまい。回復を急ぐあまり、そのように無作法に食を進めておるのか。まったく、けなげな毒虫だな」


「回復を急いでいるのはどっちだ。食い物がからむと目の色が変わるな、グーロというやつは」


 待て待て。ナギの前でそんな危なっかしい話をするんじゃないよ、お前たち。


 俺と同じ懸念を抱いたのか、七星のやつも呆れ返ったかのように大声をあげる。


「ケンカしないのって言ってるでしょ! まさかおかわりが必要になるとは思わなかったわぁ。追加で持ってきてもらうから、仲良く食べなさい、アナタたち! その代わり、一切れでも残したら罰ゲームだからね!」


 しかし、誰もそんなものは受けずに済んだ。数十分後には、七星が追加注文したマグロの大皿をふくめて、あれだけ大量にあった食糧のすべてが見事に食い散らかされてしまったのだ。


 トラメがダウンする姿も見れなかった。が、さすがにその後は眠りにつくまで、トラメもおやつに手をのばそうとはしなかった。美味いものを食べるのが痛手を癒す最善の手段ならば、この夜だけでずいぶんトラメも回復が進んだのではなかろうか。



 何はともあれ、豪勢きわまりない夕食は、何事もなく終了した。


 その後は、七星の部屋に集合させられ、七星の用意したトランプやら何やらで夜を過ごすことになった。


 もちろん幻獣トリオは見学だったが、これがなかなかに盛り上がった。七星とナギの勝負魂が三たび燃えあがったことは言うまでもないが、意外な伏兵・八雲によってほとんどの勝利は強奪されてしまったのだ。


 カードゲームなんて、運とセンスがすべてだろう。実際、宇都見と同じぐらい友達の少なそうな八雲はほとんどのゲームのルールを知らなかったが、ポーカーでも、七ならべでも、ババぬきでも、ブラックジャックでも、無類の強さを見せつけてくれた。


 かろうじて七星が対抗できたのは、センス以上に記憶力が必要な神経衰弱ぐらいのものだった。


「うーん、人間、何かひとつぐらいは取り柄があるもんだねぇ! ミワちゃん、うちの会社の雑用なんて辞めて、いっそ賭博師でも目指したら? 女賭博師! カッコイイじゃん!」


「え、あの、それはちょっと……」


「さりげなくひどいことを言うなよ、お前は。トランプ以外に取り柄がないなんてことがあるか」


「そっか。やらしーカラダも立派な取り柄だね! それじゃあグラビア・アイドルでも目指す?」


 顔を真っ赤にする八雲に代わって、俺が七星の頭をひっぱたいてやった。



 かくして、平和に夜は更けていったのだった。


 本当に平和な一日だった。


 馬鹿みたいに騒々しく、賑やかな一日でもあったけれども、平穏無事であったことに間違いはない。四日前のように得体の知れない連中に襲われることもなく、メンバーの大多数が、なかなかに楽しく過ごせた、ということに疑いはあるまい。


 ただし。


 そのまま平和に、終わりはしなかった。


 正確には、深夜の○時を過ぎてからだが。事件は、意想外な方向からやってきた。


 というか、今日という日を平和に終わらすつもりなど微塵もなかった人物が、たったひとりだけ、いたのである。


 それが誰か、などということは、口にする必要もないことだろう。


いいかげんに言い飽きた台詞だが、あえて言わせていただきたい。


 まったくもって、やれやれだ。

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