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召喚ノススメ  作者: EDA
第二章 海と魔術(前)
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海岸の乙女たち

「それじゃあ浜辺で集合ね! 女子は支度に時間がかかるだろうから、ミナトくんたちは先に行ってて!」


 そんな威勢のいい言葉を残し、七星の姿が重厚な扉のむこうに消える。


「ホテル・サモヴィーラ」なる豪華ホテルである。


 十階建ての巨大なホテルで、ゴージャスながらも雰囲気はどこか古めかしい洋館めいている。


 毛足の長い絨毯に、樫の扉、高い天井や風景画のかかった壁などが、今や懐かしい七星のアジトを思い出させる。さぞかし立派な宿なのだろうと予想はしていたが、それよりも二割増しで豪華なホテルだった。


「……あのもなみさんって人は、ホントに大富豪なんだねぇ」


 俺たち二人にあてがわれた最上階の五号室に足を踏み入れながら、宇都見が感心したように言う。


 室の内部はひたすらに広く、アンティークな調度が取りそろえられていて、やっぱり七星のアジトを思い出させる。唯一にして最大の相違点は、奥の壁に設置された巨大な窓で、なるほどこれがオーシャン・ビューかと、俺は実に庶民的な感慨を抱かされてしまった。


「……とりあえず着替えるか」


 宇都見とは小三の頃からの腐れ縁で、泊まりがけの旅行をともにしたことも一度や二度ではなかったので、あんまり違和感はない。


 が、海水浴などは初体験だ。馬鹿な俺たちが出向くのは、いつも神社仏閣か心霊スポットの類いであったのだから。


「そういえば、お前は水泳の授業なんかでも見学してるほうが多かったよな。強い日差しが苦手だとか何だとか言ってなかったっけ?」


「うん。ちょっと日光アレルギーのケがあるんだよ。あんまり無茶すると全身に湿疹がでちゃって、夜も寝られないぐらいなんだぁ」


「軟弱なこった。そんなんで海に入れるのか?」


「うーん。曇り空ならまだ良かったんだけど。こんなにカンカン照りじゃあ、ちょっと厳しいねぇ。ボクは波打ち際で遊んでるよ」


 そうか。たったひとりの同性なのに、心もとないことだ。


 よく考えたら、俺は妹以外の女子と海水浴なんざに来たのは、これが初めてのことだった。……って言っても、半数は人間ならざる異世界の住人どもなんだけどな。


 水着の上にパーカーを羽織り、ビーチサンダルを履いて、準備完了だ。


 宇都見もいちおう水着を装着したが、日焼け止めのクリームを入念に塗りまくり、長袖のシャツを着て、おまけに麦わら帽子などをかぶっている。


 どうでもいいけど、まるきり小学生みたいだぞ、お前。


 七星におしつけられた巨大なパラソル二本と空気の入っていないビニールボート、それに巨大なクーラー・ボックスを抱えて、部屋を出る。


 隣りの室は、沈黙したままだ。


 俺は宇都見とともに回廊を歩き、エレベーターを降り、何だかずいぶんひっそりとしてしまっているロビーをこえて、再び炎天下の外界へと脱出を果たした。


 入館したときとは反対側の出入口である。ちょっとした歩道をはさんで高い石垣の段になっており、それを階段で降りれば、もう浜辺だ。


 砂が、暑い。


 強烈な、日差しだ。


 見渡すかぎりの水平線。空も、海も、びっくりするぐらい青く、綿菓子のような入道雲は、白い。


 海なのである。


 やっぱり気持ちがいいもんだな。


 水が、ずいぶんと透明だ。


 たしか、ここは館山とかいう場所にある浜辺なのだっけ? たいした説明もないままにここまで拉致られてきたようなものなのだが、千葉県でもかなり南端のほうらしい。どうりで三時間もかかるわけだ。


「……何だか、ずいぶん人気がないねぇ。プライベート・ビーチって、こういうもの?」


 宇都見の言葉に、俺は「さてな」と応じてみせる。


 確かにな。いくらプライベート・ビーチとはいえ、見渡すかぎり、ほとんど人影が見当たらないのだ。


 時節は七月の最終週。時刻は午前の十時半。であるにも関わらず、どんなに目をこらしても、二ケタ以上の人影を発見することはできなかった。


 これだけ巨大で豪華なホテルであるのに、宿泊客はたったのこれだけしか存在しないのだろうか。


「やっほー! お待たせーっ!」


 と、七星の声が頭上で響いたかと思うと、爆弾でも落ちたかのように砂浜の砂が舞った。


 テンションの上がった馬鹿娘が、三メートルはあろうかという石垣の上から俺たちの目の前にダイブしてきたのだ。


「もなみちゃんの水着姿、大公開! 忌憚のないご意見をよろしくどうぞ!」


「七星、お前なぁ……」


 ひとしきり咳き込んでから顔を上げ、俺は文句を言おうとした。


 が、途中で言葉を失ってしまう。


 七星は、頭上の太陽と同じぐらい鮮烈なオレンジ色をしたビキニを着て、そこに威風堂々と立ちはだかっていた。


 特におかしなところはない。ごくまっとうな、水着姿だ。


 だけど、何ていうか、その……動いたり喋ったりしなければ、こいつは本当に一般人とは思えないほどの美少女なんだなってことを再認識させられてしまった。


 極端に胸が大きいとかそういうわけでもないのだが。ハーフというだけあって色が白く、手足が長く、ものすごくバランスのいい身体つきをしていて、たしかスカパンとかいうヒラヒラの布きれを巻きつけた腰などは、とてもすっきりとくびれている。


 これ以上ないぐらいカンペキなプロポーション、というのは、こういうことを言うのだろうか。


 それで顔立ちもアイドル級に可愛らしいのだから、なんていうか、卑怯だよ、お前は。


 亜麻色の髪はいつも通りアップに結いあげたままで、公衆の面前では外さないサングラスも、今日は見当たらない。腰に手をあて、楽しげに笑いつつ、やがて七星は「あれれ」と小首をかしげはじめた。


「やっぱり露出が足りなかったかしらん? もなみぐらいの美少女ともなると、奇をてらわないのがベストだと思ったんだけどなぁ。不評ならば、すぐさま着替えてきまするぞ!」


「やめとけ。別に、不評じゃねぇよ」


「ほんとに? 可愛い? 欲情した?」


「……口を開いたから、一気に冷めた」


「うぬぅ! ミナトくんは、手強いなぁ!」


 と、七星がいつもの調子でぼやいたとき、頭上から新しい声が降ってきた。


「ちょっと! 荷物も持たずにとっとと行っちゃわないでよ、吊りズボン! ナギたちは右も左もわからないんだから!」


 我が最愛なる妹君だ。


 ぺしゃんこの浮き輪やらシャチのフロートやらを両手に抱えたナギは、胸もとがフリルになっているセパレートタイプの水着を着ていた。色は明るいエメラルドグリーンで、こちらもよく似合っているが、見覚えのない水着だな。


「ん。ナギも自分のを持ってきたんだけど、吊りズボンがこっちを着ろってうるさいからさ……ヘンじゃない?」


「ヘンじゃないよ。似合ってるぜ」


 俺が心からそう評すると、ナギは嬉しそうに顔をほころばせ、七星は不満げにわめき声をあげた。


「ひいきだ! イカサマだ! 八百長だ! どうして妹ちゃんのことは素直にほめるのさ! もなみだってミナトくんにほめられたいっ!」


「ココロの中でほめちぎってるよ。それで満足しろ」


「イヤダ! もなみはエスパーじゃないから聞こえないもん! 妹ちゃんの水着だって、もなみがものすごく考えに考えぬいてチョイスしたのに、それでもなみが敗北感を味わうなんて、何だかとっても理不尽だっ!」


 場所が変わっても阿呆なやりとりに変化はない。


 怒れる七星とニマニマはにかむナギにはさまれながら俺が嘆息していると、第三の刺客が「あの……」と弱々しく声をかけてきた。


「どうしたんですか? また、ケンカですか……?」


 言わずと知れた、八雲である。


 その隣りには、ラケルタも立っている。


 ラケルタは、不必要にヒラヒラのついたワンピースタイプの水着を着ていた。


 色は、もちろん黒である。


 うん。ゴスロリ・ファッションの延長みたいで、そんなに違和感はない。


 ただし、腰まで届く見事な黒髪を三つ編みにしており、ついでに、ふだんはものすごい質量を誇るスカートに隠されている白い足をさらけだしているのが、何だかとても新鮮だった。


 黒い眼帯とレースの手袋などを装着したままなのがちょっとこの場には不似合いだが、それはまあしかたがない。


 もともと十歳児という設定が与えられるぐらい幼い容姿をしているラケルタなので、絶世の美幼女とはいえ、ナギ以上に罪のない水着姿だ。


 というか、広大なる砂浜と大海を前にして、「うわあ」と片方しかない瞳を輝かせているラケルタの姿は、むやみやたらと微笑ましい。フランス人形のように整いすぎた顔立ちさえさしひけば、ラケルタは外見通りの小さな人間の女の子にしか見えなかった。


 そして、八雲は……


「ミワちゃん! ナニをモジモジしてるのさっ! もなみのチョイスした水着が気に入らないっての?」


 と、いくぶん八つ当たり気味に七星がわめき、八雲に跳びかかる。


 八雲はその身体にしっかりとビーチタオルを巻きつけていたのだが、それはあえなく七星の手によって剥ぎ取られてしまった。


「うっ」とナギがおかしな声をあげる。


 俺は、かろうじて驚きの声を飲みこんだ。


 ちょっとは、警戒もしていたのだ。おとなしい性格や地味な服装と反して、八雲がずいぶん女らしいスタイルを有しているのだということは、俺も予備知識として持っていたのだから。


 が、これは想像以上だった。いちいち女どもの水着姿なんぞに過剰反応していては品性を疑われそうだけれども、こちらの身にもなってほしい。


 ……とりあえず、胸がでかすぎるんだよ。


 うちの妹はスレンダーすぎる体型に若干のコンプレックスを抱いているようなのだから、あんまり刺激しないでやってほしいものだ。


 その身にまとっているのは目にもまぶしい白のビキニで。手足も、腰も、標準体型の範囲内でだがけっこうふくよかに肉がついている。女はやたらと痩せたがるけど、男が好むのは女性らしい肉づきの良さだ、という通俗的な一説を俺は思いだしてしまっていた。


 それに、髪を切ってメガネを外したから、八雲はもうあんまり地味でもなくなっているのだ。


 ここがプライベート・ビーチで良かったな。七星に八雲、こんな二人が連れ立って歩いていたら、それこそヨコシマな情念をかきたてられた男どもがゾロゾロと寄ってきて、撃退するのが大変だったと思うぞ、おそらく。


「……やらしいカラダをしてるよね、ミワちゃんは!」


 と、馬鹿でかい声でミもフタもないことを言い、七星がぐるりと俺を振り返る。


「ミナトくん。うかつなことを口走らないでね? バスの中でも警告したけど、あんまりもなみの嫉妬心を刺激したら、ミワちゃんの未来はお先真っ暗なんだからっ!」


「だから、そいつはお前が自制しろっての」


 それに……と、俺はこっそり考えていた。


 確かに色気でまさっているのは八雲のほうだが、たぶん、目立つのは七星のほうだと思う。


 顔立ちだとか、スタイルだとか、そんなのは別タイプながらも同等の高得点で、見ようによっては八雲のほうが勝っているぐらいなのだが、やっぱり、何というか、存在感が違うのだ。


 どこがどう、とは上手く説明できない。内面からにじみでるものなのか、そうでないのか、とにかく七星は、特殊で、強烈だった。


 こんなことを口にしたらつけあがるだろうから決して言わないが、俺を落ち着かない気分にさせているのは、さっきからずっと七星の水着姿だった。


「……うむ? どしたの、アクラブにトラメちゃん。海に入れとは言わないけれど、せめて砂浜にぐらいは降りてきなよぉ」


 と、俺のことをにらみつけていた七星が、急に後方へと目線を転じる。


 つられてそちらを見てみると、和柄の甚平に、黒ずくめのシャツとパンツ、という最前までと同じ格好をした二人の幻獣娘が、高い石垣の上から俺たちを見下ろしていた。


「……我にかまうな」


「とっとと水遊びでも何でもしてこい」


 異口同音の、不機嫌そうな声。


 何だ、もしかしたらアクラブのやつも海が嫌いだったのか?


「……何だか目のやり場に困っちゃうなぁ。ボクはあっちの岩場で遊んできますね」


 本気とも冗談ともつかぬことを言いながら、宇都見がひとり戦線離脱する。


 さて、七星よ、俺たちはいつまでこの日差しの下で馬鹿みたいに突っ立っていればいいんだ?


「よし! それじゃあミッション開始といきますか! ミナトくんと妹ちゃんは浮き輪やボートに空気を入れて! もなみとミワちゃんはパラソルの設置! ラケルタちゃんはその下にシートを敷いて!」


 空気入れ、か。もちろんそれ専用の手動ポンプも用意されていたが、大人ふたりでも乗れそうなビニールボートと、二つの浮き輪、シャチの形をしたフロートに、ビーチボール、これら全部に空気を注入するのは、なかなかに難儀だった。


 くそ、この重労働を手伝わせてから宇都見を解放するべきだったな。


「拠点完成! アクラブにトラメちゃん! ここで荷物番をお願いね!」


 早々にパラソルを設置し終えた七星が、石垣の上に呼びかけている。


 それでも二人はしばらく渋っていたが、やがて根負けしたように重い足取りで浜辺まで降りてきた。


「もなみたちの楽しそうな姿を見て気が変わったら、いつでも気軽に声をかけてね! 二人の水着もばっちり準備してあるんだから!」


「……」


「……」


 うむ。絵に描いたような仏頂面だ。二人ともに。


 俺は浮き輪の空気入れに夢中になっているナギを横目に、さりげなくそちらに接近した。


「なあ、ここまでの道中でラケルタに、幻獣の属性とかいうものの話を聞いたんだけど。やっぱりお前らは『水』そのものが苦手なのか?」


「……私の苗床は『火』、種子は『地』だ。『水』とは、もっとも相容れない。お前の苗床は『地』であり種子は『風』であるのだから、私よりは『水』とも親和するだろう、グーロ」


「属性など関係あるか。我は、『水』など好かぬ」


「ふーん。色々大変なんだな。だけどトラメは、魔術師どもとやりあってるときに火の魔法もバンバン使ってなかったっけ?」


「火の精霊王ウルカヌスには直接拝謁を賜って、その加護を得たのだ。何か文句でもあるのか、貴様」


 おお、おっかない目つきだ。こんなにピリピリしたトラメは、ひさびさに見た。


 ……だけどその不機嫌そうな顔を見ていると、俺はやっぱり風呂のたんびに死に物狂いで暴れ回っていた飼い猫の姿を思い出してしまう。


 こいつの水嫌いには、本当に属性がどうしたこうしたんなんて話は関係ないのかもしれない。


「よぉし、終わった! 一番乗り! ラケルタちゃん、行こう!」


 と、二つの浮き輪に空気を注入し終えたナギが、いきなりラケルタの左腕をひっつかんで、砂浜を走りはじめた。


 不意をつかれたらしいラケルタはなすすべもなくナギに牽引され、八雲もあわてた様子でお子様ふたりを追いかける。


 また七星のやつはムキになってそれを追撃するのだろうと思ったが、案に相違して、こいつは動かなかった。


「やれやれ、無邪気だなぁ!」などと楽しげに笑い、最後の大物・ビニールボートに苦戦する俺のかたわらにかがみこんでくる。


「何だよ? こっちはもうちょいかかりそうだから、念願の海水浴を満喫してきたらどうだ?」


「いやいや! 念願の初・海水浴だからこそ、その記念すべき第一歩目は最愛なるオトモダチのミナトくんと踏みしめたいのです!」


 ああそうかい。そいつは光栄なこったけど、水着姿のお前さんに目の前をウロウロされると、俺は気分が落ち着かないのだ。とっととその自慢のボディを海面に沈めてくれるとありがたいんだけどな、こっちとしては。


「あ、トラメちゃん! お昼までまだ時間があるから、そのクーラー・ボックスに入ってるおやつで糊口をしのいでね! 煮干しばっかりじゃ気分が変わらないだろうから、本日は色々なおつまみを取りそろえてみましたことよ?」


「糊口をしのぐの使い方が微妙におかしいだろ。IQ二○○オーバーとか言いながら、国語能力は小学生レベルだよな、お前は」


「いいじゃん、別に! 大事なのは言葉じゃなくて気持ちでしょ?」


 わけがわからん。それから、トラメににじり寄るのはいいけど、こっちに尻をむけるな、尻を。


「……それにしても、七星、今日は顔を隠さなくていいのかよ? ま、幸い人目もそんなにはないみたいだけどな」


「うふふん? 大丈夫! もなみはもう『暁の剣団』には正体をバラしちゃったからねぇ。警戒すべきは『名無き黄昏』のみで、あっちはまだもなみの存在自体を知らないはずなんだから、不特定多数の人間がウヨウヨいる街中とかだけ気をつければいいのだよん。……それに、ここも結界の内なんだから、ちょっとは羽をのばしたってオッケーなのですたい!」


「結界の内? この浜辺がか?」


「浜辺だけじゃなく、ホテルもね! ほら、あの遊泳ブイの上に赤い風船みたいのがひっついてるでしょ? アレは呪符なの! 幻獣や使い魔なんかが侵入してきたり、魔術師が探索の触手をのばしてきたりしたらパンと割れるから、そのときは気をつけて! ホテルの建物には感応型と退魔型の二種類の結界を張っておいたから、ミナトくんたちは何の憂いもなくバカンスを楽しんでちょうだいな!」


「はあ。……魔術のことなんてよくわからんけど、この短時間でそこまでのことができるのか」


 半ば呆れて俺が問いかけると、七星は「うんにゃ」と首を横に振った。


「いくらもなみが天才少女でも、これだけ大がかりな術式を仕掛けるのは一日がかりだよ! 結界は、昨日のうちに張っておいたのさ。……で、とんぼ帰りした後にそのままバスでみんなを迎えに行ったから、実のところは一睡もしておりませぬ」


「な……」


「えらいでしょ? ほめてほめて!」


 尻尾を振り回す子犬のように、七星はにこにこと笑っている。


 感心するのを通りこして、俺は憮然としてしまった。


「お前、そこまで用心してんのか。……もしかして、客の姿が異様に少ないのも、お前の仕業なのか?」


「あったり前じゃん! 見知らぬ人間がうじゃうじゃ周囲にひしめいてたら、全然気が休まらないでしょお? さすがシーズンだけあって、もなみたちが滞在するこの三日間もホテル・サモヴィーラは連日満席御礼だったから、その大部分にはあらかじめキャンセルしていただいたの」


「キャンセルって、どうやって?」


「うん? ここより豪勢なホテルを準備して、そっちに移ってもらったのさぁ。こんな無茶な要求がまかり通るなんて、やっぱりお金の力は偉大だよね! ま、残念ながら達成率は九十五パーセントぐらいだったけど。この三日間、もなみたち以外でこのホテルに宿泊するのは、のべ五組の十二人ぐらいだったはずだよん。……あ、もちろんその頑固者たちには全員、使い魔をつけて監視してるからご心配なく!」


「……そこまで用心する必要があるのか? ナギのやつは護符のペンダントを外しちまってたから、危険な可能性があるならつけさせないと……」


「いやいや! 魔術師に襲撃される可能性なんて○・一パーセントもないよ! マイクロバスにも結界を張っておいたから、誰にも追跡はされてないはずだし。今もなみたちがこの海岸にいるってことは、絶対に誰にも突き止められていないはずなのさっ!」


「だったら、どうしてそこまで用心する必要があるんだ?」


「そんなの! ○・一パーセント未満の確率を、さらにゼロまで近づけるために決まってるじゃん! ミナトくん、ハインリッヒの法則を知らないの?」


 知らねェよ。食パンを落としたら、必ずバターを塗ったほうが下になる、とかいう話か?


「それはマーフィーの法則! ……ハインリッヒの法則はね、重大な事故・災害の背景には、二十九件の軽微な事故・災害、および三百件のどうってことない災害未満の出来事が存在する、っていう説だよ。それら三百件の取るに足りない出来事から原因を究明して駆逐していけば、致命的な事故・災害を未然に防げる、って考え方なわけね。……この世に生まれ落ちた瞬間から四面楚歌だったもなみなんかは、これぐらい用心してないと一秒たりとも生き抜いてこれなかったわけだよ。うふふふふ」


 だからどうしてそこで勝ち誇ったように笑いだすんだろうな、お前という人間は。


「何にせよ、どんなに可能性が低くたってゼロではないんだから! 今のもなみたちが魔術師どもに襲撃される可能性なんて、墜落してきた隕石に直撃されるぐらいの確率でしかないと思うけど! 逆に言えば、そんな天文学的に極小な不運さでバッタリ魔術結社の連中とハチ合わせしちゃったら泣くに泣けないでしょ? だからもなみは、万全を期すのです!」


「……たいしたやつだな、お前さんは」


 たかが海に遊びに来るぐらいのことで、そこまでの下準備が必要になってしまうのか。


 いったいこいつはどれほど因果な人生を送っているのだろう、と少しばかり感傷的な気持ちに陥りながら、俺はポンプ式の空気入れを放り捨てた。


 ようやく巨大なビニールボートに空気が満ち足りたのだ。


「それじゃあ、とっとと遊ぼうぜ。苦労したぶん、お前も楽しめ」


「おお! ひさびさに聞いた、ミナトくんのいたわりに満ちた言葉!」


 俺は苦笑し、パーカーを脱ぎ捨てた。


 それをパラソルの陰に投げこみ、トラメとアクラブに「それじゃあな」と声をかけてから、ビニールボートをひきずって、海にむかう。


「……あれぇ? ミナトくん、なんかよく見たらカラダが古傷だらけじゃない?」


 と、灼けた砂浜をスキップしながら、七星がじろじろと視線を注いでくる。


 あんまり見るな。減ったらどうする。


「ああ。あの魔術師どもにはさんざんな目に合わされたからな。ま、トラメやラケルタに比べればどうってことはねェよ」


 それに、俺がさんざんな目にあったのは魔術師どもと初めて出会った夜のことだから、すでに二週間ぐらいが経過していることになる。


 右腕をドミニカにしばかれた痕も、窓ガラスに頭から突っ込んだときの切り傷も、いくぶん赤くなっているだけで、ほとんどふさがっているはずだ。


 あ、あと、背中も革鞭でやられたんだっけな。あの頃はシャワーひとつあびるのにも苦労したものだが、今となっては遠い記憶だ。


「それに、右頬の傷も、うっすら残っちゃってるんだよねぇ」


「ああ。そこは刀でざっくり切られたからなぁ。……おい、何だよ?」


 何となく、七星の様子がおかしかった。


 でっかい瞳がきらきらと輝いていて、くいいるように、俺を見ているのだ。


 不穏だぞ、おい。


「……もなみもね、たったひとつだけ、古傷が残ってるの」


 と、いきなり七星が俺の前に回りこみ、腰に巻いていた布きれをちらりとまくりあげてきた。


 一瞬、俺は息を飲む。


 オレンジ色のショーツをはいた左足のつけ根のところに、まるで鋭い鉤爪でえぐられたような傷痕が、うっすらとだが白く刻みこまれていたのだ。


「六年前、『暁』の魔術師どもに追いつめられちゃって、もなみはけっこうズタズタのボロボロだったんだけど、最期にパパが、治癒の術で治してくれたんだあ。だけどちょびっと魔力が足りなくて、ここだけちょっびっと残っちゃったの。もちろんこんなの、もなみにとっては勲章みたいなもんだけどね」


「……へえ」


「パパも、もちろんボロボロだったよ。何せ十年以上もの間、ふたつの魔術結社から追い回されてたんだから。ケガが治るヒマなんてなかったんだ。……ミナトくんの古傷を見てたら、何だか猛烈にパパのことを思い出しちゃったよ! うん、感慨深い!」


 そうして七星は、まんまと俺が危惧した通りに、突如として俺の右腕にからみついてきたのだった。


 いやいや、勘弁してくださいな。水着だぞ、水着。


 そんな格好で気安く男に抱きついてくるもんじゃない。倫理とか常識とかモラルとかマナーとか、どれかひとつだけでも頭に思い浮かべてくれ、頼むから、本当に。


「こらーっ! お兄ちゃんたち、ナニやってるんだよぅ!」


 ほらほら、妹君もご立腹だ。八雲も、たぶん目を丸くしている。背後からはトラメたちだって見ているはずだし、こういうのはよくないですよ、七星さん。


 んが、七星はナギの怒声などどこ吹く風で、いっそう強烈に俺の右腕を抱きすくめてきた。


「うーむ。どうしよう。この旅は健全にすごす予定だったのに、ミナトくんのせいで発火しちゃったみたい! これはもう行きつくところまで行くしかないかもしれぬなあ」


 そんな蛮勇が許されるか、馬鹿。


 海にでも入って頭を冷やせ!


 俺はボートと七星をひきずりながら、大汗を流して熱砂を踏破することになった。


 妹たちがたわむれる青い海までの距離が、俺には果てしなく遠かった。

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