発端
『明日、みんなで、海に行こう!』
七星のやつがそんなことを言いだしたのは、ナギが我が家に帰還してから三日目の夜のことだった。
つまりはあの馬鹿げた勝負づくしで終わった一日から、中二日しか空いていない。
青春を謳歌するのはけっこうなことだが、つくづく慌ただしいやつだ。ようやく夜食の後片付けを済ませてリビングのソファに沈みこんだばかりだった俺は、携帯電話から響いてくる七星の声を聞きつつ、やっぱり溜息を禁じ得なかった。
「そいつは別にかまわないけどよ、いつ、誰と、どこに行くんだって?」
『明日、みんなで、海に行くんだよ! ミナトくん、もなみの話をちゃんと聞いてるぅ?』
「だから、みんなっていうのは誰のことで、海っていうのはどこの海のことを言ってるんだって聞いてんだよ!」
『ナニをカリカリしてるのさ? みんなっていうのはみんなのことだし、場所もちゃんと決めてあるから大丈夫! 千葉のとある海岸にある、とある豪華ホテルのプライベート・ビーチだよん』
「さっぱり要領を得ないなぁ。みんなってのは、この前集合した全員のことを言ってるのか? あんなメンツで、海に行く、だと? いったい何の目的でだ?」
『そんなの、海水浴に決まってるじゃん! それ以外に、ナニがあるっての? ミナトくんって、ときたまわかんないことを言うよねぇ』
そうか、俺が悪いのかい。見解の相違だな。こんなメンツで海水浴に行こう、などと言いだすお前のほうが、俺にとってはよっぽど理解不能なんだが。
『だって、もなみは海水浴なんて行ったこともないんだもん! せっかく友達ができたんだから、今までスルーしてきた数々のイベントに挑んでみたいって思うのが人情でしょ?』
「待て待て。友達作りもけっこうだがな、ナギや宇都見とはあの日が初対面だっただろ。一日遊んだだけで、お前にとってはもう友達かよ?」
『ばかだなぁ。もなみにとっての友達はミナトくんただひとりだよ! 唯一無二にして、生涯初めてのオトモダチ! あんまりつれないこと言うと、もなみ、泣いちゃうぞ?』
そう言って、言葉の内容とは裏腹に、七星はケタケタと笑いだす。
『ウツミショウタくんはミナトくんのオトモダチだし、妹ちゃんはミナトくんの妹ちゃん。そんなことは、わかってるよ! ついでに言うなら、ミワちゃんは友達じゃなくてもなみの手下だし、アクラブは大事な大事な戦友だよん。ミナトくんに念をおされるまでもなく、もなみがとびっきりに友達の少ない絶体孤独少女だってことぐらい、もなみ本人が一番痛感してるんだから!』
そいつは悪かったな。
まあ確かに、「ヤクモミワ」が「ミワ」に変化しただけで、俺はちょっと微笑ましい気持ちになってしまったよ。肩書きはどうあれ、仲良くやれてるなら、何よりだ。
『だけど、ミナトくんひとりを誘ったって、トラメちゃんは護衛役としてそばにいなきゃダメだし、こっちもアクラブがいるし、妹ちゃんはうるさいしで、けっきょく二人きりになんてなれないでしょ? だったらみんな呼んじゃえいと思ったのさ! こーゆーイベントは大人数のほうが楽しそうだしね!』
「わかった。ナギとトラメには俺から伝えておく。どうせ俺には拒否権なんてないんだろうしな」
『んふふ。最初から素直にそう応じておればいいのだよ! あ、ウツミショウタくんにも伝えておいてね? この前と違って今回は完全に遊びのお誘いだから、オトモダチのミナトくんから誘ってあげるのがスジってもんでしょお』
「……それじゃあ、本当に遊ぶのが目的なんだな?」
『んにゃ? 何を警戒してるのさ? もなみが大事なミナトくんを不毛な復讐劇に巻き込むとでも思ってるのかい?』
巻き込まないように行方をくらまそうとした馬鹿を相手に、そんな心配などするものか。俺はただ、こんなメンバーでただ遊びに行く、というのが、おっそろしく非現実的な行為に感じられてしまっただけだ。
だけど、それを言ったらあの三日前のゲームセンターだって同じようなものか。八雲の処遇についてや、トラメたちにでっちあげてくれた人間としての肩書きについてなど、いくつかの重要な通達事項はあったものの、基本的には親睦会のような一日だった。
……だいたい、宇都見なんぞには後から俺が全部通達することになったのだから、はっきり言ってあいつがあの場に呼ばれた意味さえわからない。
『それじゃあ、明日の朝七時に迎えに行くから! なんもかんも用意してあるから、手ぶらでいいよ! あ、二泊三日の予定なので、そこんとこヨロシク!』
最初から最後まで暴風雨のようなテンションのまま、七星からの電話は切れた。
実のところ、七星のやつは毎晩のように電話をかけてくるのだが、いつも通話時間は短く、そして激しい。暴風雨というよりは、スコールに近いのかもしれない。
「……お兄ちゃん、海がどうしたの? 今の電話、吊りズボンからでしょ?」
むかいのソファで手なぐさみに三つ編みを編んでいたナギが、けげんそうに聞いてくる。
ちなみにナギはショートヘアなので、編まれているのは、トラメの髪だ。
夜食を食べたばかりだというのにもう煮干しをかじりはじめているトラメは、仏頂面でされるがままになっている。
「ん。明日、海に行くんだってよ。二泊三日で、千葉だそうだ。三日前のメンバー全員を誘いたいらしい。ナギは、どうする?」
「えー? 海はいいけど、吊りズボンからのお誘いかぁ。……お兄ちゃんは、行くつもり?」
「ああ。まあせっかくのお誘いだしな。なんか豪勢なホテルのプライベート・ビーチらしいから、のんびりできていいんじゃないか?」
「プライベート・ビーチ? ああ、吊りズボンもトラメちゃんも、みんなイイトコのお嬢さまなんだっけ。うーん。海かぁ。うーん。吊りズボンかぁ。うーん。悩むなぁ」
しかし、ナギは部屋にこもってゲームに没頭するのと同じぐらい、身体を動かすことが好きなのだ。
ここ数年は不精な俺のせいで近所の市営プールぐらいにしか行けていないのだから、「海」の一文字からかもしだされる誘惑には勝てないだろう。七星に対する敵対心がそれを上回らなければ、だが。
「よし、わかった! 遠泳勝負でもっかいあいつをヘコませてやる! あ、潜水勝負もできるし、ビーチバレー勝負もできるね! うん、よし、行こう!」
読みまちがえた。敵対心さえもプラスの材料になってしまった。
というか、最初から行きたかったんだろ。強情さよりも素直さを大事にしろ、お前は。
「ま、そういうわけだ。お前は海なんて興味ないだろうけど、留守番させるわけにもいかないから、つきあってくれよな、トラメ」
ゲームセンターやショッピングにだって渋々ながらもつきあってくれたのだから、まさか嫌だとは言わないだろう。
ちなみにトラメがいま身にまとっているのは、ナギがプレゼントした和柄の渋い甚平である。なんちゅーセンスだと最初は呆れたが、これが意外に似合うのだ。
何を着たって窮屈なものは窮屈だと言いはって譲らないトラメだが、やっぱり夏には夏らしい格好をさせるべきだな、と俺もおおいに反省させられた。
「……この世界の海にも、やはり水が満ちているのか?」
「ん?」
「勝手にしろ」とかいう返事しか予想していなかった俺は、思わずトラメの仏頂面を見つめ返してしまった。
三つ編みはあんまり似合わないな、トラメ。
「トラメちゃん、また日本語をまちがってるよ! 『この世界』じゃなくて『この国』でしょ?」
得意そうに指摘してから、ナギも不思議そうに首をかしげる。
「だけど、どっちみちおかしな質問だね。水のない海なんて、あるの? 水があるから、海なんじゃないの?」
「……やはり、水が満ちているのか」
トラメは煮干しを食べる手を止めて、黄色い瞳を半分まぶたで隠してしまった。
「……行かぬ」
「な、何だって?」
「海は、好かぬ。だから、行かぬ」
「えー? 行こうよ、トラメちゃん! ひとりで留守番なんてつまんないよぉ?」
いや、そういう問題ではない。出不精のトラメが渋々ながらもゲームセンターやショッピングなどにつきあってくれた背景には、魔術師どもの暗躍を警戒すべきこの時期に俺のそばから離れるわけにはいかない、という裏事情があるはずなのだ。
言葉ではっきり確認したわけではないが、それぐらいのことは俺にもわかる。
「ちょっと待てよ。本当にひとりで留守番するつもりか? どうして海が嫌いなんだよ?」
「……好かぬものは好かぬ。我は、海になど行かぬ」
だから貴様も行ってはならぬ、とその半眼が強く訴えている。
いやいや、ちょっと待ってくれ。まさかトラメに断られるなどとは予想もしていなかったので、俺は七星にオーケーを出してしまった。これで断りでもしたら、今度は七星を羅刹のごとく怒らせてしまうじゃないか。
「まいったなぁ。きちんと事情を説明してくれよ、トラメ。じゃないと、あのワガママ娘を納得させられねェよ」
「事情もへったくれもない。海は好かぬから行かぬ。なんべん同じことを言わすつもりだ」
「いやだから、好かぬ理由を教えてくれって言ってるんだよ。甘いものが嫌いってのも意外だったけど、どうして海が嫌いなんだ?」
だいたいが、トラメは「食」に関して以外、ほとんど興味や執着をしめさない。興味のない事象に好きも嫌いもないだろう、と俺などには思えるのだ。
だから、「嫌い」というネガティブな反応なれど、トラメが積極的な自己主張を見せたことに、俺は困惑すると同時に強い好奇心をもかきたてられていた。
「……我は性質的に『水』を好まぬ。だからその最たるところの『海』を好まぬ。それだけのことだ」
目を半眼にした、不機嫌な仏像のような表情で、トラメは短くそう言った。
食い物が美味かったときでさえ素直にはっきりとは表現しない偏屈者であるからして、行間を読むのが一苦労だ。
しかし、思い当たることが、ひとつだけあった。トラメは、「入浴」という行為をずいぶんと忌み嫌っているのだ。
人間だったらなかなか致命的な性質だが。幻獣というやつは汗をかかない。垢もでない。新陳代謝という機能がそなわっていないようなので、そういった老廃物が排出されることはない、らしい。
それでも現し世で生活していればホコリだの何だので身体が汚れることもあるのだから、同居生活がスタートした当初、俺はトラメに入浴の何たるかを教えてやろうとした。
しかし、トラメは拒絶した。
それはトラメ特有の不精さから起因するものなのだろうと、俺は早々にあきらめたのだが。このたびナギが出現したために、俺はもう一度、カタチだけでいいから入浴するようにとトラメに頼みこんだ。何せ時節は「夏」なのだから、シャワーのひとつも浴びてもらわないことには、不自然きわまりないだろう。
が。それさえも、トラメには拒絶された。
頭から水をかぶることを、トラメは頑として受け容れなかったのだ。
しかたないから、トラメには「風呂に入ったフリ」をしてもらうことにした。昨日などは、ナギがゲームに夢中になっている間にそっとトラメを連れだして、濡れたタオルで髪を湿らせて、急場をしのぐことになった。
こんな手間ひまをかけるぐらいなら、本当に入浴したほうが手っ取り早いだろうに……と、俺はトラメの不精さや偏屈さを恨んでいたのだが。実は、トラメは、本当に心底から「水をかぶる」という行為が嫌いなのだろうか?
(……そういえば、昔に飼ってた猫も、死ぬほど風呂を嫌ってたっけ)
そう考えると、ちょっと俺は可笑しくなった。不機嫌そうに目を細めているその仏頂面までもが、駄々をこねる幼子のように見えてきてしまう。
「……トラメ。それに、ナギ。あのもなみって女はな、破綻しきった性格やら何やらが原因で、ずいぶん長いこと友達や仲間ってもんができなかったらしいんだよ」
俺は腰をすえ、誠心誠意、トラメを説得することにした。
「だから、この前のゲーセンのときもそうだったけど、今回も、みんなで遊ぶってことにずいぶんはしゃいでやがるんだ。……自分勝手で大馬鹿で、頭のネジが何本か外れちまってるような女だけど、俺にとっては、まあ友達だし、いろいろ世話にもなってるからな。海でみんなで遊びたい、なんていうちっぽけな願いぐらいには、俺としてもつきあってやりたいんだよ」
「……どしたの、お兄ちゃん? そんなマジメに語るような話?」
ナギはいぶかしそうにしているが、こいつには七星の不幸な生い立ちなど説明できないので、しかたがない。俺は苦笑し、肩をすくめることで、それをごまかした。
「お前らの意見を聞く前に安請け合いしちまったことを反省したんだ。ナギはまあモチベーションをあげるのに成功したみたいだから良かったけど、トラメが海嫌いだなんて知らなかったからな。トラメ、悪かったよ。……だけど別に、むりやり海に入る必要なんてないし、なんとか参加してもらえないもんかな? お前は浜辺で美味いもんでも食べてりゃ、それでいいさ」
「……」
「そうそう、海にはお前の好きな魚もウヨウヨ泳いでるぞ? ……あ、それを捕まえろって意味じゃなく、たぶんあの罰当たりなぐらいの成金娘だったら、それなりに立派な宿を準備してるだろ。うちじゃあお目にかかれないような豪勢な食事にもありつけるに違いない。この前の焼肉も、美味かったろ」
「……」
どうしても嫌だったら、まあ護衛役としてはアクラブもいることだし、トラメは留守番でもかまわない……とも思えたが、できればそんな言葉は口にしたくなかった。
トラメがそうしたいというのならばしかたがないけれど、やっぱり他の連中が海ではしゃいでいる間、トラメだけがこのマンションに居残ってボリボリと煮干しをかじっている図、などというのは、あまりにも物悲しいじゃないか。
もちろん、家で留守番させるぐらいなら、隠り世にいったん還してやる、というほうが、より実際的だろう。それならいつでも好きなときに召喚することも可能だし、旅の間は七星たちがそばにいるのだから、危険もない。
だけど、そういう話ではないのだ。
そういう話ではないのだよ、トラメ。
「ナギも、トラメと一緒がいいだろ?」
「うん! トラメちゃん、行こうよぅ。ひとりぼっちは、さみしいよ?」
と、ナギが笑顔でトラメの腕にまとわりつく。
トラメは糸のように目を細め、これ以上ないぐらい口をへの字にして、たっぷり三十秒は黙りこんだのち……やがて、ようやく、おし殺した声で「勝手にしろ」と言い捨てた。
ふう、と俺は嘆息する。その短い言葉をひきだすのに、思いがけないほどの時間と労力がかかってしまった。
しかし、トラメ、その黄色い目はまぶたの裏でどんな感情をくるめかせているんだろうか?
怒り狂っていないことを祈るばかりだが、こんな風にみんなから誘われたり慕われたりすることに、お前はどういう気分を得ているんだろうな。
俺も偏屈だから口には出せないけど、こんなメンバーで行動するなら、その中には絶対お前も一緒に加わっていてほしい、ぐらいのことは考えてるんだぜ。
何にせよ、美味いものが食べられるといいな、トラメ。




