襲撃者の影②
「……それはいったい、何に使うの?」
放課後。
大喰らいの待つマンションに戻る前に、俺は朝方も訪れたスーパーに寄って、とある物品を購入しておいた。
特価三割引・煮干しの袋詰め一キログラム・七百八十円也、だ。
何に使うもへったくれもない。あの大喰らいに言うことを聞かせるためのエサに決まっているではないか。
「すごいね。半日でもうグーロさんの行動パターンをつかんだんだ?」
「そんな大したことじゃない。要するにあいつは喰うモノがあればいいんだよ」
昨日はグーロとたどった道を宇都見とともにたどり、五階の自室のカギを開ける。
そうしてドアを開くなり、俺はまたまた溜息をつくことになった。
廊下のそこかしこに、あいつが着ていたはずのパーカーやらスウェットやらが脱ぎ散らかされていたのだ。
「……お前はここで待ってろ」
スーパーの袋を宇都見におしつけ、俺は単身、探索を開始する。
どうして自分の家で、こんなにおっかなびっくりにならなくてはならないのだ。
リビングとダイニングに、女のはしたない姿はなかった。
両親や妹が使っていた部屋は空き部屋のままだし、トイレやバスルームにあいつが潜んでいるとも思えなかったから、それなら俺の寝室か。
俺はドアの前に立ち、一回深呼吸してから、ゆっくりとドアノブをひねった。
いない……が、ベッドの毛布がこんもりと盛り上がっている。
いきなり刺激的な光景を見せつけられずに済んだ俺は、安堵の息をつきながら、そちらに足を進めていった。
「おい、露出狂。寝てるのか……?」
返事はない。しかし、毛布の端から特徴的なツートンカラーの髪が少しはみだしている。
俺は少し考えて、迎撃の体勢を整えてから敵陣に踏みこむことにした。
隣りの市に行くには電車に乗らねばならないから、どのみち部屋着のスウェットではあまりにみっともない、と思いいたったのだ。
こいつはそんなこと毛の先ほども気にかけないのだろうが、一緒にいて恥をかくのはごめんだ。
クローゼットを開けて、しばし沈思する。
およそ三十センチの身長差では、なかなか選択肢も限られてしまう。
それに、ボタンやらジッパーやらが多いと大変だろう。こいつが、じゃなく、俺が。
デニムやカーゴパンツなどをはかせて、俺がそのジッパーを上げ下げしてやる図を想像したら、それだけで頭が痛くなる。
というわけで、俺はスポーツブランドのジャージ上下と、下着代わりのタンクトップにショートパンツをチョイスすることにした。
もちろん私服で短パンなど持っていないから、中学時代の体操着ですぜ、念のため。
「グーロ、起きろ! 窮屈な思いをする時間だぞ?」
言ってしまってから、少しばかり変態チックな台詞だったなと後悔したが、グーロのやつはぴくりとも動かなかった。
「おい、起きろって。ちょっとばかり一緒に来てもらいたい場所があるんだ」
ベッドの空いたスペースに腰をおろし、ほんの少しだけ毛布をめくりあげる。
グーロは、よく眠っていた。
胎児のように身体を丸め、背中を上にむけ、顔を横にしてすやすやと寝息をたてている。
胎児というよりは、猫か。
長い髪のせいで顔がまったく見えなかったので、それを横にかきあげてやりながら、俺はもう一度呼びかけようとした。
その唇が、ふと止まる。
何だか……別人みたいな顔だった。
黄色い猫みたいな目を閉じて、なおかつふだんのふてぶてしい表情が消えているせいなのだろう。もともと幼げな顔が、さらに幼く見えてしまう。
それはまるで赤ん坊みたいに無防備であどけない寝顔だった。
(……だから何だってんだよ?)
俺はあわてて首を振り、毛布にくるまれたグーロの背中を力まかせに揺さぶってやる。
「おい、起きろ! ご主人様のお帰りだぞ! 起きて、すぐに服を着ろ!」
とたんに、まぶたがぱちりと開いた。
瞳孔の小さい猫のような瞳だけが動いて、俺の顔を見る。
「誰が主人だ? 我らはあくまで対等な立場として契約を結んだ対等な関係であり……」
「待った! 起きるな! その前に服を着ろ!」
両手で背中をおさえると、舌打ちをこらえるような表情になる。
「帰る早々、やかましいやつだな。だったら、とっとと喰うものを寄こせ、人間」