妹、燃ゆる①
ゲームセンターは、最寄り駅の裏に一軒だけ、そこそこ立派なやつがあった。
パチンコ屋と併設された、五階建てのビルである。
一階から順番に、クレーンゲーム、アーケードゲーム、メダルゲーム、ボーリング場、カラオケ屋、という具合にアミューズメント施設がつめこまれた建物で、地元の人間にとっては、まあ溜まり場だ。
そんな場所に、こんなメンバーでおしかけよう、というのだから……俺の気持ちが重くならないわけはない。
俺がひたすらに祈っていたのは、どうか知り合いなどと顔を合わせませんように、というただその一点のみだった。
ナギと宇都見、それに八雲まではまだオッケーだとしても、トラメとラケルタ、七星にアクラブ、というこの組み合わせは……まったくもって、目に立ちすぎる。
その中でも群をぬいているのは、やっぱりゴスロリ・ファッションのラケルタと、モデルのようにすらりと背の高いアクラブであろうか。
トラメは目深にキャップをかぶり、七星はでかいサングラスを装着したが、そんなものは焼け石に水だ。
ここに来るまでの道中でも、到着したのちも、こんな連中がこんな大人数で連れ立って歩いていれば、人目をひかないわけはなかった。
「よぉし、妹ちゃん! まずは何から勝負しよっか?」
「……とりあえず定番は格ゲーでしょ」
はしゃいでいるのは、七星とナギの二人だけだ。お前ら本当は仲良しなんじゃないか?という勢いで、二人はさっさと二階のアーケード・フロアに駆け出していってしまった。
(……もなみは道中でヤクモミワちゃんに言いたいことを言っておいたから、しばらくは妹ちゃんと遊んでくるねぃ)
そんな念話の声も、ウキウキと弾んでいるようにしか聞こえなかった。
アクラブは諦観の極に達した修行僧のような面持ちで二人の後を追い、俺は、とりあえず現し世の住人二人と顔を見合わせる。
「まったく、とんでもない日だな……おい、どこか目立たないところに行こうぜ」
「うん、あっちの自販機のところに休憩所があったみたいだよ?」
俺も宇都見も、ゲームに関しては門外漢だ。俺などはまだナギのつきあいで多少なりともたしなみはあるが、宇都見などはゲーム機のレバーやボタンに触れたこともないのではなかろうか。
トラメは店内の電子音に多少へきえきとした顔を見せつつも、道すがらに購入した煮干しをおとなしくかじっている。
そして、八雲とラケルタは……そもそもマンションに姿を現した当初から、徹頭徹尾、静かである。
「……大丈夫か、八雲?」
自販機の脇にしつらえられたベンチに腰を降ろしつつそう呼びかけてみると、八雲は、夢から覚めたような目つきで、俺を見た。
「ああ、うん……え、何ですか?」
「何ですかじゃねぇよ。ここに来るまでの間に、七星のやつから何を言われたんだ?」
八雲は、きゅっと唇を結び、かたわらのラケルタを振り返った。
ラケルタは静かにうなずき返し、八雲は、胸もとに手をおいて、深々と息を吸う。
「磯月くん、トラメさん。あのときは……本当にすみませんでした」
「……何だよ。わびの言葉なら、さんざんあの夜に聞いただろ?」
「いえ。どんなに頭を下げたって、許されないことを私はしてしまったんですから。……本当は、こんな風に声をかけてもらう資格なんて、私にはないんです」
「あのなぁ、八雲……」
「はい。磯月くんはそれでも私を許してくれると言ってくれました。それで私は……救われたんです。もちろん、トラメさんにも……」
と、自分の右手首にそっと目を落とす。
内側だから今は見えないが、そこにはまだ火傷の痕が残っているはずだ。
魔術結社の烙印を、トラメに灼かれ、そして癒された、赤く生々しい傷痕が。
「私は、二度と、みんなを裏切らない。裏切るぐらいなら、死にます。ラケルタと、一緒に」
「……ああ。本気でそう言ってくれてるってことを、俺は疑っちゃいないよ」
俺は、憮然と頭をかき回す。
「だけどなぁ、そんな簡単に死ぬとか言うな。まずは死なない努力をしろ。あとは誠意のほどを行動でしめしてくれれば、それで十分だ」
「……磯月くんは本当に、ものすごく強い人ですよね。あのもなみさんにも負けないぐらいに」
そんなことを言いながら、八雲は少しさびしげに、くすりと笑った。
「私は、あなたみたいに強くない。だけど、ほんのもう少し、誰も裏切らずにすむぐらいには強くあろう、強くなりたい、と願いました。……だから、決心したんです」
「決心って、何をだ?」
「はい。……私は、もなみさんの弟子になることにしました」
「で、でしぃ?」
思わず大声をあげてしまった。
いかんいかん。凡人たる俺までもが人目をひいてしまってどうする。
しかし……こいつは驚かずにはいられない話だろう。
「もなみさんのもとで、魔術を習得することにしたんです。自分の身と、ラケルタを守るために……その恩返しとして、私は、もなみさんの活動に協力することを約束しました。昨晩、もなみさんとの電話でそういう話になって……だから今日、みんなにもこの話を聞いてもらうために、もなみさんは集合を呼びかけてくれたんです」
「待て。ちょっと待てよ。いったいそいつはどういう話なんだ? いくら何でも、突拍子がなさすぎるだろう?」
「そうですか? だけど磯月くんもあの夜に、魔術結社に入団するぐらいなら、もなみさんの手下にでもなっちまえって言ってくれたじゃありませんか? ……あのときの言葉も、私にとっては決心を固める要因のひとつだったんですけど……」
それは、言葉のあやとして言ったことだ。
もちろん、本心から生じた言葉でもあるが、「普通に生きる」という選択肢があるなら、まずはその道を突き進むのが当然じゃあないか?
「いえ。私にとっては、そちらのほうが辛く険しい道になってしまうんです。……私はこのままだと、県外にある全寮制の学校に転校させられてしまいます」
「なに?」
「この間、馬鹿なことをしてしまったから……私は、自分の意志で家出をした、ということにしてしまったでしょう? それで、ついに親から愛想をつかされてしまったんです。高校から大学までエスカレーター式の、とても規則の厳しい軍隊みたいな学校に転校させられることが決まってしまって……だけど、そんなところに行ってしまったら、もうラケルタともなかなか会えなくなってしまうし……それに、とても身勝手な言い分ですけれど、もなみさんと『暁の剣団』の交渉が決裂してしまったとき、身を守るすべもなくなってしまいます」
「それは、そうかもしれないけどよ……」
だからといって、完全に七星の下につく、というのは、果たして最善の道なのだろうか?
それはやっぱりどう考えても、真っ当な人間としての真っ当な生活や幸福を捨てる、という行為だとしか思えないのだが。
「それでいいんです。私は……ラケルタと出会う前の人生になんかは、これっぽっちの未練もありませんから」
そう言って、八雲は何やら必死な感じのする目つきで、俺とトラメの顔を見比べた。
「あの、誤解しないで聞いてほしいんですけど……磯月くんたちを裏切って、トラメさんにあんな真似をしてしまったことを、私は本当に、死にたいほど悔やんでいます。だけど……それとはまったく別のところで、実は、魔術結社に入団する、という行為に、ものすごい解放感を感じたりもしていたんです。これまでの人生をすべて捨て去って、虚構と思っていたオカルトの世界の住人になる、ということが……私にとっては、何よりも正しく、幸福なことだとも、思えてしまったんです」
「……へえ」
「召喚の儀式を行なってラケルタと出会えたあのときの幸福感は、今でも忘れられません。私は本当に、この世界が嫌で嫌でたまらなかったから……誰もいない夜の湖で、光に包まれて現れたラケルタの姿が、私の魂を救ってくれる天使にしか見えなかったんです。だから、私は、ラケルタを隠し、誰にも秘密にしなくてはいけない生活より、誰にはばかることなく、ラケルタとともに在れる生活に身を置きたい……それなら、たとえ危険な目に合うとしても、もなみさんのそばにいることが一番正しいと思えるようになってしまったんです」
そんな八雲の思いつめた言葉を聞きながら、ラケルタはいまだに無言だった。
ただ、その片方しかない藍色の瞳は、嬉しさ半分、悲しさ半分といった複雑な光を浮かべて、静かに八雲の横顔を見つめている。
何だかやっぱり、以前通りのラケルタではなかった。
妖精か何かのように気配が虚ろで、精彩も覇気も感じられない。
自身の生命を限界ぎりぎりまで燃やしつくした、そのダメージからちっとも回復していないように、俺には感じられてならなかった。
「……磯月くんは、許してくれますか?」
「なに?」
「弟子になれ、と持ちかけてきてくれたのは、もなみさんなんです。そんなに今の生活が苦痛なんだったら、ワタシに弟子入りさせてやる、と……ただし、条件がひとつだけ。磯月くんがそれを許してくれるなら、というお話でした。この話をもし磯月くんが少しでも嫌がるようなら、あきらめて、普通の人間として生きろ、と……」
何だよ、それは。どうしてこの俺が八雲の人生を左右するような立場に立たされなきゃあいけないんだ? どんな結末になったって、俺には責任なんて取れないんだぞ?
「そんな話をふられたって、俺には答えようがねェよ。……ラケルタ、お前はどう思ってるんだ?」
ラケルタは、静かに俺を振り返り、静かにひとつうなずいた。
いや、わからん。口ではっきり言ってくれ……と、俺が抗議しかけると、八雲が悲しげに「ラケルタは、口がきけないんです」と述べてきた。
「あの夜に、自分で舌を噛み裂いてしまったから。それがまだ回復していないんです。もうしばらくすれば治るだろう、とラケルタは言ってるんですが……あ、念話でだったら話せるんですけど、今のラケルタにとっては、それぐらいの魔力を使うのもつらいみたいで……」
それはあの、トラメを殺すフリをしたときのことか。
なるほど。たしかにアレは、尋常でないほどのおびただしい出血だったが……しかし、エルバハに吹っ飛ばされた右手首に比べれば、それほどの重傷だとも思えない。
トラメだって、結界に灼かれた右腕や、潰されてしまった心臓などはまだ回復していないが、脇腹に穴が空いたときなどは一晩で回復したものだ。
それはやっぱり、ラケルタの回復力自体が非常に弱まっているという証しなのではなかろうかと、俺は少なからず心配になってしまった。
と……まるきり関心もなさそうに煮干しをかじっていたトラメが、ふいに面を上げる。
「あれしきの傷がいまだに治らぬだと? コカトリス、貴様、いよいよ現し世での滅びが近づいているのではないか?」
「トラメさん……」
悲痛な顔つきで、八雲がトラメをおしとどめようとする。それを無視して、トラメはベンチから立ち上がった。
そして……
俺は、我が目を疑った。
八雲は、悲鳴を飲みこんでいた。
自販機で買った缶ジュースをくぴくぴ飲んでいた宇都見などは、思わずその中身を噴きだしそうになっていた。
ベンチから立ち上がったトラメは、いきなりラケルタの胸ぐらをひっつかむと……有無も言わさず、おもいきり、その、相手の口の中に舌先をねじこみはじめたのだ。
いわゆる接吻だ。しかもディープだ。
ラケルタはもがき、左手でバシバシとトラメの背中を叩いたが、トラメの口は離れなかった。
トラメはそれこそ何十秒もの間、ラケルタの唇から唇を離さなかった。見ているこっちの息がつまるぐらいの、長い長いディープ・キスだった。
「バ……バカトラメ! ヘンタイ女! いきなりナニすんだヨッ! ウチにそーゆー趣味はないんだからネッ!」
そうして無限とも思える接吻地獄が終了するや否や、ラケルタはネズミ花火のような勢いで騒ぎたてた。
白い面を真っ赤にして、藍色の目を白黒させながら、だ。
「貴様の趣味など知ったことか。口はきけん、念話もできん、では話が進まん。つまらん問答はとっとと終わらせろ、うつけ者どもめ」
宇都見以外には、みんなわかっている。トラメはその舌やら唾液やらで強い治癒の術をほどこせるから、ラケルタの傷を癒してやっただけなのだろう。
他意など、あるわけがない。そんなことはわかりきっているが、見ているこっちの身にもなれ。とりあえず俺は、この先なにが起きようとも口の中だけは負傷すまい、と固く固く心の中で誓っておくことにした。
「ううう。せめて隠り身のときにやっておくれヨ! 現し身でそんなことヤラれたら、何だかおかしな気分になっちまう……あ、いやいや、違うからネ! そういう意味じゃないんだけど、やっぱりウチらだって現し身でいるあいだは現し世の法則やら何やらに内面を左右されるから……」
「ラケルタ、あなた、喋れるようになったの?」
言い訳がましいラケルタの言葉を、八雲が呆然とした面もちでさえぎる。
「うん。ミワもその手首のヤケドを治してもらったでしょ? グーロはぺろぺろなめることで傷を癒せるケッタイな種族なんだヨ! だから別に、ウチらはいかがわしいコトをしてたわけじゃあ……」
「……ラケルタ、良かった」
と、今度は八雲が涙声になりながら、ラケルタの小さな身体を抱きすくめた。
もちろん今度はラケルタも逃げようとはせず、少し満足そうに目を細める。
「オーバーだなぁ、ミワは! ベロが治って喋れるようになっただけだヨッ! カラダのほうは相変わらずボロボロなんだから、今まで通りにいたわってよネッ!」
「うん……だけど良かった、本当に……」
俺は、八雲がオーバーだとは思わない。やっぱりラケルタは傍若無人に小生意気な言葉を発していないと駄目なのだ。
口もきかずにひっそりと微笑んでいるなんて、お前のキャラに合わないんだよ、ラケルタ。
俺も何だか、人間形態のラケルタとようやくきちんと再会できたような心地を得ることができて、ほっとした。
ほっとしたついでに、トラメの望み通り、らちのあかない問答を終結させることにした。
「八雲。ラケルタ。お前らが進む道は、お前らで決めろ。この先どうやって生きていくかなんて、俺のほうこそ聞きたいぐらいなんだからな。わけのわからん魔術結社なんぞに入団する、なんていう話じゃなければ、俺は文句なんて言わねェよ」
「磯月くん……」
ラケルタの身体を抱きすくめたまま、八雲が涙の浮かんだ目を俺からトラメへと移動させる。
再びベンチで煮干しをかじりはじめていたトラメは、わずらわしそうにその視線をはね返した。
「貴様らが敵方に回れば討ち倒す。それだけだ。何度も同じことを言わせるな、うつけ者」
「わかりました。ありがとうございます。……私たちは、もなみさんと行動をともにします」
いつになく強い意志に満ちた声で、八雲は、はっきりとそう言った。
ラケルタは、何とも複雑そうな表情で、それでも少しほっとしたように、おとなしく八雲の腕に抱かれていた。