妹、遭遇す②
「……というわけでね。トラメちゃんと、ラケルタちゃんと、アクラブは、イギリスの地方都市からやってきた、大事な大事なお客様なの」
ダイニングにて。トラメの勇ましい栄養補給の姿を眺めながら、俺は七星の得意げな長広舌を聞きいっていた。
そんなに狭苦しい空間ではないはずだが、さすがに八人もいては定員オーバーだ。
テーブルについているのは、俺と、トラメと、ナギと、七星だけで、アクラブはきわめて退屈そうに立ちつくしており、八雲とラケルタと宇都見の三人は、室のすみっこで子犬のように小さくなってしまっている。
「……それじゃあその三人は、みんなイギリス人なの?」
不審の二文字をべったりと顔にはりつかせたまま、ナギが反問する。七星は、チェシャ猫笑いのまま大きくうなずいた。
「そうそう。だけど、みんな何かしら日本とゆかりのあるメンバーでね。トラメちゃんは日系イギリス人のクォーターだし、ラケルタちゃんは日本語学校の経営者のお孫さんだし、アクラブは大学で日本文化の研究をしてる研究生だったし、かくいうもなみも、ママがイングランドの生まれで日本人とのハーフなんだよん」
自分の素性以外はまったくのデタラメだ。トラメたちはみんな、異国人どころか異世界の住人なんだからな。
「で、もなみは一昨年までイギリスに留学してたんだけど、そのときに『日本文化を愛でる会』っていうサークルを通じて、みんなと知り合うことになったのさぁ。ほんでもって、もなみの卒業とともにいったんはバイバイしたんだけど、みんなが日本で暮らしてみたいっていうから、もなみが招待してあげたんだよ! 優雅でしょお? もなみたちは全員そんなワガママが許される大富豪のすねかじりの集まりなのさ! 嘘だと思うなら、後でこの屋上に自家用ヘリでも呼んであげるよ。実はさっきもそうやって屋上から侵入してきたの。みんなをビックリさせようと思ってね!」
それもデタラメだ。どうせアクラブの魔術でベランダから侵入してきたのだろう。……ただし、自家用ヘリの話だけは本当かもしれない。こいつはすねかじりなんかじゃなく、自分自身が大富豪そのものであるらしいのだから。
「……それを全部信じるとしても、お兄ちゃんとの関係が全然わかんない。それじゃあこのトラメって人はどうしてウチでお兄ちゃんと暮らしてるの?」
七星の勢いにおされつつも、ナギが懸命に反論する。
俺としては七星の応援をしなくてはならないのだが、ナギを気の毒と思う心情までは曲げられないぞ、チクショウめ。
「うん。それはトラメちゃんがミナトくんに一目惚れしちゃったから!……ではなく、何だかミナトくんの手料理がとてつもなく気に入っちゃったみたいでさ。そんならしばらくミナトくん家でお世話になればあ?って話になったのだよん。ミナトくんは紳士だから、アヤマチなんて起きっこないしね!」
と、七星の茶色っぽい目が、挑発するように俺を見る。俺は無視して、テーブルに頰づえをついた。
「ほんでもってラケルタちゃんはヤクモミワちゃんにすっかりなついちゃって、もなみのところにはアクラブしか残らなかったってわけ。ほんとに気ままなメンバーだよね! 大富豪のすねかじりなんて、まったくロクなもんじゃないよ、もなみを筆頭に! ……でも、みんな良家のお嬢さまで、ちっともあやしいことなんてないんだよぉ? なんなら、実家に問い合わせてみる?」
七星がアクラブのほうに手をのばし、アクラブがだぶついたシャツの懐から、何か小さな冊子を取り出す。
何とそれは、正真正銘のホンモノにしか見えないパスポートだった。
「トラメ・グーロ、十六歳。ラケルタ・コカトリス、十歳。ともに住まいはイングランドのノッティンガム。ちなみにこっちはカルブ=ル=アクラブ、十九歳! 国籍はやっぱりイングランドだけど、お祖父様がアラブ系っていう設定……じゃなかった、生い立ち、ね。トラメちゃんもラケルタちゃんもこんな大事なモノをもなみの家に置きっぱなしだったから、遊ぶついでに渡してあげようと持ってきたのさぁ」
言いながら、七星はさりげなく胸もとのペンダントに指先で触れた。
不可思議な念話の声が、再び俺の頭に響く。
(実はみんなに戸籍を作ってあげたんだぁ。警察やら何やらのちょっとした調査だったら絶対にバレないから、これで今後は大手を振って表を歩けるでしょ?)
(はん……それじゃあさっきから並べたててるデタラメも、思いつきじゃなく最初っから作っておいた設定なのか?)
(もちろん、そうだよ。トラメちゃんもラケルタちゃんも、つねに現し世に身を置いて、ミナトくんたちを守ってくれてたほうが安心だからね! となると、この先、警察なんかに不審尋問されることもありうるだろうから、人間としての身分をきちんと用意しておかなきゃなあって思ったのさ! 滞在ビザも偽造しておいたから、後で渡すね。……今日みんなに集まってもらった理由その一が、コレだったってわけ)
何てこった。本当に、頼りになりすぎて頭が痛くなるようなやつだな、こいつは。
万感の思いをこめてそちらを盗み見ると、七星はナギにバレないようこっそりウインクを送ってきた。
「ちなみに、もなみとヤクモミワちゃんとウツミショウタくんは、日本に帰ってきてからネットのオカルト系コミュニティで知り合ったの! で、ウツミショウタくんを介して、もなみとミナトくんも運命的な出会いを果たしたってわけさぁ。ウツミショウタくんとはネットでしか交流なかったのに、なぜか偶然に偶然が重なり、もなみとミナトくんが先に顔を合わせることになって、その時に、トラメちゃんもミナトくんに出会ったんだよねっ! ウツミショウタくん、今さらだけど、はじめまして! ワタシがウワサのもなみです! コンゴトモヨロシク!」
「ああ、はい、よろしく」
ぼそぼそと八雲と言葉を交わしていた宇都見が、なんとも言えない笑顔を返してくる。
そちらにうなずきかけてから、七星はまたナギを振り返った。
「さ、これで納得いったかな、妹ちゃん? すべてのキーマンはこのもなみ様だったのだよ! だから、嫉妬の念はこのもなみ一人にぶつけるがよいさ! ワタシは誰の挑戦でも受ける!」
「し、嫉妬なんてしてないよ! それに、あんたはただのオトモダチなんでしょ? そんなの、別にどうでもいい」
「うむむ? それじゃあ妹ちゃんは、トラメちゃんに嫉妬してるのかな? うん、確かにこの二人は、もなみも嫉妬せずにはいられないほどの仲良しさんだけれども、宗教上の理由から、絶対そういう関係にはなれない運命に決まってるの! そうじゃなかったら、もなみだって嫉妬のあまり悶死してるところだからね!」
「……」
「それでも、二人は本当に気が合うみたいだからさぁ。恋愛感情もなしにそこまで意気投合できるのって素敵だと思うし、いずれは離れ離れにならなきゃいけない二人だから、それなら出来るかぎりは一緒にいさせてあげようかなぁっていう、もなみの慈悲深さから始まった話なのだよ! だから、できれば、そっと見守ってあげてほしいなぁ。ミナトくんの幸福を祈る気持ちがあるならば、ね!」
「……」
「そんなことより、問題なのは、このもなみだよ! 度重なるプロポーズは断られてしまったものの、もなみは今でも妻の座を虎視タンタンと狙ってるんだから! 警戒するなら、このもなみ! その燃えさかる嫉妬の炎は、あますことなくこのもなみにぶつけてくれたまえ、妹ちゃん!」
「だから、嫉妬じゃないってば! あんた、ほんとに頭おかしんじゃないの?」
「うん! 人格はきっちり破綻しております!」
そこでガッツポーズをとる意味がわからない。俺は深々と溜息をつき、ナギはいくぶん疲れのにじんできた目つきで、俺をにらみつけてきた。
「お兄ちゃん。今の話、全部ほんとなの?」
「ああ……おおむね、その通りだな。こいつを勝手に居候させてたことは、謝るよ」
俺が素直に応じてみせると、ナギは悔しそうに唇をかみ、とうとう黙りこんでしまった。
アクラブはそっぽをむいており、宇都見たち三人は心配そうに俺たちのやりとりを見守っている。そして、トラメは……
トラメは、黙々とネコマンマを食していた。
さきほどの弱り果てた姿が嘘のように、すっかり元気いっぱいの様子である。
会話に夢中でナギは気づいていないようだが、実はそろそろジャーの中身もなくなりかけている。水が流れるように虚言を吐く七星だが、さすがにこのトラメの人間離れした食欲には論理的な説明などできないに違いない。
「……どうしてナギに教えてくれなかったの?」
「ん?」
「このトラメさんって人のこと。言ってくれれば、ママには内緒にしてあげたのに。……最近、生活費の残高が減りすぎだって、ママも心配してたんだよ?」
「ああ、こいつはよく食うからなぁ。……だけど、お前にこっそり打ち明けたって、お前に心配かけるだけだろ? 同年代の女を居候させる、なんて言ったら、どのみちお前はヒステリーを起こしただろうし」
「……それでも、いきなりあんな光景を見せつけられるよりはマシだよ」
む。どうやら怒りはおさまったようだが……今度は何だか、落ちこむ方向にシフト・チェンジしてしまったようだ。これはこれで、厄介かもしれないぞ。
「まあまあ! 半年ぶりの再会なんでしょ? 誤解が解けたんなら仲良くしなさいな! 笑う門には、はっぴーかむかむ!」
いや、七星、お前はもう黙っててくれ。ナギの激情をなだめてくれたことには感謝しているが、これ以上は、たぶん逆効果だ。
「……暗い顔だなぁ。よし! それじゃあブロークン・ハートな妹ちゃんに、もなみからのプレゼント!」
しかし七星は黙らずに、何やら吊りズボンのポケットをまさぐりはじめた。
そこから取り出されたのは……なんと、七星と俺が身につけている、退魔の護符たるペンダントだった。
複雑に編みこまれたシルバーのチェーンと、飴色に輝く琥珀のペンダント。
魔術の攻撃から身を護り、七星の結界に足を踏み入れることができ……そして、どうやら念話での通信機能まで備えている、ありがたすぎて涙が出るようなアイテムだ。
そんなものを、どうしてナギに渡そうとするのだ?
(……『暁の剣団』との不可侵条約はまだ締結してないからねぇ。妹ちゃんがしばらく日本に滞在するなら、持たせておいたほうが安心でしょ?)
またこっそりと七星が囁きかけてくる。
俺は、今度は皮肉ではなく、七星の気づかいを心からありがたく思った。
「……そんな悪趣味なペンダント、いらない」
「ええ? そう? だけどこれ、大好きなお兄ちゃんともおそろいだよぉ?」
七星の言葉に、ナギはびっくりした様子で俺を振り返った。
わざわざシャツの中から現物をひっぱりだしたりはしなかったが、襟もとからチェーンは見えているに違いない。ナギはますます驚いたように目を丸くした。
「うそぉ……お兄ちゃん、あんなにアクセサリーとか嫌いだったのに……」
「あのねぇ、実はヤクモミワちゃんとウツミショウタくんにも作ってきたの! はい! ご利益あるから、お風呂に入る時にも外さないでね?」
七星は軽やかに立ち上がり、地べたに座りこんでいる宇都見と八雲にも同じものを配布しはじめる。
ちなみに俺がつけているコレは、何日か前に七星から届けられた、三代目の護符である。
ドミニカとエルバハ、それぞれ一発ずつの攻撃でその効力が切れてしまったことが、たいそう七星のプライドを傷つけたらしく。さらに強力な改良版を完成させて、わざわざ渡しに来てくれたのだ。
……そうそう、あとは、トラメとアクラブのみならずラケルタの髪も琥珀に練りこんで、その三人の幻獣とだけは無条件に触れ合うことができる、とも言っていた。
何はともあれ、宇都見は事情もわからぬままに、きょとんとした顔つきでそのプレゼントを受け取り。そして、八雲は、その隣りで何だか泣くのをこらえているような目つきをしていた。
七星はいまだに八雲のことを信用していないようだったが、わざわざ護符をこしらえたり、それにラケルタの髪を練りこんだりしているところを見ると、とりあえずは「こちら陣営の人間」として認めてもいるのだろう。
八雲のみならず、俺にとってもその事実は喜ばしいことだった。
「うんうん。これでオッケーね! ……さてさて、残るは妹ちゃんだけだけど、どうするぅ?」
テーブルのほうに戻ってきて、ナギの目の前にチェーンを垂らす。
ナギは強情そうに唇を引き結び。
俺は、その表情を見て、苦笑した。
「もらっておけよ、ナギ。こんな連中とおそろいだなんて、気が進まないかもしれないけどよ」
しかし、この状況で自分だけそれを手にしないのは、ひどい疎外感を感じるはずだ。
そしてきっと、それがわかっているくせに、ナギは手をのばすことができないだろう。何せ、思春期まっさかりなんだからな。
だから俺は、意固地な妹の代わりに、七星からペンダントを受け取ってやった。
強情にそっぽをむいているナギの首に、手ずからそいつを装着させてやる。
(さすが兄妹! あつかいかたを知ってるねぇ。……だけど、そんな仲睦まじい姿を見せつけられちゃうと、ちょっとばっかり嫉妬心をかきたてられちゃうなぁ)
また七星が馬鹿なことを囁きかけてくる。俺が自分のペンダントに手をのばそうとすると、それをおしとどめるように、七星が大きな声で言った。
「よし! 妹ちゃん! 親睦を深めるために、勝負しよっか?」
「しょ、勝負?」
聞き返したのは、俺だ。ナギはうろんに七星を見つめ、他の者たちはわけもわからずに首を傾げている。
「未来の妻と妹が初めて顔を合わせたんだから、ここはミナトくんの所有権を主張するために勝負のひとつでもしないとおさまらないでしょ! きっと妹ちゃんもちっちゃな胸にモヤモヤを抱えてるだろうから、それを晴らすためにも、いざ尋常に、勝負!」
「誰が未来の妻だコラ。脈絡なさすぎるぞ、お前」
「……する」
「ん?」
「勝負、する」
やばい。沈みこんでいたナギの瞳に、またメラメラと炎がわきあがってきた。
どうしてわざわざ寝た子を起こすんだ、七星よ?
(……だって、今日みんなに集まってもらったのは、パスポートやビザを渡すだけじゃなく、ちょっぴり大事な話をするためだったんだよ? だけど、この状況じゃあそれも難しいでしょ?)
七星の声が響く。
すると、宇都見と八雲がぎくりとしたようにあたりを見回しはじめた。
(それに、妹ちゃんにも護符をプレゼントしちゃったから、みんな側からは内緒話もできなくなっちゃったじゃん? 個別に念話を送るなんて高等技術は、今のところもなみしか体得してないんだから!)
なるほど。その高等技術とやらでナギ以外の三人に念話を送ってやがるのか。笑顔でナギと火花を散らしあいながら、七星はずっと胸もとのペンダントをまさぐっていた。
「さあ、勝敗は何で決する? もなみは天才的に何でもこなせるから、妹ちゃんの得意分野でかまわないよ?」
「スポーツだったら、何でもいいよ。……別に、ゲームとかでもいいけど」
「ゲーム? ゲームって? 格ゲー? 音ゲー? 落ちゲー? シューティングゲー? ギャルゲー? エロゲー?」
「ギャ、ギャルゲーやエロゲーでどうやって勝負つけるのさ! あんた、やっぱり頭おかしんじゃないの?」
「だから、破綻してるんだってば! すぐエキサイトするところは、ミナトくんとそっくりだねぃ。……とにかく、ゲームね! それ最高! よし、それじゃあゲーセンにでも行こうかぁ!」
「ゲーセンって、まさかここにいる全員でか?」
俺が口をはさむと、「うむん? 何か不都合でもあるかしらん?」と七星は無邪気に笑った。
(まだまだ『暁の剣団』の連中は信用ならないんだから、トラメちゃんも連れてきてよね! 職質されたって大丈夫! そのために戸籍を作ってあげたんだから!)
一定のペースでスプーンを動かし続けているトラメのほうを振り返り、俺はまた溜息をつくことになった。
トラメや七星とゲームセンター……まさかそんな日が訪れようとは、夢にも思ってはいなかった。
大丈夫なのか、本当に?