帰還と再会
「……何にせよ、みんなが無事で何よりだったよぉ」
ふにゃふにゃと笑いながら、宇都見は実に屈託のない顔でそう言ってくれた。
俺のマンションの、リビングだ。
時刻は、午後の七時すぎ。
昨晩の騒動がひとまずの終息を迎えてから、まだ二十四時間も経過はしていない。
本日は一日バタバタと過ごすことになった俺は、重い頭を抱えつつ、ぼんやり宇都見と対峙している。
俺たちの他に、人影は、ない。
「……だけどその、七星もなみさん、だっけ? その人のアジトだった廃ビルが崩壊したって話は、何だかちっとも話題になってないみたいだねぇ。新聞なんかにはまったく載っていないし。ネットの地方ニュースでちらっと『謎の倒壊』みたいに書かれてるだけだった」
「ああ。あれだけ派手にぶっ潰れたってのに、リアルタイムでは誰も気づいてなかったみたいだな。まったく、馬鹿げた話だよ」
あの廃ビルは、七星の作りあげた結界の内に建っていた。
ゆえに、あれだけの大騒ぎもまったく外界には気づかれていなかったらしい。
時間もまだまだ宵の口で、あたりには大勢の通行人もいたはずなのに、だ。
本当に、魔術ってシロモノは馬鹿げている。
「でもまあこうして磯月とトラメさんは無事に帰ってきたし、八雲さんも家に戻ったみたいだし、浦島さんも退院できそうだし、とりあえずは文句なしの大団円なんじゃない? ……って、磯月はちっとも納得がいってないみたいだけど」
「ああ。納得いかねぇなぁ。あの魔術師どもが本当にこのまま俺たちを見逃してくれるのか、そんな保証はどこにもねェんだからな」
「うん。だけど、その七星さんって人は、何も心配いらないからって言ってくれたんでしょ?」
そうだ。七星は、確かにそう言っていた。
仮に魔術結社の連中がよからぬことを企んだとしても、あいつが陰ながらその脅威を取り去ってくれるつもりなのだろう。
ふざけた話だ、としか言い様がない。
「……で? けっきょく磯月は、どうしてそんなに腹を立ててるの?」
昨晩のあらましをざっと聞かせてやったのだが、宇都見には俺の心情がまったく読み取れないらしい。
そう、俺は、腹を立てていたのだ。
言うまでもなく、七星のやつに、だ。
「……たぶんあいつは、このまま俺たちの前から姿を消すつもりなんだ」
「ああ、うん、磯月とその人の協力関係は、トラメさんを助けるまでって約束だったんだもんね?」
「そんなのは、あいつが勝手に言い出したことだ!」
思わず大声をあげてしまうと、宇都見は困ったような笑顔になる。
「それが納得いかないんだ? だけどその七星って人は、磯月を巻き込まないようにって配慮してくれたんじゃないの? 磯月がこれ以上、危険な目に合わないようにってさ」
「ああ、もちろんそうなんだろうなぁ。ご丁寧に、こんなもんまでプレゼントしてくれてるしな」
と、首に下がった琥珀のペンダントを襟の外にひっぱりだしてみせる。
銀のチェーンで編まれた、七星の護符。
俺がもらったやつはドミニカたちのせいでぶっ壊れたはずなのに、目覚めると、こいつが俺の首にぶら下がっていたのだ。
まったくもって、ふざけている。
「……まあ僕にはよくわからないけど、磯月の気が済むようにすればいいよ。そのために、トラメさんにも頑張ってもらってるんでしょ?」
「ああ……」
俺がうなずきかけたとき、絶妙のタイミングで、リビングのドアが開いた。
ジャージ姿のトラメが、不機嫌そうに俺たちの顔を見回す。
「現れたぞ、ミナト。この気配は、まちがいない」
「そうか。サンキュー」
俺は立ち上がり、トラメのもとまで足を進めた。
しかしトラメは動こうとせず、黄色い瞳でじっと俺を見上げてくる。
「……本当に行く気か、ミナト?」
「ああ。お前は反対か、トラメ? ……お前が反対するなら、俺も考えなおしてもいい」
トラメはいっそう不機嫌そうな顔になり、まぶたを半分だけ下げる。
これは、俺ひとりの問題じゃない。俺と契約を結んでしまったトラメも一蓮托生なのだから、こいつの気持ちや考えを踏みにじってまで我を通すつもりは、なかった。
「……ここは現し世で、この世界の住人は貴様なのだ。どのような生を送るか、決断する責務は貴様にある。隠り世の住人たる我に、判断をゆだねるな」
「それはそうかもしれないけどよ。俺が判断をまちがえば、お前が危険な目に合うこともあるんだ。今回はそいつを痛感させられちまったんだから、お前の考えをないがしろにはできねェよ」
「……それが責務の放棄だと言っておるのだ。己の判断がまちがっていると思うのならば、己の意志で行動をつつしめ。どのみち己にとって何れが正しい道かは己にしかわからぬのだから、余人に意見を乞う行為自体が、無為だ」
ああそうかい。まったく甘くないやつだな、お前は。
自分の意志で決断しろっていうんなら、俺の肚は決まってしまっている。後で文句を言ったって知らねェぞ、トラメ。
「それじゃあ行こうぜ。あいつのところに、さ」
俺がそう答えると、トラメは「ふん」と鼻を鳴らし、さっさとリビングを出ていってしまった。
「宇都見。来たばっかで悪いけど、俺はちっとばかり出かけてくるぞ」
「うん、行ってらっしゃい。……そんなに遅くならないなら、僕はここで待っててもいいかなぁ?」
「ああ? そりゃあ別にかまわねぇけど。まだ何か用事でも残ってんのか?」
「いや、別に。……だけど、四日ぶりに会えたんだもん。もうちょっとゆっくり話したいじゃん?」
「はん。気色悪いことぬかすなよ、馬鹿野郎。帰宅時間は未定、だからな」
「いいよ。無事に帰ってきてくれさえすれば」
笑顔の宇都見に小さく肩をすくめてみせてから、俺もトラメの後を追った。
トラメは、俺の部屋のベランダの前で、大きく開け放ったガラス戸からぼんやり夜空を眺めやっていた。
「……お前にとっては、ここからラケルタと一緒に飛びだしたのも、つい一日前の記憶なんだよな」
「……」
それがどうしたと言わんばかりに横目で俺をにらみつけてから、トラメは再び窓の外を見る。
その横顔を見つめつつ、俺は何となく言葉を失ってしまった。
べつだん、あらたまって語る話など、ないと言えばないのだが……それにしたって、あれだけの騒動に巻き込まれてしまったのだから、何事もなかったかのように元の生活に戻れるはずもなかった。
しかし、それなら、何を話せばいいというのだろう?
お前が死ななくて良かった、とか、本当は八雲のことをどう思っているんだ、とか、そんなことを口にするのは、何だか野暮な気がしてならない。
俺は憮然と頭をかき回し、トラメは、窓の外に視線を飛ばしたまま、低くつぶやく。
「行かぬのか? きゃつらもそう長くはあの地に留まってはおらぬぞ、ミナト」
「ああ、行くよ。……だけど、その前に、やっぱりお前の意見やら心情やらを聞かせてはもらえねェかな?」
トラメは、ひどくいぶかしそうに俺のことを振り返った。
いぶかしがるのは、当然だ。俺は今まで、こんな質問をトラメにぶつけたことは、ない。
「判断をお前にゆだねようってわけじゃない。ただ、聞かせてほしいんだ。……トラメ、お前はあの七星もなみってやつのことを、どう思う?」
「……」
トラメはかなり長い時間、おし黙っていた。
それから、やがて言った。
「我にとっては、契約者以外の人間など、どうでもよい」
「……ああ」
「しかし、それでも、思うことがないでもない。……あの人間は、馬鹿だな」
俺は、思わずずっこけそうになった。
が、トラメの言葉はそこで終わりはしなかった。
「馬鹿で、無謀で、大たわけだ。……そして、尋常でない力に満ちあふれている。我はこれでもさまざまな魔術師と契約を交わしてきた身だが、あの幼さであれほどの力を備えた人間を見るのは、これが初めてかもしれん。あれは、王の器だ」
おいおい、本気か?
このトラメをしてそこまで言わしめるほどのやつだったのか、あの七星ってやつは。
「だから、あの人間を放置しておけないという貴様の心情は、理解できないわけでもない。けして賛同はできんがな」
「賛同はできないか。……それはやっぱり、危険だからか? あいつを通して魔術結社なんぞに関わっちまうのが、さ」
俺がそう応じてみせると、トラメは「いや」と首を振った。
「そのようなことは関係ない。馬鹿の相手をするのは疲れる。ただそれだけだ」
俺はまじまじとトラメの顔を見返したが、どうやら冗談を言っている風でもなかった。
俺は思わず、苦笑してしまう。
「その意見には心から賛同するけどな。だけど、俺たちを救ってくれたのはあの大馬鹿野郎なんだ。だから俺は、このまま放っておきたくない」
「……そのような感慨を我に聞かせてどうする。己の歩む道は己で選べと言うたばかりであろうが」
「選んだよ。ただその理由もお前には知っておいてほしいんだよ。悪いか?」
トラメは不機嫌そうに目を細め、そっぽをむいてしまう。
俺は苦笑をたたえたまま、そのかたわらにまで足を進めた。
「よし、行くか。まだ満身創痍なのに悪いな、トラメ」
「ふん。とっととつかまれ、うつけ者」
四日ぶりのおんぶだな、と思いながら腕をのばしかけた俺は、ふいに色んな情景を思いだして、少なからず気まずくなった。
トラメの魂が封印されてしまったとき、そしてその魂が再び解放されたとき、自分がどのような行為におよんでしまったか。……しかも後者は、つい昨晩の出来事なのだ。気まずいなんてもんじゃないな、これは。
「……今を逃せば、あの娘を見つけだす機会は永遠に失われるやもしれんな」
トラメの珍しく迂遠な言い回しに閉口しつつ、俺は覚悟を決めて、その小さな小さな背中にのしかかった。
花のような草のような、不思議な香りのするトラメの髪が、やっぱり昨晩の情景をいっそう鮮烈に思い出させてくれやがる。
ああ、これはちょっとした拷問だ。
「行くぞ」
トラメの低いつぶやきとともに、俺たちはひさびさに、夜を跳んだ。
◇
「……ミナトくん?」
そして、到着したのは、七星のアジト跡だった。
四階建ての廃ビルが崩落し、つくりあげた、瓦礫の山。
外柵を乗りこえてその地にまでおもむくと、七星はかつてないぐらいびっくりした顔で、俺とトラメを出迎えてくれた。
その横で片膝をつき、地面にそっと手の平をおしあてていたアクラブは、ほとんど敵意に近いぐらいの不審感をあらわにして、俺たちの姿をにらみ返してくる。
「ええ? 何で? どうしてミナトくんたちがこんなところに?」
いっぽう七星のほうは、ちっとも表情がさだまらない。喜びと驚きと憤りと嘆きがごっちゃになり、最終的に、七星はふてくされた。
「意味わかんない! だいたい、どうしてもなみたちがここに来たってわかったの? 絶対に待ち伏せなんてされてないはずなのに!」
「待ち伏せ、してたんだよ。トラメにずっとアンテナを立てておいてもらったんだ」
詳細はよくわからないが、要するに魔法なのだろう。トラメはあらかじめこの場所に自分の髪の毛を埋めておき、それを媒介として、遠距離からこの地を見張っていたのだ。
隠り世の住人が現れたら知れるように、と。
「そうまでして、どうしてもなみたちのことを? もしかしたら、ミナトくん……」
「ああ」
「……本当は『名無き黄昏』の一員で、もなみをさらいに来た、とか?」
「違う!」
どうしてそう破綻した発想ができるのだ、こいつは。
七星はいっそうふてくされた様子で腕を組み、唇をとがらせる。
「だって、それ以外にミナトくんが姿を現す理由なんてないじゃん? トラメちゃん救出作戦も無事に終了して、もなみとは縁もゆかりもない間柄になったんだからさ!」
「だから、それが納得いかなくて、こうして姿を現したんだろうがよ。まったく始末に負えない大馬鹿だな、お前は」
「馬鹿って何さ! もなみはIQ二○○オーバーだって言ってるでしょ! ……だいたい、どうしてもなみたちがここに戻ってくるって予想できたの? ただの当てずっぽう?」
「いや、そりゃあ戻ってくるだろ。……何せこの瓦礫の下には、例の石版が埋まったまんまなんだからさ」
俺が答えると、七星はいくぶん悔しげに口を結んだ。
「しかも隠り世の住人はあの石版に触れることができないっていう話なんだから、お前がみずから出向いてくるしかないだろ。俺がグースカ眠ってるあいだに掘りかえされなくて幸いだったぜ」
「……くっそー! なんだか負けた気分! アクラブ! トラメちゃんをやっつけること、できる?」
待て待て。いったい何を言ってやがるんだ?
俺はあわてふためいたが、当のトラメは素知らぬ表情で、アクラブにいたっては機械的なまでの無表情だった。
「無理だな。今の私は現し身を保つので精一杯だ。あんな無茶な仕事をさせた後で、そんな望みの言葉は吐くなよ、モナミ。お前の魂が砕け散ることになるぞ」
「ううん、そうだよねぇ。それじゃあ、もなみが頑張るしかないかぁ!」
と、その手の錫杖を高々と振り上げる。
本気か、馬鹿野郎め。どうして俺たちがそこまでお前に敵対視されなきゃいけないんだ?
「だって、もなみたちには、これ以上関わらないほうがいいの! それがわからないほどのおバカちゃんだとは思わなかったよ、ミナトくん!」
「頭の出来がよくないのは認めるけどな、そいつはちっともわからねェよ! だいたい、友達になってくれだの何だの言ってたのはお前のほうだろ?」
「そんなの、『暁の剣団』に正体をさらす前の話でしょ? どうせ『暁の剣団』はいずれもなみを裏切るに決まってるんだから、その前にもなみとミナトくんは真っ赤な他人になっておく必要があるんだよ! そんなこともわからないの?」
なんか日本語がおかしいぞ、IQ二○○オーバーの自称・天才少女。
それにやっぱり、意味がわからない。魔術結社がどうしたって?
「……もなみは『海野カイジ』っていうジョーカーを持ってるから、いったんは『暁の剣団』も不可侵条約を飲んでくれると思う。だけどその後は、どうせもなみを生かしておけなくなるに決まってるんだよ! 何せもなみは、邪神の巫女の血族なんだからねぇ。海野カイジの情報を渡した直後か、海野カイジを討伐した直後か、一番最長で、この国における『名無き黄昏』の撲滅が成し遂げられた直後か……とにかく、もなみの利用価値がなくなった時点で、『暁の剣団』は手の平を返して、今度はもなみの討伐にシフト・チェンジするはずだよ!」
「まったくロクでもない連中だな。……それで?」
「それでって何さ? だから、そうなる前にもなみとは縁を切って、自分はまったく無関係の人間だっていうアピールをしておく必要があるんだよ、ミナトくんは! あれはただ七星もなみの気まぐれで助けられただけの高校生、放っておいても害にはなるまい、って感じにさ! どうしてそんな簡単な話がわからないのかなぁ」
「わかるか、馬鹿。……それじゃあ、お前の側のメリットは何だよ?」
「……はあ?」
「わざわざ待ち伏せまでして会いに来た俺を撃退することに、お前に何のメリットがあるってんだ?」
「そんなの決まってるじゃん! ホントにバカだなぁ!」
と、七星は呆れ返ったように大声をあげる。
「ここで撃退してあげれば、ミナトくんの無実が証明されるでしょ? 大好きなミナトくんが『暁の剣団』に狙われる危険性がさらに減少するんだから、こんなに素晴らしいメリットはないっ!」
俺は、言葉を失った。
本気で言っている……んだろうな、きっと。
一日会わないだけでまた破綻っぷりに磨きがかかったじゃないか、七星。
「わかった。お前と関わるのは危険だから、俺の安全を確保するために、ぶちのめしてでも俺から遠ざかろうってんだな、お前は?」
「そうだよ!」
「だけど、縁が切れちまうなら、俺なんかがどうなろうとお前には関係ないじゃねェか?」
「はあ? ナニ言ってんの? こんなにミナトくんが大好きなのに、ミナトくんが不幸になるのを見過ごせるはずがないじゃん?」
「お前にぶちのめされるのは不幸じゃないってのかよ?」
「コツンと叩いて眠らせるだけだよ! 後遺症が残らないていどのケガなら、そんなに不幸でもないでしょ?」
「不幸だよ! ……だいたい、そこまで俺を大事に思ってくれてるなら、縁が切れないように努力すりゃあいいじゃねぇか?」
「したもん! プロポーズだってした! だけど断られたから、もういいの!」
「あきらめが早えよ! 結婚はともかく、友達になれる努力ぐらいしろ!」
「やだ! 妄想の中で仲良くするからいい! ミナトくんはもなみのいない世界で幸せになって!」
俺は深々と溜息をついてみせる。
「わかったよ。お前の言い分はよっくわかった。お前の破綻っぷりは天下一品だよ、七星」
「ふん! 妄想の中のミナトくんは、もなみのことをもなみって呼んでくれるよ! そのうち脳内で式を挙げる予定だから、ミナトくんも祝福してね?」
「するか、馬鹿。……とりあえずその物騒なもんを降ろせ。ちっとでいいから、俺の話を聞いてくれよ」
「やだよ! どうせもなみの心を惑わすようなことを言うに決まってるもん!」
なんだか本当に修羅みたいな顔つきになっていきながら、七星は吠えた。
「御礼も感謝も褒め言葉も引き止め工作もいらない! もなみはミナトくんと縁を切るって決めたんだから、もう放っておいて! 現実世界のミナトくんとなんか、もう二度と顔を合わせたくなかったのに!」
「何だよ、そりゃあ……お前、トラメやラケルタとも話してみたいって言ってたじゃねェか?」
「だからそんなの、『暁の剣団』に正体をバラす前の話でしょ? ミナトくんの周りにいる人達とは全員、縁切りだよ! とっても短い間だったけど、楽しかったよ! ありがとう! さようなら!」
「七星、お前なあ……いて」
と、いきなり脇腹を肘で小突かれたので振り返ると、トラメが薄闇に黄色い目を光らせながら、小馬鹿にするように俺をにらんでいた。
「馬鹿と論じても疲れるだけだと言うたであろう。時間の無駄だ。とっとと貴様の用件を済ませろ」
「……そうだな。お前の言う通りだわ」
こんなにトラメの言う言葉をすんなり聞けたのは初めてかもしれない。俺は、七星を振り返り、言った。
「七星! 俺はお前に消えてほしくない。だから消えるな。……以上。言いたいことは、それだけだ。よろしく頼むぜ?」
「……なに言ってんの?」
錫杖を振り上げたまま、七星はけげんそうに首をかしげる。
俺はしかたなく、言葉を重ねた。
「お前のことを放っておけない。もっとお前のことを知りたい。だから消えるな、って言ってんだよ。お前の人生に、俺を関わらせろ」
「……遅いよ。せめてもなみが正体をバラす前に言ってくれれば……」
「うるせェな。正体をバラしたのはお前の勝手だし、そもそもそれだって俺たちを窮地から救うためにやったことだろ? お前ばっかり貧乏クジひいて、俺たちだけが平和で万々歳なんて、そんな馬鹿げた話があるかよ」
「いいんだよ! もなみは自分がやりたいことをやりたいようにやってるだけなんだから! 邪魔しないで!」
「やだね。邪魔する。俺はそう決めたんだ。お前の言い分なんざ、聞いてやらねェよ」
「何それ! ……もなみはね、ミナトくんたちが魔術師に殺される姿なんて見たくないんだよ!」
「だったら俺は、お前が俺の知らないところでくたばっちまうのが我慢できない。ワガママのぶつかりあいだな。俺は引かねェぞ?」
「……」
ついに、七星が言葉を失った。
快挙だな、これは。なかなか大したもんじゃないか、俺様も。
「肩書きなんかは何でもいい。友達でも、仲間でも、何でもいいから、俺をお前の『何か』にしろ。それで、お前に関わらせろ。これっきりでお別れなんて、そんなさびしいことは、言うな」
「……結婚は、してくれないの?」
「それはだから、恋愛感情の果てにあるもんだろがよ。お前のことは大事だけど、そんな艶っぽい感情は……うわぁっ!」
少しは優位に立てたなどと考えたのが間違いだった。七星のやつは、突如として、錫杖を握りしめたまま、俺に襲いかかってきやがった。
が。
その物騒なシロモノは、途中で七星の手から落ち。
俺は、一流のアメフト選手でも喝采を送るであろう見事なショルダー・タックルを食らい、地べたにひっくり返ることになった。
「あいててて……いや、七星、マジで痛い! おい、力加減!」
たぶん、殺意からではないと思うのだが。七星の抱擁のあまりのすさまじさに、俺の肋骨が悲鳴をあげていた。
「……大事?」
「痛い痛い、本気で痛い! ……何だって?」
「もなみのこと、大事?」
「……大事だよ。恋愛感情に発展する予兆は、今のところ感じねェけど」
「ヤクモミワちゃんと、どっちが大事? ウツミショウタくんと、どっちが大事?」
「……そんなもんに順番をつける習性はない」
「もなみはね、ミナトくんのこと、パパとママぐらい大事! 他に大事な人間なんていないから当たり前だけど!」
地べたに押し倒されたまま、胴部を強烈に圧迫され、胸もとに頭をおしつけられてくる。
とても痛いし、とても苦しい。こんなに細っこい身体をしているくせに、どうしてこいつはこんなに怪力なんだろうか。
「せっかく平穏な人生をプレゼントしてあげようと思ったのに、ミナトくんは受け取ってくれないんだね?」
「はん。あの魔術師どもみたいな台詞を吐くなよ。平穏の意味をはき違えてるんじゃねェか、お前らは?」
かつての俺は、トラメやラケルタを引き渡して得られる平穏な生活などクソクラエ、と思った。
それと同様に、七星という存在と縁を切って得られる平穏な生活になど、何の価値も見いだせるわけはなかった。
心の安寧を得られてこその、平穏だろうが。
「……用事はこと足りたのか、ミナトよ?」
と、まったく心を動かされた様子もなく、トラメがひややかに俺と七星を見下ろしてくる。
「我は、そろそろ限界だ。これ以上、無為に時を費やすようなら、移動術を使えぬぐらい力が減退する怖れもあるぞ」
「なに? まさか腹が減ったとか言いだすつもりじゃないだろうな? 夕方、あれだけ食ったばかりだろ?」
「……心臓をひとつ潰されたこの身の治癒に、あのていどの食糧で足りるとでも思っているのか? ましてや、右腕の治癒もかなっておらぬこの状態で」
「お前……まったく、呆れたやつだな」
苦笑を返しつつ、何とかかんとか俺は半身を起こすのに成功した。もちろん七星のやつを腹の上に乗せたまま、だ。
アクラブは、さきほどからずっと無言で、静かに俺と七星の姿を見つめやっている。
さて、これからいったいどんな生活が待ち受けているんだろうな、と俺は他人事のように考えた。
少なくとも、平穏無事な生活などは望めないだろう。魔術結社がどうこうと言う前に、こんな素っ頓狂な連中ががっしりと俺の周囲を取り囲んでしまっているのだから。
それでも、俺は、俺として生きるしかない。
宇都見のやつが言う通り、自分で納得のいく道を模索するしかないのだ。
それでも、俺のかたわらにはトラメがいる。
七星がいる。アクラブがいる。
宇都見もいるし、八雲も、ラケルタもいる。
あれだけの騒動に巻き込まれながら、誰ひとり失わずに済んだのだから、まずは上出来と思いこむしかなかった。
たとえどれほど波乱に満ちた生活が待ち受けているとしても、嘘っぱちの平穏な生活などよりは、億万倍はマシに違いない。そんなことを考えながら、俺はもう一度、トラメの顔を見上げやった。
トラメは相変わらずの仏頂面だったが、その黄色い瞳は、それほど不機嫌そうではないように思えてならなかった。




