決着③
「……あの小娘のおかげで、よけいに面倒な事態になったようだな」
と……ひさかたぶりに、トラメが口を開いた。
「あのギルタブルルがエルバハを返り討ちにすれば、魔術師の魂は打ち砕かれ、コカトリスの主も解放される。さすれば貴様の望みも果たされることになるが……どうあれ、和睦の道などは完全に閉ざされてしまうだろうな」
俺は、答えることができなかった。
確かにこれは、七星の失策なのかもしれない。
しかし、いずれにせよ、七星がいなければ、俺もトラメも四日前に死んでいたのだ。七星を恨む気には、なれない。
それに……あいつだって、まだあきらめていないはずだ、きっと。
「……アクラブに助勢してやってくれ、トラメ。たぶん、七星には、まだ何か考えがあるんだ」
トラメは、半眼で、ひややかに俺を見た。
「ずいぶん信用しておるのだな。うつけ者はうつけ者同士で気が合うということか」
「そんなんじゃねェよ。あいつの突拍子もない発想力に期待してるだけだ」
「ふん。……我の力はエルバハに劣るものではないが、手加減していてはどうなるかわからぬ。我が勢いあまってあやつを討ち倒してしまわぬうちに、何とかしてみせろよ、ミナト」
言いながら、ふわりとトラメが前に進みでる。
その可愛らしいワンピース姿が、より激しく白い輝きに包みこまれ……そして、一匹の巨獣が出現した。
金褐色の毛皮をなびかせ、トラメが、エルバハに襲いかかる。
「……!」
無音の咆哮をあげ、エルバハがトラメにむきなおる。
その巨大な拳をかいくぐり、トラメが、エルバハの腹に体当たりをぶちかました。
エルバハの巨体が、ぐらりと揺れる。
さらにトラメは地を蹴って跳躍し、エルバハの下顎あたりに鋭い鉤爪の一撃を叩きこんだ。
玉虫色の輝きが、ぱっと暗がりに飛散する。
「……グーロにギルタブルルの二人がかりでは、さすがのミューも太刀打ちできまい。七星もなみよ、お前の提案は興味深かったが、どうやら縁がなかったようだな」
意識を失ったドミニカをかばうように立ちはだかりながら、サイがおだやかにつぶやいた。
「こんな女でも、俺にとっては大事な同胞であり、相棒なんだ。こいつの生命を犠牲にしながら、和睦の使者の任などは引き受けられない。どうせすぐに新たな刺客が派遣されるだろうから、俺たち二人の首を手みやげに、『暁の剣団』と交渉するがいいさ」
「待って! サイ・ミフネさん、アナタ、何をするつもり?」
沈思をさまたげられ、七星がうるさそうにサイを振り返る。
サイは、決然とした面もちで七星をねめつけていた。
「愚問だな。仲間が死にかけているんだから、俺がとる道はひとつだけだ。……サイ・ミフネの名において、アルミラージのムラサメマルよ、我が望みをかなえよ……」
「馬鹿な真似はおやめなさい! アナタはそこのお仲間さんよりボロボロなんでしょ? そんな身体で強い望みの言葉を唱えたら、それだけで魂が砕け散っちゃうよ?」
「……その時はその時だ。そうすれば、お前だけは無事に隠り世へと帰れるな、ムラサメマル」
サイの目が、少し皮肉っぽい光を浮かべて、かたわらのアルミラージを振り返る。
全身血まみれのアルミラージは、ものすごく悲しそうな目で、それを見返した。
「うわぁ、ムカつく! サイ・ミフネさん、アナタを見損なったよ! アナタは自分が楽になりたいからって、何もかもをムラサメマルちゃんに押しつける気?」
「……押しつける、とは、おかしな言葉だな。おのれの生命をさしだして契約を結ぶことに、何の非があるというんだ?」
「そんなことを言ってるんじゃないよ! もなみより三歳も年長のくせに、ずいぶん考えが浅いんだね!」
七星たちがそんな問答をしている間にも、三体の幻獣はすさまじい攻防を繰り広げている。
契約者の生命力を得られていないアクラブは憮然とした様子で逃げまどっているだけだが、その代わりに、トラメが素晴らしい活躍を見せていた。
トラメも、エルバハも、それぞれ対象は異なるが、『敵を討ち倒せ』という同じ望みの契約をかけられている。
ついでに言うなら、どちらともに右腕は使えない。
よって、二人は五分の条件でしのぎを削っているということになるのだろうが……やはり、地力ではトラメがおおいに優っているようだった。
一見は、互角だ。おたがいの攻撃がクリーン・ヒットすることはない。
しかし、それは、トラメがうまく立ち回って、自分自身だけではなく、エルバハやドミニカの生命をも守っているのだろう、ということが、凡人たる俺にさえ容易に察することができた。
トラメが、地を蹴り、壁を蹴り、時には天井に飛びついて、縦横無尽に相手を撹乱している。
エルバハは時に魔法を使いそうな素振りも見せるが、トラメの俊敏さがそれを許さない。しかもエルバハを深く傷つけることもなく、トラメは、時間を稼いでくれていた。
ふだんだったら誰よりも巨大で雄々しいトラメの姿が、この巨人の前ではまるで一匹の豹か何かのように、しなやかで、華麗に見えてしまった。
「……アナタも『暁の剣団』の中級魔術師なら知ってるでしょ? 隠り世の住人には、契約を拒絶する権利もあるんだよ?」
そんなトラメたちの死闘を横目に、何だかものすごく怒っているような表情で、七星は大声をあげた。
対面の壁ぎわで、サイは、いぶかしそうな顔をする。
「契約の拒絶? そんなものを行使する幻獣がいるわけないだろう。契約者の正式な望みの言葉を拒絶すれば、現し身を打ち砕かれ、百年の眠りに陥ることになるのだからな」
「そう、普通はしない。だけど、契約者の生命を守るためなら、自分が犠牲になってもいい、って考える幻獣はいると思うよ。そこのラケルタちゃんみたいにね。……そして、アルミラージのムラサメマルちゃんは、いったいどうするだろうねえ?」
サイは、ますます不審げな顔をした。
アルミラージは、口を開こうとしない。
「……何を思ってそのような話を始めたのかはわからんが、ムラサメマルはそこまで愚かなやつじゃない。自分の身よりも契約者の生命を重んじる幻獣など、そこのコカトリスぐらいのもんだろうさ」
「ふぅん。アナタがそう言うなら、そうなのかもね。ムラサメマルちゃんがどういう気性をしているのかは、もなみよりもアナタのほうが十分にわきまえているはずなんだから」
七星の声は、露骨に挑発の響きをおびていた。
「……だけどね、サイ・ミフネさん。それでもアナタの責任がなくなるわけじゃないの。そんな身体で強い望みの言葉を唱えれば、アナタは死ぬ。だけどその望みを拒絶してあげれば、自分がひどい目にあう代わりに、アナタの生命を救うことはできる。そんな残酷な二者択一をムラサメマルちゃんに託すのはあまりに可哀想なんじゃない?ってもなみは指摘してるんだよ!」
「……それでもこいつは、契約を拒絶する、などという馬鹿な真似はしないだろうさ」
「それでもさ! あなたを破滅させたのは自分だっていう罪をムラサメマルちゃんに背負わせるなって言ってんの! まったく、鈍感なお人だねぇ」
アルミラージは、やはり何も語ろうとはしない。
ただ、その水色の瞳は、さっきから一心にサイの姿を見つめやっていた。
サイは、口を開きかけ、また閉じた。
その顔に、初めて苦渋の色が浮かぶ。
「しかし……それでも俺は、ドミニカを見捨てることなどできない」
「うん、だったら、和睦は成立だね! 『暁の剣団』との不可侵条約については、団長さんたちの判断を待たなきゃならないだろうけど、今この場での騒ぎをおさめるための和平条約を、サイ・ミフネさん、アナタ個人に申し入れることにするよ!」
七星は、元気いっぱいにそう宣言した。
やっぱりこいつは、何か突拍子もないことを思いついたのだ。
「サイ・ミフネさん。アナタと、ムラサメマルちゃんと、ドミニカ・マーシャル=ホールさんと、ミュー=ケフェウスちゃんの安全を保証します! その代わりに、アナタはもなみと『暁の剣団』の和平交渉の大使になってくれることを約束してください。で、その交渉が決裂するまでは、ミナトくんたちに絶対危害を加えない……それを約束してくれるなら、もなみがこの場をおさめてあげましょうぞ」
「お前……ギルタブルルを、生贄にする気か?」
そうだ。その条件では、ドミニカの魂を守るためにアクラブを犠牲にするしかない。
しかし、七星がそんな真似をするはずはなかった。
「馬鹿なこと言わないで。今のもなみにとって一番大事なのは、アクラブとミナトくんの二人なんだから! その片方を救うために片方を犠牲にするなんて、そんな悲しいことはしないよ! もなみは、欲張りさんなんだからね! ……さ、どうするの? 考える余地はないと思うけど?」
「……そんな都合のいい話が実現できるというなら、やってみせろ」
「はい、交渉成立ね? もなみを裏切ったら四人ともマルカジリなんで、そこんとこよろしく」
七星は、実にすがすがしげな顔で、エルバハと対峙するアクラブのほうにようやく目をむけた。
「アクラブ、待たせてごめんねぇ! やっと契約の内容が決まったよ! これまたかなりワガママなお願いなんだけど、アクラブならうまくやってくれるって信じてるから!」
「……何でもいい。とっとと終わらせろ」
「はいはい。それじゃあ、よろしくね! ……七星もなみの名において、ギルタブルルのカルブ=ル=アクラブに望みを託す!」
ひときわ大きな声で、七星は言った。
「エルバハのミュー=ケフェウスに、殺されないていどに討ち倒されなさい!」