決着②
答える者は、いなかった。
もちろん俺も、開いた口がふさがらない。
そいつは二つの魔術結社が大パニックに陥るほどのトップ・シークレットじゃなかったのか、七星?
「あなたたちは十九歳だって話だから、もなみたちのことなんて昔話としてしか知らないだろうけど。つまりは、そういうことなの。だからもなみは、正体を明かしたくなかったんだよ。……どうせあなたたちはパパのことを許されざる裏切り者、もなみのことも呪われし一族の末裔、なんていう風に決めつけてるんでしょ? そんな連中にこっちから歩み寄ってやる気にはなれなかったからね!」
「お前は……それが真実だと、本気で言っているのか……?」
平常心を失った目つきで、サイがうめいた。
その姿を楽しげに見やりながら、七星は言葉を重ねる。
「これはまぎれもない真実だし、もなみはこれ以上ないぐらい本気だよ! お望みだったら、もなみが十歳になるまで、パパとどの国をどんな風に逃げまどっていたのか、ひとつひとつ説明してあげようか? ……ていうかね、そちらの長老さんたちにもなみの顔を見せれば、一発で信じてもらえるはずだよ。何せもなみはパパを一目でトリコにした超絶美人のママとそっくり生き写しらしいんだから!」
「……何故だ?」
「ん。なぁに?」
「……お前の両親は、両方とも我が『暁の剣団』に粛清されたはず。それなのに、どうしてお前は『暁の剣団』ではなく、『名無き黄昏』を敵と定めたのだ?」
「そんなの、決まってるじゃん! パパとママも、『名無き黄昏』を死ぬほど憎んでいたからだよ!」
天使のように笑いながら、七星は断固としてそう言った。
天使は天使でも、まるで裁きの天使みたいだな、と俺はぼんやりそんなことを考えてしまった。
「ママはもともと、自分で望んで邪神の巫女なんかになっちゃったわけじゃない。勝手に選ばれて、勝手に巫女なんかに祀りあげられただけなんだもん。『名無き黄昏』を恨まないわけはないでしょ? パパだって、それは同じだよ。……かつての仲間に殺されるその瞬間まで、パパはアナタたちを恨んだりはしていなかった。ただ、自分たちをこんな運命に追いやった『名無き黄昏』の滅びだけを、心の奥底から望んでいたんだよ」
「……」
「だからもなみも、アナタたちを敵だとは思っていない。パパが『暁の剣団』を裏切ったのは事実だし、ママが『名無き黄昏』の巫女だったってことも事実なんだからね。アナタたちがパパとママを許せなかったっていうのも、まあ、気持ちの部分ではともかく、頭ではちゃんと納得もできる。……その心情を信じてもらえるなら、不可侵条約も夢じゃないかなぁって思ったんだけど、いかがかしらん?」
「そんなこと……俺たちごときが判断できるわけもない」
サイは、目眩でもこらえるかのように額をおさえた。
七星は、にこにこと笑いながら、ドミニカを振り返る。
「ドミニカ・マーシャル=ホールさん、あなたはどうかなぁ? あなたのお父様であるボールドウィン・マーシャル=ホール団長さんは、もなみのパパのこともよぉく知ってるはずなんだけど。和睦の親善大使になってくれる気は、ない?」
「ない」
ドミニカは、はっきりとそう言った。
人形のような顔で、人形のような声で。
七星は、ちょっとだけ眉を曇らせる。
「それでも、メッセンジャーぐらいはつとめてくれないと困るんだなぁ。あなただって、お父様のおうかがいをたてないと、これ以上は何をどうしたらいいのかも判断がつかないんじゃない?」
「……うらぎりは、ゆるされざるつみだ」
「いや、だけどさ」
「じゃしんのみこのむすめなど、しんようできるはずもない」
「でも、それを判断するのはあなたのお父様で……」
「おまえは、ゆるされざるとがびととして、だんちょうにひきわたす」
無感動につぶやきながら、ドミニカはゆっくりと立ち上がった。
灰色の瞳が、路上の小石でも見るように、七星とアクラブを見る。
「どみにか・まーしゃる=ほーるのなにおいて、えるばはのみゅー=けふぇうすにめいずる」
そしてドミニカは、からくり仕掛けのような声で、言った。
「わがのぞみをかなえよ。……ななほしもなみのしえきするぎるたぶるるを、うちたおせ」
死んだようにうずくまっていたエルバハが、ひょいっと身を起こす。
「エルバハのミュー=ケフェウス、承認す」
その目が、フードの奥でオレンジ色に燃えあがり。
子どもみたいに小さなその身体が、まばゆいばかりの白い輝きに包まれはじめた。
「あらら、やっちゃったよ、とんだ困ったちゃんだね、この人は!」
呆れたような、七星の声。
その声を聞きながら、俺や、八雲は、息を飲んだ。
エルバハの身体が、むくむくと大きくなっていく。
暗灰色のマントが塵と化し、その下から、赤みがかった岩石のような巨体が現れる。
二メートル。
三メートル。
トラメの本性よりも巨大な、四メートル。
さらにそこから一メートルほども大きくなり、二階まで吹き抜けになった廃ビルの天井に頭がついてしまいそうなぐらい、エルバハは巨大化した。
もともと二メートルはあろうかという巨大な腕を持つエルバハが、それに見合った巨人へと変貌を果たしたのだ。
「ふん。やはりエルバハとは巨人族だったか。しかし、まだまだ幼体だな」
あざけるように、アクラブがつぶやく。
オレンジ色の不気味な双眸が、のろのろとそちらを見た。
グーロに、コカトリス、ギルタブルルに、アルミラージ……これまでに四体もの幻獣を目にしてきた俺でも、やはりその巨体には度肝をぬかれずにはいられなかった。
ただ背が高いだけではない。手足は太く、胸も肩もぶあつく、まるで小山が動きだしたかのような迫力だ。
腕に比べると少し足は短めで、ゴリラのような体格をしており、赤褐色の岩みたいな巨体が、白い生命の炎にくまなく包みこまれている。
その巨大な肉体は、俺のとなりでさっきから黙りこくってしまっているトラメと比しても遜色のない力強さを秘めているようだった。
「……ドミニカ!」
サイの苦しげな声が響く。
見ると、エルバハの変身とともに意識を失ったドミニカが、朽ちかけたタイルの床に崩れ落ちようとしているところだった。
その小さな身体を、巨人の左腕が、驚くほどやわらかい動きですくいあげる。
そうして巨人は、まるでこわれものでもあつかうような仕草で、主の身体をサイのもとへと送り届けた。
「その身にあまる望みを口にして意識を失ったか。お前も、お前の愚かな主も、これでおしまいだな」
悪魔のように笑いながら、アクラブは赤く燃える目で七星を振り返った。
「さあ、モナミ。相手は望みの言葉を唱えたぞ。お前も同じ言葉を唱えてみろ。そうすれば、一瞬でこの茶番を終わらせてやる」
なんてこった……これじゃあまるきり、一ヶ月前の再現ではないか。
あのときも、ギルタブルルの討伐をラケルタに託した八雲は、意識を失ってしまった。
あのときと違うのは、そんな仲間を救う余力が、今のサイにはない、ということだ。
つまり、ドミニカは、どうしたってもう助からない。エルバハがアクラブにかなうはずはないのだから、ドミニカの望みは果たされず……その魂は、砕け散ってしまうのだ。
俺は、唇をかみ、七星を振り返った。
七星は無言のまま、口をへの字にして、エルバハの巨体を見上げやっている。
アクラブの顔から、笑みが消えた。
「どうした? 同じ望みの言葉でも、私とこの巨人ではもともとの力が違う。お前の寿命などほとんど削らずに、契約は果たしてみせよう」
「……ごめん。ちょっと耐えてて、カルブ=ル=アクラブ」
七星が答えた、その瞬間、巨人がその岩石のような左拳を、アクラブにむかって振り下ろした。
かつて見せていたような鈍重な動きではない。その巨体からは想像もつかないようなスピードだ。
アクラブが舌打ちをこらえるような表情で後方に跳びすさると、その足もとのタイルの床が、木っ端微塵に粉砕された。