覚醒②
「……さっぱり状況がわからんな。ここはどこで、今はいつで、我らはどういう状況下にあるのだ? 説明しろ、ミナト」
「……俺たちは、七星もなみっていうおかしなやつに助けられたんだよ。ここはその七星のアジトで、あいつは今、魔術師どもと戦ってる。お前は四日間も眠りこけてたんだぜ、トラメ?」
「ふん。よくわからんが、事態はたいして進展しておらぬようだな」
そんなことをつぶやくトラメの身体が、白く発光しはじめていた。
肩をつかんだ俺の両手に、なみなみならぬエネルギーの波動が伝わってくる。
これは……契約者の、つまりは俺の、生命の炎、ってやつじゃないのか?
黄金色の輝きをおびはじめたトラメの目が、ちろりと八雲のほうを見る。
「それでけっきょく貴様の望みもまだ果たされてはおらぬ、ということか、ミナトよ」
「俺の望み?」
何のことだかわからない。俺は、眠れるトラメに望みの言葉を唱えたりはしていないぞ?
「我は契約の途上で封印されてしまったのだ。封印が解ければ、また元の状態に戻るのが必定であろう」
「はん? ……俺はお前に、何を望んだんだっけ?」
「たわけたことを。貴様はそこの娘を救うために邪魔者を討ち倒せと望んだのであろうが」
そうか。そんな話はもう遥かな昔日の出来事のように遠く感じられてしまう。
しかしそれはたった四日前の出来事であり、トラメにとっては、わずか数分前の出来事なのだろう。
この四日間、トラメの時間は完全に停止してしまっていたのだから。
「……私はもう救われました。これ以上は何も望みません。……トラメさん、本当に申し訳ありませんでした」
涙に濡れた瞳で一心にトラメを見つめながら、八雲は静かにそう言った。
トラメは、いぶかしそうに目を細める。
『トラメ。アンタには何べん謝ってもすまないようなことをしちまった。それを許してくれ、なんて言えないけど、どうかミワだけは……傷つけないであげて……』
ひどくぐったりとした様子で、ラケルタも言いつのる。
その口からは、まだ大量の鮮血がしたたり落ちていた。
「八雲、ラケルタ、こいつはどういうことなんだ? お前らはいったい、どういうトリックを使ったんだよ?」
トラメの肩をつかんだまま、俺が二人を追及すると、さきほどまでの勢いが嘘のように光を弱めたラケルタの青い目が、俺のほうにむけられてくる。
『さっきの別れぎわ、ミナトの言葉を聞いて、ウチらは決心したんだヨ。もうどんな目にあってもいいから、とにかくトラメを助けよう、ってサ。だから、ドミニカのヤツがミナトを追って車を降りたスキに、大急ぎで打ち合わせをしたんだヨ。……アイツはミワのことをまったく信用してなくて、四六時中べったりはりついてやがったから、何とかその目の前でトラメを殺すフリをしよう、って作戦をたてたわけサ』
「殺すフリって……だけど八雲、お前ははっきり望みの言葉を唱えたよな? その望みがかなえられないかぎり、今度はお前の身が危ないんじゃないのか?」
『ふふ。心配してくれてありがとネ、ミナト。でも、大丈夫。ウチらは最初から、ミナトとトラメに危害を加えることなんてできないのサ! 少なくとも、ウチだけは絶対にネ』
今にも力尽きてしまいそうなラケルタだが、その青い目が一瞬だけ、悪戯小僧のようにきらめいた。
『……だって、初めて出会った日に、そういう誓約を交わしただロ?』
ラケルタの言葉に、一ヶ月もの昔の記憶が、まざまざと脳裏によみがえる。
そうだ。確かに、ラケルタは八雲とそういう誓約を交わしていた。
問答無用で襲いかかってきたラケルタを止めるために、八雲を人質にとって、トラメがそう誓約させたのだ。
俺と、トラメに、危害を加えるな、と。
『だからウチは、その誓約を解除されないかぎり、アンタたちを傷つけることはできない。たとえミワ本人がその誓約と矛盾する望みの言葉を唱えたところで、そんなモノは無効なのサ! だけどドミニカのヤツはそんな誓約のことは知らないから、これならうまくダマせると思ったんだヨ』
「だけど、それじゃあ、この血は……」
『コレは、ウチの血サ。舌をおもいきり噛みやぶったんだ』
何でもないようにラケルタはそう言った。
その目が、今度はいつになく真剣な光を浮かべて、俺たちを見つめている。
『こんな痛みじゃあ、ミワの罪はとうてい贖えない。だから、アンタたちの言うことは何でも聞く……ただ、お願いだから、ミワを殺す、っていうのだけはカンベンしておくれよ、トラメ……』
「……さきほどからくどくどしいな、コカトリス。我がその娘を害して、いかなる利を得られるというのだ? 貴様らが敵に回るというのなら討ち倒す。我に言えるのは、それだけだ」
まぶたを半分だけ閉ざし、きっと感情を見せないように努めながら、トラメはぶっきらぼうにそう答えた。
「小娘。貴様はこの先も『暁の剣団』やらいう魔術結社に身を寄せる心づもりなのか?」
トラメに問われ、八雲はびくりと肩を震わせる。
「いえ……私は今、彼らを裏切ってしまいました。彼らは……あのドミニカという人は、私を決して許さないでしょう。私は、二重の裏切り者です」
「ふん。ならばその腕を貸せ」
八雲は、おびえきった様子で自分の右手首を隠そうとした。
が、やがて決然とした表情で頭を振り、ラケルタに支えられて立ち上がりながら、右腕をトラメのほうにさしだしてみせる。
『S∴S∴』……おぞましい、魔術結社の刻印。
「……旧き友にして偉大なる精霊王ウルカヌスよ、汝の下僕をひとつまみ、我の手に」
不思議な呪文の詠唱とともに、トラメの右手の人さし指が、ぼうっと赤い小さな炎を宿す。
八雲は、顔をそむけ、唇を噛んだ。
トラメの指先が、血の色をした魔術結社の刻印を、灼く。
ぞっとするような音が響き、ぞっとするような異臭がたちこめたが、八雲は声ひとつあげなかった。
「ふん……これでも我は隠り世に引き戻されぬか。貴様の意志とは裏腹に、その魂はきゃつらのもたらす恐怖によって強く縛られてしまっているようだな」
「トラメ、それはどういう……?」
「やはりあの魔術師どもを叩きのめさぬかぎり、貴様との契約は果たされぬということだ、ミナトよ」
言いながら、トラメは八雲の右腕をひっつかんだ。
ハッして振り返る八雲に見つめられながら、トラメはぺろりと、赤く灼けただれた八雲の右手首を、なめた。
「トラメさん……」
八雲の瞳に、新しい涙が光る。
トラメは乱暴にその腕を放り捨て、不機嫌きわまりない表情で、言った。
「きゃつらは、近くにいるのであろう? そいつらをもうひとたび叩きのめして、終わりだ。しかし、この場にはこざかしい結界があちこちに張りめぐらされておって、ろくに気配もたどれぬぞ、ミナト」
「ああ……行くか」
その前に、きちんと再会の挨拶でもしてやりたかったのだが……ちっとも平静ではいられなかった四日間を過ごした俺たちとは異なり、トラメはあまりにも、平常モードだった。
まあ、そうでなくてもこの偏屈者が自分の素直な心情をあらわにすることもなかったろうが、何というか、再会の余韻もへったくれもないんだな、と俺はついつい苦笑してしまう。
「何だ? まだまだ笑っていられるような状況ではないぞ。我が敗れれば貴様の魂も木っ端微塵だということを忘れるなよ、ミナト」
「……お前は負けないだろ、トラメ」
「ふん。呑気たらしいことだな。仕切り直しとなってしまったために、我の策略も台無しだ。万が一にもきゃつらが我らの滅びを望んだ際には、あのギルタブルルのときと同じように、契約者の魂ごと相手の望みを打ち砕かなくてはならないのだぞ?」
「……それでも、お前がくたばっちまうっていう最悪の事態は回避できたんだ。どんな結末を迎えようと、俺は後悔なんざしない」
口をへの字にするトラメにもう一度笑いかけてから、俺は八雲とラケルタを振り返った。
「お前たちは、どうするんだ?」
『見届けるヨ。トラメの邪魔はしないから、連れていって』
ラケルタは迷わずにそう答え、八雲も涙をぬぐいながら、うなずいた。
「よし、行こうぜ」
トラメを、失わずに済んだ。
八雲も、ラケルタも、かたわらにいる。
ハッピーエンドは、目の前だ。
ここまでのラウンドはいいように殴られてしまったが、これ以上は、あいつらの好きにはさせない。
七星とアクラブもいるのだから、絶対に大丈夫だ。
「……あ、トラメ。上では七星ってやつが魔術師どもと応戦してるはずなんだ。あいつと、あいつが契約を結んだギルタブルルは味方なんだから、そのつもりでよろしく頼む」
「ギルタブルル、だと?」
部屋を出て、俺の先導のもとに回廊を駆けながら、トラメがいぶかしそうに眉をひそめる。
「ああ。俺たちが死なずに済んだのはその七星と、アクラブっていうギルタブルルのおかげなんだ。あいつらは、信用できる連中だと思う」
「……勝手にしろ。我は、我の敵を討ち倒すだけだ」
「……」
「何だ? 他にも伝えておくべきことがあるならば、とっとと言え」
「いや」
俺はただ、意外にスカート姿も似合うんだな、と思っただけだ。
そんな言葉、伝える気になれるはずがない。
エスニックな刺繍のほどこされたワンピースをひらひらとなびかせながら、トラメは「ふん」と面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
やがて、エレベーターの扉が俺たちの前に立ちはだかる。
「……トラメ、そういえば傷のほうは大丈夫なのかよ?」
エレベーターの中に足を踏み入れつつ、俺が尋ねると、トラメはじろりと横目でにらみつけてきた。
「大丈夫も何も、封印される前のままだ。右腕は動かんし、心臓は潰されている。こんな騒ぎはとっとと収束させて、美味いものでも喰らわねば、やってられぬ」
「いくらでも食えよ。この四日ぶんの食費をつぎこんでやるから、さ」
俺が素直に答えてしまったせいで、トラメは肩透かしを食ったように黙りこんでしまった。
音もたてずに、エレベーターは地上へと到着する。
「八雲、ラケルタ、気をつけろよ?」
背後の二人に呼びかけてから、俺はあらかじめ押しておいた開閉ボタンから指を離した。
扉は、するすると口を開け。
いきなり俺たちの目の前に、無残きわまりない光景を見せつけてくれた。