決裂と失態③
「ラケルタ、どうしてお前がこんなところに……」
息もたえだえに、俺は言葉をしぼりだす。
ラケルタは、俺の腹を左の前足で踏みにじりつつ、青い左目を鬼火のように燃やしていた。
幽霊のように弱々しい気配は変わらぬままだ。が、俺のみぞおちを踏みしめる足にはすさまじいばかりの力がこもっており、胃袋が口から飛びだしそうなほどだった。
「……こんなところにかくされていたのか、ぐーろ」
その背後から聞こえてきた無感動な女の声音に、俺は再び慄然とした。
俺の視界からは消え失せてしまったベッドの上で、八雲が息を飲む気配が伝わってくる。
まただ。
どうしてこいつは、いつも最悪なタイミングで姿を現しやがるんだ!
「これでおわりだ。ぐーろは、てんにかえす」
「待て……くそ、離せよ、ラケルタ!」
わめきながら、俺は激しく混乱していた。
どうしてだ? こいつらはエレベーターの前で立ち往生していたんじゃないのか? まっすぐそちらにむかったはずの七星たちはどうしたんだ?
俺は、ラケルタの頑強な前肢に爪をくいこませながら、首をねじ曲げて、監視用のモニターを見る。
驚くべきことに、そこには先ほどとまったく同じ、五つの影が映しだされたままだった。
「……わたしとこかとりすのかげだけおいてきた。ほんのすこしのすきまさえあれば、あのようなけっかいをすりぬけることなど、わたしにとってはぞうさもない」
倒れこんだ俺とモニターのあいだの空間に、灰色の人影がふわりと立ちはだかる。
しかし、その目は、俺を見ていない。
その目は、室の奥の、もうひとつのベッドの上へとむけられているようだった。
「やめろ……トラメに手を出したら、誓って、手前を同じ目に合わせてやるからな?」
「……ぐーろをうしなえば、おまえはただのむりょくなこどもだ。おまえには、なにもできない」
俺を見ぬまま、ドミニカは抑揚のない声で言った。
「ただし、あのぎるたぶるるのけいやくしゃは、てきだ。あのおんなとこうどうをともにしているいじょう、おまえもてきとみなす。……まずは、ぐーろをてんにかえす」
頭の芯が痺れるほどの怒りを感じながら、俺は、ラケルタのやわらかい羽毛につつまれた前足をかきむしった。
「ラケルタ! 頼む! 離してくれ! お前は本当に、トラメが殺されちまってもかまわないっていうのか? 俺たちは、仲間じゃなかったのかよ?」
『……ウチの心は、永遠にミワとともにある』
と……四日ぶりに、ラケルタの声が聞こえた。
その青い瞳が、激しく燃えさかりながら、ドミニカを見る。
『ドミニカ・マーシャル=ホール。お願いだから、ウチらに決着をつけさせておくれヨ』
「……なに?」
『アンタは、ミワがまたミナトたちに寝返るんじゃないかと疑ってるんだロ? その疑いを晴らさせてくれ、って言ってるんダ。……ウチらはもう、アンタたちのところにしか居場所がないんだからネ』
今度こそ、俺は恐怖と絶望を感じずにはいられなかった。
ラケルタ。
それがお前の、本心なのか?
『……ミワは、今までの生活ぜんぶを捨てて、アンタたちの仲間になった。それなのにアンタたちに疑われちまったら、ミワはこの先どうやって生きていけばいいんダ? ウチらがアンタたちを裏切ったりはしないっていう証明をさせておくれヨ』
ドミニカは、静かにラケルタを振り返った。
その手にたずさえた九尾の鞭を、迷うように揺らしながら。
「……どのみちわたしは、おまえたちをしんようしたりはしない。じぶんたちのいのちをおしんでなかまをうらぎるようなれんちゅうを、わたしはどうほうとはみとめない」
『へん! ウチらは自分たちの生命を惜しんでるわけじゃないッ! ウチはミワの存在を、ミワはウチの存在を、それぞれ一番大事にしてるだけサ! それが恥ずかしいことだなんて、ウチらはこれっぽっちも思っちゃいないヨ! ……だけど、そこのトラメと、このミナトは、まだ出会ったばかりの間柄だけど、一緒に力を合わせて戦った、ウチらにとっては大事な仲間だったんダ』
ラケルタの声に、苦悩の色がにじむ。
『……その大事な仲間をこの手にかけることで、アンタたちの仲間になったことを証しだてたい。そうでもしないと、ウチらだって気持ちにケジメがつかないんダ』
やめてくれ……
俺は、ラケルタの足を握りしめた。
ラケルタ。やめてくれ。本当にお前は、そんな道を選んで後悔しないのか?
「……かってにしろ。ただし、わたしはすぐにでもぎるたぶるるをうちたおしにいかねばならないのだ。じかんかせぎは、ゆるさない」
『時間なんて、一秒もかからないヨ』
俺は、すべての力をふりしぼって、「やめろ!」と叫んだ。
叫ぶことしかできないこの身を自分の手で引き裂きたいぐらいだった。
そのとき。
その声が、俺の頭の中にだけ、響いた。
(ミナト! 一回だけでいい! ウチと、ミワを、信用して!)
それは、ラケルタの声だった。
……幻聴だろうか?
ラケルタは、俺のほうを見ようともせずに、八雲のほうへと首をめぐらせる。
『ミワ。罪も、不幸も、半分こダ。決着を、つけようヨ』
「……うん」
頭の上から、八雲の震える声。
その震える声が、さらに言った。
「八雲美羽の名において命じる。コカトリスのラケルタよ、我が望みをかなえたまえ。……グーロのトラメを、滅ぼせ」
『コカトリスのラケルタ、承認す』
そして。
俺の腹の上から、ラケルタの重みがふいに消え失せ。
ラケルタは、弾丸のような勢いで、トラメに、襲いかかっていた。
(やめろ……!)
絶望のあまり、声も出ない。
ラケルタの巨大な口が、トラメの咽喉もとに牙をたて。
その動けない小さな身体を、ベッドの上で、高々と吊りあげた。
赤い、鮮血が。
宙に、飛び散った。
『……望みは、果たされた』
ぞっとするほど静かな声で言い、ラケルタは、鮮血にまみれたトラメの身体をベッドの上に放り捨てた。