決裂と失態②
何がどうしてどうなったのかもわからないまま、俺たちは廃ビルの入り口までたどりついていた。
まったくこの幻獣の移動術というやつには、いつまでたっても慣れることができそうにない。
「望みは果たされた。……まったく、七面倒くさい仕事だった」
俺たちの身柄をその場に放り出し、アクラブはとっとと隠り世へと帰還してしまう。
俺たち……俺と、七星と、そして八雲だ。
七星は何事もなかったかのように腕を組んで立っているが、八雲の身体は、なぜか俺の腕の中にあった。
しかも、アクラブの容赦ない術式に耐えきれなかったのか、意識を失ってぐったりしてしまっている。
「……ちょっと、ミナトくん! もなみのアプローチを拒絶した直後に他の女の子とベタベタするなんて、それはあまりにマナー違反じゃない?」
「馬鹿なこと言ってる場合かよ。文句があるならアクラブのやつに言え!」
「わかった。そうする。……七星もなみの名において命ずる! ギルタブルルのカルブ=ル=アクラブよ、現し世にいでよ!」
七星の手に握られたペンダントが、白い光をほとばしらせる。
銀色のチェーンに、黄色い琥珀のペンダントで、俺がもらった対魔術師用の護符とそっくりな作りをしているが、その琥珀の中にはサソリの化石が封じこめられており、これがアクラブの依り代なのだ。
サイのやつは白い骨の首飾りをアルミラージの依り代としていたし、どうやら生身の子猫やらトカゲやらなどを依り代にしているのは、魔術の含蓄にとぼしい俺や八雲ぐらいであるらしかった。
何はともあれ、アクラブは息をつく間もないまま現し世へと引きずり戻され、さらには七星からわけのわからない異議申立てをぶつけられて閉口する羽目になった。
「その小娘もともに連れ帰れと望んだのはお前だろう。それが不服なら、今からでも元の場所に戻してきてやろうか?」
「そういう問題じゃないの! もなみは自分以外の女の子がミナトくんの腕に抱かれてるのが気に食わないだけなんだから!」
「……お前、何とかしろ」
アクラブに険悪な目をむけられて、俺は肩をすくめてみせる。
「だったら、お前が八雲を運んでくれればいいんじゃないか? そうすれば俺も肉体労働から解放されて万々歳だ」
だいたい、八雲は意外に背が高いし、意外に女らしく肉づきもいいので、お姫さま抱っこするには、ちとしんどい。トラメぐらい小柄だったら、ちっとも苦ではないけどな。
「まったく、どいつもこいつも勝手なことばかり言いおって……」
アクラブは怒った声で言い、俺の腕から八雲の身体をもぎ取った。そのままズカズカと廃ビルの内部へと姿を消してしまう。
今にも崩落してしまいそうな、さして大きくもない四階建ての廃ビルだ。
あたりは普通のオフィス街だが、二重、三重に結界とやらが張ってあるそうで、普通の人間には中を覗き見ることも、足を踏み入れることもできぬ場所であるらしい。七星のアジトは、この地下に設置されている。
「アクラブ。魔術師たちに尾けられてないでしょうね?」
まだいくぶんご機嫌ななめの様子で問いかけつつ、七星はアクラブの後を追い、俺はさらにその後を追う。
ビルの内部は暗かったが、ところどころに間接照明が灯っており、歩くのに不自由なほどではない。
「それも契約の内だっただろう。あいつらが追跡の術式を仕掛けてくるようだったら、別の場所に跳んでいた」
「それならいいけどさ。ヤクモミワちゃんを改心させるのにどれぐらいの時間が必要か、わかったもんじゃないからねぇ」
歩調を速めてアクラブに追いついた七星が、その腕に抱かれた八雲の顔をじっと見つめやる。
「ふーん。……なかなか可愛らしいコだなぁとは思ってたけど、こうしてみると、けっこうな美人さんじゃん! ね、ミナトくんは明朗快活な正統派美少女と、ちょっと陰のあるヤンデレ気味なゴシック美少女なら、どっちがタイプ?」
「……とりあえず、自分で自分のことを美少女だとか言い切らないようなやつがいいな」
俺が適当に答えると、七星は歩きながら「ぎゃふん!」とわめいた。
そんなことより、俺には聞きたいことがある。
「ところでさ、どうしてラケルタは一緒に連れてこなかったんだ? あいつひとりを残してきちまうのは、いくら何でも酷だろうよ」
あのドミニカのやつが腹いせに何をするか、わかったものではないではないか。八雲とラケルタを救いたい、と言っていたくせに、これはあまりに七星らしからぬ処置だ。
が、七星のやつは、こちらを振り返ろうともせずに、あっさりと言った。
「ラケルタちゃんは、いなかったんでしょ? そういえばもなみの契約の言葉にラケルタちゃんの名前までは織り込んでおかなかったけど、そんな見落としをするアクラブじゃないもんねぇ?」
「当たり前だ。この娘と契約を結んだ幻獣を残しておいたら、追跡の術式を使わずとも、こちらの居所をたどられてしまうからな」
「いや、いただろ」
俺があわてて言い返すと、主従でぴたりと足を止め、さもいぶかしそうにこちらを振り返る。
「あの場には、アルミラージとエルバハ以外の気配はなかった。お前とて、そのコカトリスの姿を見たわけではあるまい?」
「いや、見たよ。……でも、そうか、俺がトラックの外に出た後には姿を見てないからな。その間に、八雲が隠り世へと帰しちまったのか」
俺の言葉に、アクラブはますます不審げな顔をする。
「違う。最初から最後まで、他の幻獣の気配などはなかった。いいかげんなことを言うな、イソツキミナト」
「いいかげんなことなんか言ってねぇよ。あいつは八雲と一緒にトラックの中に入ってきて、ずっと俺のことをにらみつけてたんだぜ? そりゃあ幽霊みたいに弱々しい感じではあったけど、八雲だってラケルタにさわったりしていたし、幻覚なんかじゃなかったはずだ」
「……そういえば、あのコカトリスは魂が滅する限界のところまで生命の火を燃やしつくしていたな」
アクラブは、きつく唇をかみ、火のような目で七星をにらみすえた。
「失態だ。……コカトリスは半ば死にかけており、私に感知できないぐらい気配が希薄になっていたのかもしれん」
「ほうほう。それはつまり、どういうこと?」
「もし本当にあの場にコカトリスが残っているのならば、この建物の場所までは露見してしまった、ということだ。お前のほどこした結界は、この建物の外柵までにしかおよんではいないのだからな」
「ありゃりゃ! そいつはマズいねぇ!」
七星は、腰に手をあてて虚空を見上げやる。
「ということは……ラケルタちゃんたちが駆けつける前に、トラメちゃんを連れて別のアジトに逃げこむか、さもなきゃこの場所で応戦するか、その二つしか道はない、ってことだね? で、逃げる場合には、ヤクモミワちゃんを置いていくか、あるいは、ヤクモミワちゃんの気配を封じる術式を大急ぎでほどこすしかない、と」
「……そういうことだ」
「なるほど。了解だよ! それじゃあとにかく地下に潜りましょ! トラメちゃんの身柄だけは確保しておかないと、身動き取れなくなっちゃうからねぇ」
「……失態だ。屈辱のあまり、はらわたが灼けただれそうだ」
「なに言ってんのさ! もなみの望み自体はきちんとかなえてくれたんだから、アクラブに落ち度はないでしょ。……仮に落ち度があったとしても、おたがいの不足分をカバーしあうのが仲間ってもんよ!」
七星の表情は、むしろ楽しげにすら見えた。
しかしそんな言葉に納得した様子もなく、アクラブは口をつぐんでしまう。
何はともあれ、俺たちは足を急がせた。
(あいつらが、このビルにまでやってくる、だって? ……くそ、冗談じゃねェぞ)
あんな無防備なトラメが眠るこの場所に、ドミニカたちがやってくるなんて……想像しただけで、胸が悪くなってくる。
俺が退魔の護符を身につけているなどとは知らぬまま、あいつらは容赦なく襲いかかってきた。サイやアルミラージはどうだかわからないが、やはりドミニカやエルバハにとっては、俺やトラメの生命など何ほどの価値もないのだ。
あいつらは、やっぱりイカレている。
「ほい、到着っと」
やがて俺たちの眼前に、奇妙なモノが立ちはだかった。
でかでかと魔方陣の描かれた、エレベーターの扉だ。
「イフタフ・ヤー・シフシフ!」
七星のおかしな詠唱の声とともに、扉はしずしずと口を開ける。
その内側へと足を踏みこむと、七星はふうっと小さく息をついた。
「よしよし。最後のこの結界はそこそこ強力だからねぇ。ラケルタちゃんたちが速攻で追いかけてきてたとしても、これでしばらくは時間をかせげるはず! 後は相手の出方を見ながら、臨機応変に対処いたしましょう!」
「……たぶんあいつらは、一直線にむかってきてると思うぜ?」
サイやドミニカの思惑がどうあれ、八雲を奪われたラケルタがおとなしくしているはずはない。ラケルタだけが追ってきてくれれば一番いいのだが、そんな真似はドミニカのやつが許しはしないだろう。
数秒間の降下の感覚ののち、再び扉が口を開けると、見なれた回廊のたたずまいが俺たちを出迎えてくれた。
勝手知ったる他人のアジト、だ。俺は誰よりも早くエレベーターを出て、トラメの眠る一室へと急いだ。
(トラメ……)
毛足の長い絨毯の回廊を踏破し、木製のドアを引き開ける。
古びた洋館のような一室。意匠を凝らしたアンティークなベッドの上で、トラメは、何も変わらぬ姿で眠り続けていた。
われ知らず、安堵の息がもれてしまう。
「さてさて。表はどんな様子かなぁ?」
俺に続いて部屋に入ってきた七星が、巨大なプラズマテレビのリモコンを取りあげる。
五十インチはあろうかという大きな画面に、見覚えのある風景が四分割で映し出された。
廃ビルの遠景、廃ビルの入口、廃ビル内の回廊、そして魔方陣の描かれたエレベーターの扉、だ。
この三日間、テレビやリモコンなどには指も触れなかったのだが、こいつは娯楽ではなく監視のための設備だったのか。
「ふむふむ。今のところ、目立った異変は……うわぁ、あった!」
七星がわめくのと同時に、俺も戦慄することになった。
エレベーターの扉の前に、突然ぬっと複数の人影が現れたのだ。
長身の人影、ほっそりとした人影、小柄な人影、もっと小柄な人影……そして、小さな翼をもつ異形の影。
やつらは、全員で俺たちを追ってきていた。
「くっそー。ここまでの結界は足止めにすらならなかったんだね! こりゃダメだぁ。外への出入り口はこのエレベーターしかないから、逃げるっていうプランはこれでアウトだね。……てことは、とりあえず応戦しかないや!」
七星は、もう一度暗視ゴーグルを引きおろしながら、俺たちの姿をぐるりと見回した。
「アクラブ。ヤクモミワちゃんは、そっちのベッドに寝かせてあげて。今度はちょっと、さっきよりも手荒な望みになりそうだよ!」
「……やつらを叩きのめしたいなら、望みの言葉など不要だ。あんな非力な連中をひねりつぶすのに、契約者の生命などいらん」
おし殺した声で言いながら、アクラブは八雲の身体をもうひとつのベッドの上に放り捨てた。この三日間、俺が使用していたベッドだ。
「やつらをここまで招いてしまったのは私の失態だ。おのれの恥は、おのれですすぐ」
「むむ? だから別にアクラブが責任を感じる必要なんてないってば! ラケルタちゃんも一緒に拉致れ、とは言っておかなかったんだから」
「しかしお前は、『無事に連れ帰れ』と望んだ。これは決して満足のいく結果ではあるまい」
「満足いこうといくまいと、契約は無事に果たされたの。これは契約満了の後に勃発した出来事でしょ?」
「……何を言われようが、失態は失態だ」
テレビ画面のあやしい影どもをにらみすえながら、アクラブは険悪にそう言い放った。
そのけわしい横顔をしばらく見つめてから、七星は「ふふっ!」と笑い声をたてる。
「契約はきちんと完了したのに、その出来栄えに納得がいかないっていうんだね? 何だかとっても情緒のあふれる発想だね! わかった、アクラブの気持ちは尊重してあげましょうぞ! ……ただし、ラケルタちゃんみたいに自分の生命を犠牲にするのはなしだよ? アクラブはもなみの最終兵器なんだから、もなみより早死にすることは許しません!」
「……」
「そしたらね、もなみはトラメちゃん風の作戦を試してみるよ! 相手が望みの言葉を唱えたら、それと同じかそれ以上の強い望みをかけることにする! それならどうやっても五分以上の戦いになるから、アクラブの優位はゆるぎないでしょ?」
「ふん。苦心するとすれば、殺さぬ手加減ぐらいだな」
「そう! そこが大事! 何としてでも、あの四人は殺さないで! 『暁の剣団』は味方じゃないけど、完全に敵に回しちゃっても厄介だから。……ていうか、和解できるもんなら和解したいんだよ、本当のところはさ! もなみもミナトくんを見習って、和解の道でも模索してみようかなぁ?」
「何でもいい。とにかく戦うならばこんな狭苦しい場所ではなく、あちらまで出向いたほうが得策だ」
「ん、そだね。……それじゃあミナトくんは、ここでヤクモミワちゃんと待っててくれるかなぁ?」
「……なに?」
「ヤクモミワちゃんが目を覚ますようなら、説得を再開してくれちゃってもかまわないよ。ミナトくんの護符は壊れちゃったけど、アクラブ、ヤクモミワちゃんは何か危険な武器や呪具を隠し持ってたりはしない?」
「ないな。退魔の護符だけは身につけていたが、そんなものは連れ去る際に打ち砕いてやった。その小娘は、丸腰だ」
「うんうん。それならミナトくんはヤクモミワちゃんの介抱でもしてあげてよ。……ただし、もなみのおうちでフラチなふるまいにおよぶようなことがあったら、縛り首だよ? 作戦としての色仕掛けも禁止! これが守れなかったら、もなみは修羅と化し、ミナトくんをマルカジリです!」
「……お前は本当に、どんな窮地に陥っても馬鹿なことを言うのをやめねェんだな」
「ふふん? こんなのは窮地の内に入りませんことよ? こっちの見通しの甘さから痛い目を見ることになったあの四人に同情するばかりでございます!」
七星がそう言いきった瞬間に、ズン……と世界がわずかに振動した。
反射的にモニターを振り返ると、五つの影のうち、もっとも小さな人影が、ありえないぐらい巨大化した左腕でエレベーター前の床を殴りつけている姿が見えた。
「いかんいかん! 地面を露出させて、大地の精霊魔法を仕掛ける気だ! 地盤もろとも結界を壊そうだなんて乱暴だなぁ! 今の衝撃で結界が少したわんじゃったよ!」
それでも七星は不敵に笑い、アクラブの右腕を抱きすくめた。
「それじゃあ、いこっか? モニターごしにもなみたちの華麗な戦いっぷりを見ているといいよ、ミナトくん!」
声も高らかに言い放ち、七星はアクラブとともに部屋を出ていった。
あいつらなら、大丈夫だろう。俺が心配なのは、その暴風雨のような戦乱にラケルタが巻き込まれたりしないかどうか、だけだった。
俺は、ずっとその手に握りっぱなしだった石版の包みをテーブルの上に放り捨ててから、八雲の眠るベッドのほうにまで足を進め、立ったまま、その寝姿を見下ろした。
説得……するべきなのだろうが、自分からわざわざ八雲を起こしてやろうという気にはなれない。説得の言葉は、さきほどすべて使い果たしてしまったからだ。
こいつは、俺なんかより、七星のやつと対話するべきなんじゃないだろうか?
七星に説得してもらう、という意味ではなく。八雲の頑なにすぎる気持ちや考えも、七星の無邪気さや豪胆さや馬鹿らしさにふれれば、少しは氷解するのではないかと思えたのだ。
(それに……)
トラメを見てほしい、と思う。
八雲の所為によってこのような有り様になってしまった、トラメの姿を。
このトラメの姿を見ても、八雲の心が動かないようなら、どれほど言葉を重ねても無為なのではなかろうか。
「うぅん……」
と、俺があれこれ考えこんでいるあいだに、当の八雲は妙に悩ましげな声をあげながら、意識を取り戻してしまった。
ならば、再び眠らせるというわけにもいかない。俺は、こっそり嘆息しつつ、夢うつつの表情で身を起こそうとする八雲のほうに顔を近づけた。
「目が覚めたか、八雲?」
「……磯月くん……!」
ハッとしたように身体をこわばらせる。
それと同時に、閉じたばかりの扉がカチャリと背後で音をたてた。
「どうした? 何か忘れ物でも……」
振り返ろうとした俺の背中に、すさまじい衝撃が走りぬける。
俺は、絨毯の上に突き飛ばされ、さらには、ものすごい力でみぞおちのあたりを圧迫された。
「……ラケルタ!」
俺と八雲の驚愕の声が、ほとんど同じタイミングで室内の空気を震わせた。