決裂と失態①
「……!」
八雲の顔が、恐怖にひきつった。
ドミニカは、毎度おなじみ九尾の革鞭を手に、音もなく荷台の中にあがりこんでくる。
「いそつきみなとをうらぎり、わがきょうだんにちゅうせいをちかった、おまえはけがらわしきうらぎりものだ。……そして、いままた、こんどはわれわれをもうらぎるきか、やくもみわ」
「おい、手前、八雲を裏切り者にしたてあげた張本人のくせに、ずいぶんえらそうな口を叩くじゃねェか!」
おしひそめていた怒りが、一気に噴出してしまう。
こいつなんかに遠慮や躊躇をする筋合いなど、俺は何ひとつ持ちあわせていない。
「……わたしはなにもしていない。すべてをとりきめたのは、さいだ。わたしはこのようにけがれたうらぎりものをきょうだんにむかえいれることには、はんたいだった。うらぎりは、ゆるされざる、つみだ」
灰色の、ガラス玉みたいな目が俺たちを見回してくる。
ベールからこぼれる銀色の髪に、表情の欠落した白い面。中学生ぐらいにしか見えない幼げな容貌と、老人のように枯れ果てた空気をあわせもつ、不吉で、不気味な、修道女……こいつとだけは、どうしてもわかりあえる気がしない。
「だから、八雲を脅してそんな罪を犯させたのは手前らだろ! 勝手な御託を並べてんじゃねェぞ、クソ魔術師!」
「……あしきかんげんにくっしたのは、そのむすめのよわさ。そのむすめのつみ。おのれのいのちと、こかとりすのいのちをまもるために、そのおんなはゆるされざるつみをおかした。そのようなつみをおかすぐらいならば、そのおんなは、しぬべきだったのだ」
ドン、と鈍い音がした。
八雲が、壁に倒れかかったのだ。
くいいるようにドミニカを見つめ、両腕で自分の身体を抱きすくめ、わなわなと全身を震わせながら……八雲は、恐怖し、絶望していた。
ラケルタは、それこそ親の仇でも見るような目つきでドミニカをにらみすえている。
もちろん俺の目つきだって似たようなものだったろう。
俺や七星にだって八雲の弱さなんかはまったく理解できなかったが、それにしたって、加害者に他ならないこの女なんぞに好き勝手なことを言わせておくわけにはいかなかった。
「それが勝手な御託だって言ってんだよ! 罪を犯すぐらいなら死ね、だと? 手前はよっぽど高潔な生き物なんだな! 俺から見れば、手前らのほうこそ恥知らずの犯罪者だ!」
「……きょうだんのいしは、うちゅうのいし。われわれはあやまちをおかさない。はずべきざいにんはおまえたちだ、いそつきみなと」
「見解の相違だな。あやまちを犯さない人間なんて人間じゃねェ。だから手前はそんなロボットみたいな女になっちまったんだな。そんなに宇宙が大事だったら、勝手にロケットでもハイジャックしてろよ」
もしかしたら、俺の罵言はこの人形じみた女の逆鱗にふれる栄を賜ったのだろうか。ドミカは、それ以上言葉を重ねようとはせず、その代わりに、やおら九尾の革鞭を振り上げてきた。
「おおいなるうるかぬすよ、ゆるされざるべきとがびとに、さばきのみてを……」
「その呪文も、いいかげんに聞きあきたな」
軽口を叩く俺の目の前で、九尾の革鞭が赤い炎につつまれた。
つくりもののように赤い、赤すぎる炎だ。
八雲が、悲鳴のような声をあげる。
「やめてください! トラメさんを封印できたから、もう磯月くんのことは放っておくんでしょう? あなたたちは、最初にそう約束してくれたはずです!」
「……それはぐーろをてんにかえすことがかなったのちのことだ。しょうたいのしれぬまじゅつしとともにわれわれのじゃまだてをする、いそつきみなとは、てきだ」
「それも見解の相違だな! こいつはもともと浦島さんの持ち物だし、その前だって、お前たちじゃなく『名無き黄昏』の魔術道具だったはずだぜ? そいつを横からドロボウ猫みたいにかっさらおうとしているのは、お前らのほうだろうがよ」
「磯月くんも、もうやめて! ……私たちに、石版を渡して!」
八雲。
それじゃあやっぱり、お前は帰ってきてくれないのか?
俺は、石版の封入された箱を握りしめながら、やけくそになって吠えた。
「やなこった! 欲しいんだったら、力づくで奪ってみろ! お前たちは、力で相手をねじふせることしかできない、ただの無法者の集まりだ! 魔術結社が聞いて呆れるぜ!」
吠えながら、俺はドミニカのもとに頭から突っ込んだ。
信用してるぜ、七星、と念じながら。
「……てんにかえれ」
無機質な声でつぶやき、ドミニカは炎の鞭を振り下ろした。
九つの紅蓮が、まるで生ある蛇のように、さまざまな角度から襲いかかってくる。
それらの先端が、俺の身体に触れる寸前……バチィッ、と感電したような音色が響き、白い火花がはじけ飛んだ。
七星の護符が、魔法の攻撃を無効化してくれたのだ。
俺は、ドミニカの身体を突き飛ばすようにして、荷台の外へとまろびでた。
「……ミナトくん! 無事だった?」
とたんに、何かやわらかいモノが横合いからつかみかかってくる。
お察しの通り、七星のやつだ。
「ごめん! 五分間はひきつけるって約束だったのに、四分四十八秒しかもたなかった! ……でも、ミナトくんが無事で良かったぁ」
俺の胸に顔をうずめ、ものすごい怪力で胴部を圧迫してくる。痛い痛い。マジで痛い。
外界ではどんな熾烈なバトルが繰り広げられているのかと思いきや、七星の他には人影もなかった。
おまけに気配も、物音もしない。
右手には灯りの消えた四角い建物が建ちならび、左手にはガードレールと切り立った崖……これといっておかしなところのないアスファルトの道のど真ん中なのだが、異様に静かだ。
おおかたこの静けさも、魔術師どもによる魔術の為せるわざなのだろう。
「そっちこそ、無事で何よりだ。……でも、もう五分もすぎちまったのか」
「ううん。だから、四分四十八秒だってば! ごめんね。約束、守れなかった……」
「そうか、残念だったよ。あと十二秒あれば説得できたかもしれないけど、失敗しちまった」
「ううう、もなみちゃん一生の不覚! このつぐないは絶対するから、もなみのこと、嫌いにならないでね?」
冗談だ、馬鹿……俺は、腹の底から咽喉もとまでせりあがってきていた激情の渦がそそくさと退散していくのを感じながら、七星に苦笑を返してやった。
何でだろうな。こいつのあっけらかんとした声や表情には、俺のドス黒い感情を沈静化してくれる作用があるように思えてならない。
「第一ラウンドは俺の負けだ。次のステージを用意してくれるか、なな……」
と、下からのびてきた指先が、ちょんと俺の唇にふれる。
「その名前はここでは禁句! だからもなみって呼んでって言ってるのに……それじゃあ、ヤクモミワちゃんを拉致りますかぁ」
「ああ……」
うなずきかけた、その瞬間。
ぞくりと、悪寒が背筋を走った。
「モナミ、逃げろ!」
アクラブの声が、夜闇に響く。
俺はまったくわけもわからぬまま、七星の身体を抱きすくめて、声のあがった方向を見た。
目の前に、俺の頭よりも巨大な拳が、迫っていた。
エルバハだ。
再び白い火花が炸裂し、気づくと俺は、七星の身体を抱きすくめたまま、地面に転がっていた。
「……おのれ!」
稲妻めいた勢いでアクラブが飛来し、エルバハに蹴りを叩きこむ。
巨大な左腕でその猛攻をガードしつつ、子どものように小さなエルバハの身体は、きれいな弧を描いて闇のむこうへと吹っ飛んでいってしまった。
「こざかしいやつらだ。無事だろうな、お前たち?」
「ああ、何とかな……」
そう答えかけて、俺は息を飲むことになった。
アクラブの端麗な面に、あの、呪術的な紋様がびっしりと浮かびあがっていたのだ。
そのすらりとした長身には、微弱ながらも白い生命の火がまとわりついている。
「あんな連中を足止めするのは、討ち倒すよりよほど厄介だ。もう約束の刻限は過ぎただろう。撤退するぞ、お前たち」
「了解だよ、アクラブ。……おい、どうしたんだよ、お前?」
七星は、俺の胸もとにしっかりしがみついたまま、起き上がろうともしなかった。
まさかダメージでも負ったんじゃなかろうなと、その顔をのぞきこんでみると……七星のほうこそ、暗視ゴーグルごしに俺の顔をじっと見つめやっていた。
「……あのね、こうしてるとものすごく幸せで動きたくなくなっちゃったの。もしかして、もなみのミナトくんに対する気持ちって恋愛感情だったんじゃないかなぁ?」
「知らねェよ! そうだとしても、そんな感情はしまいこんでフタでもしておいてくれ!」
「うわぁ、冷酷! この人非人! こんな絶世の美少女にここまで熱烈にアプローチされて、どうしてミナトくんはそんな風に……あれぇ?」
と、途中でおかしな声をあげる。その指先が、俺の胸もとから琥珀のペンダントをつまみあげた。
「退魔のチェーンが切れてる! あのミュー=ケフェウスちゃんは、そんなに強力な幻獣なの?」
「ああ、その前にあのクソッタレの修道女からも一発くらってるんだよ。一発っていうか、九発かな。俺の生命も崖っぷちだったってわけか」
「……生身の人間に容赦ないねぇ。ドミニカ&ミュー=ケフェウスちゃんのコンビは要注意だわ、こりゃ」
怒ったように言い、むくりと身体を起こす。
「それじゃあ撤退だね! いつまでひっくり返ってるの、ミナトくん? アクラブ、最後のおつとめをよろしく!」
「……ふん」
アクラブの赤い瞳が、不敵に後方を振り返る。
トラックのかたわらに、ドミニカが幽鬼のように立ちつくしており。
荷台の扉からは、八雲が青ざめた顔をのぞかせていた。
ラケルタの姿は、ここからでは見えない。
「おまえたち……いったい、なにものなのだ?」
機械人形のような、ドミニカの声。
アクラブをかたわらに従えながら、七星はお得意のピースサインをかかげてみせる。
「ワタシは謎の美少女、もなみちゃんです! その正体はまだ秘密だけれども、『名無き黄昏』などではないので、ご安心を! 現在は期間限定でミナトくんのお仲間をつとめあげておりまする」
ドミニカを前にしても、こいつのテンションやスタンスは変わらず、か。
まったく、心強いかぎりだ。
「……いそつきみなとを、ひきわたせ」
「それは無理だね! だって、大事な仲間だもの!」
「……くろきせきばんを、ひきわたせ」
「それも無理だね! コレは大事な研究材料なんだから!」
「……」
「どうせコレをアナタたちに引き渡しても、誰の目にも届かないところに封印しちゃうだけなんでしょ? だったらもなみに研究させたほうが何倍も有意義だよ! ……思うにね、あなたたちは頑なすぎるのよ。コレを使えば修練も積まずに強力な幻獣を召喚できるっていうのに、どうしてそれを有効利用しようとしないのかなぁ? 魔術師のプライド? 『名無き黄昏』に対する敵対心? 崇高な志もけっこうだけど、それで負けちゃったら意味ないんじゃない?」
「……」
「あのね、こんな石版は『名無き黄昏』の初期武装なんだよ? 一番下っ端の団員ですら、こいつを使ってギルタブルルやらスキュラやらナックラヴィーやら、超・強力な幻獣を使い放題なの! 数では圧倒的に有利なアナタたちが、どうして一世紀以上もかけてあの連中を撲滅できないのか、その理由を真面目に考えたことある? アナタたちは、覚悟が足りないのよ。プライドやら志やらの置き処を考えなおさないと、いつまでたったって悲願を成就させることなんてできやしないよ!」
「……ご高説、いたみいるな」
と……ふいに横合いの暗がりから、低い男の声が響いてきた。
振り返るまでもない。サイ・ミフネだ。
人斬りの用心棒みたいに不吉な黒ずくめの姿が、闇からそろりと忍び寄ってくる。
「それにしても、お前さんは内情に詳しすぎる。『暁の剣団』でも『名無き黄昏』でもない人間が、どうしてそこまで知ったような口をたたけるんだ……?」
「それはもなみが天才だから! ……サイ・ミフネさん、アナタはなかなか見込みがあるよ? そんなおっそろしい魔剣を振り回すことに何のためらいもないなんて、信じ難いほどの蛮勇だわね! 見ていて痛々しいのが難点だけど、それぐらいの覚悟を持ってなくっちゃ、『名無き黄昏』の撲滅なんて夢のまた夢だよね!」
「……」
「アナタともいつか、じっくり腰をすえて話したいな……だけど今はそんなゆとりもないので、とりあえずイソツキミナトくんとの約束を果たさせていただきます!」
七星が言い終えるなり、アクラブが一歩、前に進み出た。
黒いマントのようなコートがふわりとひろがって、俺と七星の身体を左右からつつみこむ。
「それでは、またいずれ! ヤクモミワちゃんの身柄はいったんおあずかりいたしますので、悪しからず!」
次の瞬間、俺たちの身体は黒い竜巻のような渦の中に巻き込まれた。
幻獣アクラブの、移動の術式だ。
視界が無茶苦茶にかき回される寸前、俺は思いもよらぬほど近い位置から八雲の悲鳴を聞いたような気がした。




