眠れる地下の猫③
「……魔術結社の名前など、私はいちいち覚えていない。しかし、モナミの言う、異世界の住人……異形の神々というものについてなら、『母』から少しだけ聞いたことがある」
アクラブは、低く、つぶやくようにそう答えてくれた。
「それは現し世とも隠り世とも異なる、本当の異次元に住まうものども……とても強い力を持ち、とてもおぞましい姿を持ち、そして私たちとは決して相容れぬ性質を持った、文字通り異形のものどもなのだと、『母』はそんな風に言っていた」
「やっぱり、本当にそんな化け物どもが存在するのか……」
「しかし、そんなものどもは異なる次元に住んでいるのだから、本来はこの世界の住人と相まみえることなどありえない。……こちら側から引き寄せようとしないかぎりは、な」
「……やっぱり一番馬鹿なのは人間だ、っていう結論になりそうだな」
うんざりしながら俺が応じると、アクラブは当たり前だとばかりに口もとを歪めた。
「だけどさ、それなら七星のやつだって、その『名無き黄昏』とやらを潰すために『暁の剣団』と共闘戦線でも結んだほうがいいんじゃねェか? ……って、こんな話をお前にしてもしかたないんだろうけどよ」
「わかっているなら、口にするな。……それに、モナミにはそれができぬ理由があるのだ」
「理由?」
アクラブは、急にまなじりをあげて、険悪に俺をにらみつける。
「それが知りたいのなら、本人に聞け。ちょうどすぐそこまでやってきているようだからな」
「え?」
俺がギクリとするのと同時に、部屋のドアが高らかにノックされた。
返事も待たずにドアが開かれ、そこから七星の不機嫌そうな顔がのぞく。
「何だ、寝てないじゃん! 話し声が聞こえてくるなぁと思ってノゾキに来てみれば、キミたちはもなみを仲間外れにして、いったい何を密談してるのかな?」
アクラブは小さく肩をすくめると、最後にベッドのトラメを一瞥してから、きびすを返した。
「私の話は終わった。お前に何か聞きたいことがあるようだから、密談でも何でも好きにしろ」
いや、七星とはさきほどさんざん絡んだので、俺はもう本当にゆっくりとしたいのだが……アクラブはとっとと部屋を出ていってしまい、代わりに七星がズカズカと入りこんできた。
勘弁してくれよ、ホントにもう。
「もなみに話って何? それが面白い話だったら、もなみを仲間外れにした罪は水に流してあげませう」
「仲間外れになんざしてないし、面白い話でもねェんだよ。……俺はただ、ギルタブルルを退治しちまった俺やトラメのことをアクラブが恨みに思ったりはしてないか、そいつを確認させてもらってただけなんだ」
「……ふーん?」
疑わしそうに、じろじろと俺の顔をねめまわしてくる。
いっそのこと重めの話題でも振ってやったほうがうるさくないかもしれないなと思い、俺はしかたなくアクラブの言に従うことにした。
「で、お前に聞きたい話ってのはな……どうして同じ敵を相手にしてるのに、お前と『暁の剣団』は仲良くできないのか、それが不思議だと思ったんだよ。確かに俺だってあいつらの言いなりになる気になんかはなれなかったけど、あいつらは、やっぱり仲間になるような価値もない連中なのか?」
「うん? まぁねぇ。彼らは目的の達成のためなら手段を選ばない! ウラシマタクマさんやヤクモミワちゃんに対するあつかいを見れば、それはわかるでしょ? ……でもそれ以前に、無理な話なの。だって、もなみが彼らを嫌ってる以上に、彼らがもなみを嫌ってるんだから! もなみは生まれたときから魔術結社に追われてるって言ったけど、それは『暁の剣団』と『名無き黄昏』両方のことなんだよ!」
「……何でだ?」
俺のごくシンプルな問いかけに、七星は天使のような笑顔で応じる。
「それはそんな世間話で語れるようなレベルの話題じゃないんだなぁ。七星もなみの出生の秘密! それはそれだけで二つの魔術結社が大混乱に陥るような内容なんだから! ひとつ忠告しておくけど、ミナトくんがこの先、平穏無事な生活を営んでいきたいって考えてるんなら、もなみの名前はいっさい口外しないほうが身のためだよ! 七星って珍しい苗字だから、聞く人が聞けばそれだけでピンときちゃうだろうしね!」
「……それは冗談ぬきで言ってんのか?」
「もちろんですとも! だからもなみもふだんは偽名で生活してるし、色んな架空名義を用途によって使いわけてるんだけど、幻獣を使役するには本名で名乗りをあげなきゃいけないからねぇ。それじゃあどうせいつかバレちゃうだろうと思って、ミナトくんには最初から隠さなかったの」
と、いきなり納得顔でポンと手を打つ。
「そっかぁ! アクラブやミナトくんに親近感を覚えるのは、最初から本名を名乗ってる、ってのも大きな一因なのかもね! この六年間で、そんなことしたの、初めてだもん! そうかそうか、だからもなみはこんなに開放感に満ちているのだなぁ。本名を名乗れるのって、いいもんだね?」
だから、どうしてそんな話を笑顔で語れるのだ、こいつは。
こんなときに気のきいたセリフを返せるほど、俺は器用な人間じゃない。
「ま、そういうわけで、もなみは『暁の剣団』にも名前すら明かせないような身の上なの。少なくとも今はまだ、もうちょい誰にもその存在を気取られていないっていうアドバンテージを確保しておきたいところだからねぇ。たったひとりで二つの魔術結社を相手取らなきゃいけないんだから、なかなか苦労がつきないのだよ、もなみは」
「……そんなの、苦労がつきないどころの話じゃねェだろう」
「うん。だけど、ただ逃げ回るだけの人生に比べれば、何百倍も楽しいよ! もなみはやっぱり、狩られるよりも狩る側のほうが性分に合ってるみたいなのだ」
白い歯を見せながら笑い、さりげなく俺のほうに顔を寄せてくる。
「だからまあ、結婚してくれる気がないなら、もなみの存在はこれっきりで忘れたほうが身のためだよ! せっかく『暁の剣団』には入団しない!って決断をしたのに、もなみなんかと関わっちゃったら本末転倒だからねぇ。今はトラメちゃんを助けるためだからしかたないけど、その誓約が果たされたら、もなみのことなんて忘れちゃいなさい!」
「だけど、お前……」
「うん。もなみのために生命を張って助けてくれるっていうミナトくんの言葉は嬉しすぎたから、その約束だけはありがたく頂戴させていただきます! いつかひょっこり助けを求めに行くから、そのときにはまたもなみの存在を思い出してね?」
「……勝手なことばかり言うなよ」
「あれれぇ? もう三日間も顔を突きあわせてるのに、まだもなみのキャラクターを把握してないの? もなみは底抜けに勝手な人間なんだから! あらためる気はないので、コンゴトモ、ヨロシク」
ふわりと俺の前を通りすぎ、ベッドのかたわらに立つ。
そうして腰の後ろに手を回し、身体を前方にかたむけながら、七星はトラメの寝顔をのぞきこんだ。
「にしても幻獣ってのは、みんなスバラシク美しいね! 早くトラメちゃんと喋ってみたいなぁ。……ね、トラメちゃんって、どんなコなの?」
「……口が悪くて、偏屈者の、大喰らいだ」
「およよ? そいつはイメージと違うなぁ! こんなに可愛らしい顔してるのに、いったいどういうキャラなんだろ」
楽しそうに笑いながら、トラメの冷たい頬を指でつつく。
今のトラメにさわられることなど、俺にはガマンができなかっただろう。それが、七星のやつでなければ。
「……そうだ! ちょっと早いけど、これをミナトくんにプレゼント!」
と、また俺のほうにむきなおって、何やら吊りズボンのポケットをまさぐりはじめる。
そこから取り出されたのは、シルバーのチェーンに黄色い石のペンダントがぶらさがった、瀟洒なネックレスであるようだった。
「永遠の愛を誓う、エンゲージ・ネックレス……ではなく、もなみが丹精こめて作りあげた対魔術用の護符であります! もなみの知識を総動員して開発したスペシャルなアイテムだよ! 結界用の魔方陣を解析して、鎖の編みこみにそれを映したの。これさえ装着しておけば、アクラブの渾身の一撃でも、一回ぐらいなら耐えられるっていうスグレモノ! ……誰を使ってどんな風にそれを検証したかは、企業秘密でございます」
そんなあやしげなセリフを吐きながら、俺の目の前でペンダントを揺らす。
琥珀だろうか。黄色みがかった、飴色の美しい石だ。銀のチェーンも、確かにものすごく複雑な形で編みこまれている感じがする。
「そんでもって、このペンダントには、もなみとアクラブとトラメちゃんの髪の毛が封じこめられております。なので、これをつけていてもアクラブとトラメちゃんだけは普通に接触することができるし、もなみのアジトにも無条件で足を踏み入れることができるんだよ! ついでに言うなら常に結界の内側にいる状態になるわけだから、魔術師にも居場所を探られる心配がないってわけ! いたれりつくせりの大サービスでしょ?」
「……お前は本当に、たいしたやつだな」
「うふふ。まあこれぐらいのもんが準備できなきゃ、とうてい『名無き黄昏』を相手に戦争なんてできないからねぇ」
誇らしげな笑みを浮かべつつ、俺の首にそっと手を回してくる。
七星の手によって、俺に、護符が装着された。
「ラケルタちゃんは触るとビリビリしちゃうから気をつけてね? ……えへへ。これでおそろいだぁ」
と、自分の襟もとから同じペンダントをひっぱりだす。
そうして七星はしばらく幸福そうに笑っていたが、やがて、いくぶん唐突に身をひるがえした。
「それじゃあね! これ以上ミナトくんを見てるとまたドキドキしてきそうだから、これで退散いたします! 明日かぎりのおつきあいになるかもしれないけど、無事に誓約が果たせるように、頑張りましょお!」
「あ、おい、七星……」
「お礼はもういいよ! ミナトくんからはすでに素敵な言葉をたくさんもらったので、もなみちゃんはもういっぱいいっぱいなのです!」
早くもドアまでたどりつき、振り返ったかと思うと、満面の笑顔で無意味なピースサインを送ってくる。
「ミナトくんと出会えて、もなみは幸せです! それじゃあ、おやすみなさい!」
そして七星は、いなくなった。
(……何を馬鹿なこと言ってやがる)
救われたのは、俺のほうじゃないか……
トラメのおだやかな寝顔を見つめながら、俺はさまざまな感情の渦を抱えこむことになった。
だけど、まずはトラメを救うことだ。
あの厄介な魔術師どもと、俺はもう一度相対しなければならない。
七星の大きすぎる恩義に報いるためにも、俺はすべてを無事に収束させなければならなかった。