眠れる地下の猫②
「いくらお前が眺めていたって、そのグーロが生き返るわけでもあるまい。そのような行為に、いったい何の意味があるんだ?」
「……意味なんかねェよ。意味のない行為をしたら悪いのか?」
俺はトラメの頬から手を離し、その寝姿を隠すように、アクラブにむきなおった。
帽子とサングラスを外した幻獣は、赤い髪をかきあげて、赤い瞳を光らせながら、静かに歩み寄ってくる。
「イソツキミナト、お前はいつも喧嘩腰だな。何か私にふくむところでもあるのか?」
「それはこっちのセリフだよ。お前こそ、何か俺に文句でもあるんじゃないのか?」
「……文句などない。私はこういう気性なのだ」
「……だったら、俺だって同じだよ」
火のように赤いアクラブの双眸をにらみ返す。
色だけではなく、人間にはありえない強さと烈しさを燃やす、切れ長の瞳……
アクラブは、いくぶん不快そうに眉をひそめつつ、さらに言った。
「ごまかすな、人間。お前の目は敵意に満ちている……それが言い過ぎなら、警戒と猜疑に満ちている。私の契約者に対しては最初から恭順と理解をしめしているくせに、お前は敵を見るような目で私を見る。それは何故だ? 答えろ、イソツキミナト」
「……自意識過剰だな。俺にはそんなつもりはない。俺はただ、お前がつっかかってくるような物言いをしてくるから、それにリアクションしてるだけだぜ?」
「ふん。それこそ私の言い分だな。私は、私を敵視する人間に対して相応にふるまっているだけだ。お前は私を敵視していないと、心から誓えるのか? 本当に?」
しつこく問われて、俺もようやく思いいたった。
確かに俺は、アクラブを警戒している……その理由も、最初から明白だった。
その理由がそんなに知りたいなら、いい機会だから教えておいてやろう。
「わかったぜ、アクラブ。俺はお前を敵だなんて思ってないけど、逆に、お前が俺を恨んでるんじゃないかと警戒してたんだ。俺を、というか、俺とトラメを、な」
「……何だと?」
「俺とトラメは一ヶ月前、お前のお仲間であるギルタブルルを撃退しちまった。それがお前にとってどういう意味をもつかわからないから、それが心配だったんだよ。お前は、俺たちを恨んだりはしていないのか?」
「は……何を言うかと思えば。同族を討ち倒された私がお前たちを恨んでいると? お前はそのようなことを疑っていたのか?」
と、小馬鹿にしたように笑う。……そんな顔つきをするから警戒したくなるんだぜ、アクラブ。
「しかたがないだろ。俺は隠り世の仁義なんて知らねェんだ。それが恨みになるようなことなのか、そうでもないのか、よかったらそいつを教えてくれよ、アクラブ」
「ふん。馬鹿げているな。私の同胞と、グーロが、おたがいの契約を果たすために力を競った。そして力の劣ったほうが現し身を打ち砕かれ、再生の眠りに落ちた……それはそれだけのことだろう。そんな恥や不名誉は当人だけのもので、余人が肩代わりできるようなものではない。あまりたわけたことを言うな、人間」
「ああ、俺は人間だ。人間だったら恨みが残るような出来事だから、ちっと心配になっちまったんだよ。……ちなみに、この前のギルタブルルとお前は近しい間柄じゃなかったのか?」
何の気もなしに問い返すと、アクラブの顔から嘲笑が消えた。
感情の読みにくい真紅の瞳が、じっと俺を見る。
「……現し世と隠り世では、生命の在り方が異なる。ゆえに、お前たちが言うような意味での『家族』などという概念は隠り世に存在しないのだが……それでもお前たちに理解しやすい言葉で説明するならば、あれは、私の『母』だった」
「……何?」
「私をこの世に産み落とした個体、という意味でな。お前たちはそういう存在を『母』と呼ぶのだろう? ならば、あれが私の『母』だ。近しい存在かと問われれば、まあこの世でもっとも近しい存在と言えるだろうな。しかし、それもそれだけのことだ」
「それだけのことって……それでもお前は俺たちのことを恨んでない、ってのか?」
「だから、人間の尺度で考えるな、イソツキミナト。近かろうが遠かろうが、恥や不名誉を肩代わりすることはできん。『母』の恥は『母』だけのもので、私には関係がない。それが肩代わりできるようなものなら、とっくに隠り世においてギルタブルルの一族がグーロの里を攻め滅ぼしているだろうよ」
何とも剣呑な話だ。そんな話をそんな目つきでされたって、俺はちっとも安心できないではないか。
「それにしても、解せぬ話だ。……子を成した個体はじょじょに老いさらばえ、やがて天命を待つ身となるが、それでも『母』にはまだそこまで力の衰えは訪れていなかった。イソツキミナトよ、そのグーロは本当に五分の条件で『母』を討ち倒すことができたのか?」
「ああ。ラケルタとの二人がかりだったけどな」
だから、トラメの実力を確かめたい、などとは思ってくれるなよ?
「ふん……まあそれが真実であるということは隠り世にも伝わっているし、先日の魔術師どもとの戦いを見ていても、それは腑に落ちる話だったがな。それにしても、グーロやコカトリスがギルタブルルを討ち倒すなどというのは稀有な話だ。『母』にとっては、はらわたが煮えくりかえるほどの不名誉であろうな」
「……なあ、お前は本当に、七星が俺たちを助けてくれるって話に納得してるのか、アクラブ?」
俺が言うと、アクラブは口もとをねじ曲げて、また嘲弄の表情を浮かべた。
「くだらん問いだ。この現し世において、私たちは契約者にうたかたの生を与えられているにすぎん。私たちは契約を果たすのみ。私たちの思惑など、お前たちには関係あるまい」
「いや、そうは思わないな。俺たちがどんな望みを口にしても、そいつはお前たちの思惑でずいぶん結果が変わってくるもんだろ? ただ機械的に仕事をこなすやつもいれば、契約者の思惑や行く末を慮ってくれるやつもいる。このトラメやラケルタばかりじゃなく、あのアルミラージやエルバハだって、しぶしぶ従っているようには見えなかったぜ? ……契約者なんてどうでもいい、なんていう風に見えたのは、それこそ一ヶ月前のギルタブルルぐらいのもんだ」
「……だからお前は、私も契約者を軽んじて、非協力的な態度を取るのではないかと懸念しているのか、イソツキミナトよ」
ますます小馬鹿にしきった様子でアクラブは笑う。
「ならば答えてやろう。私たちの思惑を左右するのは、契約者の資質のみ、だ。契約者がくだらん人間ならば、とっととその寿命を吸い尽くして隠り世に戻りたい、と願うのが人情だろう? 逆に、契約者が面白い人間ならば、少しでも長く生かして、ともに在りたいと願う。何せ私たちは、平和で平坦にすぎる隠り世の生に倦んでいるのでな。……私の契約者がくだらん人間か、面白い人間か、それがしめされるのはこれからのことだ」
「面白いか面白くないかで言えば、とっくに答えは出てると思うけどな。その代わりに、ムチャクチャはた迷惑なやつでもあるけどよ」
そう答えると、またアクラブの顔から笑みが消えた。今度は、憮然とした感じで。
「そんなことは、お前に言われるまでもない。……というよりも、お前はまだまだモナミという人間の一面しか知らん。こんなていどで迷惑だなどと言っていたら、とうてい後が続かんぞ」
「おっそろしいことを言うなよ、アクラブ。これ以上、面白い目に合うのはもう勘弁だぜ、俺は」
言いながら、俺は少しだけ安堵していた。
アクラブが初めて「モナミ」という名前を口にしたときに、ほんの少しだがそこに愛着や執着を思わせる響きを感じ取ることができたのだ。
俺とアクラブの相性が悪いとしても、七星とアクラブがうまくやっていけそうなら、それで十分だ。
「……アクラブ。ちょうどいい機会だから、もうひとつ聞いてもいいか?」
アクラブは無言のまま、少しだけ目を細める。
その美しくも雄々しい白い面を見つめながら、俺は言った。
「お前は、『名無き黄昏』とかいう魔術結社について、何か知ってることはあるのか? あのアルミラージは、幻獣のくせに『名無き黄昏』のことを邪教徒だなんて風に言っていた。トラメやラケルタは何にも知らないみたいだったけど、お前たち幻獣にも『敵』なんてもんは存在するのか……?」