大喰らいグーロ③
けっきょくクソッタレのバケモノ女は、我が家の食材を残らず喰いつくしても、その暴力的なまでの食欲を満足させることはできなかったようだった。
炊飯ジャーの中身はもとより、買い置きしておいた冷凍食品も、レトルト食品も、カップラーメンも、あっというまに喰いつくしてしまった。
俺よりもふたまわりは小さな身体をしているくせに、胃袋が亜空間にでも直結しているのだろうか。俺は呆れて声も出なかった。
しかしまあ、何はともあれ、もはやこれ以上ごねられても、ない袖は振れない。振る気にもなれない。
もしこれでまた恥知らずなストリップを再開するようだったら、どんな目にあったってかまいはしない。俺は取っ組み合いも辞さない覚悟だった。
が、案に相違して、バケモノ女はほっそりとしたままの腹部を物足りなそうにさすりながら、「まあ今日のところは、こんなものか」とつぶやいた。
「色々目新しいものも味わえたしな。あとは明日の楽しみに取っておくとしよう」
で、そうして俺がすべての責務から解放された頃には、時計の針も午前の一時を大きく回ってしまっていた、というわけだ。
「まったく……どうして俺がこんな目に合わなくちゃならないんだ」
部屋着に着替える気にもなれず、Tシャツにカーゴパンツという格好のまま、自室のベッドに倒れこむ。
のこのこと後をついてきたバケモノ女は、部屋の中を物珍しげに見回しながら、そんな俺に冷ややかな声をかけてきた。
「おい、木っ端。最初からずっと気になっていたのだがな。どうして貴様はそのように不満たらしい態度なのだ。我を召喚したのは貴様らの勝手だし、なかなか望みを切りださないのも、貴様らの勝手だ。貴様らの勝手に振り回されているのは我のほうだということは忘れてもらうまい」
「……お前が、振り回されてるだって?」
「当たり前だ。青二才のエセ魔術師どもが、望みを言うの言わないのとぎゃんぎゃん勝手に騒ぎたて、わけもわからぬままこんな場所まで連れてこられたかと思ったら、満足に喰い物も与えられぬまま、こんな窮屈な格好をさせられて……いったい貴様は、何のために我を隠り世から召喚したのだ?」
「……俺は知らん。宇都見の馬鹿に聞いてくれ」
「それこそ、こちらの知ったことではない。我の名を喚んだのは、貴様なのだ。あの鶏がらのように小さな人間は、我にとって何の意味も持ちはせぬ。……我にとっての契約者は貴様なのだと、なんべん同じことを言わせたら気が済むのだ、木っ端」
音もなくベッドのほうまで近づいてきたバケモノ女が、黄色い瞳で俺を見おろす。
少しは腹が満ちたせいか、今までよりはよほど穏やかな目つきだったが、それでもやはり、もどかしげな光は隠せない。
「我の存在が目障りなら、さっさと望みを告げればよいのだ。どうせ貴様ごときの青二才なら、たいした望みがあるわけでもなかろう? 今なら力もほどほどには満ちておるし、小さな望みならば貴様の生命もそれほどは削られずに済む。試しに何か、望みを告げてみたらどうだ?」
「……そんなお試し感覚で、自分の生命を危険にさらせるかよ」
俺は寝釈迦の体勢となって、そいつの顔立ちだけはやたらと可愛らしい顔を自堕落に見上げやる。
「だけど、もしも俺が望みを伝えて、お前がそれをかなえたら……お前は、この世から消えてなくなるんだな?」
「現し世からは、姿を消す。さすれば隠り世でまたのんびりと過ごせよう。現し世に残るのは、依り代となったあの小さなけだものだけだ」
そうだ。どんなカラクリなのかは想像もつかないが、こいつの身体はあの小さな子猫の肉体を核に形成されているらしい。
けったくその悪い儀式の後、後片付けをしていると、ダンボールの箱から子猫の姿は消え失せており、すべての元凶である漆黒の石版は、粉々に砕け散ってしまっていたのだ。
そしてさらに、その黒い石片は俺たちの見ている目の前でさらさらと砂のように崩れていき、塵と化し、しまいには跡形もなく消失し果ててしまったのだった。
まるで、すべての魔力を使い果たし、すべての役割を終えてしまったかのように……
「……なあ、隠り世ってのは、何なんだ? そこにはお前らみたいなバケモノ……いや、幻獣ってのが山ほどいるのかよ?」
「ふん。貴様たちほどの数ではないがな。我らは永きの年月を、たいていが誰ともすれちがうこともないままに、一人で気楽に過ごしている。隠り世は、広大で、平和で、すべての調和がとれており……そして、退屈なところなのだ」
地獄や魔界ではなく、天国や楽園に近いイメージなのだろうか。
それにしては、こいつの本性はずいぶん凶悪そうだったが。
「そして、隠り世とは何か、という問いかけには……それでは逆に問おう、人間よ。この現し世とは、いったい何なのだ? 答えられるものなら、答えてみよ」
「…………」
「答えられまい。世界とは何か、という問いに答えられる存在などいようはずもないのだ。そして、そんな答えのない問いかけを追い回しているのが、魔術師という存在なのだろう。……貴様らのようなエセ魔術師ではなく、本物の魔術師のことだぞ? 本来、魔術とは、人間がその問いに答えを得ようとあみだした術式なのだろうさ」
「……悪いけど、俺は本当に魔術師でも何でもないんだ。そんな禅問答みたいな話をされたって理解できないし、理解したいとも思わない。そういう話は、宇都見の馬鹿にでもしてやってくれ」
「何を言っている。隠り世とは何か、などと言いだしたのは貴様のほうであろう。我とて、このような問答で無為に時を費やすのは性に合わん」
ぶっきらぼうに言い捨てるなり、そいつはぺたりとその場に座りこんだ。
ベッドに寝転んだ俺の顔を、さらなる至近距離から、じっと見つめてくる。
「虚ろな目だな。眠いのか、木っ端?」
「ああ、まあ、こんな時間だしな。お前は眠くないのかよ?」
「我は貴様たちほど眠りは必要でない。また、眠いときは、たいてい明るいうちに眠る」
「へーえ。悪いけど、俺はもうそんなに長いことはつきあってられなそうだ。明日だって、学校だしな」
学校、などといっても通じないか。こいつの知っている人間世界が、いつの時代の、どこの国のことなのかはわからないが、少なくとも、学校に通っているような身分の若輩者が、幻獣召喚などという大それた真似をしでかすとも思えない。
宇都見のやつは、やっぱり世代や国の境さえも越える、大馬鹿なのだ。
「えーと……お前の名前は、グーロだよな?」
黄色い目がぱちぱちと瞬きを繰り返すだけで、答えはない。
が、俺はかまわずに続けた。
「グーロ。いちおう最初に伝えておくけれど……お前を喚びだしたかったのは、あの宇都見ってやつなんだ。俺はあの馬鹿の手伝いをしただけで、俺自身は魔術なんてもんに興味はないし、生命を削ってまでかなえてほしい望みもない。だから、お前からしたら色々もどかしいこともあるかもしれないけど……そのうちきちんとカタはつけるから、しばらくの間はおとなしくしておいてくれよ」
「……我がいつおとなしくしていなかった? 貴様にそのように諭される筋合いはないぞ」
「ああ、だから、そのままおとなしくしておいてくれってお願いしてるんだよ。……望みじゃなくて、お願いだぞ?」
「意味がわからんな。我は理由もなく暴れたりはせん。いつだって、理不尽な行為におよぶのは人間のほうだ」
不平そうに言って、ベッドの枕もとに頬づえをつく。
不思議な黄色い目さえしていなければ、やっぱりそれはただやたらと可愛らしい顔をしただけの、普通の人間の女の子にしか見えなかった。
「わかったよ。それじゃあ今日はちょっと寝かせてくれ。明日にはまた食べるものを買ってきてやるからさ」
「当然だ。我を隠り世に帰さないなら、その間の空腹を満たすのは契約者の責務だ」
「了解したよ。……おやすみ、グーロ」
グーロは頬づえをついたまま、何かいたずらっぽく黄色い目を光らせ、そして言った。
「ご苦労だったな。せいぜい良い夢を見るがいい、人間」