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召喚ノススメ  作者: EDA
第二章
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眠れる地下の猫①

 三日間が経過しても、トラメの様子は相変わらずだった。


 その子どものような寝顔を見下ろしながら、いつものように椅子をベッドのかたわらに引き寄せて、腰を降ろす。


 この七星の隠れ家においては、こうしてぼんやりトラメの変わらぬ姿を見守ることぐらいしか、俺にはやるべきことなど存在しなかった。


(トラメ……いつまで寝てんだよ?)


 その肩まで引きあげられた毛布に手をのばし、少し迷ってから、ゆっくりと取り払う。


 あの夜の戦いの痕跡は、七星が手ずから清めてくれていた。


 だからトラメが着ているのは、血まみれのジャージではなく、エスニックな柄の瀟洒なワンピースだ。


 トラメのスカート姿など初めて見た。今はおだやかな寝顔をしているもんだから、まるで普通の女の子みたいに見えるが……もし目を覚ましたら、どんな印象になるだろう。


 そんな想像をしてしまうと、少し可笑しくなった後、すごく悲しくなってしまう。


 それに、右腕の灼けただれた傷はそのままだから、とても痛々しい。


 今は服に隠されているが、胸のど真ん中にも馬鹿でかい穴が空いてしまっているはずだ。


 そして……右の脇腹に突き刺さった、小さな短剣。


 こいつは勝手に抜いてしまうわけにもいかないので、わざわざワンピースに穴を開けて、そこから短剣の柄をのぞかせている。


 複雑な紋様の刻みこまれた、青みがかった金属の短剣だ。サイズはせいぜい果物ナイフぐらいの大きさで、こんなちっぽけな短剣にそれほどの魔力がこめられているなんて、やはり、何度見ても実感がわかない。


(俺は……やっぱりどこかで道を間違えてしまったんだろうか?)


 トラメのこんな姿を見ていると、そんな漠然とした悔恨の念がこみあげてきてしまう。


 そんなことを思い悩んでも不毛なだけだ、ということはわかっている。それでも俺は、何度となく思い悩み、苦悩のループに陥らずにはいられなかった。


 トラメをこんな目に合わさずに済む道は、あっただろうか?


 ない、とは思うのだ。


 戦わずして逃げることなど不可能だっただろうし、これほど傷つかずに戦いをおさめることも不可能だっただろう。


 いや……


 俺の寿命や相手の生命を守ることなど考えず、最初から相手を「滅ぼせ」と望むべきだったのか?


 いや違う。それでも八雲の気持ちは変わらなかったかもしれない。八雲が真に恐れていたのは、目の前のサイやドミニカだけではなく、「魔術結社に一生つけ狙われる人生」だったのだろうから。


 それならば、やはり俺たちも抗ったりはせず、あの連中の同胞になる、と誓えば良かったのだろうか。


 そうすれば、トラメが戦う必要もなかった。


 八雲だって、俺たちを裏切らずに済んだのだ。


 俺がトラメとともに生きていくには、そうする他に道はない……と、あのアルミラージのやつもそう言っていた。


 あんなゲスどもの言いなりにはなりたくない。そんな子どもじみた俺の無謀な反抗心が、すべての元凶だったのだろうか。


 これまでの生活。家族や、友人や、まっとうな人間としてのまっとうな幸福をすべて打ち捨てて、魔術結社などというわけのわからない組織に身を投じるべき、だったのか……?


 八雲は、その道を選んだのだ。ラケルタとともに生きていくために。


 魔術儀式などに手を染めたくせに、覚悟を決められなかったのは、俺のほうなのか?


(だけど、それでも……)


 どうしても、俺にはそんな道を選ぶことはできなかった。


 自分であることを捨てる。そんな道を選ぶぐらいなら、戦って死んだほうがマシではないか。俺には、そんな風にしか考えられなかったのだ。


 そして。


 トラメも、そんな道を選ぶべきではない、と示唆してくれたし。


 トラメとだったら、こんな苦境も乗りこえられると、俺は信じていたのだ。


 しかし。


 トラメは敗れ、斃れてしまった。


 生命を失ったのは、俺ではなく、トラメのほうだった。


 だから俺は、俺が道を間違えてしまったのではないかと、こんな風に煩悶している。


 俺たちは、八雲の変心を予想することができなかった。


 八雲の脆弱な精神が、このように過酷な運命に打ち勝つことはできないのだということに思いいたることができなかった。


 俺たちは、八雲を信用することはできても、その心情を理解したりすることはできなかったのだ。


 このトラメですら、八雲の裏切りを予想することはできなかった。


 このトラメですら、八雲が裏切ったりするはずはないと、信じていたのだろう。


 強者の理論……七星のそんな言葉が、ふっと脳裏をよぎる。


 トラメは、強い。精神も。肉体も。何もかも。


 俺なんてのは無力な餓鬼にすぎないが、気は強い。我も強い。だからやっぱり、気の弱い人間の心情など理解できないのだろう。


『まさか、貴様……』


 あのときの、トラメの驚きに満ちた顔が、頭から離れない。


 あのとき、トラメの胸中に去来していたのは、どんな思いだったのだろうか。


 自分の考えの足りなさに対する、悔恨の念か。


 その中に、俺と同じような気持ち……信じていたものに裏切られる、深い悲しみや絶望感などはふくまれていたのだろうか。


 そんなことを考えると、俺はますます胸がおしつぶされそうになってしまう。


(トラメ……)


 俺ははだけていた毛布をもう一度肩のあたりまで引きあげてやった。


 そうして、自分の中の衝動を抑えることができず……トラメの白くてなめらかな頬に、そっと手の平をおしあててしまった。


 氷のように冷たい、トラメの顔。


 ますますやりきれない気持ちになってしまう。


 トラメ。


 お前はどんな気持ちだったんだろう。


 八雲の裏切りによって、無意識の暗黒に転げ落ちていきながら……俺をひとり残して『死』の渦に吸いこまれていく、そのとき、お前は、いったいどんな気持ちだったんだろう……?


「……よくもまあ毎日そんな風に座りこんでいて飽きないものだな」


 ふいに背後から、冷たい女の声があがった。


 俺は、のろのろと振り返る。


 いつのまにか、部屋の入口にアクラブが立ちつくしていた。

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