反撃の狼煙③
「……どしたの、ミナトくん? トラメちゃんとの追憶にでもひたってるのかなぁ?」
気づくと、七星のやつが俺の鼻先で指先をそよがせていた。
「まったく失礼しちゃうなぁ。もなみの部屋を訪ねてきたなら、もなみに集中してくれない? トラメちゃんのことを考えるなら、トラメちゃんのそばにいればいいじゃん!」
いや、おもに思い出していたのはお前の破綻した言動についてだよ、と思ったが、そんな風に答えたらよけいにややこしくなりそうだったので、やめておいた。
七星のふくれっ面を見返しながら、俺は頭をかき回す。
「なあ、七星」
「もなみだよ」
「……サイやドミニカたちは、放っておいたらしばらくは表に出てきそうもない。だから、今回の作戦でやつらをいぶりだすんだ、って言ってたよな」
「うん。今ごろ彼らは傷んだ身体を治療しながら、山積みになった調べ物にでも取りかかってる頃合いだと思うんだけど。ウツミショウタくんがウラシマタクマさんと結託して、青森の人から石版を買い戻す、だなんてことを彼らが知ったなら……ましてや、裏で手を引いてるのがミナトくんと、ミナトくんを助けた謎の術者だ、ってことになれば、さすがに黙ってはいられないはずだからさ!」
七星いわく、宇都見や浦島氏への監視はまだ外れていないはず、とのことで。幻獣使いでも何でもないあの二人には、ちょっとした魔術を察知するすべもないので、低級な使い魔とやらが二十四時間べったり張りついているだろう、と七星は推測しているのだ。
だから、宇都見に電話などすれば、それはすべてサイたちにも筒抜けになってしまう。
それを逆手にとって、七星はサイたちを目の前にひっぱりだそうと画策しているのだ。
「だけどなあ、七星」
「もなみだってば」
「……石版をエサにしよう、ってのは、まあわかる。だけど、どうしてわざわざ警察まで巻き込もうとしてるんだ?」
「うん。それは簡単なことだよ。もなみはね、ウラシマタクマさんのお屋敷を決戦の場にしたくないの! だってあそこには、いまだに退魔の結界が張られてるんだからね! 魔術師二人を相手にするのにアクラブの力を借りられないなんて、そんなのあまりにも面倒っちいでしょお?」
なるほど。そういうことだったのか。
青森の落札者が発送の手続きを済ませるのを待ち、宇都見に警察へと情報をリークさせた。「実は例の犯人たちが追い回している骨董品を買い戻した。明日の夜に届く予定なのだが、少し不安なので警護をお願いできないか?」という具合にだ。
もちろん宇都見のやつは、黒塚刑事にこっぴどく怒られたらしい。損な役回りばかりを押しつけることになってしまい、さすがの俺も申し訳ない気持ちでいたのだが、そういう事情があるのならばしかたがない。
「それにしても、七星」
「もなみだっちゅーのに!」
「……それならお前は、どこで魔術師どもを迎え撃つつもりなんだよ? 石版が届いてから、別の場所までおびきよせるつもりなのか?」
「そんな悠長なことはしないよぉ。だいたい、石版がお屋敷まで届いちゃったら、きっと警察に押収されちゃうでしょ。そうさせないために、あれこれ情報操作したんだよ!」
情報操作……
しかし、俺が七星の提案通り宇都見に伝えたのは、実に些細なことばかりだ。
ひとつ、宅配業者は必ずこちらが指定した会社を使わせること。
ひとつ、到着時間は必ず一番遅い時間……夜の八時以降とすること。
ひとつ、伝票番号を必ず聞いておくこと。
実のところ、それだけなのだ。
「ポイントはね、その理由をウツミショウタくんにも伝えてない、ってところにあるのさ。どうしてその宅配業者を使わなきゃいけないのか、どうして夜の八時以降にしたのか、ウツミショウタくんも不思議がってて、ミナトくんはその疑問に答えてあげなかったでしょ?」
「そりゃあそうだ。俺だってその答えとやらを知らないんだからな」
宇都見にそこを追及されたら、「俺を助けてくれた謎の人物がそうしろって言うんだよ」と答えろ、と七星に言われた。だから俺は、その通りに答えたのだ。
「……ってことはね、それを盗み聞きしてた魔術師さんたちも、同じように疑問に思うはず、ってことだよ。そんで、魔術師さんたちがボンクラじゃなかったら、その解答はすぐに得られるはず……もなみたちは、荷物がお屋敷に届く前に強奪するつもりなんだな、ってさ」
「ご、強奪?」
「そうだよ。ウラシマタクマさんのお屋敷は高級住宅街のどんづまりに位置してるから、配送ルートはかなり限定されてるの。宅配業者の名前と到着時間さえわかってれば、うまく待ち伏せできるポイントが二、三箇所あるんだよ! で、そんなもなみたちの企みを看破した魔術師さんたちは、そのポイントの一番外側で、もなみたちよりも早く石版を強奪しよう!って思うはずでしょ? そこが、決戦の場となるね!」
「……そんなにうまくいくもんかな?」
「うまくいくよ。魔術師さんたちがよっぽどのボンクラじゃないかぎりね! ……ま、魔術師さんたちがボンクラすぎて何も手を打ってこなかったら、労せずして石版を一枚ゲットできるんだから。そしたら今度は京都の人と交渉して、もう一回おんなじことをすればいいんだよ。そうしたら、今度こそ魔術師さんたちも動いてくれるはずでしょ?」
胸をそらして、得意げに笑う。
「むこうが動かなきゃ動かないで、こっちがどんどん得をするシステムなんだからね! もなみの作戦に穴はない! ま、ミナトくんは大船に乗ったつもりで、もなみの比類なき天才的な頭脳を信用しちゃいなさい!」
「……ああ。わかったよ」
信じろ、というのなら信じよう。どんなに人格が破綻していたとしても、あらゆる面においてこいつが優れた能力を持っている、ということに疑いはないようなのだから。
実際こいつは、化け物じみた能力を持っていた。
パソコンの知識は表裏あわせて八雲の上をいっているようだし、オカルトの知識は宇都見以上、身体能力は俺以上、では、俺たちが束になってもかなわない。おまけに使役する幻獣は、俺が知るかぎりでは最強のギルタブルル。
こんな豪華なアジトを個人で所有できるぐらいの大金持ちで、結界とやらが張れるぐらいは魔術のたしなみもあり、ついでにつけくわえるなら、十ヶ国以上の言葉をあやつることができ、どうやら車の運転もできるらしい。まだ十六歳だが、二十歳と記載された偽造免許証を持っているらしいのだ。
容姿が優れているというのも本当だし、まったくもって、非の打ちどころがない……ただし、そのぶんの埋め合わせでもするかのように、人格が破綻しており、そして、人との縁が薄いらしい。
まだその生い立ちは謎に包まれたままだが、学校にも行かず、戸籍も与えられず、生まれた頃から魔術結社に追われる身の上、というのはどういう人生なのだろう。想像なんて、できるはずもない。
「なあ、七星……」
俺が言った、その瞬間、光の速さで巨大な枕が飛来してきた。
俺はまっとうな人間にすぎないから、そんなものが避けられるはずもない。
枕は見事に俺の顔面を撃ちぬき、俺は椅子ごとその場にひっくり返ることになった。
「もなみだって言ってんでしょ! わざとだよね? 絶対わざとだ! もなみは人をからかうのは大好きだけど、人にからかわれるのはそんなに好きじゃないんだから!」
「別にからかってるわけじゃあ……うわぁっ!」
俺が身体を起こすより早く、今度は七星自身が跳びかかってきた。
まずい。完全にマウント・ポジションだ。
こんなアイドル顔負けのルックスとスタイルのくせに、むちゃくちゃ馬鹿力なのだから、これではどうやったって逃げられるはずがない。
「落ち着け! 悪意はないんだ! お、俺は名前をファースト・ネームで呼び合う習慣なんて持ちあわせてないんだよ! 十年近い腐れ縁の宇都見だって『宇都見』だし、他にも名前で呼び合う相手なんて……」
「つきあいの長さなんて関係ない! 大事なのは、関係性でしょ? それじゃあミナトくんは、もなみが『イソツキくん』って呼んでもいいの?」
いや、全然かまわない。
だけど、そんな風に答えたら、本当に絞め殺されそうな勢いだ。
俺はこいつにのしかかられて、まずまっさきに貞操の危機を感じてしまったのだが、これはどうやら本気で生命の危機を感じるべき場面であるようだった。
「悪気はないなんて言ってるけど、本当に、心から、イタズラ心がなかったって誓える? 四連続だよ、四連続! 三発目あたりはこっちのほうが笑いそうになっちゃったよ! これが無意識の行為だなんて誰に信じられようか? 正直に言いなさい! からかわれるのは好きじゃないけど、その場しのぎの嘘でごまかされるのは、もっと嫌いだよ! もなみがムキーッてなってるのを見て、あ、ちょっと面白いなって思ってたんでしょ?」
さあ、あくまで否定するべきか、素直に肯定するべきか。俺が選ぶべき道はどちらだろう?
もしかしたら、正解なんてものはないのかもしれない。
しかし、黙っていたら確実に息の根を止められてしまいそうなので、俺は、一縷の望みを託して、選択することにした。
「まあ……ほんのちょっとだけ楽しんでた、な」
とたんに七星は、ぴたりとすべての動きを止め、すべての表情をその顔から消し去った。
「……オレサマ、オマエ、マルカジリ」
「うわぁ、やめろって! 本気で人殺しの目になってるぞ、お前!」
「……コンゴトモ、ヨロシク」
「意味がわかんねェって! やめろ、この馬鹿力……あいててて!」
「……何をやっているのだ、お前たちは?」
と、いきなり冷淡な女の声が頭上から振ってきた。
救いの女神……カルブ=ル=アクラブのご登場だ。
「……オレサマ、ゴ機嫌、ナナメ」
「見ればわかる。交渉決裂か? 殺すんだったら、私に命じろ。もう何日も契約を果たすこともなく現し世にとどめられて、いいかげんに飽いてきた」
アクラブは、ずいぶん奇妙な格好をしていた。
いや、こっちのほうがまだ普通なのだろうか。ふだんの黒いマントみたいなコートではなく、ゆったりとした黒いシャツとパンツを纏い、特徴的な赤い髪は大きなベレー帽で、赤い瞳はサングラスで隠してしまっている。
それでも人間離れして白い肌と美貌はそのままだから、まるでお忍びのハリウッド・スターみたいな有り様になっていた。
そしてその白い腕には、何やら荷物のつめこまれた紙袋を抱えており、七星がいつまでもむっつりと黙りこんでいると、そこからひっぱりだした炭酸水のボトルを差しだしてきた。
「……ありがと」
少しいつもの様子に戻って、七星がくぴくぴとそいつを飲みはじめる。俺の腹の上にまたがったまま。
「いつになったら、私の出番はやってくるんだ? 用がないなら、隠り世に帰せ。いつまでもこんな干物をかじっていたら、心の底まで干からびてしまいそうだ」
と、さっきまで俺が座っていた椅子を引き起こし、そこに腰を落としながら、自分はビーフ・ジャーキーの袋をつまみあげる。
七星は、気持ちを落ち着けるようにしばらく目を閉じてから、やがて、ひさかたぶりに笑顔を浮かべた。
「決行の日は明日になったよ! だけど、『暁の剣団』は味方じゃないけど敵でもないから、殺しちゃったり食べちゃったりするのはNGだからね?」
「何だ、つまらん。あの不細工なエルバハはともかく、アルミラージの血はそこそこ滋味にあふれているのだがな。……だったら、いっそのこと、あのグーロはどうだ?」
「つまんねェ挑発はやめろよ。ていうか、地べたに這いつくばってる人間を挑発すんな。主従ともども、鬼かお前らは」
「……だって、悪いのはミナトくんじゃん」
ものすごく不満そうに唇をとがらせる七星もなみである。
確かにからかったのは悪かったが、三倍返しどころの騒ぎじゃないだろ、これは。
「あのなぁ、だったら本音で語らせてもらうけど、出会って数日の女を下の名前で呼べるほど、俺はフランクなキャラじゃねェんだよ。……ていうか、生まれてこのかた十七年間、妹以外の女を名前で呼んだことなんてねェんだからな。そんな照れくさいこと、強要すんな」
「……それじゃあもなみは、妹ちゃん以下の存在なの?」
「そういう問題じゃねェだろ! 兄妹だったらおんなじ苗字なんだから、名前で呼ぶほかねェだろうが!」
いったいどこまで破綻すりゃ気が済むのだ。
七星はきわめて難しい顔をして、「うーむ」と考えこみはじめた。いいから降りろ、俺の上から、すみやかに。
「それじゃあミナトくんにもなみって呼んでもらうには、やっぱり家族になるしかないのかなぁ。この前求婚を断られてから四十八時間ほど経過してるけど、ミナトくんに心境の変化は……」
「ない。せめて年単位のつきあいをしてから、そういうことは考えてくれ」
「えー? だってもなみはそんな長生きする予定もないし! 『名無き黄昏』との戦端が開かれたら、明日をも知れぬ生命だよ? 俺達に明日はない、だよ?」
「……だったら長生きできるように努力しろよ」
俺が憮然と答えると、七星はなぜか、にへらっと笑った。
「それは、ミナトくんと結婚したいなら長生きしてみせろという宣戦布告であるのかな? よし! 生きる活力がわいてきたぞぉ!」
「……」
「さてさて。ご機嫌は回復したけれども、そうするとコレはたちまち求愛行動に相応しいポジショニングであるように思えてならなくなってきたのだが。如何?」
「如何もへったくれもあるか! ほら、携帯が鳴ってるよ! 宇都見からだよ! とっとと降りろ!」
七星は、「ちぇっ!」と舌打ちしてから、名残りおしそうに床へと這い降りた。
急いで身を起こした俺は、カーゴパンツのポケットから携帯電話をひっぱりだす。
「よし。荷物の伝票番号だ。何だかよくわからねェけど、こいつが大事なんだろ……?」
言いながら、心ならずも、語尾が小さくなってしまった。
「どしたの、どしたの?」と七星も携帯の画面をのぞきこんできたが、そこに異常は発見できなかったようで、不思議そうに首をかしげる。
それはそうだろう。別にそこには、おかしな文など表示されていなかった。
ただ、当たり障りのない文章の最後に、「今日は終業式だったよ」と書かれていただけだ。
終業式。
明日から、夏休み、なのか。
今の俺には、何て遠い言葉だろう。
「……番号は、お前のパソコンに転送しておくぜ?」
「了解! ……あれぇ、帰っちゃうのぉ?」
「ああ。明日に備えて、寝ておくよ」
床に座りこんだままの七星と、椅子に座ってビーフ・ジャーキーをかじっているアクラブに見送られつつ、俺は回廊へと通ずるドアにむかった。
「七星。……明日は、よろしくな?」
「うん! 頑張ろうねぇ。おやすみぃ!」
七星の笑顔に軽く手をあげて応えてから、俺は静かにドアを閉ざした。
薄暗くて、窓のない回廊。壁には転々と絵画が飾られ、足もとには、毛足の長い絨毯が敷かれている。やっぱりここが廃ビルの地下だとは実感し難い。
俺は何となく鬱屈としたものを胸の奥に抱えこみながら、眠れるトラメの待つ部屋へと、足を踏みだした。